10
「――というやり取りを翔としたんだけどさ」
「へえ、それをなんで私に言うの?」
彼女――楓華は冷たい顔をしている。
だが、ここで折れるわけにはいかない。そして俺はこいつと仲良くなければならない。それは翔のため、弟のためならどんな苦行でもやってみせ――はしないが、まあ仲良くいたいところだ。
「だって俺の女友達と言えば希空と楓華ぐらいだからな」
「朱乃がいるじゃない」
「あ、そういえばそうか……」
でもなあ、あいつに言うと妹に言っちゃいそうだから判断が難しい。
「ま、健生くんはともかく希空はそういうつもりでいるんじゃない?」
「そうか? 土曜にプレゼントを渡したとき冷たい顔をしていたぞ」
「ふふ」
「な、なんだよ」
翔といる時程ではないが柔らかい笑みを浮かべている。それにちょっとドキッとしてしまった形となる。
「いえ、やっぱり朱乃みたいに生きる時もあの子には必要よね」
「そういうことか」
あいつだったら「センスなーい」とかって馬鹿にしてきそうだが、少なくとも冷たい顔はしないだろう。
「翔とは楽しかったか?」
「ええ、手を出してしまいそうになったわ」
「別にいいんじゃねえのか?」
翔も満更でもなさそうな感じだったし、さっさと付き合ってもらいたい。
「翔の兄として聞いておくけどさ、その好きは特別か?」
「どうかしらね」
「おい!」
中途半端な気持ちで接するのはやめてあげてほしい。もちろん「そのつもりがないならやめろ」なんてことは言えない。だってそれなら友達でいることすら不可能になるな。でも、兄としてはやっぱりはっきりしてほしいんだ。
「落ち着きなさい。私たちはまだ出会ったばかりなのよ? そこまで惚れ性というわけでもないわ。ただ、ビビッときた相手ではあるわね」
「それは違うのかよ?」
「なるほど、私、分かったわ」
なんか凄く嫌な予感がする。
「将来私が義理の妹になるから嬉しいのでしょう?」
「はぁ? そんなんじゃねえよっ、俺はただ翔が幸せになってくれればって思ってるだけだ」
というかその話を持ち出すということは案外悪くないのか? 自分のことじゃないのに一喜一憂してアホだが、うんまあ悪くない流れだ。
「で、義理の姉もできるのね、しかも顔見知りの」
「希空のことか? どうだろうな」
「というわけで呼んでおいたわ、私は翔くんと約束があるからもう行くわね」
俺が彼女を引き止めたのではなく、俺が彼女に引き止められていたということか。
「話、終わった?」
「おう、あいつが一方的に終わらせて帰った」
彼女は当然のように現れ、いつものように横に座った。
今日も今日とて長袖姿、そして夏だというのにいい匂い。
食生活の差なのだろうか? それとも単純にこれが性差?
「翔くんといい感じになっているんだね、今日のお昼だって一緒にご飯を食べてたし」
「そういえば希空はどこにいたんだ?」
「お散歩してたの」
しかも俺が誘ったのに丁寧に断って、が付け加えられる。
「で、相変わらず健生くんは冰室さんと仲良さそうに話すよね」
「は? 普通だろ別に」
向こうに言わせてみれば希空といる時の俺のほうが仲良さそうだろう。
「もしかしてお兄さんも冰室さんのことを狙っているとか?」
「違うって」
土曜からずっと機嫌が悪い。
悪口を言ったわけでもないし、それどころか誕生日プレゼントをあげたくらいなのにな、女心って分からないうえに難しすぎるだろ。
「だってさ、私より冰室さんを優先してるじゃん」
放課後に5分くらい話しただけでこの判断か? 段々と俺が悪いのか? いいか悪いかで言えば悪い感情が自分の中を占めてくる。
「帰るわ」
「いちいち冰室さんを使うのはやめて」
「おう」
流石にここまでとは思わなかった。拘りが強さが邪魔しているのか? それとも単純にもう興味がなくなったのか、分かるのは本人だけというのが面倒くさいところである。
ひとりで帰るのは凄く久しぶりな感じがした。少なくとも5月の終わり頃までは普通のことだったというのに、少し寂しい。
「翔は……いねえのか」
