07
7月。
すっかり雨も降らなくなり傘をさすという面倒くさいことをしなくていいようになったのはいいことだが、如何せん暑くて参っていた。
「宮内……それ暑くないのか?」
「暑いけど日焼けしたくないからね」
「そういうものか……」
こちとら肌が綺麗かも分からない無頓着な男、なので日焼けを気にする女子の気持ちは一生分からないだろうと片付け飲み物を飲む。
「ねえ、冰室さんに全然会えないんだけど」
「奇遇だな、俺も同じだ。何年の何組に所属しているかどうかも分からない。分かっているのはあいつが女だということ、そしてでかいということだ」
「胸も大きいよね」
「あー……って、ナチュラルに反応しづらいこと言ってくんなよ」
どうせそこで「だな」とか言ったら文句を言ってくるんだろうが。この暑い中そういう流れだけはなんとしてでも避けたいぞ。
「でも私のはない……」
「だから反応しづれえって」
「大きいのじゃなきゃイヤ?」
「別に……そこまで重きをおいてねえよ」
好きになれば全部愛すだろ多分。経験したことがないから分からないが、人間は基本的にそうだと思う。付き合ってから、結婚してからも同じかどうかは分からないが。
「ふむ、健生くんは大きい胸が好きというわけではないと」
「ちょ、お姉ちゃんっ?」
あれから何故か姉の態度も変わってしまった。いまでは宮内がふたりになったような感覚、宮内がとことん朱乃に似ているだけとも言えるがな。
「朱乃はいつからいたんだ?」
「「ちょ、呼び捨てかいっ」」
「いや、俺あんたのこと苦手だし」
表だけ偽ることなんて簡単なことだ。初印象が悪かったし評価を改めてもらいたいなら素を出すしかない。だがそうすると余計に印象は悪くなるという悪循環、最初にああして接してきた時点で詰みみたいなもの。
「そうそう、朱乃は冰室楓華って知ってるか?」
「知ってるよー、だって健生くんのこと教えたの私だしねー」
「なんでだ?」
「あの子が知りたがっていたからっ」
なるほどな、どうやらそこはきちんと繋がっていたらしい。だけどこいつ俺のことを切ったくらいだしどういう風に説明したんだろうか。
「あ、そうだっ、今日私たちの家に来なよ」
「別にいいけど。宮内もいいか?」
「え、あ、うん、別にいいよ」
「よしっ、それじゃあいまからレッツゴー!」
俺らが放課後に残っていた理由なんて分からないんだろうなこいつ。
この太陽からの攻撃が落ち着いた後にゆっくり帰ろうとしたんだ。
夏の夕暮れ時に女子と帰るなんてこの先できるか分からない。だが、だからといってわざわざ1番暑い時に帰る必要はない――と思っていたのに。
「うへぇ……もう外出たくねえ」
宮内家リビングの床に寝っ転がって嘆く。
渋った俺の腕を朱乃が掴んで家まで運びやがったんだ。
「それなら泊まっていけば? あ、たまたま両親が帰ってこない日とかそんな都合のいいことはないけどさ!」
どこまでもハイテンションなところもいまは過剰、できれば部屋に帰ってゆっくりしていてもらいたい。
「お姉ちゃんうるさいっ」
「あ、ごめんね希空、私は部屋にこもっているからふたりで仲良くねー」
「ま、まさかそれが――」
「ふふふ、別にそんなんじゃないよー」
おぉ、あんまり低評価をしているのは悪いかもしれない。こういうところはいいお姉ちゃんなのかもな。宮内は微妙そうな反応をしているけども。
「はぁ……もうだからお姉ちゃんは……」
「そう言ってやるなよ。あれでも俺らのこと考えてくれたんだろ」
「ほらそうやって周りの子を味方にさせるんだから」
軽そうだけど本当に軽いわけじゃないから周囲も味方をする。恐らく宮内が考えているほど悪い姉ではないんだろう。だから憎めず関係を断てずにいるわけだ。
「別に俺はお前の味方だってするぞ? あ、ちょっとぼっちになってみた気分はどうだ?」
「どうだか。うーん、あんまり慣れないかな。誰かといるのが当たり前だったからさ、誘ってくれたのに断るのってなんか勇気いるし」
「別に全部断らなくてもいいんだぞ? こっちを優先しないで友達と過ごしても全然いい。ただちょっと距離を置いてみたらどうだってアドバイスしただけだからな」
変わったと言えば宮内もそうだ。休み時間とかも毎回来るようになった。昼飯を食うのもいつの間にか横に座って食ってる。来る者拒まずのスタンスだから拒みはしないが、無理しているんじゃないかと感じるときもあって実に曖昧な気持ちを抱えながらの生活となっていた。
「ううん、私も元々連日出かけたりするのちょっと大変だったからさ」
「そうか、ならいいけどさ」
「それに古屋くんって放っておくと真のぼっちだし」
「余計なお世話だ」
宮内はそこで俺の横に何故か正座。
「それなら言い方を変えるけどさ、私はいま古屋くんに夢中だからね」
「へえ。下心ありまくるぞ俺は」
「あっても表に出せないでしょ。私が望んでいるのは仮にあってもすぐ出してこない子だもん」
