13 少女……?
ドアの先に現れた少女が、そのまま中に入ってくる。
普通に入りドアを閉め、こちらに向き直り……じっと見つめられて、セナは困惑する。
この状況は……?
少女は何も持っていない。何かをこの部屋に届けにきたわけではなさそうだ。
「彼女たちが言うから、来た」
彼女たち?
少女の言葉に疑問を覚える。
少女の他には誰も一緒に入って来なかったし、現に今も彼女と示せる人物は誰も周囲にいないのだ。
困ったセナは、自分が見えないだけで誰かいるのだろうかと側のシェーザを窺おうとしたが、その前に少女がまた言葉を発する。
「彼女に、替わる」
またもどういう意味だかは分からなかったものの、首を捻る前に意識を持っていかれる現象が起きる。
少女の体から、帯のように連なる模様が薄く浮かび上がった。
この光景を、見たことがある。
彼女が天使の剣を扱う前の光景だ。
しかしセナが反射的に確認した少女の足元には、召喚陣のような模様はなく、それを抜きにあの現象が起こっているようだった。
模様の帯が大きく揺らぐ。以前見たとき、この帯はこのような動きをしていただろうか。無理矢理に、破れないものを破ろうとしているような感覚だか印象を抱く。
そんな違和感を持っている間に、少女の背から半透明の翼が生えた。
そして目を開いた少女は、別人だった。
以前見たとき同様、顔かたちは変わっていないのに、雰囲気が一変し、別人としか言い様がないのだ。
「『ああ、何だか疲れますね』」
声も異なった。
以前は複雑に、複数の声が混ざっているように聞こえていた気がするが、今回はただ一つの声だ。
少女の少女らしい声をわずかに帯びながらも、別の女性の声がした。
「……まさか、グランディーナか」
シェーザが、知らない名前を口にした。
それに対し、少女の姿をした別の誰かが微笑む。
少女の姿に似合う純粋な微笑みながら、大きな何かに包まれるような錯覚をありありと感じる、慈愛に満ちた微笑みだった。
「『こんにちは、シェーザ。かつて天使だった者』」
シェーザの名前を呼んだ。
セナは、さっきは向けなかった白魔の方を即座に見た。
シェーザは、セナに目を向け、「グランティーナ。最も高い位にいた天使だ」と前方の少女を示して答えてくれた。
「天使」
やはり天使なのか、という思いがした。
彼女が天使の剣を使ったとき、ベアドも精霊も彼女のことを分からないと言った。天使だと言わなかった。
けれども天使の剣を使えたということは、天使だと考えるのが普通で、セナが天使を感じると言われたなら、彼女にも天使たる要素があるのだと考えられた。
しかしながら、あれ?となる。
「シェーザも、前に分からないって言ってなかった……?」
天使の剣を使えた理由を誰もが疑問に思う中、彼もまた何かは感じたが、分からないと。
「今分かった。前は全く感じなかったどころか、天使と言うには歪な気配をしていた」
銀色の目が、少女を──天使を理由を問うように見やった。
「『その通り。私達は今歪なのです』」
「私達……?」
入ってきたとき、少女が「彼女たち」と示し、どういう原理か少女ではなく出てきた天使も「私達」と言ったが、他にはやはり誰もいないのだ。
セナのその疑問は、今度は口から出た。
「『今、私はこの人間の子の中に魂が入っている状態なのですが、この子の中にある魂は一つではなく、天使の魂の欠片が複数集まっている状態なのです』」
聞いたものの、どういう状態なのだそれは。
「『あなたも人間の中にいるとは』」
わたしも……?
理解に苦しんでいたセナは、向けられた言葉に少し考え、思い至る。
明らかに別人と考え、これまで得た言葉と擦り合わせた結果は、別の人格が存在しているということだ。
ここに入ってきたときの少女と、天使が一つの体に存在している。
「わたしの中にも、あなたのように天使がいるっていうこと?」
「『……いいえ』」
答えには少しの間が空き、さらに天使はセナを見つめる。
「『あなたは、覚えていないのですね』」
「何を……?」
「『私のことを』」
この天使と、まともに話が出来ている感じがしない。
たぶん、セナが彼女が言うことが理解できず、全く追い付けていないからだ。
彼女のことを覚えていない。彼女は天使だ。
しかしセナは天使であった記憶と自覚がそもそもなく、天使として生きていた記憶がこの魂にあったとしても、それは前の生の記憶である。覚えていない方が正常なのでは……?
