12 分からない
「精霊とはあのようなものなんだな」
精霊が消えて、普通に歩きはじめていたヴィンセントが呟いた。
ヴィンセントは、聖獣に避けられるため、精霊にも避けられると思っていた。彼に当然だと思われていたことが、いい形で否定されたことが、セナには何だか嬉しかった。
「だが、天使の剣について気になる言い方をしていたな」
「……そうですね」
「天の剣を使えるのは天使だけ。それは、俺達も知っていることだった。……しかしそうだったな。揺るぎようのない事実なんだ」
精霊は言った。
──「あのね、セナ。天の剣の力を使えるのは、天使だけなんだ」
なぜ人間が天使の剣を扱えるのか、という考え方ではなく、そもそもその剣を扱えるからには天使であるのが当然という考え方に聞こえた。
「加護がなかったはずの俺に、加護がある……か」
『彼女』は『何者』なのか。精霊は、実際に会ってどのような答えを出すのだろう。
会議室に戻ってしばらくすると、『セナ、ちょっと来てくれ』と声をかけられた。
例によって、音もなく現れたベアドである。
ヴィンセントを見ると、頷きが返されたので、会議室を出た。
案内に従い行った先は、ガルの執務室となっている部屋だった。
中には、ガルと、ノエルとエデがいた。
「ぉ」
入った瞬間、エデに抱きつかれる。
おっとっとっと数歩後退すると、さっと後ろに回ったベアドにもふっとぶつかった。
『エデ、そろそろ力加減考えろよー』
「なによ! ベアドなんて抜け駆けしてセナに会ってたくせに!」
『何つー怒り方だよ。俺はガルが来るからここに来たんだって。文句ならガルに言えよ』
ベアドとエデが会話しているところを見るのも久しぶりの気がする。
「セナ、笑ってる」
こちらを見上げてエデに言われて、笑っていると自覚した。
「エデがいるなぁと思って」
「嬉しい?」
「嬉しいよ」
久しぶりだね、エデは相変わらず可愛いねと抑えようともせず微笑むと、エデは「えへへ」と釣られたように笑って……顔を曇らせた。
「エデ? どうしたの?」
どうしてそんな顔するの?
また何か、逆効果なことを言ってしまっただろうか。
「ここ、楽しそうな場所じゃないから」
嫌な力を感じるし、花も咲いてない。楽しい空気が全然ない。エデが次々とそんなことを挙げていく。
「おまけに、白魔が来るって」
「エデ」
その精霊が、震えていることに気がついた。
「エデ、こわい、の?」
「……怖くないわ。怖くないもの……」
怖くないと言う精霊が恐怖を覚えているのは明らかだった。
どうすればいいのか分からないでいると、ノエルがやって来て、エデを撫でる。
「セナ」
ノエルが、セナを見上げる。
「ノアエデンに帰る気はない?」
「え……」
いきなりすぎる問いだ。
「ここは危険だ。セナが決めた道には極力反対しないようにと僕は思っていたけど、聖獣にも厳しい危機が出てくるのは話が別だ」
ああ、身を案じてくれているのか。
エデも帰ろうと言わんばかりに顔を押し付けてくるのを感じた。
けれど、セナは首を横に振る。
「わたしはノアエデンには帰らない」
それに関しては迷うべくもなかった。
ヴィンセントに、白魔対処に出ていくときになっても従者を辞めないのかという問いにああして答えたのだ。
「セナ。セナがガルとどういうやり取りをして、道を選んで、どう考えているかは分からないけど。どんな内容であれ、逃げてもいいんだよ」
「うん、ちょっと前なら、さすがに死ぬ確率が高すぎる状況に突っ込んでいくとなったら、話が違うってなってたかもしれない」
パラディンクラスが契約している聖獣でも敵わない相手だ。将来安泰にたどり着く前に死ぬではないか。
「でも、今、わたしはわたしの意思でここに留まることができる」
たぶん、今、恐怖以外にある感情がある。
