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転生少女は召喚士になる  作者: 久浪
二章『伝説の悪魔、天使の遺したもの』
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25 眠れない夜





 久しぶりに帰って来たように感じたが、実際は一日も経っていない帰還で、部屋はもちろん出てきたときのままだった。

 長い一日だったようで、実際には短時間で濃い時間だったのだろう。

 その短時間でセナの環境はひっくり返った。

 ベッドの上に丸まる白猫はいない。今朝までいたのに、今はいない。

 召喚獣を実質失い、自らのことさえ分からない。

 眠るために目を閉じても、疲れているはずなのに一向に眠気が生まれない。

 守ってくれていた。疑うことがなかったのは、そういうことだ。信頼していた。

 頭の中がぐちゃぐちゃだ。自分がどうすればいいのか分からない。


 そして、養父を怒らせた。

 ガル・エベアータは、セナにとって恩人である。養父であるより、何より先に、恩人だ。

 その恩人を怒らせた。

 彼は笑顔の裏で怒る人だと思っていたが、今まで怒られたことがなかったのだと分かった。単に注意されていただけだったのだろう。

 でも、今ベアドルゥスとの契約を示されても、しり込みする。

 果たして、自分がそうすることが正しいのか。良いのか。

 向いていないと常々思ってきた。この際、この機会に辞めれば──

 違う。

 違う。

 違う。

 そういうことじゃない。

 頭の中がぐちゃぐちゃだからと言って、全部放り出して解決するものではない。


 無理矢理に閉じていた目を開けた。

 瞼は重くなく、抵抗なく開いた。

 腕を持ち上げると、未だにある『契約印』が見えた。何の意味もないと知らされた、ただの模様だ。

 果たして心にわき上がる虚しさは、召喚士ではなかったことへのものか、信じていた召喚獣に欺かれていたことへのものか、今日起こった全てへ生じた感情か。


 こうしていても眠れない。

 セナは起き上がり、しばらくじっと座っていたが、軽く着替えて部屋を出た。

 軽く散歩して戻るつもりで廊下を歩き始めたが、しんとした廊下にやがて耐えられなくなった。

 四六時中一緒にいた。完全に一人になることなんてあまりなくて、いつも、あの猫の姿をした存在がいたのだ。

 たくさん喋った。自分がいるのだから独り言ではなく、自分に話しかければいいと言われたから、余計に。


 だけれど一番大きなことは知らなかった。

 ポケットにも肩にも重みはなく、足元にも白い姿はなく、声も聞こえることはない。

 セナがそうしたいと言ったからだ。実際、今現れられても同じ事を言うだろう。

 今本当に何一つ感じないことに気がつくくらい、側にいた存在だったからこそ、なのだ。


 しんとした廊下を、走り始めた。

 散歩は駄目だ。剣を振りにいこう。剣を振って、ぐちゃぐちゃな思考を追い出して、疲れて何も考えずに眠りに落ちたい。

 そう思って、訓練場に行った。

 しかしセナが足を止めても、そこには音がしていた。

 聞き覚えのある音だ。刃が空気を切る音。

 誰かが、いる。


 訓練場には誰かがいた。

 持っている灯りはそこまで先には届かない。夜、明かりは月明かりくらい。

 セナが目を凝らしていると、ちょうど、月明かりが届くところで、誰かの顔が見えた。


「ヴィンセントさん……?」


 剣を振っていた人は、ヴィンセントだった。

 ちらりと見えた顔に呟いた、その声が聞こえたわけではないだろう。

 セナが顔を目撃したと同時に、あちらもセナに気がついた。


「セナ」


 刃が空気を切る音が止んだ。

 やはりヴィンセントだ。

 まずこんな時間にどうしてこんなところにと思ったが、次にまさに今日、ヴィンセントが大怪我した事実を思い出した。


「そんなに動いて、怪我大丈夫なんですか!?」


 セナは慌てたが、


「さすがにこれだけの怪我をしたのは初めてだが、問題はない。大怪我自体は昔対人戦闘訓練で、姉に相当やられた」


 ヴィンセントは「時間が経てば治る」と冷静だ。

 彼が持っている剣は模造剣ではなく、真剣だった。見たところ彼のものだ。


「それでセナ、君はこんな時間にどうしてここに」


 自分が思っていたことをヴィンセントに言われて、確かにと思った。

 セナがこんな時間にと思ったように、『こんな時間』と思う時間なのである。


