16 許さない
ヴィンセント視点。
窓から中に入ると、壁を越えるなどする必要のない聖獣が床から現れた。
ヴィンセントとライナスがどちらに進むか話し合う間もなく、優美な獣はしっぽを揺らし、左の方向に歩みを進め始める。
『こっちだな』
「分かるのか」
『セナの気配は知ってるからな。ここまで来ると感じる。あとは白魔が本当にいるなぁ。それから…………』
「どうかしたのか」
聖獣の言葉が明らかに途切れたので、ヴィンセントは問う。セナがどこにいるのか追っている言の途中ではあまりに不穏すぎる。
「白魔の他に、誰かいるのか」
『いる』
「誰か分かるのか」
『いや、そこまではなぁ。ただ、人間じゃない。聖獣でもない。白魔でもない。一番近いのは「分からない」感覚……だが……』
この聖獣とそれほど接したことはないヴィンセントでも、聖獣の様子がおかしいと分かった。
『危険は感じない。行ってみれば分かるだろ』
そう言い聖獣が歩いていくので、ライナスと視線を交わしながらも、とりあえず後についていくことにした。
少し歩いてみた印象は「人がいない」だ。
領地内と言っても肝心なものは奥に隠されてるだろうから、人と会うなら奥に行くほどだろうというのはライナスの言だ。
しかしどれだけ人がいるかは当然分からない。
音もなく歩く聖獣の後から、ヴィンセントとライナスも音もなく行く。
さすがに建物内とあって物音が立てば目立つので、言葉を交わすこともない。
そうして聖獣の後をついていくこと数分、一つの部屋に着いた。
「……?」
どういうわけか、部屋には誰もいなかった。
聖獣が間違えたのかと見ると、聖獣は部屋の中に入り、においを確かめるように鼻を宙に向ける。
『さっきまでここにいた。気配が強く残ってる』
小さな部屋には、机と椅子、ベッドがあり、机の上に食事、ベッドの上に衣服がある。誰かがいたという証拠だ。
食事の温度を確かめるが、温かくはない。
「単に部屋から出されたか、脱出したってことか」
「どちらにせよ、さっきまでここにいたと言うならまだ近くにいるはずだ」
部屋には窓があったが、開けられる仕様ではなく、割られた形跡もない。
ドアには鍵がかけられる。鍵がかけられていたなら、脱出したというには綺麗すぎる。出来ないことはないとも思うが、違う可能性があるので心臓が騒いだ。
『……違う気配が混ざってるな。紛らわしいのはこれか…………この気配……』
聖獣は、この部屋がいやに気になるようだ。
『まあいい。今はセナだ』
こっちだと聖獣が部屋を出ていくのに再びついていく。
進んで行った先で、一つの異変に遭遇する。
人が倒れている。
セナではない。念のため息を確かめてみると、息はある。呼吸も表情も穏やかで、まるで眠っているようだ。
「……殴るなりして強制的に落としたと考えるには、様子が変だな」
ライナスの言葉に、ヴィンセントは頷く。同意見だった。
セナがしたのか。誰がしたのか。
異変は、進むにつれもう一つ。
進行方向が妙だ。決して外に向かっているように思えない。
外に向かっていないとなれば、部屋から出されて連れて行かれているのか。
だが、
「あの白魔がいるのなら、セナを連れて行かせるのだろうか」
ヴィンセントは、小さく呟いた。
「あの白魔にとっての基準は、俺達がセナから引き離そうとするか、セナに危害を加えようとしているかだ」
「今回は下手すれば、どちらにも当てはまり得るな」
しかし当てはまったならあの白魔が実力行使してこのように済ませるとも思えない。
ライナスの言葉にそう返そうとしながら、セナはどのような状況にあるのかとこれまで見てきたものから頭が判断をしようとする。
だが、ヴィンセントがライナスに言葉を返す、頭がいくつかの予想を出す、それらの前に三つ目の異変が起こった。
『……なあ、お前ら』
不意に、聖獣が足を止めた。
声色が、先ほどまでの受け答えより重い。
聖獣が振り向き、見えた目は、白魔を見据えるがごとき目付きだった。ただし、視線はヴィンセントにもライナスにも一致していない。
『セナの奪還がもちろん第一なんだが、元凶がいれば、元凶は排除しておくべきだよなぁと俺は思うわけだ』
唐突な発言の意味に、ヴィンセントとライナスが思い至ったのは同時だった。一瞬後には、後ろを振り向き──直後、そこに現れた人物がいた。
「──親父」
エド・メリアーズ、全ての元凶。砦からいつの間にか発っていた男も、ここにいたのか。
横手から数人の人間を伴い現れたエド・メリアーズは、『侵入者』の姿に不意を突かれた様子だった。
「……ライナス、なぜここにいる」
しかしすぐに平静を取り戻し、まず息子の姿に問うた。