表に出さないのと出せないだと凄く差があるのだが。
「だからさ無理しているわけじゃないからそこは安心して」
「おう」
「いま気になるのはね、対私と対冰室さんでどれだけ反応が違うのかってことかな。というわけで――」
彼女は一旦廊下に出てすぐに戻ってくる。
「冰室さんを連れてきましたー」
冰室楓華を連れて。
彼女はいつも通り無表情のまま「もっと早くに呼びなさい、退屈だったわよ」と文句を言っていた。わざわざ付き合ってやるあたり、こいつが優しいことはよく分かる。
「ごめんごめん。さ、古谷くんと話してみて!」
「私はこの子より翔くんの方が興味あるわ。だって古屋くんは私に酷いことしか言わないもの」
「まあまあ、古谷くんもいい子だよ?」
「それは知っているわ、初対面の私に傘をあげるくらいだもの。自分が濡れることを厭わずそんなことができるのはお人好しの証よ」
朱乃みたいに低評価を下しているわけではないみたいだ。ただ、お人好しって言葉は褒め言葉ではない気がして喜べなかった。
「見極めたいなら秘密裏に見ないと駄目ね」
「そうだよね、どうしたって意識しちゃうもんね」
「そうよ、ありのままを引き出すにはこちらもそうでなくてはならない、自分が偽っていたら相手の素を見ることも叶わないまま終わるのよ」
「う゛っ……なんか私に突き刺さるよ」
「朱乃くらい出していくのも時としては重要ということね。出しすぎなのもどうかと思うけれど」
そう、全部混ざってくれては駄目なんだ。それでは俺の理想とする宮内ではなくなってしまう。女としての魅力を最大限引き出したいのなら人を食ったような態度をとってはいけないということ。
「んー、でも古屋くん的にはいまくらいがベストなのかしら」
「古谷くんはいまの私が好きってこと?」
「好きかどうかはともかく落ち着く相手、というところかしらね」
よく分かってんな冰室のやつ。短時間しか俺らを見ていないはずなのに分かりすぎてて怖いくらいだぞ。でも、これもまた第三者だからこそ分かることだよな。直接関わることだけが近道じゃないと、色々と教えてくれるやつなのかもしれない。
「希空は古屋くんにどうなってほしいの?」
「うーん、そのままでいてくれればいいかな」
「あるでしょう? 改善してほしいところとか」
「んー、名前で呼んでほしいかな。お姉ちゃんにだけ呼び捨てってなんかおかしいし。お姉ちゃんが好きならおかしくはないけどさ」
「名前で呼ぶくらいいまは普通よね。というわけで古屋くん」
そもそもそういう話は俺がいないところでやってほしかったんだが。
「宮内は――」
「いいよ?」
「希空」
「うん」
だぁもうなんだこの感じは。冰室はこんなときにも無表情で「やるじゃない」なんて言ってるしな。
「ちなみに私の名前は楓華よ」
「はぁ……え? 呼べって?」
「冰室って呼ぶのと、楓華って呼ぶの、変わらないと思うけれど」
「全然違うだろそれは」
いけないいけない、こうしてツッコむから助長させるんだ。
だったらここで呼んでやればいい。それで無表情キャラの終わりを拝んでやるぜ!
「楓華っ!」
「なに?」
「うぇ……む、無表情……」
「ふっ、名前を呼ばれたくらいで照れると思った? 私は希空とは違うのよ」
「ち、ちがっ……これは暑いから……」
名前を呼んだ後は普通だったからそのままだと思っていたがどうやら違ったらしい。
「さてと、私はもう帰るわ」
「う、うん……気をつけてね」
「送ってやるよ、俺も帰るから」
彼女の家の方角に店があるので寄って帰ろうと思う。なにかを買わないとしても涼しい空間に少しでもいたいからだ。
「そうなの? それなら帰りましょうか」
「それじゃあな希空」
「……うん、じゃあね」
俺らは宮内家をあとにして灼熱の地獄と相まみえる。
「改善した方がいいところを言うわ」
「ん? なんだ急に」
「さっきの希空は明らかに残ってほしそうな顔をしていたわ。その鈍感さをなんとかしなさい」
「いや、気づいてたぞ。微妙そうな顔をしていたのも、こっちに手を伸ばそうとしていたのもな」
でも俺は残ることを選択しなかった。
「ならなんで?」
「あんな空気の後に残れるかよ。急にぼっちから変わって女子が近くにいる毎日、ドキドキするんだよ」
しかも夢中とか変なことも言ってくれてるしな。名前を呼ばせてきたことも影響している。
「ふふ、そんな感じで本番の時大丈夫なの?」
「本番って……俺があいつを好きになったときってことか?」
「ええ、逆もあるけれど」
ま、ないこともないわな。俺があいつと友達になったようにあいつを好きになって彼女にしたいと望んでもおかしくはない。
「そん時はそん時の俺がなんとかする。いいから早く行こうぜ、暑いわ」
「ええ」
だが今じゃない。というか今気にしていられないくらい暑いんだ。熱中症になっても嫌だしさっさと送って家に帰ろう。