いつもなら家にすぐ帰ってくる翔も全然帰ってこない。両親は常のことだから気にならないが、なんとも微妙な時間だ。
「せめて朱乃が説明してくれれば……」
その時に響いたコンッという音。
「開けてー」
内側じゃなくて本当に良かったと思う。
玄関に行って扉を開けると、
「やっほー」
実にいつも通りの朱乃が。とりあえず中に入ってもらう。
「希空と上手くいかなくてモヤモヤしているそこの君!」
「朱乃」
「ん?」
「どうしたらいいんだ?」
「ふふふ、私から情報を得るには対価が必要です。そうだねぇ、希空にあげたストラップの片割れが欲しいかな」
ただで情報を得たいなど虫が良すぎたか。
部屋から色違いのストラップを持ってくる。
が、仮に買っていなかったらどうしたのだろうか。
「はい」
「ありがとっ。これで希空とお揃いー!」
いいよな、別に喧嘩をしているわけではない人間は。
当然だが俺とではできない会話とかだってしているんだろうし。
「あのね、健生くんはなにも間違ってないよ」
「は? おい、真面目にやってくれよ」
「ううん、健生くんは本当に間違ってない。問題があるとすれば希空の方だね。いまのままじゃ選んだ行動が全部逆効果、喧嘩してそのまま関係の消滅もアリえます。だってイラッとしちゃったでしょ?」
イラッと、というか面倒くささを感じてしまった。
話しても分かり合えないなら今日みたいに帰ってしまおうと、一緒にいない方が判断して俺はいまここにいる。
「なんなんだあいつは……」
「しょうがないよ、初めての体験なんだもん」
「いや、俺だって家族以外にプレゼントを贈るとか初めてだぞ。それこそ女子なのがこれまでなら有りえないな」
なのにあの態度って……あれが事前に分かっていたならそもそも渡さなかったぞ。
「うーん、希空にどうしてほしい?」
「今まで通り普通でいてくれればそれでいい。特別なことは望んでないんだ」
「じゃあここでどうして希空が微妙な状態なのか言うけどさ、楓華を優先して動いているからだよ」
「またそれかよ……大体楓華は翔に夢中なんだぞ? 友達の範疇で行動しているだけだぞ俺は」
それとも長年ぼっちだったせいで俺が分かっていないだけなのか? 送ったりすることが過剰だということなのか? どちらにしてもそれを教えず一方的に怒ってるままじゃ相手には伝わらない。それどころか嫌われる可能性だってあるんだからもうちょっとこれを選んだらどうなるか、そういうのを考えた方がいい。
「まあいい、来る者拒まず去る者追わずだからな、相性が悪いならもうそれまでだったってことで割り切るよ」
って、イルカをやったのに結局こんなんかよ。めちゃくちゃ損した気分だ。
「面倒くさいやつだな……」
「君もそんなに変わらないと思うけどね」
「一緒にするなよ、仮に不満があるとすれば自分の口で直接言うぞ俺は」
勝手に深く考えて嫉妬まがいのことをし不機嫌モード、質が悪すぎる。
「じゃあ言ってみてよ」
「そうだな、お前にストラップをやったのが無駄だったな。あんなしょうもない俺でも分かるようなことを言われてもな」
「まあまあ、私に当たったって今のままじゃ希空は変わらないよ」
確かにそうか、少し冷静にならなければならない。
ひとつ深呼吸をして床に寝転がる。「お昼寝?」なんて聞いてきた彼女のことをスルーして考えることに。
「俺はそんなことしてないと思ったけどさ、希空はそう感じたってことなんだろ?」
「うん」
ここで折れることが正しいのか? 男ならそれくらい許容しろと? 俺は彼女にはっきりと言ったことがあったか? いいことも悪いことも、全部言えているとはとてもじゃないが思えない。
「分かった、はっきり言うわ」
「うん、それならはい、ずっと通話中だから」
「お前……まあいいや、貸してくれ」
耳に当てると彼女が外にいることは分かった。
まだ時間はあんまり遅くない。だから今外にいたら暑いだろうになにをやっているんだか。
「希空」
「……ん」
「お前、面倒くさいやつだな」
「ちょっ、健生くんっ!?」
