11 侵入せよ
ヴィンセント視点。
精霊も、聖獣とは別の道を持っているようだ。
「本来、人間では精霊に特別気に入られた存在しか通ることを許されませんし、通れません」とガル・エベアータは言った。
たとえ精霊からの恩恵を受ける人間でも、大勢の中の一人では許されない。
今回は特例だ。
セナのために。
彼女はそれほど精霊に気に入られている。
「はい、着いた」
見える景色が目まぐるしく変わっていたような気がしていたが、少年の声を認識すると、景色は定まっていた。
木々が周りに生える中だった。
ライナスもそこには森があると言っていた。
「あっちにセナはいるんだね、エデ」
ノエルの声に、エデが「うん」と答える声を側に、ヴィンセントは示された方を見ていた。
木々の向こうに、建物の屋根が見えていた。
あそこにセナがいる。
「ごめんなさい」
謝罪に、ヴィンセントは少女の声の方に目をやった。
「わたしが一緒に行ったら、セナのところまで案内してあげられるのに」
エデがとても申し訳なさそうにしていたのだが、ヴィンセントは首を傾げる。
「なぜ謝る? 君達にとっての天敵である白魔がいるのだから、近づかないに越したことはない。近づきたくないと感じるなら我慢する必要はないだろう」
白魔が天敵、恐れる相手であることに、人間も精霊も聖獣も関係ないだろう。
戦う人間がいる一方で、戦える力を持ちながらも戦わない者もいる。例えば、一度は聖剣士や召喚士になりながらも、魔獣などと対峙して恐怖に飲まれ、辞めていった者達がそれに当たるだろう。
だがヴィンセントは彼らを責めようと思ったことはない。向き不向きがある。選ぶ権利もある。
自分はそれらが、多少特殊な形がありながらも合致しただけだ。
「ここまで連れてきてくれてありがとう」
鳥で来ることになっていたなら、鳥を酷使していただろうし、それでもなおもどかしさに苛まれていたに違いない。
今でさえ、少しそうであるのだから。
ヴィンセントの感謝に、ノエルは「どういたしまして」と言い、エデはヴィンセントのことをじっと大きな目で見つめたあと、
「セナのこと、お願い」
そう言った。
「約束しよう」
ヴィンセントが返す言葉など、一つだけだった。
約束しよう。頼まれるまでもなく、必ず成そう。
「じゃあ、僕らは戻る。帰りも通してあげるから、ベアド、知らせて」
『分かった』
聖獣の返事を受け、精霊たちは消えた。
エデは、白魔がいると聞き不安そうにした。その存在そのものに、恐れが染み付いており、反射的に感覚を抱いているようだ。
怖いのなら、我慢する必要はない。
精霊も──セナも、怖いのなら逃げてもいいのだ。しかし、そうでないから、彼女なのだろうか。
精霊が消えた地面から目を上げ、ヴィンセントは建物を見た。
ここは最早北の砦の敷地ではない。教会の所有地ではなく、メリアーズ家が所有する土地だ。
『ここまで来ると、俺がセナの場所見つけられるかもなぁ』
聖獣が、空気を嗅ぐようにした。
「とりあえず中に入らねえと探すも何もねえから、裏口でも見つけるか」
ライナスに、そうだな、とヴィンセントは同意する。
もしも見つかった場合、メリアーズ家の領地で動いていた合法性は取れる。ライナスがいるからだ。
だが、それはあくまで見つかったときの保険であり、堂々と動くためではない。
ライナスは、一度エド・メリアーズの意に沿わないことをしている。天使召喚に関するもの──場所もライナスから隠したがっているはずだ。ライナスがここにいること事態あり得ないと考えると、堂々と動かない方が良い。
「……何だ」
建物の方に向かって木々の間を行く道中、視線を感じ、ヴィンセントはそちらに問うた。
「お前、怒るんだなと思ってな」
ヴィンセントは首を捻る。
「いきなり何だ」
「お前が何だって聞くから答えたんだろ」
ライナスは「さっき分かりやすく怒ってたろ」と言う。
さっきと言うのは、砦でのことだろう。
確かに怒っていた覚えはあるが、ヴィンセントはやはり首を傾げる。
「誰だって怒ることくらいあるだろう。俺が怒ったところで、何を特別話題にすることがある」
「それはそうだが、そういう意味じゃない。お前、怒ることあるんだなって話だ」
「? 意味が分からない」
木々の生える範囲から抜けた。
壁が建物の周りを囲んでいるようだ。壁まではまだ遠い。
「あっちに門がありそうだな。けどこれ思ったんだが、馬鹿正直に裏口であれ出入口探しても絶対見張りいることには変わりねえよな」
「つまり」
「壁はそのまま登るなりした方が見つからねえし、建物は窓こじ開けるなりした方が良さそうだ」
泥棒のような真似だが、これもまたライナスがいるので一応許されることだ。
ヴィンセントも異論を唱えなかったことで、自然と入り口を探すのではなく、単に壁に向かって進み始めることになる。
その間に、ライナスが「自覚ねえのか?」と言う。
たった今までのどうやって入るかの話には繋がらないので、その前の話に対してだろう。
「少なくとも、俺がお前が怒ったところを見たのは今日が初だぜ?」
「……そうなのか?」
「いやヴィンセント、お前、それほど怒ってる印象は自分でもねえだろ」
「それはないが」
だろうな、とライナスは言ってからヴィンセントに一瞬視線をやった。
「お前は何に対しても自分の感情より、客観的な視点から判断するから、性格的に怒るってことがないんだと思ってた」
怒った記憶と考えると他に心当たりを出せなかったヴィンセントは、意識の端から無駄なその思考を切った。
「自分のためには怒らねえけど、他人のためには怒れるんだな」
