04
「しまった……ゆっくりしすぎた」
今日も今日とて雨が降っている。そのため、夕方になるとすぐに暗くなるということを分かっていたのに図書室でのんびりとしてしまったのだ。
急いで薄暗い校舎から出て水が降りしきる中走っていく。
「ねえ」
校門を出てすぐのところで話しかけられ足を止めた。
「良かったわ、気づいてくれて」
「な……」
な、なんだこの女、俺よりでけえ。なにもしていないのに威圧感があるし、なにもしていないのに謝りたい気持ちになってきた。
「あ、驚いた? 私って身長が高いのよ」
「お、おう……で、どうしたんだ?」
「見ての通りよ。傘がなくてね、入れてもらえないかしら」
「それは別にいいけど、家はどっちなんだ?」
「あっち」
おぅ……俺の家とは真反対。
つか俺、この女のことなにも知らないけど先輩だったらどうしよう。
「それなら傘やるよ」
「え? それは悪いわよ」
「いや、そっちに送る方が面倒くさいし」
ここから何キロもあるというわけじゃないし濡れて帰った方がマシだ。
「ふふ、あなたはっきり言うのね。でも、いいじゃない、あなたに興味があるわ。私が呼びかけて反応したのはあなただけだった、どうしてかしら」
「理由分かるぞ、単純にあんたの声が小さいからだ」
「そんなー、そう、いつも言われるのよね、それ」
「とにかくさ、あんたは早く風呂に入った方がいいぞ、風邪を引くからな」
俺だってできれば濡れたくないんだよ。だけど相合い傘をしたりしたら変な噂が出るかもしれないし距離が増えて面倒だ。
「ふむ、なるほど、あなた意外と優しいのね。普段はひとりでいるから分かりづらいけど、あの子が近づき続けていることから分かるわよね」
「あの子って宮内か?」
「有り体に言えばそうね」
「ま、とにかくそれやるよ! じゃあな!」
「あ、ちょっと……」
早く帰らないと俺の飯がなくなる。
それくらいあの家での俺の立場は微妙なのだ。
「って、先に翔が食っちまうからだけどな!」
若い分食べ盛りなんだろう。あっという間に机の上から食べ物がなくなってしまう。母も「食べさせてあげなさい」とか言って自分のをあげちまうしな。なんでもかんでも甘くすればいいわけじゃないんだが。
「おいおい、もっと食えよ翔!」
「い、いや、十分食べてる……」
「そうよ翔、もっと食べなさい」
「いや、だから食べてるよ……」
ま、正解は俺らが自分の分をあげて食べさせているだけだ。
「そうだ、宮内さんが他の男子といたけど?」
「ん? あいつは基本的にそうだぞ?」
「え、いや……なんかすっごく仲良さそうだったけど」
「だからそういうもんだって」
偉そうに言ってからまた近づいて来なくなった。俺としてはなんら問題ないし、彼女が他の男子と仲良さそうにしていても貫くことにしたんだな、それくらいにしか感じない。
「翔、落ち着いたか?」
「うーん……まだちょっと」
「そりゃそうか、だって本気で好きだったんだろ?」
「まさか相手は違うなんて思わなかったけど」
宮内の理想とする男って翔なんじゃないか? 本人も翔に興味があるって言っていたしな。
「翔、宮内とかどうだ?」
「え? いやそれは……」
「いやいや、あいつもあいつでいいやつだぞ?」
「それは分かってるよ、だって兄ちゃんに優しくしてくれる人だもん」
それは言外に俺如きにもと言っているような気がするんだが。
「だけどお姉ちゃんが苦手かな」
「奇遇だな、それは俺もだ」
「どうしたって近づくことになるし、それになにより宮内さんは――ま、どちらにしてもいまはまだ女の子とあんまりいたくないかな」
「そうか、まあしょうがないよな」
翔をその気にさせても宮内がそういうつもりでいるかも分からない。だったら余計なことをしない方がいいか。
「ごちそうさま」
「あれ、というか兄ちゃん濡れてるじゃん!」
「あ、忘れてたわ。風呂行ってくる」
俺よりでかいマイペースな巨人女と出会って傘をあげてきたんだったな。
