2 感謝を
聖剣士や召喚士が属する教会の本部は城である。
教会とは言われるが、見た目は教会っぽくはなく、完全に西洋の城である。
召喚の儀式のために首都に初めて赴いた際、綺麗な城があると思っていたが、あれが将来の職場だったとは。
本部から北の砦に派遣されていた全ての人員が首都に帰還した。
隊所属の者、パラディン、全員だ。
セナもまた教会本部にいた。
高い天井、綺麗に磨かれた床が、歩く者を鏡のように薄く映す。
ここは、最も多くの聖剣士と召喚士がいて、最大の戦力が集まっていながらも、最も戦地から遠い場所だ。
セナが本部にいたのは式典後一週間だけ。その後は研修のため支部に行き、その後は配属隊が北の砦に派遣されていたためにそちらに向かうことになった。
だから道なんてろくに覚えているはずがないので、今歩いているのが本部のどの辺りかもさっぱり分からない。
前を行く背中は、迷いなく廊下を進んでいく。
廊下には制服を着た人が行き交っていた。彼らは、ヴィンセントを見るや、何も彼が真ん中を突っ切っていたわけではないが、道を譲るようにした。
まあ、セナだってあちら側だったら、白金の記章を見たらそうする。
しかし、記章だけの影響ではないようだった。
彼らの視線は決まって同じ動きをした。全員ヴィンセントの顔を見ると、少なからずはっとした顔になる。
この光景は、北の砦では必ず記章を見る動作とセットで起こっていたので、理由は分かった。
ヴィンセントの左右色違いの目に反応している。本部で毎日こうなのであれば、気にした素振りを一切見せなかったことに頷けた。
「ヴィンセント様だ。白魔討伐から戻ってらっしゃったんだ」
「見ろ、無傷だ。あの人の破魔は白魔にも通じたということか」
「人間世界を滅ぼしてしまうとされる白魔の力さえ──破魔というのはすごいのだな」
「何を言う。天使の加護がないんだぞ」
「しっ、聞こえるぞ」
どうして無傷の帰還がこんなにもずれた視点で注目されるのだろう。
無傷。すごい。白魔に勝った。でいいではないか。
ヴィンセントの名前に勝手に集中した耳が拾った会話に、セナはもやもやする。
けれど一切口にはしない。セナが勝手にもやもやしているのであり、きっと反論したりする必要もないからだ。
ヴィンセント・ブラットという人は、実力ですでに認められているのだから。
一度だって、この目の前の背が揺れたところを見なかった。
「……後ろの、また新しい従者を連れてらっしゃるのか」
従者、という言葉と、視線。
違う話題を捉えたのは、自分に向けられていると感じたからだろう。
気がついた。ヴィンセントに向いた視線が、次は後ろにいる自分に移っていると気がついた。
「どれくらい振りだ。しばらくいなかったんじゃないか?」
「ついたと言っても、どうせまた今までのようにクビになるんだろう」
パラディンの本拠地は例外なく本部だ。
つまり、ヴィンセントの従者がころころ変わっていたらしい出来事はおそらく本部で行われていて、よく知られたことであるのだ。
「それが北の砦で任命されて、今回一緒に帰還したらしいぞ」
「え、あの従者何者だよ」
「パラディン・ヴィンセント様の気まぐれか、余程出来る奴かだな。だが見ない顔だな」
「今年の新人だと耳に挟んだぞ」
「新人? じゃあ気紛れなのか。近いうちに確実にクビになるな」
「俺はエベアータ家の方らしいって聞いたんだが」
「はあ? エベアータ家? エベアータ元帥に子供がいるなんて話、聞いたことがないぞ」
「いや、そういえば、知り合いが今年はマクベス家の名前を持つ新人とエベアータ家の名前を持つ新人が隊に入るって言っていた覚えが……」
「本当かよそれ!?」
おっと?