「ちょっと、眠れなかったので……」


 素振りでもして疲れようかなぁ、と笑ってから、「こんな時間っていうのは、ヴィンセントさんもだと思うんですけど」と尋ね返した。

 そうすると、ヴィンセントも言われて、その通りだと自覚したらしい。

 剣を鞘に収める動作が一瞬止まった。


「……考え事をしていた」


 刃を収めるヴィンセントの目が、セナから外れた。鞘に剣を収めながら、ヴィンセントはどこかに歩き始める。


「君は眠れなくても無理にでも寝た方がいい。今日は特に、と思う」


 その瞬間、セナは思い至った。


「ヴィンセントさん!」


 離れるヴィンセントを反射的に呼び止めた。


「従者を辞めてもいいですか」


 置いていた上着を取ろうとしていたヴィンセントが止まった。


「……理由を聞こうか」


 上着を取らないまま、セナの方を見て、彼は静かに問い返した。


「これから、もしも何もかもが明らかになってしまったとき、ご迷惑をかけます」


 大なり小なりヴィンセントを巻き込むことになるのだろう。

 そもそも今複雑な状況にある自分がヴィンセントの従者であるべきか。こちらも考えるべきだったのだ。

 セナの理由を聞き、ヴィンセントがおもむろに動き始める。

 上着を取り、歩き始め、セナに視線で先を示した。


「素振りはなしだ」


 来るんだ、と促されたから、セナは戸惑いながらも来たばかりの訓練場を後にした。


 着いた先は、食堂だった。

 セナに座っているように言い、上着だけ置いて消えたヴィンセントが戻ってきたときには、手にしたカップを自らの前とセナの前に置いた。


「……ありがとうございます」


 カップは熱々で、中の液体はいつもの黒めの液体ではなく、真っ白だった。ミルクのようだ。

 ヴィンセントがミルクを飲んでいるところは見たことがない。

 それにどうして食堂に?

 ミルクに口をつけつつ、前を窺うと、ヴィンセントも同じ液体が入るカップに口をつけ、カップを置く。


「多くのことが今日、判明した。その多くのこととは君に関することだ」


 目が真正面から、セナに真っ直ぐ向いた。


「君は今、混乱しているだろう。無理もない。だが、混乱の中での決定は判断力を欠いたものになるから気を付けた方がいい。勢いのままになることが多いからな」


 落ち着くのは難しいだろうが、と前置きをして、彼は続けて言う。


「眠れないと言ったな。それが考えることがあるからなら、俺で良ければ聞く」

「……ヴィンセントさんが、ですか……」

「元々、君が当事者でありながら一番話についていけていないように見えていたから、気になってはいた。いや、当事者だからこそか」


 話に頭が追い付いていなかった。

 混乱だ。

 大きく分ければ、二つの事項ではあった。自らの身についてと、召喚獣だったはずの白魔について。

 しかし分けることができても、理解して自分の中に落としこめるかは別だ。セナは出来ていなかった。

 そんな状態で、従者を辞める判断を、暗に混乱の中での判断力を欠いた判断だと評したヴィンセント。


「……白魔を召喚していた召喚士を、危ないと思いませんか?」

「君は白魔の召喚を狙ったか?」


 問い返しには首を横に振った。


「狙って召喚したならその思考から危ないと思うだろうが、そうでないのなら召喚士自体を危ないとは思わない」

「でも事実として、もしも他の人に知られたらヴィンセントさんに迷惑がかかります」


 狙って召喚したか、しなかったか。それも一つの事実だろうが、過ぎた過去だ。すでに起こったこと。

 まだ起こっておらず、これから起こるかもしれないことがある。

 想像できない迷惑をかけるかもしれない。想像はできない。ただ迷惑がかかるとは分かる。


「そう思っていたら、今日戻ってきたときに解雇している」


 ヴィンセントは、あの場で新たな白魔を見ていたのはおそらくセナ、ガル、ヴィンセント、ライナスだけだったと言う。

 一寸先は雪だった。

 新たな白魔を見たのが以上の者のみということは、召喚獣が変化したと見たのも同じ者のみになるはず。

 ヴィンセントは言うつもりがなく、ライナスも言うつもりがないことからこれ以上の人間に知られる可能性は考えられない。そう、ヴィンセントは言った。


「俺は言わない。理由は君に非があるとは思えないからだ。ライナスも細かな理由はどうあれ、そこだけは変わらないだろう。だから他の者に知られたら、知られたときに考えればいい」