「ふぅ……」
宮内のことを知っているということは同じクラス……それなら目立つし周りに興味がない俺とはいえ分かると思うのだが。
「兄ちゃん電話」
「おう、ありがとな」
それで応答ボタンを押してみると聞こえてきた声の主は、
「こんばんは、さっきは傘を貸してくれてありがとう」
先程の女子だった。
律儀なところは素直に好印象だ。
「あんたか」
だが、え? どうやってこの番号を知ったんだ? やだやだ、怖いと内側は少し暴れていたが。
「朱乃から聞いたの」
「あー……遅いけど敬語を使った方がいいか?」
「別にいいわ、私は先輩というわけではないもの」
「あ、そう……ならいいけどさ」
会話終了。
「あなたいまどこにいるの?」
「風呂場だな」
いくら防水機能つきだとはいえ落とさないか心配だ。
某動画サイトの人気者が湯船に落とした結果、普通に生きていたので大丈夫だとは思いたいがなんとも不安で手が震えている。
「お風呂場にスマホを持ち込むとか女の子なの?」
「違う、身内が持ってきてくれただけだ」
「それって翔くん?」
「お、おう、そうだ」
兄と違って顔が広くてモテていいな翔は。
が、先日の様子を見る限りでは女子に囲まれて過ごすのもメリットばかりではないと分かった。なので俺は俺のままでいいと――まあそういう風にしか生活できないだけだとも言えるが。
「後でこの電話番号を教えておいてちょうだい」
「分かった、それじゃあな」
「ええ、おやすみなさい」
もっと困るのはこれからだとは知らずに通話を切ったのだった。
「希空、あの子の様子はどうなの?」
日課の日記を書いているときに姉が入ってきて強制的に中断させられる。ノックすらしてくれないんだからプライバシーどうなっているの? と嘆きたいところではあった。
「そんなに気になるなら連絡すればいいじゃん」
「いやいや、それじゃあ面白くないじゃん」
なんで古屋くんのことを話すだけで面白いとか面白くないとかって意識しなければならないのか。
「今日もちゃんとお話しした?」
「いや、しなかったよ」
あのとき逆ギレしてしまってからできていない。
複雑なのは正しいことを言っていると思ってしまったことだ。
でも内側には自分が正しいことをしているという感情もあって、認めるのが癪で、ああして叫んでいた。
「えぇ、ちゃんとお話ししなよー」
「余計なお世話っ、いいから出てってよ!」
「んー、なんで最近はそんなに冷たくなっちゃったの? 私がなにかした?」
なにも考えず行動するのが嫌いなんだ。
だけど古屋くん曰く、私も同じようなことをしていると言う。
私は絶対に姉のようにならないと気をつけて生きてきたのにこのザマだ。
おまけに都合が悪くなったときに逆ギレするところなんて正にそのまま、私はまるで姉のコピー人間……。
「別にこれが私の普通だよ」
「ふぅん、そんな態度とってるからあんな子に絡まれるんじゃないの?」
「は? え、それって古屋くんのこと言ってるの?」
「うん、だってあの子つまらないじゃん。返信も遅いし短いしさ」
男女とかじゃなく人によってそんなの違うし、予定があれば返せないなんてこともあるのにそれだけでつまんないって……正直むかつく。
「だったら消せばいいじゃん」
「もう消したよー、あんな子と関わっていても無駄だしー」
「……いちいち言わないでよ」
「え?」
「もう出てってっ、これからお風呂に行くから!」
「え、うん、え? あ、まあ分かった、けど」
ああもうむかつく!
「でも……怒る資格ないよね」
最後なのをいいことに洗わずに入って潜る。
だって古谷くんはせっかく助言をしてくれたのに逆ギレしちゃったんだから。
「ぷはぁっ……はぁ、明日どうやって話そうかな」
古屋くんだと怒ってくれないからなあ、それがまた複雑な気持ちを加速させるんだよなあ。
「放課後に教室を掃除するとき話せばいいかな?」
よし、明日頑張ろう。