20 疑問
ガル視点。
先に行ったベアドルゥスが襲いかかったことが共有視界で分かったが、避けられたとも分かった。
セナの前に立っていた白魔が消えた。セナごとだ。
しかしあの養女も、獣の姿でなくなったものと普通に言葉を交わしていた様子なのはどうしたことか。
聖なる獣は聖なる獣だ。いくら今擬態した姿だとはいえ、あのような姿は持たない。獣でなくなった時点でおかしい──とは教えた記憶がないので、まさかああいった姿になることもあるのだと思っているのか。
雪の中を走るガルは、立つ人影を見つけた。
「ヴィンセント、無事でしたか」
ヴィンセント・ブラットを見つけた。
前方を見ていたヴィンセントが、声をかけられて初めて気がついたように振り返る。
「ああいえ生存しているという意味での無事です」
中々の怪我具合が見てとれたので、ガルは付け加えた。
ヴィンセントは無意識に押さえていたらしい腹部の辺りを見下ろし、「そういう意味なら完全に無事です」と言ったが。
「ただ、全く状況が読めていませんが」
「どれに対して言っていますか」
「──天使の剣が使われた、それを使ったのがセナに見えた、で、今この状況だろ」
「ライナス」
雪の中から、ライナス・メリアーズが姿を現した。こちらの怪我はヴィンセントより酷い。血で雪をところどころ赤に染めながら、雪を蹴散らす足取りでやって来る。
いつになく険しい表情をしている。
彼が口にした天使の剣の使用、セナが使ったように見えた、そして今の状況とは、どうやら全てのようだ。
「君達が対処してくれていた白魔は消えたようです」
「そのようですね。ですがエベアータ元帥──あれは排除するべきですか?」
ヴィンセントは、吹雪で視界が芳しくない先を目で示した。
「別の白魔が現れました」
「その現れ方なのですが」
「見ましたか」
「見て欲しくなかったような言い方ですが、見ました」
セナの聖獣が変化したと、ヴィンセント・ブラットは言った。
ライナスも同じくのようだとは、表情で分かった。
対して、ガルは内心息をついた。
「見る限りでは氷雪の白魔ですね」
吹雪いていた景色がふっと緩んだ。
あまりに突然だったため、雪が止まったようだった。
雪がちらつく先に、姿が明らかになる。
白魔らしき姿だ。それも、その白魔はセナを抱えている。
セナは非常に戸惑った顔をして、白魔に何事か言っている。白魔に。
──一抹の考えが過った。
まさか、養女は自らの召喚獣の正体を知っていたのか、と。
『おいガル』
唸り声は、契約獣の声だ。
ガルがわずかに逸れかけていた意識を戻すと、一旦戻ってきたベアドルゥスがいた。
聖獣は、殺意に満ちた目を前に向けている。
「……なぜセナの召喚獣が白魔だったのか、なぜ白魔が召喚獣をしていたのか。知るには問うしかないでしょう」
分かりようがないのだから。
そして養女が知っていたか知らなかったかは今この瞬間には分からなくともいい。後回しだ。やることは変わらない。
「ヴィンセント・ブラット。ライナス・メリアーズ」
前を見据えると、白魔に抱えられた養女と目があった。
一方、近くから二つの視線が向けられたことが分かった。
「口止めを要求します」
「口止め?」
「何のですか」
ライナスとヴィンセントがそれぞれ問いかけた。
「この場でセナに見たこと関して全てです」
ガルは、迷いなく言い切る。
この場で急に起こったことに対して、重要なことは二つ。
セナが天使の剣を使ったことと、セナの召喚獣が聖獣ではなかったことだ。
「これから証拠隠滅を図ります」
天使の剣の方は、黙っていれば問題ない。
「もう一体の白魔の討伐を行います」
最初の白魔をなぜ葬ったのかは気になるが、あれも白魔だ。そして時間との勝負だ。
ガルの思考は、ただ一つの答えを主張していた。
セナの召喚獣が白魔であったという事実を消さなければならない。
家のためか、自分のためか。否。召喚獣が白魔であったという前代未聞の現象を本部に知られ、一番困った事態になるのはセナである。
このような状況でも簡単に予想できることだった。前代未聞であれ、正体が白魔だったなら問題視されないはずがない。
「討伐なら俺も仕事なのでやりますが」
「それには同感だ。標的がさっきの奴から変わるだけだ」
疑問点はあるが、白魔であるならやることは決まっている。ヴィンセントとライナスが同意を表した。
「ベアドルゥス」
『いつでもいける』
それならば始めよう。
ガルは進み出ながら、早口で聖剣解放の文言を唱える。
完全に力が解き放たれた聖剣から、光が溢れ、そして刃に詰め込まれる。
「止めておけ、人間」
セナを抱える白い髪の白魔が、銀色の目でこちらを捉える。
「借り物の力を振りかざし、聖獣を従えても、お前たちが対抗できるのは精々二流の悪魔までだ」
「『やってみなければ分からない』という言葉があります」
