8 帰宅と変化
ガルの許可がいるだとか、そんな話をしていたからというわけではないだろうが、タイミングは絶妙だった。
ガルが帰ってきた。
「ガルさん、お帰りなさい」
「ただいま、セナ」
久しぶりに見たガルに微笑まれ、セナは一瞬固まった。
見とれかけたのである。
今エデやノエルにも、ふとしたときに可愛いよりも「綺麗だな」が来るように。ベアドに大きいよりも「綺麗だな」がきて、ぼんやり見てしまうように。
ガルがこっちを見た瞬間に、その現象が起きた。
どうやら、留守で一度も顔を見ない期間が挟まったことにより、耐性がリセットされたらしい。元より慣れる前に、留守期間が来てしまった。
これからエデやノエルとしばらく会わないときが来ても、同じ現象に遭うのかもしれない。
「セナ、どうかしましたか?」
「いいえ、何も」
相変わらず、あなたが見たこともないくらい美形の人間ということ以外は。
今日からまた慣れていくしかない。
「そうですか」
そうです。
帰ってきたばかりのガルは、長い上衣を執事に預ける。
「ベアドも、ノエルとエデも一緒ですか」
食堂から移動する途中で、隣にベアド、もう片方の隣にエデ、後方にノエルがいる状態に、ガルがちらりと視線をやった。
「一緒に朝食を食べたのよ」
「僕はいただけ」
『俺もいただけだぞ』
人ならざる存在たちの一連の言葉にも、ガルは「そうですか」と言って、セナに目を戻す。
「セナ、私の留守中何か不便はありませんでしたか?」
「ありませんでした」
『俺が優しくしてやってるしな。昨日、家の中で道に迷いかけてたときに助けてやったんだぞ』
「ベアドさんそれは秘密にしてくれる約束のはずでは」
確かに事実で、助かったけど、誰にも言わないでほしいと言ったら快く引き受けてくれたではないか!
『おっと。はは、セナ、許せよ』
この聖獣、謝罪が軽すぎるのである。
ベアドに内緒話は禁物、ということを心に刻みながら、そろりとガルを見る。
家の中で迷ったという事実は、家が広いのが原因なのだけれど、何となく知られたくはなかった。
……家の中で迷ったって、どことなく恥ずかしいではないか。
と、家の主を見上げると、ばっちり目が合った。
「ベアド」
だが、ガルが呼んだのはセナではなかった。
彼の目は確かにセナを見ていて、その隣の獣には向けられていないので、ちょっとしたずれのような感覚を抱く。
「君は本当によくセナが気に入っていますね」
『お?』
その言葉と共に、やっと言葉を向けた先に視線が向いた。
ベアドが首を傾げるような声を出したが、セナも首を傾げた。いきなり何だ。
『大丈夫だぞガル、俺はお前の召喚獣だ。セナのことは何となく気に入って気にかけてやってるだけだぞ』
それはどうも。
何をどう解釈した結果なのか、ベアドは自らの契約主たるガルにそう返した。
「単なる感想です。ですが、精霊にも気に入られているようなので」
淡い茶の瞳は、次は精霊を見る。
「僕たちは暇なんだ」
「セナのことは好きよ!」
少年は淡白に、少女は元気よく答えた。
それもどうも。
「まあ、僕もセナは好ましくはある」
それは初耳である。
思わず、いつもエデのお守り的な役をしている精霊を見てしまうと、少年の姿の精霊は視線に気がついて、首を傾げた。
「領主、それがどうしたの」
「単純な確認です。セナは私の養子ですから。『それら』は間違いなく素質の一つ。あれほどの印が浮かぶのでその素質でしょうか、総じて良いことです」
ガルは「つくづく私は、あの日いい寄り道をしました」と微笑んだ。
「ところで領主」
一つの話題が収まったところで、ノエルがガルに話題を投げ掛ける。
「セナを森に連れて行きたいんだけど」
「……セナを森に?」
「そう。領主、前に言っただろう。僕たちの森に人間を連れて行きたいときは許可を取るようにって。エデがセナを森に連れて行きたいんだ」
許可をもらえるか?という話題は、まさに今朝朝食の席で出たばかりの話だった。
要望を受けたガルは、「森に……」と呟く。
「そうでしたね。人間を気に入るのは結構ですが、勝手に連れていかれては失踪と騒ぎになりかねませんから、そうしたのでした」
「失踪?」
不穏な語句を拾い上げたのはセナだ。
失踪とは。
見上げるセナに、ガルが答えてくれる。
「精霊は、稀にとても気に入った人間を自分たちの領域に連れていき、限りなく自分たちに近い存在にしようとすることがあるのです。彼らの領域から返されない場合もあり、そうなると森から出てこないということになります」
「え」
こわいのだが。
いきなりホラー?