俺の言葉に先に反応したのは珍しく笑みを浮かべていない朱乃だ。
「は、はっきり言うってそういうこと? もういらないってこと?」
「違う。俺はただ自分が言ったことを守ろうとしているだけだ。希空、俺の家に来い、そこで朱乃と待っているから」
「……行かない」
「じゃあ来なくていい。それとその態度を続けるならもう関わるのやめようぜ、面倒くせえしな」
自分が悪いことをしたならともかくしていないなら折れる必要はない。その場凌ぎでそれっぽいことを言ったとしても将来結局我慢しきれなくなって終わるだけだ。
「……行く、お姉ちゃんに会いに」
「そうかい」
で、何故かすぐにインターホンが鳴ったと。先程は楓華の作戦、そして今回は完全に朱乃の作戦、と。
「お邪魔します……」
「やっほー希空ー」
ぶっ飛ばしたいこの笑顔。
が、姉の顔を見れてホッとしたような顔の希空を見たら落ち着いた。
「あ、お母さんが呼んでるから帰るね!」
「「え……」」
「あばよっ――の前に、ほら」
「……いいのかよ、1度あげた物なのに」
投げてきたのはもちろんイルカのストラップ。希空にあげたのとデザインは一緒で単に色違いの物だ。複雑さを抱えていた俺に「いいのいいのっ、それじゃあね!」と言って彼女は出ていった。
「それ、最初から買ってたの?」
「ああ、気に入ってたんだ」
だから希空にもやろうって思ったんだけどな。朱乃が気づいたことからお揃いが嫌だったということなのか? それなら今度からはやめよう。
「ごめん……」
「別に。ただ、さっき言ったことは嘘じゃないぞ」
終わりを望むならここが最後。
「後はお前次第だ」
「……面倒くさいから?」
「まあそれもあるし、質が悪いからだな」
どれだけ努力したって合わないやつは死ぬまで合わない。無理すればするほど余計に拗れて終わるだけ。だったらもう少しマシな状況で終わるのが最善だと言える気がするんだ。
「来る者拒まずのスタンスだけどさ、うざ絡みをしてくるのなら話は別だな」
「うざい……」
「ま、普段の希空は全然いいんだぞ? だけどさ、別にそういうつもりで動いているわけじゃねえのに楓華を優先しているとか言われてもさ、困っちまうわけよ。じゃあお前が逆に俺と普通にいるだけなのに『健生くんを優先している』とか言われてみ? うぜえだろそんなの。本当のところを知らねえのに勝手なこと言ってんなってむかつくだろ」
寧ろ俺としちゃあ希空のことを優先していると思っていたけどな。出会ったから何気に毎日一緒にいるし、飯も一緒に食う、放課後になった一緒に帰る、逆に一緒にいなかった時の方が最近は少ないくらいだった。
なのにちょっと楓華と会話したくらいでそう捉えられるのは心外だ。彼女も一旦冷静に振り返ってみた方がいい。出会ってからほとんどいるんだな、そう考えてみればなんとなくは分かるはず。
「俺はさ、お前といるの楽しいよ。もうなんとなくじゃねえ、俺がお前と一緒にいたいと思ってる。だけどお前は違うなら無理をさせるのも申し訳ねえし今日で終わりでもいい。どうする? 選ぶ権利はお前にあるぞ」
自分から切る的なことを言ったり、希空次第だと言ったり、コロコロ変わって実に対応しづらいだろう。
なんでもかんでもはっきり言えばいいわけじゃない。が、こういう今後に関わることは今ここでしっかりとお互いが理解していた方がいい。
「ま、すぐに出せないなら今日はもう帰ったらどうだろうな? ひとりで考えてもいいし、朱乃を頼ってもいいしな」
あいつにも申し訳ないことをしてしまった。上手くいかないイライラを関係のない人間にぶつけて落ち着かせようとするなんて最悪だ。
よく考えてみたら彼女にこれをあげるというのは悪くない選択肢ではあった。姉妹でお揃いのストラップをつけてるとか可愛くていいからな。
「……帰らない」
「別にいいぞそれでも。俺は適当に過ごしてるから希空も適当に過ごせばいい」
「うん……」
傍から見たらなんで一緒にいるんだって不思議に思うだろうが、まあ本人がいたいと言うのなら拒む必要もないだろう。