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1 出会い

私は、自分の頭の中でもがいているだけのような、そんな恋愛小説を書きたかった。

 実を言うと、そのひとの名前が本名だったのか、定かではない。




 苗字も名前も知っているけれど、最後まで名前の漢字を教えてくれなかったからだ。きっと嘘の名前なのではないかと疑っている。苗字はヤマムラだったので、山村と書くんじゃないかと聞いたら、さぁねとか多分そうじゃない? という曖昧な答えが返ってくるばかりだった。




 一体、あのひとは何だったのか……。実は全て嘘を言っていたのではないか。今となっては分からない。というのも、そのひとは姿を消したからだ。半年ほどの短い付き合いだった。それにもかかわらず僕は、彼女に魅入られていた。だから2年経った今でも忘れることが出来ないでいる。




 最後まで何を考えているのかはっきり分からない。自分のことをあまり話さない人だった。半年しか付き合いのない浅い関係だったのだろうと思うかもしれない。でもそれは違うと言いたい。出会い方も普通じゃなかったし、僕にとっては忘れられない半年間だったからだ。そう……僕にとっては……。






 夏が近づくとよく思い出す。最近も懐かしいことを思い出していた。ただただ、彼女のことをつづって残しておきたかった。僕以外の人には需要なんてないんだろうけど。だって彼女との関係は何だったのかって言われても、はっきりと答えることすら出来ないんだ。知り合いなんていう一言で終わる関係ではなかった……。これは願望かも知れないけれど。



 とにかく。



 出会ったのは、僕が東京の大学に入学して一人暮らしを始めた年。




 セミがそこら中で鳴いていて、もくもくと立派な入道雲が出ていて、道路を歩けば陽炎が見えるような。そんな、うだるような暑さの7月のことだった。






 朝5時頃に暑くて飛び起きた僕は、冷房を入れた後、寝汗が気持ち悪くてシャワーを浴びた。それから緑茶を飲んで、一息……と寝ころんだはいいものの、気がついて時計を見た時にはもう、いつもなら学校に着いている時間だった。



 その頃の僕は真面目で、遅刻なんてしたくないと思い焦って家を飛び出した。今なら自転車を全力で漕げば間に合う。




 駐輪場へ来て、愕然とした。いつも自転車をとめてある場所に自転車がなかった。全身の血が下がる感覚が分かったほどだ。ハンドルとサドルとタイヤが真っ白なクロスバイク。それを探した。駐輪場を2周したけどどこにも見当たらない。流れてくる汗が背中のシャツをぴったりとくっつける。前髪を伝った汗が目に染みて痛い。イライラしてしょうがなかった。



 これで2度目だ。



 引っ越してすぐ、母から入学祝いに貰った黒いクロスバイクを盗まれた。この3カ月の間に2台盗まれるなんて! マンションは安いので駐輪場に鍵は付いていない。でも自分の自転車に鍵は付けていたし、駐輪場には他に、鍵の付いていないものや高級な自転車があった。それなのになんで、僕のばかり盗まれるんだ。1万5千円ほどという高級な自転車ではないにしろ、学生にその出費は痛かった。母に貰った自転車が盗まれたことは言っていない。申し訳なさ過ぎて言えなかった。自転車泥棒はどんな気持ちで盗んでいくのだろう。




 イライラと暑さで頭は煮えそうだったが、大通りでタクシーを捕まえると大学へ向かった。タクシーの中は冷房が効いていて清潔だった。まるで天国だ。ドキドキしながらリッチに大学へ向かったのは良い。



 が、バスは嫌いだ。駅などの人混みでさえ窮屈でイライラする。満員バスなんて息が詰まりそうだ。でも歩くのはもっと避けたかった。1時間もこの日差しの下をあるいていたら、頭が沸騰して死んでしまう。この暑い中歩くよりはバスに乗る方がマシか……。





 授業を終え近所の自転車屋の前でバスを降りた。明日もバスに乗るなんて嫌だった。



 もう盗まれたくないと考え、自転車屋の店員さんに盗まれにくい自転車を聞いてママチャリを購入した。スポーツタイプ、白や黒、シルバーなどの無難な色は盗まれやすいらしい。スポーツタイプは快適だったがまた盗まれるくらいならママチャリで我慢しよう。



 いくらなんでも3カ月間で2台目の自転車を盗まれるのは早いんじゃないか。



 実は僕の自転車は狙われているのではないか? 帰り道、そんな考えが頭をよぎる。そういえば昨日、1階の外国人が玄関の前にいたけど、駐輪場の方を気にしていた。駐輪場は1階の玄関の正面にある。もし狙われているのなら……(そんなことはないとは思うけど)もう2度と盗まないでほしい。




 駐輪場に自転車をとめると、リュックの中からノートとマジックを取り出した。ノートから1ページ破り取って”自転車泥棒”と書く。少し考えてその下に”自転車盗むな!”と書いた。



 怖い人だったらどうしよう。



 紙をぐしゃぐしゃに丸めると、もう1枚破った。また同じように”自転車泥棒”――少し考えると”様”と付け加えた。その下に”私の自転車を盗まないで下さい。困ります。”と書く。




 ”自転車泥棒様 私の自転車を盗まないで下さい。困ります。”




 ビビりな僕が悩んだ末考えたのはそんな文面だった。今考えると面白い。そしてその紙を、セロテープでハンドルの真ん中に張り付けた。これでよし、と。満足げに頷いてから心の中で手を合わせる。



 『どうか盗まれませんように!』



 明日が土日で学校に行かないから不安だった。

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