「心当たりあるだろ」
完全に振り向き、正面から父親と向き合ったライナスは動じなかった。
エド・メリアーズは眉間に皺を寄せ、次にライナスの隣にいるヴィンセントに目を留めた。
「ヴィンセント・ブラットか」
教会で会うなど普段の場であればそれなりの態度をするべきだが、ヴィンセントは微動だにせず、無言でエド・メリアーズを見返した。
エド・メリアーズを目で捉えた瞬間、手を握りしめていた。感じたことのない衝動に襲われている。
──セナはここにいる
ライナスから聞いた話からの予感では、セナの身が危険だ。
ヴィンセントもライナスも、当の昔に戦闘体勢に限りなく近い状態にあり、エド・メリアーズを前にした今、戦場にいる際と遜色ないほど研ぎ澄まされていた。
剣を抜いていないことが、不思議なほどには。
「ここはメリアーズ家の領地だ。私は入る許可を出した覚えはないな」
「俺が一緒にいる。メリアーズ家の領地を歩くのに不思議なところはない」
メリアーズ家の人間ではないヴィンセントが、メリアーズ家所領にいることについて、ライナスが薄く笑って返した。
メリアーズ家の人間であるライナスがこう言ってしまえば、その件については問題ではなくなる。
エド・メリアーズが面倒なことをと言いたげに、ライナスを見やった。
「メリアーズ元帥」
呼びかけると、そのままの目付きがヴィンセントに移る。
「ご招待のないところお邪魔をし、申し訳なく思います」
そうは聞こえない様子で、ヴィンセントは述べた。
エド・メリアーズはぴくりと眉を動かす。
「俺がここにいるのは、部下の行方の調査のためです。──俺の従者が今朝から行方知れずです。セナ・エベアータという名なのですが、何かご存知ありませんか」
エド・メリアーズの表情は変わらなかった。
「知らんな。そんなことを、なぜ私に聞く」
「彼女の部屋に、あなたの契約獣の気配が残っていたと聖獣の証言があります」
エド・メリアーズにいくら問おうと、セナのことを自ら言わないだろう。予想はしていたことだ。
ヴィンセントのエド・メリアーズへの用は終わった。
白を切る気の男に言うだけ言い、ヴィンセントがライナスに目を向けている一方、エド・メリアーズは聖獣の姿に目を留めた。
「ガルの契約獣か」
今、ライナスの契約獣ではないと気がついたのかもしれない。
「ガル・エベアータが怒ってるぞ」
ライナスが、ガル・エベアータも関わっているのだと直接的に突きつけた。
「まあ、怒ってるって言えば俺もだけどな」
ライナスの顔にまだ残っていた薄い笑みが、剥がれ落ちた。
「まだ続けてやがったな」
セナの誘拐については話さない。
それなら、追及すべきは五年前ライナスが直接聞いた事項だ。
「また壊しに来たのか」
何をと言わなくとも、エド・メリアーズには話が通じた。
「あれを見てもまだ分からないと言うのか」
「分かる? 何がだ」
「私達が成したことが、この世全ての人間を救い、人間世界をかつての姿にする。お前も分かる日が来る」
「……五年前もそう言ったな。エルフィアを実験体にしたってほざいたその口で」
エルフィアという名に、エド・メリアーズが一瞬怪訝そうな顔をし、「ああ」と言う。
「メリアーズ家の者だからな、さすがに天使の加護が強かった。貴重な実験体を得られたと思っていたのだがな」
端から聞いているヴィンセントは、違和感を覚えた。
セナと「エルフィア」が同一人物かもしれない可能性を、エド・メリアーズは欠片も抱いていないのか。
ライナスはあまりに似すぎていると、見て分かる外見について言っていたのだが。
ヴィンセントは、目だけ動かしライナスを見た。
ライナスの表情は、無だった。
「だから俺はお前を一生許さねぇんだよ」
表情の代わりとでも言うように、声は怒り一色だった。
「エルフィアの体に数字を刻み付け、実験体にし、俺達には一切をはぐらかした。正気じゃない。血が通っちゃいない。何のために天使を復活させようとしているのか。一番近くにいるはずの家族さえろくに大事に思わない人間が、その行いで善いことを起こすはずがない。そもそも、あんな道を外れたやり方で。──こんなメリアーズ家ならぶっ壊してやるさ」
ライナスの発言を受け、エド・メリアーズは苦虫を潰した表情をした。
「五年前の過ちを咎めずにいてやったら、愚かなことを」
「咎めなかったのは、俺しか跡取りがいねえからだろ」
ライナスが笑ったが、嘲笑だ。
このタイミングでの嘲笑と言えど笑みに、父親の様子に、怒りも何もかもが限界に達したかのようだと感じた。
