25 養父、彼女、彼
それってどういうこと?
「セナ、君には、私が父であるべきかどうか判断する権利があります」
それもどういうことなのだ。
「ねえ、ガル!」
セナが疑問を呈するべく口を開いたちょうどのタイミングで、突然、華やかさと共にその精霊が姿を現した。
ただし突然と言えど、地面からだったり宙から忽然と現れたのではなく、石の扉からだ。
ガルの視線が石の扉の方に向く。
「何ですか、騒がしいですね」
「緊急なのよ」
「何かあったのですか」
問いに、入ってきた精霊はぐいっと腕を引いて、自らの後ろから誰かを引っ張り出した。
「メリアーズ家の子の腕、取れそうなのよ」
誰かの正体はライナスだった。「……力強ぇ」とぼやきが聞こえた。
それより、衝撃的な言葉を精霊が言った。
「腕、取れそうなんですか……?」
自分で言いながら、恐ろしい文面である。
注視したのは、ライナスの片腕だ。以前、白魔によって断たれ、なかった光景を目の当たりにした方だ。
「治ったんじゃ……え、もしかして、白魔討伐のときに、また……?」
「二度目なんて不名誉すぎる勘違いは止めろ」
腕を精霊の手から取り戻そうとしていたが、抜けなかったらしいライナスが断固否定する。
では何が起こったというのか。完全にくっついていたところをセナも触って確かめたのに。
セナの視線に、ライナスは頭を掻いて、仕方ないという風に答える。
「腕をくっつけてたのはラヴィアだったんだ。そのラヴィアは天界に帰ったから、力が消えて、結果腕が取れそうになってる」
何だって。
セナは驚いたが、ゆっくりと後から入ってきたヴィンセントや、ガルにはそんな様子はなかった。
「そうですね」
ガルは精霊との会話を続け、その事実を肯定した。
「治してあげてもいいでしょう?」
「構いませんが、治せますか。それは白魔の力によってされたことですよ」
「治せるわ。──彼が力を貸してくれれば、きっと」
腕が取れそうなんて、一人おろおろしていたセナはスムーズに交わされた会話に目を丸くしたが、この反応はセナ一人ではなかった。
ライナスもだ。
精霊が、ライナスの腕に触れる。おそらく、腕が断たれていた位置だ。
数秒後、精霊の女性の手の上に、さらに翳された手があった。
見ると、男性の姿をした精霊がいつの間にか現れていた。
「来たよ。力を貸そう」
「ありがとう」
女性の精霊が背後の精霊を見上げ、微笑む光景は仲睦まじく、まるで恋人のような空気を感じた。
重なった手から、柔らかな色味の光が生じる。光はあっという間に大きくなり、しかし目障りな色味にはならず、優しい色のままライナスの肌を包んだ。
そして、光が消え二人が手を離すと、ライナスが信じられないような目を精霊に向けていた。
「どう?」
「違和感が、なくなった」
ライナスが自らの腕を動かす。精霊が触れていた部分に触れ、動いた調子を確かめている。
「繋がったのか……。聖獣も一時的だったってのに」
「それは聖獣だからね。彼らは人間の性質を知らないし、本来人間の傷を癒すような存在ではないもの。例え契約関係にあって、傷の治りが通常の人より早くなっていたりしていても、それは契約を通して聖獣の性質に繋がった影響でしかないわ。彼らがそうしようとしてしているのではないの。力ある聖獣と契約すると外見年齢の時が止まったようになるでしょう? あれのように否応なく受けてしまう影響の一つに過ぎないのよ」
まあそうだな、とこの場に唯一いる聖獣であるベアドが相づちを打った。
「だからその域を越えてしまった傷を癒そうとしても、彼らの性質を今度は意図的に分けて、無理矢理くっつけていたに過ぎなかったのでしょうね。だけれど精霊たちは人間を知っている。人間に与えることが仕事で、性質で、人間に馴染む力を持っているから可能なのよ。でも、さすがに今回は彼の力無しでは無理だったでしょうけど」
示された男性の精霊が視線を受けて微笑む。
その二人が一緒にいる光景を見て、突然、セナの頭の中で意識もしていなかったピースが勝手にはまった。
「『お母さん』」
会話の流れに関係なく唐突に発された言葉に、驚いた顔がいくつもセナを見た。
そこでセナも、自分が言った言葉を遅れて自覚して、
「──何でもないです」
自分で自分の口を覆って、反射的に発言をなかったことにするべく首を振った。
でも、どうして、誰に「お母さん」と言ったのかは分かっていた。さっき、分かった。
ガルの名前を呼び、ガルのことを語る彼女の声音を、知っている気がしていた。
その声音は、さっきガルがセナに向けたものと響きが重なり、そしてそれもまたセナの記憶の中で重なることによって、どういうものか分かった。
──エルフィアと呼ばれた声と同じ
我が子にかける声だ。不思議と他人を呼ぶ声にはない響きを持っている声。
それが、精霊二人が並ぶ光景が合わさって、ガルの顔が浮かんで、「お母さん」という言葉が出た。
驚いた様子で振り向いた彼女は、笑った。
「そう呼ばれるのも良いわね。でもそれだと、彼がどう呼ばれるのか分からなくなってしまうけれど」
ころころと軽やかに笑う。
彼女は、否定しなかった。冗談として扱うこともなく、否定しなかったのだ。
セナは、視界の隅に入っていたヴィンセントの方を意識した。
──「彼女、先ほど君に『私の息子の娘』と言わなかったか」
