8 問う
セナに引き留められ、微動だにせず固まっていた白魔の姿が、再び揺らいだ。
「──ぇ、ちょ」
手の中から布が消えて焦るセナだったが、姿は消えるのではなく、──縮み、小さくなって。
瞬きの間に、床に小さな白猫がちょこんと座っていた。
なぜか、とても、とても懐かしく感じてしまう、あの猫の姿だった。
目も金色で、首元には青色のリボンがあって、きっと肉球は綺麗なピンク色の猫。
「……どうしてその姿になったの?」
単純に疑問だった。
なぜにこのタイミングで猫に?
嫌がらせ?
『お前が好むから』
猫からはやはり、あの低い男性のものの声が聞こえてきて、言った。
セナの頭の中で、その返答がくるりと一周回り、セナはゆっくりとしゃがみこむ。
「……どうして、わたしが好むって分かったの」
『見えた』
「見えた……?」
『召喚の際に、見えた。今のお前の記憶の断片だろう。この姿の生き物をお前は慈しんでいた』
セナになる前の生──中本千奈は年がら年中ベッドの上にいるような虚弱体質だった。学校にもろくに通えず、友達なんていなかった。
兄弟もおらず、従兄弟たちとも満足に遊べなかった。
そんなセナの側にずっといてくれたのが白猫だ。一方的にでも親よりも話し、側にいた生き物だった。
その姿になるということは、まるで、好かれようとしているようで。
でも、その理由が。
「……ねぇ、あなたの名前は?」
白猫は首を傾げた。
「もうギンジって呼べない」
ベアドが、契約の際に聞き取れなかった名前は、天使の力が発揮されたときなら聞き取れるかもしれないが、人間では聞き取れないだろうと言った。
だけれど、今別の名前があるはずだとも言った。
『私は、あのとき奪われたはずの名前を名乗っていたのだったか』
猫は呟き、少し考えるような間を開けた。
それから、
『シェーザ』
シェーザ、という名前ははっきりと聞こえた。
「シェーザ」
今度は聞き取れた名前を確かめるように呼ぶと、猫は複雑な感情の混ざる様子で目を細めた。
「その姿、もう止めていいよ」
『お前はこの姿を好むだろう』
「好きだけど、もういいよ」
もういい。
最初から分かっていたことだけれど、『ギンジ』ではないし、別の本当の姿があるなら擬態などしなくてもいいだろう。してくれなくていい。
猫はじっとセナを見つめて、そのうち姿が揺らいだ。そうすると、先ほどとは反対に姿は大きくなり、あの男性の姿となった。
未だ見慣れようもない姿に動揺しかけながらも、しゃがみこんでいたセナは立ち上がる。
「聞きたいことがあるの」
白魔──シェーザは「何だ」と質問することを許した。
セナは、どのような言葉を口にするべきかと急いで考える。
話をしたいと思っていた。話をしなければならないと思っていた。
これから、この存在とどうあれるのか考えなければならないと。
だけれど、こんなところでその機会がやって来るとはと思いながら、ベアドから聞いたばかりの話を思い出しながらも、口を開く。
「最初から、わたしに人間じゃない部分があるって思ってたの?」
出会いから尋ねた。
いつから、召喚獣となっていたこの白魔は知っていたのか。白魔という存在が例外として召喚獣となっていたからには、ベアドのようにあのときではないだろう。
「召喚時のことだ。普通あれは聖獣が召喚されるものなのだろうが、天使の力を感じて割り込んだ」
案の定、初めからだったとシェーザは答えた。
「それ以降は特に兆しもなかったが、確かに感じたことだ。だから側にいた。お前が『そう』であると信じない理由はなかったからな」
「初め以外は兆しはなかったのに? 勘違いでただの人間だったかもしれない」
「私は『その』気配を違えない。一度感じたなら、守るには十分だ」
たった一度の感覚を信じ、あの白魔討伐の場で確信を得るまで守ってきたと言うのだ。
白魔が召喚獣を演じてまで。
ああ、これでは本当に、ベアドの話が現実味を帯びてくるではないか。
「シェーザは、どうしてわたしを」
どうして、守って来たというのかという言葉が出てきそうになって、止めた。
その答えは今もらった。問うべきは、もらったばかりの答えのより深いところ。
「わたしは、シェーザにとって何なの?」
自らは、この白魔の何なのか。
自分と、エド・メリアーズが伴っていた少女には差異がある。
天使の剣を使ったなら、天使だという考え方なら、彼女も天使たる性質を有している。
しかしシェーザは彼女を守ろうとはしなかった。
セナと彼女の違い。その違いの推測をセナはすでに手にしている。
ここにいる前の記憶、おそらくは昨日ベアドに聞いたばかりの話だ。
確かめなければならない。
ベアドに聞いた推測が真実かどうか、聞かなければならない。
だけれどそれが本当だったなら。
天使を感じるから、ベアドルゥスという聖獣が最もセナを守りたいと言ったときのように。
自分は自分の実感できない性質に対して言われたことに、報いることが出来るのだろうか。
そんなことを思いながらも、それでも聞かなければならないのだ。どうせ、いくら待っても、待つだけでは前に進めない。
「──あなたが以前に会えずに失った存在とわたしが、関係あるの……?」
シェーザの表情は変わらなかった。ただ、無表情が仮面めいた無表情になった気がした。
「……何を聞いた」
何を。
推測であろうと、おそらく、全てを。
「『白魔と呼ばれる存在は、元は天使だった存在だ』」
きっと、白魔が最も危険だという常識を持っている人間が聞けば、何を冗談をと言うことだろう。にわかには信じ難い。
セナもこの世界の常識を常識として受け入れていたから、信じられない思いがした。
「勝手なことを」
と呟いた声が忌々しげで、けれど、セナを見る目はそんな刺々しさなど欠片もない眼差しだった。
白魔は肯定の言葉も寄越さなかったが、否定もしなかった。
セナの一言のみで、聖獣が話したと思われる全てを推察し、今のような反応をした。
──白魔とは、元天使のことであるとベアドが言った。