22 決裂
紙を見て、ライナスが驚いた様子で「早ぇな」と言った。
「全部話して承認を得るとしても、もう少し時間がかかるでしょう」
「元々、何か裏があると悟っていた上で天使の剣の件が承認されていましたから、そうですね。それは、その場にいた聖獣が話を聞いて怒ったことが理由の一つです」
『聖獣としては普通だ。こいつらについてた聖獣の方が普通じゃないんだ』
セナの足元をふわふわの毛並みが撫でた。
見ると、ベアドがセナの周りを身を擦り付けながら一周したところだった。
言い方が刺々しかったから、「ベアド、怒ってるの」と聞くと、『当然だろ』と言われたから、とりあえず宥めるべく撫でておいた。
「後は……そうですね」
珍しく曖昧な言い方をするガルの視線が、言葉の最中、横の方に流れた。
そこにいたのは、また知らない精霊だった。成人男性の姿をしている。彼はゆっくりと首を傾げた。
「俺は人間に直接関わる存在として、少しばかり忠告しただけだ」
「移動時間を短縮していただくのは結構ですが、出てこないでくださいと言っていたのに、ですね」
ため息混じりにガルが言った。
自由奔放なエデさえ悠々と流してみせるガルが振り回されている。
しかしこの二人、なんか……。
妙にしっくりくる、と思った。
とてもではないが、気が合うようには思えない会話をしているのに。
見た目だろうか……。
「……あなたも、……も、結果的にするのであれば最初の返事で嘘をつかないでいただきたい」
ガルの小さなぼやきに、男性姿の精霊は困った顔をした。
「そのときは出ていかないと思っていた。ただ、何をそんなに悩む必要があるのか時間がかかりそうだった。早く、おまえが向かいたいところに行けるようにと思ったから」
ガルは何事か言い返すかと思われたが、声が返らなかったので、セナはガルの方を窺った。
するとガルがそこでなぜかセナの視線に反応したのか、こちらを見て。けれどすぐに視線は戻った。
「あなたが脅す必要はありませんでしたよ」
「脅してなんかいない。早く判断が出来るように促しただけだ」
精霊の視線が動く。
エド・メリアーズに向いた。
瞳の色は、見たことのない美しい緑をしていた。精霊の森を思い出して懐かしいような感覚を覚えた半面、どこまでも広がって、どこまで続いているのかわからない感覚を抱いた。
「人間が人間の内で何をしようと人間の営みの範囲だけれど、天使の魂に手を伸ばすのは駄目だ。そもそもその行いは人間の手が加わった時点で本来の天使ではないものを作っているだけで、天使の帰還を妨げているし、──巡る最中の天使の魂に手を加えて、戻ってくる天使は元の天使であると思うのかい?この先楽園が戻ってくるとでも思うのかい?って」
ああ、あれは『精霊の目』だ。
精霊の目は、エド・メリアーズを映す。
エド・メリアーズは、明らかに自らに向けられた言葉に噛みついた。
「精霊は人間に豊かさを与えるものだ。今与えられない、何も出来ない精霊にとやかく言われる筋合いはない」
「まぁ」と、近くにいる精霊の彼女が気分を害した様子で眉を潜めた。
彼女が前に出て、口を開く。
しかし声が出る前に、声を発した人がいた。
「エド」
ガルだった。
「精霊にとやかく言う資格は君にないでしょう」
「あるだろう。本来人は精霊から豊かさを得るはずなのだからな」
「人間は与えられる資格を有しているだけです」
精霊は、天使により生み出された。大地と、人間に豊かさと恵みを与える存在として。
確かにノエルも人間に与えるのは仕事の一つであり、そうすることが自然でもあると言っていたが……その半面で言っていたことがある。
「そうだな。残念ながら、ガルの言い方の方が正しい」
セナの近くの精霊の彼女に目配せし、ガルにも視線を向けてから、その精霊は一歩だけ前に出てきた。
「人間世界もまた楽園であったのは、当然天使の祝福によるものだったが、その祝福の力は精霊が伝えていたものだ。そして、精霊には人間を選ぶことが出来る。与える人間、与えない人間だ。もちろん与えないことはそうないことにしても、明らかな禁忌の領域を犯した人間はその稀な場合に入るべきものだと俺は考えている。俺の選択は、精霊全ての選択になる」
だけれど、そうだな、と精霊は周りを見渡した。
単に壁と、廊下の先を確かめようとしたのではなく、もっと外を見る目つきだった。
あれ?
セナは、見間違いかと目を何度か瞬いた。精霊の目が、美しい茶色になっていたのだ。
さっきまで緑色だった……よね?
