第9話
少年は全身の痙攣に合わせて口を震わせながらもなんとか言葉を紡ぐ。充血は引いたものの、依然として異様に輝くその目に灯は恐怖を覚えて一歩後ろに下がって見守る。
「だから、さっきから言っているじゃん。アキを守るためだよ……」
「そうだったわね。その、アキはこの選挙にも参加しているのよね?」
クレアは質問を続ける。
灯の中で焦りと関心が入り混じっていた。
グラウンドを挟んで立っている校舎を凝視する。三階まで並ぶ教室の一つ一つのすみずみまで誰もいないことを確認する。その一方で、耳は二人の会話に向けられて、気づかないうちに倒れそうな姿勢で立っていた。
「もちろんだよ。だって一番最初に会ったんだもん」
灯も聞きたいことはいくつもあったが、今はこらえていた。ただでさえ子供の相手は得意ではないのに、この少年には更に敵意まで持たれているから無駄だと悟ったのだ。
「アキはあなたにとってこの学校で初めて会った心強い味方だったのね。」
「そうだよ。でも、アキは多分そんなに強くないよ」
「そうなの? じゃあ、弱いからこそ守るために体育館やここでも頑張って戦ったってことかしら」
クレアは少年の頭を撫でながら探りを入れる。
「それは……ええっと……」
輝きを見せる両目に初めて曇りが見えた。少年が悩むのを見て何かを感じ取ったのだろうか、クレアは話題を変える。
「難しい質問をしてごめんね。あなたにも分からないことはあるものね」
少年は小さく頷く。自身の状況を理解して受け入れているのだろうか、少年の全身から力は抜け、立ち上がろうという意思は見られない。灯はなるべく視界に少年をいれないよう努めていたが、声を聴くだけでも自身の死まで連想して足の力が抜けてしまいそうである。
それをなんとか踏みとどまり立っていられるのは、クレアのおかげだった。華奢なクレアが珍しく優しい表情を崩さずに子供に語り掛けるのを見ていると、今にもくじけそうな自分が恥ずかしく感じる。灯はいつの間にかクレアに向いていた視線を校舎に戻し、周囲の観察に集中することにした。
と言っても、グラウンドは勿論、明かりのついた校舎の中までここから直視できる範囲では相変わらず変化はない。誰かが潜在能力を使っているなら話は別だが、少なくとも戦闘が行われていないのは間違いなかった。
再び鎮まったこの学校で、これからも戦うはめになるとは到底信じられなかった。
「……あのライフルを持っていた男もアキを守るための仲間なの?」
「ううん。僕がスーツの人を打った後に、体育館の中で待ち構えていたら話しかけてきたんだ。作戦を教えてくれたから、協力した後に殺そうかなって思ってたよ」
少年の純粋で恐ろしい思考に内心驚くと同時に、その男に感心してしまう。瞬間移動と透視の能力自体は状況を見ればわかってもおかしくはないが、それに対処する手際は短時間では素晴らしいものだった。その証拠に、皇も信じられない顔で倒れていった。
代り映えのしない光景にやる気のない注意を継続しつつも、いつの間にか二人の話に聞き入っていた。
「隠れていた私たちに気づいたから狙いを変更したってことね」
少年は再び黙って頷く。口数は減り、聞ける質問は限られる。クレアは頭を撫でるのをやめて、代わりに少年の左手を握る。
「うん。そうだよ」
「あと一個だけ聞いてもいいかしら。この学校には何人いるの?」
少年は少し黙って考えた。
「よく考えたら、二人はアキの敵にならないで守ってくれる気がするから教えてあげるよ。八時になって直ぐに透視を使って全部見たけど、人は八人だったよ。この目が面白くて動いてない人まで全部見たから間違いない」
「ありがとう。私たちは誰かを傷つけるに来たわけじゃないわ。安心して」
「そう。じゃあ、後は任せるよ……」
