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転生少女は召喚士になる  作者: 久浪
四章『行く末』
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3 別れ



 力が入った手が、ヴィンセントの胸倉を掴みあげた。

 近くでぽかんとしていたセナはぎょっとする。


「嘘でも無傷だと言え! この根性なし!」


 次いで、声の剣幕にもぎょっとするはめになった。


「嘘をついたと分かれば怒るくせにそう言うのは理不尽だ」


 怒鳴られた方のヴィンセントは、真顔で淡々と言い返した。


「煩い。それにヴィンセント、お前はわたしの手紙に対して返事の一つも寄越さなかったな」

「あの手紙にどう返事を出せと言うんだ。どう返しても説教を返される手紙に返事する趣味はない。それより、痛いのだが」

「それよりだと?」


 セナは端で見ているだけなのに、完全に圧倒されていた。

 と、とりあえずヴィンセントの首が締まってしまうのでは? ヴィンセントは顔色一つ変えていないけれど。

 セナはどうすることも出来ない手を中途半端に浮かせて、視線をさ迷わせる。


 コン、

 コン、


 注意を引くように区切られたノックの音が響いた。

 今度は誰だ、とそちらを見ると、開け放たれたままの扉からノックしていたであろう手を離し、一人の男性が入ってくるところだった。

 ダークグレーの髪に、灰色の目。教会の制服姿の男性は、ヴィンセントと女性に向かって歩いていく。


「グレース、いくら弟の執務室だとはいえ、中で誰かと話しているかもしれないのだからノックは必要だと再三言っているのだが」

「ヴィンセントは戻ってきたばかりだ、誰かに絡まれる前にわたしが来てやったまでだ。そもそも、中に誰がいようとわたしの知ったことじゃない」

「君は困らなくとも──例えば今、そこで驚いている子がいる」


 灰色の目がセナを示した。

 ヴィンセントの胸ぐらを掴んだまま、女性の目が初めてセナを捉えた。紫色の目は強気が宿った視線をしていた。


「見せ物じゃないぞ」


 蛇に睨まれた蛙はこんな気持ちなのかもしれない。


「す、すみません」


 居合わせた場所で、突然上司の胸ぐらが掴み上げれるようなことが起きれば無視するのは難しい……と思わなくもなかったが、反射的に口から謝罪が出ていった。

 迫力に押されたのだ。ついでに視線もずらした。見てすみません。


「姉さん、彼女は別に通りがかりでわざわざ立ち止まって見物しているわけではない」


 胸ぐらを掴まれたままのヴィンセントが、女性に異論を唱えた。

 その状態で平然としているのは精神強すぎではないだろうか。いや知り合いなのであれば慣れているのか。慣れる? この状態に? 

 …………姉さん……?

 思わず、セナは緊張を忘れて、視線を戻した。

 長い紺色の髪に、紫の瞳。非常に顔立ちの整った美人。

 間一髪、視線は合わず、彼女の視線はヴィンセントに戻る。


「なんだ、知り合いかヴィンセント」

「知らない者でも通りかかる廊下なら未だしも、この部屋にいるならそうなるだろう」

「お前の言い方は時々腹が立つな」

「それくらい自主的に思い当たってもらってもいいのではないかと俺は思う」


 オルガ・イエルカのときも思ったが、よく平然と言い返せる。

 ──いや、オルガ・イエルカなど可愛いもので、この人で慣れていたのではないか

 そんな考えが過った。


 ヴィンセントに姉がいるとは、存在だけは知っていた。

 ヴィンセントの姉。

 数少ない情報が頭の中からばらばらに絞り出されて流れていく。

 白魔討伐の日、ヴィンセントに手紙を寄越した人だ。

 名家の女性は気が強い傾向があるのだろうかという考えを抱いたセナに、自らの姉は間違いなくそうだとヴィンセントは言った。

 さらに、大怪我自体は昔対人戦闘訓練で、姉に相当やられたとも言っていて、確か、パラディンをしていると……。


「銅階級なら、雑用か何かだろう。知り合いというほどでもないはずだ。用があってもなくてもわたしが来たなら席を外すべきだと思うが」


 ヴィンセントの姉は、セナの記章の色を見たらしい。

 セナもセナで、彼女の記章を探していて──見つけた。

 白金。


「グレース、そろそろ手を離さないか」


 ちょうど声を発した、後から入ってきた男性の記章もとっさに確認してしまう。

 金。


「いや、待て」


 一旦離れていたヴィンセントの姉の視線がセナに戻り、またヴィンセントに向く。


「いいや、これ以上締めるとさすがにまずい」

「手のことじゃない」

「手ではないと言われても、手がヴィンセントの首をさらに締めている」

「ああ、もう煩いな」

「それが仕事の一環だ」


 この男性もこの男性で、よく注意できるな。

 今は思考の渦がぐるぐる回っていて一時的に吹き飛んでいるが、セナなら何も言えない。

 エレノアも気が強かったが、何というか彼女は柔らかい類いだったというか、──いや、この人は敵意があるわけではないが、あまりに苛烈なのだ。怖いわけではなく、強烈すぎる。