剣を意識し少し振れば、風圧で雪が舞い荒れ、先の地面が少し切れた。亀裂から、緑が芽吹く。
セナの口が、「お父さん?」と動く。
「お前、人か?」
ガルの持つ剣を眺め、白魔が短く問うてきた。
なるほど。白魔でも違いが分かるらしい。
「人ではあります。ただ、事情が上手く噛み合って聖剣の力を他人より容易に多く引き出しやすいだけです」
こういう風に。
「まず、セナを離してもらいましょうか」
素早く剣を振り空を斬れば、斬撃が地面に亀裂を入れ、雪を斬り、一瞬で白魔に到達する。
だが白い斬撃が消滅した後には一歩も動かぬ白魔がいるばかりだった。
予想はしていた。だからこそセナを抱えたままの白魔に攻撃を放った。
白魔が腕を動かすと、目を瞑っているセナが見えるようになる。
まるでセナを庇っていたような動作に違和感を覚える。
「なぜ私を排除しようとする。セナから離そうとする。理由を言ってみろ」
「白魔である。その一点が全てですが」
白魔に抱えられるセナが「……白魔?」と呟く声が微かにした。
「私がセナに危害を加えることはあり得ない。セナが望むのなら、魔獣も他の悪魔も葬ろう。それでもか?」
ガルは眉を寄せる。
不可解なことを言う。
違和感は白魔が口にする「セナ」にあるのだ。セナを中心に据えた言い方だ。
白魔が。
白魔が、なのだ。やはり全ての疑問はそこに帰結する。
「……私が見たものが正しければ、セナの召喚獣が変化し君になった」
「そうだ」
「なぜ白魔が召喚獣になっていたのですか」
「答える義理はない」
「それなら結構。することは変わりません」
「私をセナから離すか」
言葉が交わせるのなら、不可解な部分を知りたいと思ったが、まともに返されないと分かればそんな考えは切り捨てる。
返答はもはやするだけ無駄だと判断した。
白魔を見れば、自然と養女が目に入る。一刻も早く離さなければならない。
「よかろう。お前たちが、私がセナの側にいることを阻むと言うのなら」
また、セナ。
なぜ白魔がセナに拘るのか。
「──今ここで、全てを凍らせ、葬ろう」
底冷えする眼差しを宿す目に、銀色の光が過った。
空気が冷え、剣が悲鳴をあげた。
見れば刃が凍っている。
氷は、ただの氷にあらず。相手は白魔だ。
特に、対極の存在の影響下にある聖剣には悪影響であり、過去、悪魔によって折られた聖剣さえある。
「イルティナ」
氷がひび割れ、砕け散る。
「ほう。あくまで方針は変えんか」
白魔が首を傾げる。
視線が、ガルと、そしてその後ろに及ぶ。「面倒だな」と言った。
ほぼ同時に、ガルの横にヴィンセントとライナスが並んだ。ヴィンセントの足元の氷が消え、ライナスの手にする聖剣は制限が解放されている。
「人間と獣が、先程の白魔に手傷を負わせたからといって、手勢を増やせば私に敵うと思っているのか。──白魔の中にも力量の差くらいある。聖獣なら知っているだろう」
『だから何だ。抵抗しない理由にはならない。大体決めつけられるのは腹が立つ』
銀色の目がちらりと見やった先にはベアドルゥスがいた。
『セナを離せ』
聖獣がその様相を変えていく。
大きく、大きく、纏う力の大きさと質も変化していく。荒々しい力だ。
『俺達はもうあのときのことを繰り返さない。地上が滅んだとしてもな』
「なるほど。天使が作った箱庭を顧みない獣になり果てるか。それもいいだろう。だが結果は変わらない。獣は私に敵わない」
『慢心しておけばいい』
獣の前肢が一歩前に。地面がひび割れる。体重がかかったためではない。
『俺達の鎖を握っていたのは天使だ。鎖はもうない。あのとき俺達の鎖はまだ存在していた。人間世界を顧みなければ、俺達は全力で戦える。戦いを好まない天使が俺達に授けた力がどれほどか知ればいい』
「……知っている。当然だろう」
白魔が眉を潜めた。
「そもそも今どれだけほざいたところで事実は変わらない。二千年前、天使を守れなかった獣がふざけたことを言う」
『何だと』
「事実だ。──お前たち獣は天使を守れなかっただろう」
声に苛立ちを感じた。初めて感じた『感情』だったろう。何に苛立つ。
このタイミングにまたも新たな違和感を覚える。
『だから今、守るんだろうよ!!』
ベアドルゥスが吠える。白魔の苛立ちをかき消すがごとき激しいものだった。
おそらく天界での本来の姿を解放しつつもる獣が、同時に解放しつつある力の圧力で地面が鳴る。
契約印がじりじりとひりつくことを感じながら、ガルは異なることを考えていた。
ベアドルゥスは感情的になっている。白魔を前に理性は削れる一方の中での言葉は、本能によるものだろう。
だから今守るのだという言葉は、昔があったことを表す。今の状況で重ねられているということは、つまり聖獣は『そう』感じているのか。
セナが、今度こそ守るべきものであると。
養女、白魔──不可解、疑問は増え続け、たった一つも解消されていなかった。