そういうライナスにも怒りをぶつけたのも今日の記憶だ。
「……君が、君の話してくれた内容を許せる人間だとは思っていなかった。すまなかった」
メリアーズ家の、自らの父親がやっていることを知りながら許すのかと問うたが、ライナスが非人道的な行いを許すような人間だとは思ってはいなかった。
人格を疑うような言葉を向けたとヴィンセントが謝ると、ライナスは笑った。
「お前は俺に怒ってたんじゃねえよ。されてることに怒ってたんだろうよ。で、精霊が言ったように、お前はセナのことでも怒ってた。それは今もなんだろ」
「それに関しては君もだろう」
「まあな。でもまあ、お前に関しては精霊が言ってたこともあるしな。その真偽はどっちだっていいが、真であるならその感覚は大事にして損はない」
エデは、ヴィンセントにセナを頼んでいった。
彼女がヴィンセントに言ったことがある。
──「あなたは、セナを──」
その言葉について、精霊に問うような時間はなく、自らの中でも細かく考えている時間もない。
「俺は、家がしてたことを知って、俺がいなくなって家を絶えさせりゃいいんじゃねえかと思った。家と完全に関係を断つために教会からも出て行こうと考えてたときだってある。誰も彼をも守らなければならないなんて綺麗な心なんざ持っちゃいなかったからな。それは今もだけどな」
ライナスは、万人を守ろうと思ってはいない。
教会にはそう思っている人間もいるだろうが、少なくともライナスはそうではなかった。
将来元帥になるであろう人間が堂々と言うには珍しいことでもあった。
「個人的に守りたいものがあるって認識したから、俺は教会に居続けることにした。メリアーズ家からも逃げないことにした。その原動力になる感覚ってのは、単なる負けず嫌いだったときより、どんな状況になっても俺が立ち続けることに役に立ってる」
確かに最初に道は敷かれていた。ライナスがメリアーズ家に生まれたからだ。
しかし、今そうあるのは自分で理由を得て決めたからだと断言するライナスの首もとで、緩められた制服の隙から覗く、金色の装飾鎖が揺れた。
「俺は、俺が寿命で死ぬまで、守るものを守る」
なあヴィンセント、と呼びかけられる。
「お前は、どっちでも好きにしていいって言われたのに、なんでわざわざ教会に属してる」
足が止まった。壁に着いたからだ。
地を蹴って飛び上がってみても届かない程度には高いが、足場さえいくつか作れば登れそうだ。
剣以外に持ち歩いているナイフを鞘から抜いてから、念のためライナスに刺してもいいかと目で問う。
手が「やりゃあいい」とでも聞こえてきそうにひらひら振られる。
答えは予想していたので、早速ナイフを壁の隙間に差し込む。
壁を越える準備ができ、越え、辺りを確認するまで無言だった。
だが口を開いてからも、先程の話の続きにはならなかった。
「人がいるとしても、出入口以外に人は割かれてなさそうだなぁ」
「元々、メリアーズ家の領地でもあるからな」
首都にある邸のようではなく、ここら一帯がメリアーズ家の領域だ。
壁の内側には音一つなく、人気もない。
「しっかし、エベアータ元帥が来ないとは思わなかったな。あの人もあの人で、相当怒ってるだろ」
ヴィンセント、ライナス、ガル・エベアータの契約獣。
この場に来たのは以上だった。
ガル・エベアータは本当に行かないのかという聖獣の問いこう答えた。
──「行きます。しかし後から行きます。『色々』やるべきことと、必要なものがあります」
ガル・エベアータは怒っている。
あの場にいた者は、精霊以外それぞれ怒りを抱いていた。
ガル・エベアータは養女を誘拐されたから。
ライナスは父親の行いと、妹かもしれないセナにその行いがされたから。
「いいのか」
ガル・エベアータの様子を思い出し、ライナスに尋ねた。
「エベアータ元帥に問われていただろう。『いいですね』と」
あの意味が分からないヴィンセントではない。
ガル・エベアータは、メリアーズ家に対して何事か対処を行うつもりだ。
「裁かれるべきことをしている人間が、メリアーズ家の人間だ。何より俺はこの機会を逃したくはない」
「君の守りたいものはいいのか。今、メリアーズ家にいる君の家族は」
「機会があるのに見逃したなら、それは『俺』じゃないと誰より分かってるのはその家族だ」
分かってくれていると、ライナスは迷わなかった。
「ただしやってくる相手が、どの程度やってくるか全く予想がつかねえから全部覚悟するはめになってるけどな」
もちろん、ガル・エベアータのことだ。
「普段怒ったところ見たことがない人間は怖ぇなあ」
冗談めいた言い方で、ライナスは微かに笑いさえした。
どうなろうと、この男ならば大丈夫だろう。元々心配はしていなかったので、ヴィンセントはもう聞こうとはしなかった。
「まあ、このタイミングで怒らないなら気がかりになるけどな」
「何がだ」
「大事にされてる環境なのかってな」
セナのことを示しているのだと、ヴィンセントは理解した。
「セナには言うのか?」
「いいや」
妹かもしれないことを、という質問にはそう返ってきた。
やっと見つけた窓に対し、ライナスが聖剣を抜く。
「セナは俺を元々知ってる様子はなかった。つまり、そういうことだろ。それならわざわざ言うつもりはない。言うなら、他の嫌なことも言わなきゃならなくなる」
セナには、ライナスの記憶がない。メリアーズ家にいた頃の、ライナスの妹としての意識はない、ということだ。
おそらく、セナと砦で会ったときから彼は考えていたのだ。
言う言わないは関係なく、奪還することに変わりはない。
聖剣が、窓の鍵を、音もなく容易に断ち切った。