29 何が出来るのか
ヴィンセント視点。
ヴィンセントは、歩きながら横目でライナスを見た。
「腕は大丈夫か」
片方の腕を気にしている様子だったライナスは、「外れそうだ」と言う。
外れそうなわりに、人を朝から模擬戦に付き合わせるので早くに外れれば自業自得だ。
「つーか外れるなこれは。くっつけてたラヴィアは天界に戻ったし、当然だ」
仕方ないなと、ライナスは腕を軽く振った。
聖獣がいなくなった今、腕がなくなることを受け止めているようだった。
元々、一度離れた腕は聖獣によってくっつけられていたらしい。一度離れた方の腕はいずれなくなると、すでに受けいれていたのかもしれない。
「だが召喚獣は召喚し直して、腕がなくなるらとっとと片腕での感覚に慣れておきたいところだ。自分が持てる限りの戦力は整えておかねぇとな」
ライナスが目付きを鋭くした。
ライナスが再び召喚に臨めば、同じ聖獣ではなくとも、強い聖獣と契約するだろう。
また、片腕を失おうと、強さの後退を許さない意志がある限り、剣も鈍らない。
そしてヴィンセントも、完治していない怪我を意識しながらも目を前に向け直す。
まだ油断は出来ない。多くの者は、白魔が討伐され山が過ぎ去ったと安堵しているが、四名のみ異なる。
その内の一人であるヴィンセントは、どのような結論が出されてもいいようにと意思を確かめると共に、腰の剣を確かめた。
「なあヴィンセント」
声色は、鋭いままのそれだった。
「あの白魔のこと信用してるか」
「いいや」
信用していない。
ヴィンセントは問いを吟味する間もなく即答した。
「全く、ではないが。ただあの場でした取引は危ういと感じる程度には信用出来ないと思っている」
氷雪の白魔と思われる白魔のことだ。
セナの召喚獣が変化した白魔。
「あの白魔は、間違いなくセナを守ろうとしている。そこに偽りは感じなかった」
「不可解すぎるが、そうだな」
「だが、一方で目的のためならセナさえ裏切りそうだ」
目的がセナの身の安全であれ、他のことであれ。
セナの望みを聞く意志があると述べた言には、自然と疑心が生じた。
守るという言葉には、疑問を持ちながらも疑いの感覚自体はなかった。あの白魔は、セナに危害を加えない。
だが──あの場で取引をする前の白魔の強行があった。未遂だが、セナとのずれを感じた。
あれは危うい。
あの白魔の全ての行動を信用するわけにはいかない。
そして、そんな状況で最も危険なのは誰か。
白魔に敵視される可能性のある自分達か。明確な言葉と力を向けられるという直接的な意味で危険なのはこちらだろう。
だが、セナ自身は分かっているかどうかは不明だが、異なる意味で一番危険なのは彼女だ。
白魔に目をつけられている。
その他大勢の人間ではなく、一つの存在として認識されている。
「……どう、」
どう守っていくか。
セナの身を案じ、言葉を溢しかけたヴィンセントは途中で止める。
「どうした?」
「いや……」
言葉の切れ方に、ライナスが不自然さを感じたらしい。
一度反射的に何でもないと言いかけて、ヴィンセントはまた言葉を止めた。別にはぐらかすことでもない。
「セナは、大丈夫だろうかと思った」
率直に明かすと、「大丈夫かって、守るしかねぇだろ」とライナスが返してくる。
当然のように、ライナスも守るしかないのだと思っていることにわずかな疑問のような、違和感のようなものを感じるがそのときは流した。
「確かにそっちも気がかりではあるが、それは君の言う通りだ。問題は、彼女自身についてだ」
「セナ自身?」
ヴィンセントは頷く。
「俺達は判断がつけられても、当事者であるセナは戸惑っている。白魔のことにも、自分のことにも」
セナは召喚獣が白魔だと知らなかった。
聖獣だと信じていたものが、まさか白魔で、どれほどの衝撃を受けたか。間違いなく、セナが一番衝撃を受けただろう。
そして白魔のことだけではなく、彼女自身のことについて、セナは戸惑っている。
あの夜、得体が知れないと言うなら、破魔も大概だとヴィンセントは自分の性質を例に出したが、破魔は生まれたときから分かっていた。
悪魔に襲われなくとも、左右色違いの目が証だった。
信じるまでもない、「人間」であることがひっくり返される事実を唐突に示され、動揺しない人間などいない。
セナは動揺して当たり前だ。まだ戸惑っていておかしくない。
夜、眠れないと言っていた。
どれだけの重さの悩みが頭の中にあるのか、彼女の肩にのし掛かっているか。
苦悩を聞いた。
食堂で向かい合ったセナが、元から小柄だが、いつになく小さく感じた。
……一般的な安眠の術すら知らない自分に、今何か他に出来ることがあるのだろうか。
白魔から守ることは当然として、今、一人悩み続ける彼女に──。
「──なぜ、俺は」
そこまで考えて、ヴィンセントははたと気がついた。
なぜ、そんなことまで考える?