「……ヴィンセントさん、そんな行き当たりばったりな人でしたっけ?」

「今回は割りとそうだっただろう。力の未知な白魔が現れた。白魔に敵わないと感じたらどうするか、そのときになれば考えることにしていたように、前例がないなら行き当たりばったりになる他ない」


 ヴィンセントは淀みなく言い、何でもないようにカップを持ち上げる。


「まあ、今の話題に関しては君を切り捨てれば先の厄介のもしもの可能性が避けられると言いたいのだろうが、俺はそうしようとは思わない。以上だ」


 簡潔な答え方に今日の養父を想起して、セナは少し縮こまった。


「どうした?」

「……いえ」


 ヴィンセントは首を傾げたが、セナは首を振って何でもないと示した。


「後は、召喚獣だったものについてではなく、君自身のことについてだな」

「……ヴィンセントさんは、信じてますか」

「君が天使であると示されたことをか」

「そう、です」

「俺は、天使の剣を使ったからにはその方がしっくりくる。信じる余地があると思っている。君自身は戸惑っているな」


 戸惑っている。戸惑わずにはいられない。

 セナは、カップを握るように包み込む手に力を入れた。

 視線は自然とカップの中のミルクを見つめる方に下がった。


「わたしは、自分が人間だと信じて疑いませんでした」


 信じて疑わなかった?

 いや、違う。


「信じる以前の問題で、当然のことだと思っていたんだと思います。──でも、今日、わたしは、わたしが人間ではないと言われたようなものです」


 ヴィンセントは黙って聞いている。

 セナの口からは、頭の中でぐるぐると回り続けるただの渦でしなかった感覚が、次々と言葉になっていく。


「召喚獣のことだけじゃなく、わたし自身が何だか分からないものです。人間なのか、天使、なのか。そんなことがあり得るのか。そんな不確かで」


 自分の身が、正体が、今、不確かすぎて。

 自分が一番よく分かっていなくて。


「──自分で得体が知れないとさえ思います。なのに、どうして、そうやって自然に受け入れられてしまうんですか」


 しっくり来るとさえ言い、態度は一つも変わらないことに、セナは「なぜ」と思ってしまう。

 ほっとすることであるはずなのに。なぜか、恐れがある。

 自分が訳が分からず、頭の中が混乱一色なのに、周りが平然とするのが怖いのかもしれない。

 まだ自分は追い付けていない、まだ受け入れられていない。なのになぜ、と。

 置いていかれるはずもないのに、置いていかれそうな不安感がある。

 セナの声が消えると、室内はあっという間に静寂が満ちた。

 ──ヴィンセントに、言わなくていいことを言った気がした。訳が分からないまま、訳の分からないことを言ったかもしれない──


「得体が知れない?」


 白い水面が揺れたのは、セナの手が揺れたからだ。


「それならば破魔も大概だ」


 弾かれたように顔を上げると、ヴィンセントの左右色違いの目は変わらずセナに向けられていた。


「……ああ、なるほどな」


 そのままヴィンセントが染々と、何事か呟いた。


「セナ、それに関しては君が戸惑うことではない」


 なぜなら、とヴィンセントは言う。

 心なしか、彼の表情が柔らかくなる。


「不確かな性質を持つ俺を先に受け入れたのは君だ、セナ。俺が反対にそうすることに、何がおかしなことがある?」


 ヴィンセントは首を傾げた。

 セナは一気に虚を突かれた気分になった。

 ヴィンセントの破魔のことを例に挙げられた。けれど事は異なるように思えた。

 思えた、が。


「何が判明したからと言って、君がこれまで何かを偽っていたわけではない。理由も分からないままで俺も正直全く話についていけていないが、おそらく元々ありながら君が知らなかったことが明らかになっただけであり、君自身が変化するわけでもないだろう。──そうだろう?」


 君は何か隠していた正体とやらでも現して、性格が激変したりするのかと、ごく真面目な顔で尋ねられた。


「そういう予定は、ありません」

「そうだろう。それなら少なくとも俺が君を解雇する理由はない」


 再度否定したところで、ヴィンセントは文句はあるだろうかとでも問いたげにセナを見た。

 そして、セナが何も言えないでいると、頷く。


「とにかく今日は何も考えずに、寝るといい。考えても今答えを君は持っていないから、答えは出ない」


 なぜミルクを出されたのか、遅すぎにも分かった。









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