21 合流
白いロングドレス姿の成人女性が、ふわふわ浮いている。若い女性だ。
しかし人間はふわふわ浮かないから、彼女は人ではない。
そして、雰囲気から精霊だ。ノエルやエデのように、美しいは美しいでも、醸し出す雰囲気に何度でも惹き付けられそうな神秘さのようなものを感じる。
いきなり、会うとは思っていなかった存在と遭遇して、セナは完全に頭が追い付いていなかった。
ここはノアエデンではない。精霊が当たり前にいる場所ではなく、そもそもいないのが当たり前の場所。
「ごきげんよう、セナ」
美しい女性が目の前に降りてきて、微笑み、挨拶をした。
挨拶をされて、セナは我に返った。
「……ご、ごきげんよう……」
何だか、前にもこんな状態に遭った気がする。
それにしても、それまで漂っていた雰囲気が一変した。花の香りがしそうに華やかで、明るい感じ。
言わずもかな、目の前の見知らぬ彼女の影響である。エデに通ずるものを感じる。
「精霊が、どうしてここに」
「貴女を探しに来たのよ、セナ」
「わたしを?」
そうよ、と美しいが可愛らしく彼女は大きく頷いた。
「精霊が、ここまで?」
「そうよ」
「お父さんは知ってる?」
ノアエデンを出てきてもいいのか。精霊が外に出たとなれば心配しないか。
「お父さん……ガルね!」
精霊は、ぱちんと手を合わせ、なぜか顔を輝かせた。
「ええ、知っているわ。ガルも来ているのよ」
「お父さんも?」
ガルも来ているのかという驚きを覚える一方、精霊は皆ガルを領主と呼ぶのにそのまま名前を呼ぶのが珍しいと感じた。
「エベアータ元帥が来たのか」
「ヴィンセントさんたちと一緒に来たわけではないんですよね」
セナは、近くまで戻ってきていたヴィンセントを見上げた。
一緒に来ていたなら、ライナスとベアドと、というときに言われていたはずだ。
「ああ。することがあるから後で来ると仰っていた。おそらく、メリアーズ元帥が行っていることへの対処についてだと思うが」
そのガルが来たという。
……ん? 精霊はガルも来ていると言った。もしかして、一緒に来たとか? でもガルが精霊を連れてくる理由があるのだろうか。
「──ねえ、その精霊たち、外にいても大丈夫?」
精霊を見て考えていたら、彼女の周りを飛んでいる小さな精霊たちの光が目に入った。
ノエルたち普通の人間サイズの精霊は力がある方の精霊で、小さな精霊たちは今の外では影響を受けてしまう。だからノアエデンの外にいる精霊は眠っていると聞いている。
そう思うと彼女もまた大きさの時点で、力の強い精霊であることが分かるのだが、気になるのは他の精霊だ。
「心配をしてくれているのね。優しい子、いい子、可愛い子」
ティースプーンより重いものを持ったことがないと形容するのが似合う繊細な手が、セナを撫でた。
言葉通り、いい子いい子と我が子でも褒めている手つきで。
「でも大丈夫よ。今、彼も来ているから」
「『彼』?」
彼、とは。
ガル? ガルが来ているから大丈夫?
「貴方もこんにちは」
セナが色々首を傾げる側で、彼女は次にヴィンセントに挨拶した。
ヴィンセントは初めましての挨拶で応えている。
「あなたは、もしかして」
挨拶のあと、ヴィンセントが何か言いかけた。
精霊の彼女も首を傾げて聞こうとしていた──が、彼女が「あら」と首を巡らせ、全然異なる方へ顔が向いた。
「呼ばれているわ」
誰かが呼ぶ声は聞こえなかった気がするのだけれど。
セナはその他二人はどうだったのか確認してみようと思ったが、ヴィンセントは精霊を見ていた。
シェーザはすぐに視線に気がついて、どうかしたのかと問うような目をしたのが分かったくらいだった。
「今、誰か呼」
「じゃあ、一緒に行きましょうか」
「お?」
手を取られ、引っ張られた。
そのまま、引かれるままに歩き始めることになり、セナは後ろを見てヴィンセントとシェーザが来ていることを確かめて、前に向き直った。
「どこに行くの?」
「皆がいるところよ」
手を引いていく精霊は、飛びはしないが重力を感じさせない、何とも軽い歩き方で行く。
ガルがいるところだろうか。皆、とは、ガルの他にノエルたちも来ているのだろうか。
「セナ、彼女とは面識はないのか」
ヴィンセントが、セナの手を引き先頭を行く精霊を示し、尋ねてきた。
「ないです」
会っていたら覚えている。
ノアエデンで過ごした数年で、多くの精霊と知り合ったが、彼女と会ったことはない。
「どうかしたんですか?」
ヴィンセントが彼女のことを注視しているから、何か気になることでもあるのかと今度はセナが尋ねた。
「彼女、先ほど君に『私の息子の娘』と言わなかったか」
「え?」
出会い頭に言われた言葉は、精霊に会うとは思っていなかった不意打ちで、彼方に飛んでいっていた。
ヴィンセントの指摘があっても、記憶が定かではなく、セナは前を行く精霊──彼女に目をやった。
