26 それぞれの内心
前半セナ、後半ガル視点。
翌日、顔を合わせたヴィンセントは「おはよう」と言ったあとに「眠れたか?」とセナに尋ねた。
セナが目を若干泳がせると、「そうか」と言った。
とっさに嘘をつけなかった自分が憎い。
結局昨夜は、散歩も素振りもすることなく、部屋に戻った。目を閉じ、無理矢理頭を空っぽにしようとし、ベッドに横になった。
途中の記憶がないということはどこかで眠りに落ちたのだろうが、疲労はいまいち取れておらず、体が重い。
でも、思考に変化があった。
「ヴィンセントさん」
ヴィンセントが紙から顔を上げる。
「考えは、大分すっきりしました。ありがとうございました」
「俺は話を聞いただけだ。礼を言われるようなことはしていないぞ」
本気でヴィンセントは首を傾げたようだっが、厳密には話を聞いただけではなかっただろう。
話を促してくれ、話を聞いてくれたことは事実だ。
そして彼が口にした率直な言葉が、セナのこんがらがる思考にすっと線を引いた。
自分の足元ばかり見ていたような気がする。同じことばかり、ぐるぐる考えが回っていた気がする。
セナは答えを持たない。それなら自分一人でいくら混乱しようと、ずっと混乱が続くだけだ。
だから一つ一つ、明らかにし、見ていくしかない。その上で考えていくしかない。
真っ直ぐ、セナがヴィンセントを見てしっかり言うと、ヴィンセントは「そうか」と一度頷いた。セナの昨夜との変化が分かったように。
「そうだ、セナ。君もあの場にいたからには報告書を書かなければならない」
「えっ、そうなんですか」
「そうなんだ」
そういうヴィンセントはまさに今、報告書を作成しているらしい。
昨日は机について報告書を書く時間なんてなかった。
「今回の討伐対象だった白魔が消滅してからについて、どういう風にするかエベアータ元帥とライナスと決めたから、君にも教えておく」
報告書の事実は一致していなければならない。矛盾があればおかしい。
普通なら事実を書けば示し合わせなくとも一致するだろうが、今回はそのまま書くわけにはいかない。
そこで、共通のシナリオを作ることにしたようだ。
「……」
「君が気にすることではないと言っておく」
セナはヴィンセントの書きかけの報告書を見下ろしていた視線を上げた。
「人の思考は、分かるときは分かるものだな」
ヴィンセントは、されようとしているのは偽装であるという事実に気がついたセナの表情を見ていた。
「君が気がついただろう通り、今から俺達がしようとしていることは偽装だ。だが必要な偽装だ。天使の剣の件、新たな白魔の出現、どちらの事実もなかったことにすることが、だ」
ヴィンセントは、自らの書きかけの報告書を指で軽く叩き、示す。
「君自身のことは当然として、二番目の白魔のことは昨日も言った理由で、君が責任を感じる事項ではないと俺は思う。従って君が偽装は自分のせいだと責任を感じる必要はない」
「──はい」
「では、今日一番の業務はそういうわけで報告書の作成だ。討伐の事実があれば、基本的に一々全ての報告書は吟味されないので君のは書いて提出すれば終わりだと思っていい。俺が一応確認もするから、緊張しなくてもいい」
「はい」
決して決断を焦らない。
養父があの場で最善の道を選択したように、見極めるべき選択肢は『最善』を。知りたいことは知る。知るべきことも。
そして、ガルやヴィンセント、ライナスが口を閉ざすことを選択してくれたのだから、セナも不自然ではないよう、今の状態を崩さないようにやるべきことをやる。
今やるべきことは、報告書の作成だ。
「書けた報告書は、今回の統括はエベアータ元帥なのでエベアータ元帥に提出することになる。そのあと本部に渡される」
養父も、セナがエベアータ家を去ることを一蹴したのだから、報いなければ。
決意とは裏腹に、昨日のガルとの会話を思い出して、セナの思考は一瞬乱された。
*
ガルが会議から戻ると、養女の後ろ姿が廊下の先に去っていくところだった。
どうやら今まさに戻る執務室から出てきたようだ。
後ろ姿は、緊張していた力がふっと抜けたように見えた。
「……」
昨日の養女の言葉が過り、対しての自らの対応を思い出し、ガルは黙って執務室に入る。
『話しかけないのか?』
ベアドルゥスがするりと姿を現し、聞いてきた。
「……まだ一日しか経っていません。結論は出ていないでしょう」
『そういう意味じゃないんだよなぁ』
分かっていた。分かっていたが、聞こえなかった振りをした。
執務室の机の上に、書類がいくつか増えている。
「シャリオン、セナは何をしに?」
部屋に残していた従者に問う。
「報告書の提出に来られました。パラディン・ヴィンセント・ブラット様とセナ様自身のもの合わせてです」
白魔討伐の報告書か。