少年の声は、これを最後に途絶えた。灯は一つも自分のことを聞けずじまいになった。
クレアは握っていた手を放すと、少年の服の中に手を入れた。何かを探るように動かしていたが、直ぐに立ち上がる。
「待たせたわね」
「ああ、遅かったぞ。それで、何か分かったか?」
「話は聞いていたでしょう。私にもアキが何者かは分からないけれど、いくつか重要な情報が手に入ったわ」
そう言うクレアは話すことをためらっているように見えた。
「おい、どうした?」
「いえ……まあ、あなたは大丈夫よね。これを見て」
そういって、ポケットから一枚のカードを取り出して差し出す。それは、教室に隠れている時に裏側だけ見せられた、潜在能力の書かれているというカードだった。
「いいのか?」
「情報を共有するためには仕方ないわ。それにあなたは今のところ能力が無いからこれで公平でしょう」
ぐいと突き出され、灯は受け取った。
そこには、蛍光色に光る日本語で短く書かれていた。
桜美久怜愛
潜在能力;未来視
直接触れた者がこれから見る絶対の未来を共有する
「あのときか」
すぐに皇との図書室での戦闘を思い出す。クレアは皇の足を掴んで投げ飛ばしていた。
「皇の未来は何が見えたんだ?」
「男がカーテンに背中を預けているシーンから倒れるところまでよ。その時に窓から覗く私たちも見えたから図書室では安心していたわ」
「それだけで皇の弱点がよく分かったな……。それで、クレアの能力と重要な情報の何が関係あるんだ?」
「この子の未来を覗いたわ。といっても数秒だし、もう死んでるから恐らく握り始めた直後に見たものなんでしょうけど」
「そういうことか。それで、何を見たんだ? 俺たちと一緒にここに居たんだからたいしたものは見れないだろう」
クレアは難しい顔をして考えている。
「いいえ、どうやらこの子が透視をしているタイミングで見れたようよ。先ずはトイレの中。私より少し年上の……制服を着ていたから高校生かしら。それくらいの女の子が座ってうずくまっていたわ」
「透視か……数秒ならどこのトイレだったかは判別できなさそうだな」
「ええ。でも、視界はそこでずっと固定されていたから、もしかしたらあの子が『アキ』なんじゃないかしら」
「確かにあり得るな。死ぬ直前までそのアキってやつをを心配していたのか」
「まだ確証はないけれどね。問題はもう一つの方よ」
一呼吸おいて続ける。
「基本的に視界はそこに固定されていてたまに動いていたんだけれど、一か所だけ視線が止まったわ。廊下だったのだけれど、灯は私とこの子が話している時にここから校舎を見て何か異変に気付いた?」
思い返すが、何も心当たりはなく首を横に振る。
「いや、遠くて教室の先の廊下までは見えなかったが大きな動きは無かったように思う」
「そうよね。もしかしたらもう一個奥の校舎かも。その廊下で、皇と戦っていたあの男が何もない壁を蹴っていたの。この子もそれが気になったみたいで、壁の先まで透視してみるけれど、壁の先は駐車場に続いているだけで何もなかったわ」
「それは気になるな……。行ってみるか?」
灯は自分から提案をしてみた。根拠はないが、クレアがいいそうなことを察してみたつもりだった。
「ええ、そうしたいんだけど体育館の方から回って行ってもいいかしら? 直ぐに次の戦いになったら持ちそうにないわ」
同時に、クレアはその場にへたりと座り込んだ。ずっと隠してきた疲労が一気に表に出る。
ガクン、と灯の身体もつられるように崩れ落ちた。倒れないように踏ん張るが、クレアと同じく座り込む。そこでようやく、自分が小さな傷だらけなことに気が付いた。
「少し休憩が必要だな」
「そうさせてもらうわ」
二人とも大木に隠れて座り、静かになる。
周囲を警戒せず、初めて疲労と真摯に向き合った。