第3話
灯は音を出そうとしていた口を塞ぎ、こちらに振り向かれないことを祈りながらゆっくりとしゃがむ。近くに隠れるものがなかった二人はその場で姿勢を低くするくらいしかできなかった。
男は、廊下の二人とは反対側にかかった窓から外を見ていた。窓に写るのは橋のように地面と接していない渡り廊下とそれに繋がるもう一つの校舎の上階、それと下の階も頭をのぞかせていた。
しかし、直ぐにこちら側へ身体を向けた。すらりとした体形に黒のスーツが映える。少し強面ではあるものの顔立ちも整っており、左手に握ったおふざけに見える日本刀のおもちゃまでもが不気味さを放っていた。
灯は男の身体を上から下に見て、どこかで見覚えがあることに気が付いた。頭を捻ろうとするが、時間は待ってはくれなかった。
男の視線がさっき見つけた引き戸の血の跡に止まる。血の跡を男の側から辿り、視線は境界を越えて図書室の中へ一歩ずつ侵入する。
歩いて数歩分のところで血の跡は止まっており、跡を追っていた頭は一瞬動きを止める。そして、少し横に動いて次の狙いである二人に向いた。二人に緊張が走ったが、負けじと目は反らさない。
男は品定めでもするかのように二人を交互に観察していたが、クレアに狙いを止めた。左手に握っていた日本刀をゆっくりと持ち上げて両手に構える。灯をいいようのない不安が襲った。落ち着こうと深呼吸をするが、短剣の目の前で止まる右手はかすかに震え続けていた。
「借りるわよ!!」
突如大声を発すると同時に、灯より先に短剣を手に取った。地面に落ちている短剣を拾い上げる勢いも含めて目の前を切り上げる。
その瞬間、灯の目の前で刃と刃がぶつかり合い、光が大きくはじけた。男が二人の目の前に突然現れたのだ。クレアはそれを呼んで切り上げていたのか、かろうじて日本刀の動きは防がれる。灯は驚いてその場にしりもちをついた。
男はすぐに連撃を繰り出し、追い打ちをかける。クレアもそれを短剣で受け流し、轟音と共に激しく火花が散った。灯の目には二つの剣は最早おもちゃには見えていなかった。それらは、間違いなく生命を脅かす凶器だ。何もできずにただ二人の闘いを見ている。
二人の状況は拮抗しているように思えたが、少しずつ差は表れてきた。最初の不意打ちが効いたのかクレアが徐々に押され、日本刀の恐怖がその綺麗な顔に近寄る。初めの体制も悪かったのか、膝立ちのまま男を見上げて斬撃をさばいていくが、距離を取るように一歩ずつ後ろに下がる。
クレアの苦しそうな顔を見てハッとした。クレアの次は、俺じゃないか。
徐々に強まっていたはずの震えはピタリと止まり、身体は自然と動く。足元に落ちているクレアの落としたハンドガンに手が伸びる。緊張や恐れの一切ない灯のあまりに自然な動きに、斬りあう二人は一切気づかない。両手で構え、銃口を男の頭に向ける。
考えるまでもなく、無意識のうちに引き金は引かれていた。
弾ける銃声と共に、部屋はしんと鎮まる。灯は意識を取り戻した。男が身体を後ろに反らしたまま顔をこちらに向けている。弾丸は当たることなく通り過ぎ、壁を貫通していた。自分がためらいもなく引き金を引き、それが外れたことに気づいて力が抜けるようにハンドガンを下ろした。灯は状況を飲み込めずに次の行動を起こすことができなかったが、二人も信じられなかったのか灯を見て動きを止めている。
沈黙を活かしたのは、クレアだった。状況をいち早く理解し、男の足へ腕を伸ばす。クレアに続いて男も刀を振ろうとするが遅かった。足首を掴み、思いっきり投げ飛ばした。窓が割れ、突然現れた廊下まで投げ戻される。
灯はクレアの方を見た。クレアはいつの間にか立ち上がっており、短剣が目の前に差し出される。刃に触れないように慎重に受け取り、今度はハンドガンを渡した。クレアは感心した目を向けている。
「よく打てたわね。この戦いを知らなかったとは思えないわ」
ハンドガンを受け取り、両手でグリップを握る。
「自分でも驚いてるよ。当たらなかったみたいだけどね」
二人とも話しながら廊下に目を向ける。男がゆっくりと立ち上がっている途中だった。
「それはあの男が人間離れしてるだけよ……。取り合えずこの隙に逃げるわよ。次はもう防げないわ」
灯もその意見に賛成だが、困惑していた。男は既に狙いを定め、刀をその場で振り上げている。
「もう準備は終わってるみたいだけどどうするんだよ!!」
がむしゃらに短剣を振るう。
「いいえ、大丈夫よ」
クレアは一切取り乱さない。ハンドガンも構えずに男を凝視している。
男が剣を振り下ろそうと呼吸を止めたその瞬間だった。大きな音とともに男が消えた。今度こそ終わりだと両手で顔を覆う。
しかし、男は目の前に現れることはなかった。両手に守られながら薄く目を開いて安全を確認すると、腕を下ろす。横のクレアを見るが、相変わらず構えておらず打った様子はない。
廊下に目を戻してようやく答えが分かった。男は立っていたところから少し離れたところで壁に寄り掛かっていた。
これはチャンスだ。幸い目の前には出口がある。灯はクレアの手を取り、走り出した。
廊下に出て、男の方を一瞥する。右肩を抑えて壁から離れようとしていた。一瞬警戒したが、こちらに気をくれずに窓から外を見ていることに気づいた。近くの廊下には、何かが貫通した跡があった。何があったかは分からないが安全を確信して顔を正面に戻し、逃げるように走った。
廊下を曲がる。教室が目に入り、手を握ったまま中へと入った。