「僕はしたことない」
「わたしもよ」
次々に主張する精霊をフォローするように、ガルが付け加える。
「稀にとは人間の稀でもあり、精霊にとっても稀なので、かなり稀なことです。それに、精霊は何も人間に害を為そうと思ってするのではなく、むしろ気に入った人間に他の人間以上のものを特別に与えたいがためにそうするのです」
この領地全てが大きく言えば精霊の力の影響を受けているが、特にあの森は地上全てに精霊の姿があったときから『特別な領域』で、招かれること自体は非常に光栄なことだと言う。
「君は、間違いなく精霊に気に入られていますね」
と、にっこり微笑んで言ってから、ガルは「許可の話でしたね」と精霊に言う。
「セナを万が一にでも『そういうつもり』で連れて行かれるのは困ります。君たちがどのようにセナを気に入っているのかは分かりませんが……少なくとも今回そういうつもりではないということですね」
「僕はね」
「わたしもよ」
精霊たちは即答した。
ガルは考えるように少し黙し、口を開く。
「『約束』をしてくれますか」
「内容を聞こうか」
「セナが森に滞在できる時間は最大五時間。夜は不可です。そして、君たちだけでなく他の精霊がその条件を破ることを禁じてください」
「『約束』しよう」
「念のため、『王』にも」
「……王の信用がないな。分かったよ、『約束』だ」
そのとき、なにか、白い糸のようなものがガルとノエルとの間に生じた。ように、見えた。
「すみませんね」
「領主でなければ、してあげる義理はないよ」
精霊との間で約束を取り付けたガルは、何か何かと見ているセナに意識を向けた。
「さて、セナ」
「はい」
「私が出していった課題は出来ましたか?」
おっと。
「全部は出来ていません」
今日これからの予定に、課題の続きが入っていたくらいだ。三分の一くらい残っている。
期待に応えられていない気持ちが生まれた。そうか、ガルとの取引は『そういうこと』を示しているのか──。
神妙な顔で答えたセナに対し、ガルは首を傾げた。
「おかしな答え方をしますね。出来ているか出来ていないかでいいのですよ」
ゼロか百、だと……?
「そもそものところ、あれはこの期間で出来ると思って課したものはありません」
「そう、なんですか?」
「ええ。そろそろここから移動するついでに、課題の成果を見に行きましょうか」
採点時間到来である。
促されて、立ち止まっていた玄関エリアから歩き出す。
ガルは、結果的に三日留守にしていた。
首都の教会本部という仕事場に行っていた。彼はセナがこれから目指すという聖剣士であり、召喚士だと言うが、それなりに高い地位にあると耳に挟んだ。ベアド情報だ。
魔獣と戦うと言うと、いわゆる前線を思い浮かべるけれど、地位が高くなるにつれて前線から離れるのだろう。
セナが助けてもらったときも、首都へ向かう途中だったとも聞いたし。
それなら、セナが目指す先も、出来るだけ高い地位へ。
住む場所があり、食べ物に困らず、お金ももらえ、恐ろしいものに対抗する術もある将来。
別にトップなんて欲張らない。それなりでいい。それなりで許されるなら。
そのために励むのだ。絶対的な目的があれば、やれる。
「……」
ガルが、セナが提出した問題用紙を眺めていた。ぱらりぱらりと、答えの書かれた紙なんて取り出すことなく、どんどん目を通していく。
「よく出来ています」
ぱらりと、最後の用紙が裏返ると、ガルが目をあげた。
両方座っているため、立っているときより遥かに直線に近い目線で目が合い、彼が微笑む。
「セナは頭が良いようですね」
嬉しい言葉が聞こえた。
頭がいいなんて、初めて言われた。
一瞬で、ふわっと気分が浮き上がり、しかしいや待てよと落ち着く。
もしかして教育がないと思われていたわりにはとか、外見の歳のわりにはという可能性が……?
あり得る。あり得すぎる。
でも喜べるときに喜んでおくべきでは……?
などと、なぜか迷うはめになっている内に。
「ですが、字はまだまだですね」
それは許してほしい。
「読むことは出来るので、それは助かりましたが」
セナ自身大助かりだった。
ただ、読めても書いては来なかったから字は下手くそだ。ここに来て、初めて書いた。
孤児院では字を書く必要がなかった。
「これであれば、私がいない間は自習で良さそうですね」
必要となればまた考えましょう、と、用紙がまとめて机に置かれる。
「そういえば、君に一つ報告すべきことがありました」
セナがガルに、ではなく。
ガルがセナに?
全く心当たりがなく、セナは首を傾げて待つ。
「仕事ついでに、君の養子の手続きもしてきました」
この世界にも、養子手続きというものがあるようだ。
ここに来てからそれほど意識していなかったのは、現実感がなかったのだろうか。目に見える証はない。
今も、言葉だけで、目に見える変化はない。
でも、つまりこれでガルとセナは正式に養父と養子、親子になった。
「お父さんと呼んでもいいですよ」
おとうさーん。
呼べるか。
外見が若すぎる。