シェーザも生まれ変われば記憶も何も残ることはないと当然のように言っていた……。
「セナの魂は巡ったものだ。覚えているはずがない。むしろ一度死んだお前が覚えていることの方がおかしい」
困ったセナの代わりに反論したのは、シェーザだった。きっぱりと断言した。
「『ええ、そうです。おかしいのです。ですが、そうではないということは……正常に魂が巡ったのでしょうか』」
シェーザの反論の最中も、依然として、天使はセナを注視していた。
「『確かに。体は人間だということはやはり特異ですが、よく見ると一つの器に一つの魂です。他の天使の気配はありません。魂も記憶は一新されているとなれば……。私は、呼び寄せられた魂の欠片の一つで、さらに人間の自我がある中に同居している形なのですけれど……』」
天使は、一度頷いた。
「『あなたの中に天使がいるのではなく、その体には魂は一つ。あなたはあなたのまま』」
わたしは、わたしのまま。この体にいるのは、わたしだけ。
「『そしてあまりに人間の体に定着しています。──あなたは』」
少女の手が挙げられ、セナに触れた。
間髪入れず、その手をシェーザの手が掴んだため、天使がシェーザに視線を向けた。
「『何も害になるようなことはしません。白魔ではないのです』」
「……嫌味か」
「『いいえ。事実です。白魔は天使を傷つけたか、傷つける意思を持った者です』」
微笑み、柔らかに、天使は言った。
悪意は感じられず、本当にただ事実を述べた気のようだ。
彼女はセナを見てから、またシェーザに目を戻す。
「『魂が同じ存在をわざわざ探したのですか』」
「否定はせん」
「『そうですか。私のことを恨んでいるでしょうね。あなたの嘆願を、私は悉く退けましたから』」
「ああ」
「『それが決まりであったとしてもですか』」
「恨まずにはいられない」
「『一目会えていたとしても、あのような最期が来るなら抱く感情は変わらなかったでしょう』」
瞬時に、怒気が生まれた。
天使が怒らないと言うのなら、当然シェーザの方だ。
「『あれ』が立ち向かったことを知っていたな」
「『あなたの最も大切な天使が、白魔にですね』」
「なぜ止めなかった」
「『彼女が決意しました。戦うことを決め、剣を握りました。最後には、自分から手を離してしまったようですが』」
「お前達はそもそも戦わなかっただろう。聖獣を戦わせなかったのに、なぜ戦わなかった」
「『白魔の狙いは天使でした。聖獣には戦う力が与えられていますが、白魔が相手では皆殺されてしまうでしょう。一方で、血を互いに流す争いをあまりにすれば、天使は天使ではなくなります。私達は命を奪われることを決めました』」
また天使は生まれる。だから一度、命を奪われることにした。
次はより強固な壁をと、彼女は述べた。
セナには理解はできなかった。生まれ変わっても記憶はなく別人なのに、どうして一度死ぬ決断が出来るのか。
「聖獣は何のためにいる。今あの獣達がなぜ戦っているか知っているか。天使の加護した人間の世界が、白魔と悪魔の標的になったために守ろうとしている。哀れなものだ。天使を守ることが出来ず、天使が遺したものを守る他ない。そのとき戦わせれば良かった」
「『どう言おうとあなたはただ一存在しか気にかけていません。聖獣が犠牲になりながら戦えば、彼女が生きているときに間に合ったかもしれないと考えているのでしょう』」
「それの何が悪い。私は白魔だ。聖獣も、人間も、天使も知らん──ただ一つを除いては」
「『危険です』」
天使が告げた。
「『彼女の側にいることが危険です』」
示されたのは、会話に入り込めないセナだ。
「万全でないお前に何が出来る」
セナをちらとも見ず、天使を睨む白魔が冷え冷えとした声で言う。
「奪おうとするなら、もう一度死ぬことを覚悟すればいい」
ただの錯覚かどうか、冷気が漂った。
セナの手がとっさに反応し、動いた。