ヴィンセントが言った。
でも、まさか、そんなことがあり得るのか。そんなことを無意識で思っていたから、ガルを語る声音に感じるものがありながら、確証を抱かなかった。
けれど、一度そうだと思ってしまうと、そうとしか思えなくなってくる。
「あなたは」
いいや、お父さん。この精霊は──このひとは。
「……あら、私ったら自己紹介をした覚えがないわ」
彼女が、ガルを見た。
「いいのかしら?」
何かの許可をガルに問い、ガルは「ご自由に。自己紹介する権利を奪う権利は私にはありません」と言った。
返事を受け、精霊は白い衣を翻し、セナに正面から向き直る。
「私はシアン。かつてはシアン・エベアータと名乗る立場にあった者」
「エベアータ……」
「ええ、そう。私はガルの母。そしてあなたのお祖母さんになるのかしら?」
お祖母さんと言うには若すぎる女性は、嬉しそうに笑っていた。
一方、セナはというと。
まさか、本当に。そんな直感を抱いていたとはいえ、まさか。
まさかと思うのは、一重に彼女が精霊だからだ。
「お父さんのお母さん、精霊……?」
セナは、ゆっくりと、ガルの方を見た。
彼は、一度、頷いた。
──それなら、この精霊がガルの母であることは決定だ、では、彼女が精霊なら
「お父さん、精霊……?」
美形過ぎる父。例外なく美しい精霊。
しかし、精霊特有の美形さには入っていないと思っていたのだが……。
「いいえ」
ガルは明確に否定した。
「私は精霊ではありません。精霊であれば、『エベアータ』とは名乗っていませんよ。それから正確には彼女は元人間で現精霊です。私の母であるのは事実です」
そして、と、ガルの視線がシアンの近くにずれる。
「そこにいる精霊王が父に当たります」
そうだ。彼が、父だ。
ガルの母の近くに佇む、男性の精霊。彼が父だとも同時に直感していた。
「精霊王……あの大きな木で眠ってる……眠ってたっていう……?」
「ええ、彼らはしばらく眠っていました」
会ったことのなかった精霊の王が、知らない間にそこにいた。
そして、その王がガルの父……?
「父が精霊、母が現在完全なる精霊ですが、私は精霊ではありません。あくまで精霊の性質が混ざった人間です。なぜ母が元人間で精霊で私が精霊でないのかは少々話が込み入るのですが、──私と母がそれぞれ選んだのです」
そのとき、両親だと分かったばかりの精霊二名と、ガルの間に見えない線を感じた。
精霊王が悲しそうに微笑み、シアンが複雑そうに微笑んでいた。
「この話はまた今度続きをしましょう。君が、私が父であるかを判断するためには必要不可欠でしょう」
「え」
「セナ、ここに案内してくれてありがとうございました。ベアドを側につかせますから、先に砦に戻っておいてください」
側で『了解』とベアドが腰をあげる。
「ライナスには残ってもらう必要があるのですが、ヴィンセント、君はどうしますか」
「砦に戻っておきます」
エド・メリアーズの疑惑を呈したガルならまだしも、ブラット家の自分がいるのは少々ややこしさを加えるだろうからと、ヴィンセントは述べた。
「これは家の問題にはしたくないのですが、今後揺れるのは確かでしょうね」
エド・メリアーズの企みにより、メリアーズ家におそらく異例の捜索許可が出た。
言えば、現在の状況は家宅捜索のようなものではないか。
これからエド・メリアーズがどうなるのかについては関心がなかった。特権とか、そういう心配はしなくていいだろう。きっとあの人は正しく裁かれる。
だから、心配になったのはライナスだ。ライナスはどのような影響を被るのか。あまり法律には明るくない。
「じゃあ、私がセナ達を送っていけばいい?」
「そうですね、お願いします。送った後は、ノアエデンに戻ってください」
「あら、彼も?」
「ここにはもうすぐ教会の人間が来ますし、砦にも当然人がいます。こんな世では、目撃されると騒ぎになりかねませんので」
迅速に帰ってください、と言われ、シアンが「もう、何て扱いなの」と憤慨した。
「セナとお喋りしたいのに。今日初めて会ったのよ?」
「あなたが精霊王と寝ていたから悪いのでしょう」
「それは、彼に来るそういう期間だったら仕方ないわ」
「知っています。ですが、それを選んだのはあなたであり、セナと今日初めて会ったのも『仕方ない』ことです」
「……」
「セナもその内ノアエデンに戻ります。そのときに会えばいいでしょう」
シアンはガルの最後の言葉に、きょとんとした。
少しして、ガルの言葉の意味を汲み取れたのか、ふわりと笑顔を咲かせた。
「ええ、そうね」
会うわ、会いに行くわ、と彼女は微笑みをセナにも向けた。
「それから、もちろん、ここに直接送ってくれたことには感謝しています」
ガルの言葉は、シアンに向けられ、視線が動き、精霊王にも向けられた。
精霊王は不意打ちでもされたように、また色が変わっていた桃の花のような色の目を丸くして、それから、
「当然のことだ」
と微笑んだ。
「セナのことは確実に送り届けよう。──ガルの大事な存在だからな」
その言葉にはガルが視線を外し、セナを見た。そのタイミングで、セナは養父を呼ぶ。
「お父さん」
聞きたいことがたくさんあった。
知りたいことがたくさんあった。
「話の続きはまた今度、必ずしますよ」
約束に、セナは頷いた。