不安だ。白魔への直接の感情は恐怖に分類される。では何が不安か。
かつて、ルースという少年が魔獣に襲われた。セナも共に襲われた。死ぬかと思った。何もできなかった。
この仕事に就いてから、そこまで長い時は経っていないけれど、気にかけてくれた存在がいる。
そしてその人たちは、これから前線に立つ。
怪我をすることが想像できない人が、どんな怪我をするか分からない。自分の周りの人が、死ぬかもしれない。
それは、ガルであり、ベアドであり、ヴィンセントであり、ライナスだ。
セナに与えられ、偶然にも得た環境上、時間を共にし人柄を知るようになった人達は最もな危機に前線に立つ人達だった。
酷い状況に陥ったとき、パラディンでもないセナが何かできるとは思えない。
それでも、命じられない限りは自分だけ安全地に下がることはしたくないと思った。
ちょっと前は、怖い怖いと思うばかりだったのに、いつの瞬間にこんな考えが芽生えたのか。
その考え自体、今気がついた。
怖いなとはまだ思っているのに、これこそ矛盾だ。頭が筋肉にでもなってきただろうか。
「そう、分かった。……無事を祈っているよ、セナ」
ノエルがエデを連れ、精霊特有の入り口を開いて、ノアエデンに帰っていった。
用件は済んでいたようだ。
「今の精霊の状態が作られたのは、二千年前の出来事の際です。ノエルやエデは精霊の中で力のある精霊ですが、そのような精霊も少なくない数が死んだと言います」
二千年前の出来事とは、白魔が天使を殺し、人間世界にも影響が及んだことだ。
エデがああなるのも無理はないのだと、ガルは言った。
「……セナ、君は強くなりましたね」
「え? 何、急に」
「魔獣の前で何も出来なかった子どもが、白魔を前にすることに退こうとしないとはと思ったのですよ」
自分でもよく分からないんだけどね。
『もしかして、白魔討伐、セナも行くのか?』
今度は雪豹である。
精霊とのやり取りと、ガルとのやり取りでもしかしてと思ったのか。
「ヴィンセントさんの従者だからね」
『えぇ……ガル、お前これでいいんだな?』
「ええ」
『……それなら、セナも言うなら別に俺も何も言わねえけど』
「ベアドも……お父さんも行くの?」
「私は行きますよ。エドの方は聖獣のみ目として寄越して、本人は来ません。元々私が指揮を任され、エドは武器があると言い出して持ってきただけですから」
武器、の言葉に思い出した。
ノエルが、どうしてこの地に来たのか。精霊王のお使いの内容を。
「お父さん」
「何ですか?」
「ノエルとエデは、天使の剣を使った人に会ったの?」
「ノエルは」
それで、精霊は何か反応をしたのか。
「『人間だと思う』と言っていました。天使の剣を扱えるとは思えない、扱えたなら分からない、と」
「分からない」
「ええ。ベアドもでしたから、聖獣も精霊も『分からない』です。そしてもしもノエルが天使の剣の使用時に会っていたなら、おそらくベアドと同じく人間だとも何だとも断言しないのでしょう」
ギンジも分からないと言っていた……。
机についているガルは、何か考える仕草と目をしたが、「さて」と立ち上がる。
「元々精霊が来ようと、これから会議でした」
「何の……?」
「白魔討伐作戦のですよ。戦力を整え、砦を発ちます」
「お父さん」
何ですか?と、セナの横を通り過ぎかけていた養父がセナを見る。
「天使の剣の件、どうするつもりなの?」
養父は賛成を示していなかった。
「本部から要請が来ています。天使の剣の使用を認め、白魔討伐のために最善を尽くすように、と。今日、今から正式に決定しますよ」
白魔討伐のために未確定だった全てが。
その日、白魔討伐のために天使の剣の使用が正式に決まり、同じく白魔討伐のための特別隊の出立の日が決まった。