「離せばいいんだな。ほら」


 ぱっと手が離され、ヴィンセントが乱れた胸元の衣服を整える。


「まさか、そこにいるのは従者か?」


 目が、セナを見た。

 ああ、そうだ。刺々しささえ感じたのは、ぴりぴりとした緊張で、彼女の強烈さが鮮烈だったからだ。そして、不意を突かれたから。

 だから、少しだけ慣れてきた。


「父上がまた凝りもせず従者をつけるように要望を出したとか出さなかったとか聞いたぞ。いい加減諦めればいいものを」

「ブラット元帥は、従者がいないと不便だろうと思っていらっしゃるのだろう」


 そんな言い方をしなくとも、という男性の言葉にヴィンセントの姉は鼻で笑った。


「まあ、ここに共にいるということはとうとう見つかったということだから、父上の呆れた努力が奇跡的に実ったのは感嘆に値する」

「いや、今日で終わりだから明日からはまたいない」


 ヴィンセントの姉は「は?」と、ヴィンセントを見た。


「クビにするのか。また根性なしだったのか」

「いいや。それとこれまでの者が根性なしだったというような言い方は事実に反する。姉さん基準では知らないが」

「それなら、なぜわざわざ手放す」


 苦言を流し、ヴィンセントの姉は怪訝そうにする。


「彼女は……色々あるんだ」

「今、説明するのが面倒だと思ったな。話せ」

「……。彼女は従者としては申し分なかった。俺の目のことも気にしないし、純粋に従者として。しかし彼女はエベアータ家の人間で、将来エベアータ家を継ぐ立場だ。このまま従者であるのは彼女にとって最もよい道ではないので、彼女はこれから隊に戻す」


 無駄なく簡潔に、ヴィンセントは説明を果たした。


「エベアータ?」


 ほう、と、ヴィンセントの姉の注意が一瞬だけセナに向く。


「婿入りさせてもらえ」

「は?」

「夫婦で主従というのはありだ。わたしを見ろ」

「何を馬鹿げたことを。大体、俺がこれまで解雇しようが何も言わなかったのに、今回に限ってどうして口出しする」

「それはわたしが、お前のその目を気味悪がる者に従者が務まるものかと思っていて、これまでの者が全員そんなだったからだ。クビになって当然だった。だが今回は違ったのだろう?」


 だからと言って、とヴィンセントがすかさず反論しようとする。

 それより先に、


「ヴィンセント、お前は異端だ」


 彼女が言った。


「お前の目は、他の人間と異なる性質を持つことを示す。そして人間は大抵異端に違和感を持つものだ」


 ヴィンセントの姉なる人が、その『事実』をはっきり述べた。

 ──ヴィンセントの左右色違いの目。あまりにはっきりと言う女性と全く様子が変わらないヴィンセントに、その目に対する周りの反応を単なる事実として受け止める彼の根源を垣間見た気がした