単なる推測の中に、ところどころ真実が混ざっている。
思わずそちらを見てしまったら、おそらく会話していた張本人たちとばっちり目が合って、そそくさと目を逸らされた。
……聞こえるくらいの声で話しているそちらが悪いのでは? 目を逸らされると、なぜかこちらが悪かった気分になるから理不尽である。
「北の砦での話を誰が流しているんだ」
ぽつり、呟きが聞こえた。
ヴィンセントだ。
「ヴィンセントさん、聞いてるんですね」
明らかに、セナが聞いていた周りの会話を聞いた呟きだった。
前を見て変わらず歩みを進めていたヴィンセントが、セナに目だけ向けた。
「最早声を耳に入れてさえいないんじゃないかって思ってました」
見た感じでは、周りが勝手にしている会話など聞いてさえいないと思っていた。
「大抵はそうだ。自分に意識を向けられているということは、俺について話している可能性が高い。だが噂という行為で話されていることを聞くべきものだとは思っていない。それに聞かなくとも、そもそも俺は周りとの明確な違いがあり、これまで理不尽な解雇を繰り返してきたこともあるから、結局相応のことが話されていると思っている」
そんな言い様をしていても、自虐的な悲壮感は漂わない。
本当に、この人のきっぱり割り切っている様がすごいと思う。この人柄を知れば、きっと誰も彼を哀れめない。
それほど周りの反応を気にしない姿勢のヴィンセントが、ただ、さっきは、と言う。
「君に視線がいっていたから。まあろくでもない噂は流れていないようだが、これから『そう』でなくなるのに、噂が広まって利益などないだろう。……その点を考えるべきだったな」
早くその場を離れるように、ヴィンセントは先に視線を戻した。
彼の言に心にすきま風が吹き込むような感覚を抱いたが、一瞬で、セナはその背を追いかける。
衛兵が門番のように立つ廊下に入ると、人がほとんどいなくなった。
「君は、他の者より色々な事に遭っていたから馬で戻るより速い鳥の方がいいと思ったからこのタイミングにしたのだが……あんな弊害が出るとは」
「え、そんなこと考えてくださってたんですか。きりがいいからだと思ってました」
「もちろんそれもあるが。きりという点のみでは北の砦を去る時点、本部に帰還した後ではそれほど変わらないだろう」
確かに。
「ありがとうございます」
「こればかりは俺の独断だ。これからのことを考えると、遠征の道のりの経験を一度奪ったことにはなる」
ごく真面目な調子で言うので、この人らしいなぁ、と思った。
戦闘の経験を考えて、夜戦の経験をさせるため、わざわざ緊急時でもなく夜に見回りに連れて行ってくれたり、剣の稽古に付き合ってくれたり。
従者を続けるか隊に戻るか、この先のセナにいい道を考え、その考えを話してくれたり。
ヴィンセントらしい、と思うことがあるくらいには、彼を知る時間を過ごしたということか。
「ああ、ここだ」
人気が少ない廊下を歩き始めて少し、ヴィンセントが一つの扉を示した。
扉の脇には衛兵が立っており、ヴィンセントの姿を認識すると、扉を開いた。
ヴィンセントは、扉の中へ足を進めながらもついでのように、「ライナスの執務室はそこだ」と注釈が入れた。
斜め向かいに見える扉だ。同じく衛兵が立っている。
北の砦で隣に臨時執務室が位置していたが、そもそも本部で近かったのか。
「エベアータ元帥の執務室はまた別のところにある。元帥だからな」
少なくともここからは見えないところらしい。
ヴィンセントに続いて入った本部のパラディンの執務室は、北の砦のものより広く、綺麗だった。
なるほど、これが本部と支部の違いかと思う内装の差がある。
「白魔討伐の報告書は北の砦ですでに提出済」
本部に帰還を果たしたのはついさっき。
派遣されてからどれほど振りか、この執務室に戻ってきた側のヴィンセントは、机に向かう。
「パラディンは本来なら遠征後は報告に行くのだが、今回は元帥が来ていたから不要だ。今日は特にしてもらうこともない」
机の向こう、いつもの位置ではなく、机の前で立ち止まって、ヴィンセントはこちらを向いた。
セナも立ち止まった。
「セナ・エベアータ」
「はい」
言われようとしていることは、分かっていた。
「君の従者の任を解く」
「はい」
北の砦から戻る前に、彼の判断はすでに聞いていた。
北の砦の管轄での異常事態が収まり、派遣されていたヴィンセントと、同じく派遣されていたセナが帰還するタイミングで、この主従関係を解く。
「良い経験をさせていただきました。ありがとうございました」
心からの言葉だ。
頭が自然に下がった。
「先に俺を従者をする対象として認めたのは君だ。それなら、俺は『主』として君に報いれることを報いたまでだ」
ヴィンセントは微笑んだ。
「わたしは、いい従者出来てましたか?」
「全ての従者を含めた評価はまだまだかもしれないが、新人としては賛辞を送れるくらいだっただろう」
「新人としてはありがとうございます、でしょうか」
「新人も新人だからな。新人である期間はまだ続くんだ」
ヴィンセントから、手が差し出された。
セナも自然に手を差し出した。
握手した手は大きくて、ちょっと固くて、温かかった。
「セナ、君がこの先どう進もうとするのかは君次第だが、また会えるといいと思っている。──君と出会えて良かった」
黒と青、色違いの目が柔らかく微笑む。
「明日からの休暇、しっかり休んで、隊に戻るといい」
「はい」
本当にありがとうございましたと、セナは続ける。
続けようとしたのだ。
だが。
「ヴィンセント!!」
大きな音と、ヴィンセントを呼ぶ声に吹き飛ばされた。
よく通る響きの声は、女性の声だった。
驚き、当然振り返ると、教会の制服を身に付けたすらりとした姿の女性が立っていた。勢いを示すように、長い髪が揺れる。
髪が落ち着かない内に、女性の紫の瞳がヴィンセントを見つけ、彼女は駆け出した。
その瞬間、セナから、ヴィンセントの手が離された。
「セナ、少し離れていてくれ」
少し早口の囁きと共に少し押され、セナは数歩下がった。
机の前にはヴィンセントだけになる。
その間にヴィンセントの元にまで到達した女性は、勢いそのままにヴィンセントの胸元を掴んだ。
女性の横顔は、はっとする美形だった。
「怪我は」
セナには目もくれず、入ってきてからここまでヴィンセントしか見ず、彼女は問うた。
「治った」
「怪我は、したということ」
「……そうなるな」
ヴィンセントの服を掴む女性の手に、力が入った。
その側で、セナは突然繰り広げられた光景に目を白黒させていた。とりあえず、この人は誰だろう。