「彼女は、」
二人して見ていた精霊が振り向いて、ヴィンセントの声が止まった。
「ねえ、セナ」
「はい」
「ガルがね、とても怒って、とても心配しているわよ」
「お父さん、が」
怒って、心配。
「あんなガルを見たのはね、初めて。あんな怒りを感じたのもね、初めて。それがとても嬉しくて仕方ない」
「嬉しい……?」
「あ! もちろんセナが誘拐されたことはとても悪いことよ!」
そんなことは気にしていなかった。別のことが気になって、気にならなかった。
──ねえ、あなたは、誰。
ガルの名前を呼び、ガルのことを語る彼女の声音。どのようなものか、知っている気がした。
「シアン」
誰かが、誰かを呼んだ。
その声に、彼女が前を向いて手を振った。
シアン、と隣でヴィンセントの声が呟いた。ああ、やはり、とも。
何がやはりなのか、聞きたくなった。でも、それより先に。
「勝手に動き回らないでくださいと言いましたよね」
今度はガルの声がした。
けれど、前にある背中で先は見えない。
「私は子供ではないのよ、ガル」
「そういう意味ではありません」
「分かっているわ。だから言っていったじゃないの。セナを探してくるわねって」
「その言葉に了承が返されて初めて勝手な行動ではなくなるのです」
彼女が「もう」と言ったと思うと、セナの前から背中が退いた。
「見つけて来たからいいじゃない?」
見えたのは、広い廊下に壁にもたれさせられている見知らぬ人たちと、白い毛並みを持つベアド、ライナス、それから、
「セナ」
養父。
ふわりと白い裾を優雅に揺らして、精霊がセナから離れた。
だから、距離はあれど、ガルと真っ直ぐ向き合うことになった。養父の淡い色の目がセナの姿を映す。
「怪我は、ありませんか」
「うん」
「そうですか。……それなら良かったです」
うん、と言いながら、ガルの言がスムーズさに欠けているように感じた。
「エベアータ元帥」
セナとガルのやり取りを見ていたライナスが、視線を落として、ガルに声をかけた。
視線の先を辿ってみると、ライナス自身の足元に行き着いた。壁にもたれさせられている者たちの一人──あれは。
「親父が目を覚ましそうです」
どういう経緯があったのか、明らかに気絶しているエド・メリアーズが今、目を覚ました。
目が開き、頭をもたげ、目が状況を読み取るために動く。
「ガル」
ガルの姿を見つけ、なぜここに、と言った。
虚を突かれていたのは数秒で、エド・メリアーズは顔を険しくした。
「ガル・エベアータ……こんなことをして許されるとでも思っているのか」
この状況でよく脅せる、と思った。
ここが彼の領域で、ここにいる大半の者は彼に入ることを許可されていないだろう不法侵入者だからだろうか。
だけれど、そんな単純なことで不利になるようなガルではないと思うのだ。
「こんにちは、エド」
状況を無視したガルの挨拶は、先ほど精霊がセナにしたそれに完全に重なった。
「お邪魔しています」
「私は入ることを許可した覚えはないぞ。いくらライナスがいるとはいえ、私が許していないと言えば罪となる。不法侵入どころかこのように危害を加えられているのだからな」
「さらに危害を加えられる可能性のある今の状況の立場を考えての発言ですか、エド。分かっているでしょうに。極論、ここで君が殺害されたとして、私が罪に問われないようにすることは可能です」
「貴様、まさか」
「もちろんそのような非人道的なことはしませんが」
さらりと自らの有利を突きつけた自らの物騒な発言を流したところで、さて本題です、とガルは話を次に進める。
「行方不明になっていた私の娘が君の領地から見つかったようなのですが、弁解はありますか」
セナが示される。
追及を受けたエド・メリアーズはふん、と鼻で笑う。
「勝手に入り込んでいたのではないか。今のお前たちのようにな」
心外すぎた。
明らかな犯人がシラを切るとこんなにいらっとするのか。思わずセナの表情は無になる。
「なるほど。君の使った方法からして、誘拐の跡も目撃証言もないに等しいですからね」
エド・メリアーズが勝ち誇ったような目をした。
「とりあえず、エベアータ家でこの建物を差し押さえさせてもらいましょうか」
「──なぜそうなる」
こんな反応にもなるのも無理はない。
こちらにはそうなるべきだと思うことがあるのだが、そういう意味ではなくて、話し運び的にいきなり話が飛びすぎたとはセナも思ったのだ。
「すみません、君とここで話しても時間の無駄になるだろうと思いました」
事実だとしても、正直に言いすぎだ。
それに彼にしては少々雑になりすぎだった。
「大体そんな権利がエベアータ家にあるものか」
「あります」
ガルが何やら紙を一枚取り出し、エド・メリアーズに見えるようにした。
「メリアーズ家所領を、君の許しなく捜索することが承認されました」
エド・メリアーズが瞠目する。