「いいとも。噎せるほど、溺れるほどの恵みをここに与えようか」
色が変わった目が、再びエド・メリアーズを捉える。
「ここは、とても気持ちが悪い。この地に眠っているはずの精霊が歪んでいる。精霊を傷つける者を、俺は許すわけにはいかない」
濃い、緑のにおいがした。
頭がくらりとしそうなくらいの、そのかおりに包まれた。この廊下全てが覆われている。
精霊の足元に、鮮やかな色が生まれた。見ると、花が咲いているではないか。
花は一つではなく、次々と、緑の蔓も生まれ、足元から広がってゆく。
「──精霊王」
心地よい流れに制止の声がかかり、直後、濃厚な緑のかおりが薄くなる。
「あなたが怒ることは理解できますが、証拠を消されるのは困ります」
精霊の茶色の目が一度、二度、瞬く。
「それはすまない」と、謝る声がして、満ちていた空気が完全に消えた。花も、幻であったかのように、同じく。
「せめてこの周りの地だけは綺麗にさせてほしいのだけれど」
「建物の外であれば自由にどうぞ。──さて、エド。そういうことなので、君は邪魔をする恐れがあるためそのまま拘束。この建物内にあるだろう証拠を押さえ、教会に提出します。ここでどのような証拠が見つかるか、興味深いですね」
心当たりはあるだろうと言わんばかりに言われたことに、エド・メリアーズは舌打ちでもしそうな顔をした。
しかし、知られていると分かってもなお「それがどうした」と言った。
「教会は目を瞑るべきだ」
「瞑らせません」
絶対的な自信を含んだ言葉には、すぐに否定が返された。
「君は、天使の剣を扱える存在をどのように産み出しましたか。人を何人害しましたか」
「その程度のこと、目的のためには些細なことだ。あれの存在を認めず、どうやって白魔と戦う」
白魔討伐の際、教会の最高戦力が集まっても誰も勝てると断言できなかった。やるしかないという状態だった。
その際にエド・メリアーズが連れて来たのが一人の少女だった。天使の魂を入れられた少女だ。
「私は見ていたぞ。炎火の白魔討伐の場で天使の剣が使われた。討伐の瞬間は見えなかったが、あれ以外に白魔と対等であれるものはない。そこの娘が使ったと報告には上げなかったようだがそうはいかない」
エド・メリアーズの目に突然見られて、セナはびくりとした。
「天使の剣を扱うのならそれは私の生み出した『もの』だ。誘拐だと? 盗んだのはお前の方だろう!」
ライナスが動いたのと、側に居続けた存在が動いたのはほぼ同時だった。
聖剣が鞘から抜かれる音が一瞬で。
この場に冷気が漂ったのも一瞬で。
「──シェーザ」
エド・メリアーズの全身を貫かんと伸びていた氷が止まった。
「セナ」
これが契約の効果か。
シェーザがこちらを見た目で、彼が自発的に止めたのではなく、契約によりセナが止めたのだと分かった。
「駄目、殺そうとしないで」
「……契約したものは仕方ないが、やはりもどかしい」
シェーザはぼやいたが、セナはやっていて良かったと思った。
「何だそれは、精霊では──ない、のか」
シェーザを見るエド・メリアーズが呟いた。
どうもこれまで精霊と判断していたらしい。使われた力が精霊でないと感じて、精霊ではないと分かったのかもしれない。
「これの魂に手を出しながらも殺されない幸運に感謝するがいい、人間」
凄まじく怒りを漂わせながら、シェーザはセナの側に佇むに留まる。
一方、エド・メリアーズの喉ぎりぎりには止める者のなかった刃が突きつけられていた。シェーザに気を取られていたエド・メリアーズもそれを自覚したか、身を固くした。
「ライナス、ふざけるのは大概にしろ」
「それはこっちの台詞だろうよ。俺がさっき堪えたってのに、よっぽど命を捨てたいらしいな」
また、ライナスが怒っている。
あの目をしている。怒りと、殺意に満ちた目だ。
「ライナスさん」
剣が、微かに揺れた。
セナの声に。
ライナスが振り向く。橙の目がセナを見る。セナは言葉を続けられなかった。
とっさに声をかけた。
彼が、彼の父親を殺めてしまいそうで。
彼の、声の記憶を思い出して。
「ライナス、エドのことはこれから」
ガルが声をかけて、ライナスの目が逸れた。
「……分かってます。それならとっととまた気絶させてもいいですか。ここで話しても有益なことはないでしょう。それどころか、腸が煮えくり返りそうなことしか口にしなさそうです」
ガルの頷きを受け、ライナスが剣を引いたが、同時にエド・メリアーズの意識を速やかに奪った。
エド・メリアーズは直前に声をあげかけていたが、為す術なく横たわることになった。
そして、場に波を生む存在は「いなくなった」。
「セナも見つかったことです。私達は教会の人間が来る前に証拠でも物色して、セナは一旦ノアエデンか砦に……と行きたいのですが」
問題が一つ片付き、また問題が一つ、という風にガルがセナの側を見た。
「白魔、君のこともここで結論を出しておきましょうか」
そう、シェーザのことは、セナはここで話をつけたが一旦保留にされた事項なのだ。
最初に完全に解決する事項はこれになるようだ。
が、納得させられるかはシェーザではなく、セナにかかっている。自分が話し合い、決めたのだから。
白魔を注意深く見る目は特に三対。ガル、ライナス、ベアドだった。