「断る」


 そして、ヴィンセントもまたはっきり言った。


「何だヴィンセント、わたしに意見するのか」

「根本的に姉さんの問題ではなく、俺のことだからな」

「稀有な存在をどうして手放そうとする。理解に苦しむ」

「理解に苦しむのは、俺の側のみの利益を考えるからだ。もう決まったことだ、何を言われてももう変わらないし、変えない」


 弟の毅然とした返しに、姉は沈黙した。


「……そうか。まあ別にいい。わたしのことでなく、どうせお前のことであるし」


 ふん、とヴィンセントの姉は、ヴィンセントから少し離れた。

 彼女の目がちらっとセナを掠めた気がしたが、思わず瞬きして、目を開けたときには紫の目はヴィンセントを見ていた。


「それで、今日家に帰ってくるのか」

「今日は帰らない。明日は帰るつもりだ」

「そうか。まあ、父上も何やらメリアーズ家がごたごたしていて今日も帰って来られないようだが。そういえばヴィンセント、確かライナスと仲が良かったな」

「……父さんから話を聞くのは得意技のはずではなかったか」

「多忙なんだよ、その父が。わたしだって空気は読む」

「……分かった。だが、俺の用を先に済ませさせてもらう」

「なんだ解雇の儀式か?」

「姉さん、部屋で待っていてもらえれば俺が訪ねよう」


 押し強めの言い方に、ヴィンセントの姉はふっと笑って、「待っているとも」と部屋を出ていった。

 扉が閉まり、出来た静寂はまさに嵐が過ぎ去ったあとの空気だった。


「セナ、すまない」


 扉が閉まったことを確認してから、ヴィンセントが謝罪を口にした。


「さっきの彼女はグレース。グレース・ブラット。俺の姉だ。すまない、あの通り我が道を行きすぎる姉なんだ」

「いえ、まあ、その……驚きました」

「そうだろうと思う。俺は姉より強烈な人を見たことがないからな」


 ヴィンセントも強烈だと思っているのか。

 しかし驚いた。いきなり強い光に当てられたような性格だったこと自体そうだが、何よりヴィンセントの姉という情報を得ての彼女にも驚いた。

 外見云々ではなく性格が似ていなくて、予想外の『姉』を見たような──いや、結局強烈だったのである。


「く、首大丈夫ですか?」

「ああ、さっきのか。問題ない。何も姉も殺しにきているのではないからな」


 基準が物騒すぎる。


「邪魔が入ったが、改めて」


 姉の乱入を邪魔の一言で片付け、衣服の乱れを慣れたように完璧に戻し、何事もなかったように、ヴィンセントは仕切り直した。


「君の従者の任は今を持って終了だ」

「はい」

「万が一白魔との関係に何かあれば、エベアータ元帥がいるだろうが、俺に力になれることは力になる。いつでも言ってくれていい」

「ありがとうございます」

「また、会える機会があるといいと思っている」 

「はい。──ありがとうございました」


 そんな風にあっさりと、ヴィンセントとの主従関係は完全に終わりを告げた。

 部屋の中に残るヴィンセントに深々と礼をして、セナは執務室を出た。

 初めて来た執務室も、イレギュラーなことが起きない限りは少なくとも当分訪れることはない。

 歩き始めて、しばらく。にわかにポケットに手を突っ込んだ。もふっとした感触に包まれる。


『む』


 ポケットから、ぽこんと白猫が顔を出した。


『どうかしたか』

「ごめん。何か、手持ち無沙汰というか、空っぽの感じが落ち着かなくて」

『私は別に構わんが。……その顔は落ち着かん』


 どうしたとまた言われて、口ごもる。

 この感覚をどう言い表すべきかと、考えた。


「何だろ、すごく、寂しい気がして」

『一人じゃないぞ?』


 ベアドまで出てきて、セナを見上げた。

 一人ではない。シェーザがいて、ベアドがいて、手がもふもふで幸せになっても、何か足りないような、欠けたような心地がする。

 タイミングを考えれば理由は一つだけだ。


「けっこう長く、一緒にいたからかなぁ」


 ヴィンセントの従者になってから、日中は毎日彼と一緒にいることになった。

 だから、彼のいる執務室に戻ることがないと意識しながら歩いていれば、こんな心地になって当たり前かもしれない。

 別れは、寂しいものだ。



 *




 執務室の扉が閉まり、足音が遠ざかり、聞こえなくなってから、ヴィンセントは一度ゆっくりと瞬いた。

 この執務室では一人が染み付いているはずなのに、北の砦では必ずセナの姿があったからか。

 彼女が去ったばかりなのに、部屋の中がいやに殺風景に感じられた。


「……必要以上に待たせると、面倒だな」


 姉に話をしに行かなければならないため、自らも執務室を出た。

 長い廊下の先には、まだセナの背中が見えていた。


「そんなに名残惜しいのなら、一緒にいて欲しいと言えばいいのに」


 セナが角を曲がり、見えなくなったと同時、後ろからそんな声がした。


義兄(にい)さん」


 振り向くと、先ほど姉と共に部屋にいた姉の従者がこちらに歩いてくるところだった。

 ロイ・ブラット。彼は、従者として主に姉の制御役を担う一方で、姉の夫でもあった。


「いつから」

「最初から。グレースの執務室の前にいた」


 答えが得られて、見られていたと分かってから、かけられた言葉を思い出した。


「義兄さん、彼女は従者でいてはいけない人なんだ」

「? 違う、ヴィンセント。私が言った一緒にと言うのは従者としての話じゃない」


 そちらに用があるので歩き始めていたヴィンセントは、合流した義兄に否定され、首を傾げる。


「個人的に一緒にいられる関係を願ったらいいのに、と私は言ったんだ」


 ヴィンセントは足を止め、義兄を見た。


「私は両方を手に入れたが」


 姉の夫で、従者でもある義兄は、そう言って微笑した。

 グレース・ブラット──ヴィンセントの姉は、ライナスに似通う性質を持ちながら、ライナスとは違って、かつては従者を悉く無能だと首を切ってきた。

 ライナスの従者がすごいのか、ライナスに姉の種類の乱雑さがないのか、単に最初から相性がいい主従の組み合わせだったのか。

 少なくとも姉と、この義兄の場合は、まず義兄の方が強く望み、勝ち取ったと記憶している。

 従者の座も、夫となることも。


 ──従者ではなく、個人的に一緒にいられる関係を望む。


「……その発想はなかった」


 ヴィンセントは、自らが背を向けた方であり、セナが去った方を振り返った。








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