「まったく……どうしようもない息子を持つと苦労する。好き勝手させたばかりに、教育が足りなかったようだ。──殺さず捕らえろ」
エド・メリアーズの合図で、彼の側にいた者たちが動きを見せる。
「聖剣と聖獣か……」
彼らが抜いた剣は聖剣、どこからともなく現れたのは聖なる獣だ。
教会に属する者か。
「俺のことも大して息子だとは思ってねえくせに、父親振りかざすのは止めろよ」
ライナスがなおも嘲笑を顔に張り付けたまま、聖剣を抜いた。
臨むところだ、やってみろよ、と。
目は、悪魔達に対するようではないが、充分に殺しそうな目をしている。
「……ライナス、一応だがそれは人を殺めるためのものではないぞ」
「分かってる。殺さねえ程度にやってやらあ」
剣を振るえば、壁が切れる。
「グドウェル」
『殺さない程度に、だな』
声に応じ、エド・メリアーズの契約獣が現れた。
人間の体に影響を持つほどの力は持たないが、元帥の聖獣だ。果たして人に与えられた聖剣と、どちらが強いか。
人間と聖獣は戦うことがないので、当然前例はない──が。
『聖獣が正気か?』
同じ存在で比べるなら、こちらには『人間の外見年齢を止める影響を持つほどの力を持つ』聖獣が同行していた。
ガル・エベアータの契約獣として人間世界に存在している獣が、ため息をつきながら一歩前に進み出る。
『グドウェル、お前いつから知ってたんだ。少なくとも、天の剣を使う人間があの砦に来たときは知ってたんだろうなぁ』
話しかけた先は、エド・メリアーズの契約獣だ。
『よくも白魔が出たあの場で、傍観してたな』
『天使がまた帰ってくるのなら、そちらを優先するまでだ』
『……へぇ、白魔を葬るより、天使を下ろした人間の観察の方が大事だってか』
なるほど、意志の順番かと、聖獣は納得したかのように思えた。
『お前ら、堕ちかけてるな』
堕ちる?
疑問は出ていたらしい。
『天使が堕ちるんだぞ? 聖獣がならない道理はない。まあ、魔獣になるわけじゃなく、ただ天使の側には相応しくないって消えるんだが』
自覚がないのが救いようがないんだ、と、こちら側にいる聖獣の目は、向こう側にいる聖獣を一通り映した。
『天使を無理矢理下ろすなんてことやってる人間を容認するなんて正気じゃないもんなぁ』
『中身は天使だ。それで天使が帰って来るのなら、白魔の排除は二の次にしよう』
『中身は天使?』
この聖獣もまた、怒っている。
その目に、今日幾度となく見た感情が強く宿った瞬間を見た。
『じゃああの不可解な存在感を持つ人間は何だ!』
聖獣が吠えた。
セナのことではない。エド・メリアーズが砦に連れてきた少女だ。
『天使の魂を召喚して入れてるって言うなら、天使の魂があるってことだよな? 天の剣も使った! それなら、あの人間の中で天使の魂はどうなってる!!』
吠えは空気を震わせ、エド・メリアーズの契約獣以外の聖獣がたじろぐ。
『途中過程だ。そういうこともある。だがいずれ、天使は必ず戻ってくる。そのときは近い』
『「そういうこと」で済ませるのか、あれを。天使は必ず戻ってくる。その通りだ。なら待てばいい』
「聖獣とて、早く天使が戻ってきたならば早いほど嬉しいだろう」
『黙れよ人間』
口を挟んだエド・メリアーズに、聖獣は辛辣に言葉を叩きつけた。
『お前みたいな外道の人間の話なんて聞きたいと誰が言った? いいか、お前達の行為は天使を愚弄してるんだ』
聖獣にとって、天使が戻ってくることは何よりも嬉しいことに違いないはずだ。
だが、強制的に天使を戻そうとする行為は何より許せないのだろう。
『なあ、人間。聖獣が人間の命を奪わない保証は存在しないって知ってるか? 人間は、天使の加護を与えられた存在だ。だが、俺達にとって最も大切なその天使を汚されたなら、二番目以降なんてどうでもよくなる』
天使を最たる判断基準とする聖獣は、人間の行為を許さない。
『俺達は戦うものだ。それらに関して、人間殺しは罪になるだとか、制限の仕組みは設けられていない。なぜなら、制限は天使が握っていたからだ。同じように、聖獣が聖獣を殺さない保証もない』
そして、その人間に同調した聖獣も許す気はないようだ。
『まさか俺に勝てるなんて思ってないよなぁ、グドウェル』
軽口に聞こえる内容とは裏腹に、放つ雰囲気は声音と同じく、重い。
「ヴィンセント、先に行け」
前を見たまま、ライナスが言った。
「お前はセナを探しに来たんだろ。ここは俺の責任だ。……あの白魔がセナを傷つけないだろうとはいえ、心配だ。さっさと安否はっきりさせといてくれ」
「分かった」
ここは大丈夫だと思うには充分な顔ぶれだ。
ヴィンセントはその場に背を向け、聖獣が示した道を一人行きはじめた。