万が一、白魔に危害を加えられないようにする。悩みを聞く。
悩みに手出し出来ることはないに等しいと言うのに、眠れないと言っていた彼女の悩みを軽くする方法はないかなど……。
「いや、彼女は従者であるし、上司である俺が気にするのはおかしくない。むしろ当然のことだろう」
「何ぶつぶつ言ってんだヴィンセント」
「……何でもない」
ヴィンセントは首を横に振った。
ライナスは不思議そうにしたが、ヴィンセントは表情を真顔に戻していたので、気にする様子はすぐになくなった。
「セナといえば、その内この砦から離れることになるが、セナはこのまましばらくは従者のままにしておくのか?」
「今、一つの区切りがつこうとしている状況だ。彼女が従者を離れ、隊に戻るなら今なのだろう。従者である状況が特殊だった方だ」
「で、結局お前はどうするつもりなんだ」
「考えている途中だ」
「……客観的に見て、いいと思う選択肢がすでに見つかってんのに考え中か?」
「そうだが」
聞き方が妙だと思って見ると、ライナスの目がこちらを見ていた。
ライナスが「へえ」と言う。
「何だライナス」
言いたいことがありそうだ。
「いいや。まあ、単に、客観的に最も良いと思われる道を見つけたならお前はお前の私見よりそっちを選択してきたはずだ。それが今、客観的に良いと判断しただろう一つの選択肢を示しながら、お前は考えてるって言った」
「それは……」
それはと言って、言葉が繋がらず、ヴィンセントは眉を寄せる。
急に分析結果を示されても、ヴィンセント自身は意識して来なかったことなので何とも言えないのが必然だ。
「まあいい。それより俺が聞きたいのは考え中の詳細になるんだろうな」
「聞きたいこととは」
「客観的な方じゃなくて、お前はどう思ってんだってことだ。そうだな、まず初めてまともに従者と付き合って、これからどうするかって時になって、どうだったかっていうのが聞きたい」
ヴィンセントに視線を寄越し、ライナスが笑う。
「悪くなかったんだろ」
端から見ていても分かると言われ、ヴィンセントはすべき返答を考える。
「セナはよくやってくれた」
新人としての従者なら、申し分なかったと言えるはずだ。
これまでに関して、今度はそれほど間も置かず答え、これからについて続ける。
「隊に戻る方が、彼女のこれからにとってよりよい経験を積める。そして戻る一番いいタイミングは、今だ」
ヴィンセントは言い切った。
最も良い選択肢は明確に見えていた。
「それでお前が考え中なのは?」
「……俺は、セナにいてほしいと思っているようだからだ」
「ようだって何だよ」
何だと言われても、ヴィンセントとて自分に問いたい。
セナにとって最良の選択肢が分かっているのに。
危なっかしいところを見たからか? 今の彼女が不安定だからか?
だが前者はセナがまだ経験が浅いからであり、後者は時間が解決することでもある。
先々を見て、離れがたいと思う理由としては──離れがたい、とは。
「初めて受け入れられる従者だからか?」
「そうなのだろうか」
「いや俺に聞かれても知らねぇよ」
でもまあ、今回が初なのはでかいよなぁとライナスは納得したらしい。
ヴィンセント自身はしっくりきていないと言うのに。
「ライナス」
「ん?」
「君の執務室はそっちだ。入ろうとしないでくれ」
「暇なんだ」
「安静にしていたらどうだ」
「それ、今回はお互い様だからな」
ライナスが笑い、ヴィンセントを強めに押して中に入ってしまう。
「セナいねえのか」
「そうだな」
今朝は少々遅くなったのだが、セナの姿はなかった。
「来た形跡もない」
何一つ物が動いておらず、カーテンも引かれたままだ。
「寝坊か?」
寝坊なら今日はそっとしておくが。
会議があるので、おそらくそれまでいるつもりのライナスを横目に、ヴィンセントはカーテンをまとめた。
──セナが砦のどこにもいないと判明する、一時間前のことである