報告書は、ありふれた魔獣の場合などには一々作成は義務付けられていないが、力のある悪魔の討伐の際には作成・提出が義務付けられている。
白魔の討伐ともなれば当然だ。
怪我人は免除か後々ということになっているため、現時点で提出された報告書はこれが初めてとなる。
念のため、ガルは報告書に目を通し始める。
今回ガルもその場にいたため状況は知っており、報告書を読む必要はないはずだが、『今回』は確認しなければならない。
セナの天使の剣の使用と、二番目の白魔が現れた事実は報告しないからだ。
白魔が現れてから、吹雪が酷かった。見える距離にいた者は他にはまずいなかった。
天使の剣の使用の場面も、もしも他に目撃した者がいたとしても、エドが連れてきた少女が使ったと思っただろう。
ゆえに、二つの事実を知るセナ、ヴィンセント、ライナスの報告書の内容で真実が記されていなければ良い。
『お前は言葉足らずだな、ガル』
暇を持て余し、姿を消しても良さそうな聖獣は今日はまだそこにいた。
ガルはちらりと視線をやる。
『お前、なんで俺とセナを早く契約させようとしたんだよ』
「何ですか、急に」
『急じゃない。なんでかって言ってみろよ』
手にした報告書は、養女の字で記されていた。まだ少し、ぎこちなさの残る字だ。
「……今、どうすればセナが安全であれるのか考えた結果です。ベアドは強い。白魔になぜか執着されている以上、側にいれば心強いでしょう……と思ったのですよ」
白魔に目をつけられているなら、出来るだけ早く契約した方がいい。強い召喚獣がいることが安全な環境作りの一つだった。
『じゃあセナの召喚したものが白魔で、そいつのこと言わない理由と、俺と契約させる理由を言ったか? セナのことを心配しているからだってセナに言ったか?』
ベアドルゥスは、最早ガルが答えを言うことを求めていないようで、次々と問いを重ねる。
『召喚で白魔が来るなら、いっそ聖剣を試しても良かっただろ。なんで聖剣は保留にしたままなんだ?』
天使の剣ではないのだから、聖剣でまた特別なことが起きるのでは……と考えたわけではない。
ただ、剣はどうしても直接的に戦うことになる。召喚獣を召喚し、その上で自らの身を守る手段として聖剣を持つのはいいと思うが、聖剣を第一の手段させることは今のガルは考えられなかった。
『どうして天使の剣を使ったことを言わないのか、セナに言ったか?』
「言っていませんが」
『言ってないよなぁ。んで、お前はわざわざ言う必要があるのかとか思ってる』
「……」
『なあガル。お前がセナのことを考えてるように、昨日のセナはお前のこと考えて言ったんだと思うぞ』
──「わたしのことは、切り捨てちゃった方が手間がかからなくていいんじゃ」
養女の昨日の発言だ。ベアドルゥスが示したのはそれだと分かった。
『お前急に頭悪くなったのか? 俺でも分かるんだぞ』
「分かっていますよ。今は」
冷静に考えれば分かることだった。
だが、昨日、聞いた瞬間は聞いたままを頭が判断した。
これから行うことが手間だとガルは感じていなかった。切り捨てるという言葉を、養女自身が口にしたことに確かに怒りに似た感情を覚えた。
自分が彼女を切り捨てるような人間に見えたということにか、そう見た養女にか、または──そう見えるように接してきたと思われる自分にか。
『お前は周りと上手くやれてるようで、ずっと肝心なところは言わないんだよなぁ。自分の感情を言わない』
「……知ったような口をきかないでもらえますか」
『知ってるんだ。仕方ないだろうよ』
聖獣にとって二十年やそこらなど、些細な年数だろうに。
そもそも、今日は妙につついてくる。
『言わなきゃ分からないぞ。俺も今、お前が何考えてるのかは分からない』
「瞬間瞬間の考えなど、誰でもそうですよ」
『極端な例えだ。お前は肝心なところも言わないから分からない』
それでもこの聖獣は分かっている。
なるほど、『知っている』か。
『セナもセナで考えすぎじゃねぇかなぁって思うところもあるけどな、俺はセナを贔屓するぞ』
「……露骨になってきましたね、ベアド」
最初からセナのことを気に入ってはいたが。
『そりゃ当たり前だろ』
聖獣は贔屓が増した自覚があるらしい。
『全ての聖獣には後悔がある。憤りもある。失われたからだ。──その失われた存在が二千年経ってようやく帰って来たとしたら』
聖獣の判断基準。思考の柱。
そんな存在が帰って来たら、何よりも優先するに決まっている。
白魔を倒すためなら、地上世界を疎かにできるとさえ言ったのだ。
聖獣はそういう生き物だ。
改めてその事実を確認させられ、ガルは目を厳しく細める。
──セナのこれからを考えなければならない
『俺は言いに行くぞ。あ、でもお前のフォローはしてやらないからな』
ええ、お節介は結構ですからと流し、ガルは報告書を横の方に置いた。
内容に問題はない。