7 天使の剣
入ってきた男性に対し、ライナスが「……親父」と言った。
親父とは、つまり、この人がついさっきもう着いていてもおかしくないと言われていたライナスの父親か。
「エド、着いていましたか」
エド・メリアーズは、ガルの横の空席にどっかり座った。
並べば、服装がガルとほぼ同じだと分かる。そして何より特別な記章が全く同じだ。
「本部より、君が言っていた『武器』を承認したと連絡がありました。白魔と対等でいられるものを用意する、とはその『武器』のことでしょうか」
「そうだ」
「その武器の詳細を聞かせてもらえますね?」
「詳細も何も、教会の者なら誰でも知っているものだ」
エド・メリアーズが指を鳴らす。
すると、どこからともなく聖獣が現れ、その聖獣は何かを咥えていた。
形状は、剣か。
「『天使の剣』だ」
天使の剣の存在は、セナも知識では知っていた。
聖剣のようで、天使のためにある剣なので人間には扱えない。しかし人間界に落ちてきた一本が存在し、教会が管理している、と。
あれが天使の剣?
言われて拍子抜けした。石のように色褪せ、切れるとも思えない刃をした、冴えない剣だったのだ。
ポケットが動いたのでポケットを見下ろすと、ギンジが目だけ覗かせて剣を見つめている。
「確かに白魔に対等に対抗できる武器として思い浮かぶものは『それ』ですが、持ってきてどうしようと言うのですか。既知を承知で言いますが、『それ』は人間には扱えません。聖獣は触れはしますが、やはり扱えません」
聖獣が咥える剣を見て、ガルがエド・メリアーズに問う。
「扱える人間がいる」
にこやかさは崩れないガルが、眉を動かした。
「まさか」
「事実だ。おい、入らせろ」
今度の合図は扉の方に向かって。
扉の近くに控えていた者が扉を開くと、入ってきたのは三人。
男性が二人。もう一人、中央の位置にいたのが一人の少女だった。
セナより年下か、という年頃の少女だ。つまり、教会ではまず見かけない年頃になる。
一歩、一歩と歩く靴から、上着までセナたちが身につける制服と同じもので、歩く度に柔らかそうな髪の毛先が肩上でふわりと揺れる。
一見するだけでは、普通の少女である。
ポケットの中が動いたため、少女を見ていたセナが見下ろすと、ポケットから頭だけ出している猫が少女の方を見ていた。しかし興味を失ったのか、すぐにポケットの中に引っ込んだ。
「彼女が?」
少女が立ち止まった頃、ガルがまた問う。
「疑うのも無理はない」
エド・メリアーズが暗に肯定する。
「信じられていないのは、メリアーズ元帥、あなたが連れて来られた人以外の人間全てかと思います」
初めてガル以外で口を挟む者があった。オルガ・イエルカだ。
彼女は少女をうろんな目で見ている。少女は真っ直ぐ前を見たまま、微動だにしない。
「つきましては証拠を見せて頂きたいとは思いますけれど……残念なことに目ぼしい悪魔は今出ていません。魔物さえも。魔獣はいますが」
まるでリアルタイムでいるという口調で、セナは内心首を捻る。単なる言い方だろうか。報告が来ていたことと、自らが出ていたときの情報による言葉か。
「聖獣を通して砦の周辺を見ているんだ」
小さな囁き声が、セナの考えを否定する。
ヴィンセントだ。ちらりとこちらを見た彼が、「どうして分かったのかという顔をしていたからな」と、それだけ言って目を前に戻した。
聖獣を通して砦の周辺を見る……?
「魔獣などに使うのはもったいない。扱えると言えど、簡単に扱えるものではないのでな。次悪魔が出たときにでも事実が見せられるだろう」
天使の剣は扱える。これは、エド・メリアーズの中では絶対的に揺るがないことのようだった。
「本番は白魔に対してだろうが」
「白魔に対抗出来るという確信があるようですね」
「当たり前だ。『天使の剣』だぞ? これに勝る武器などあるまい」
エド・メリアーズは笑った。
その瞬間、何だか、顔立ちは似ているが、雰囲気があまりライナスに似ていないなと思った。
「それで、炎火の白魔の行方は?」
エド・メリアーズが軽く問うた。
会議は三十分ほどで終わった。
終わってみると、奇妙な会議だった。
突然乱入に近い形で現れた、もう一人の元帥と、彼がもたらした武器の存在と、その武器を扱える人間の存在。
おそらく、その武器が扱える証が目の前に示されず、機会があるときに持ち越されることになったので、空気感の違いがすごいのだ。
一方は、天使の剣とそれを扱える人間の存在をもたらしたエド・メリアーズの自信満々な様子。
もう一方は、それ以外の、まさか容易には信じられないという様子だ。
セナももちろん大多数と同じく、後者だ。
この世界経験が浅いとはいえ、入れた知識、常識がある。
その常識では、天使の剣は人間には扱えない。人間に与えられた武器は聖剣で、あとは聖獣が力を貸してくれている。天使の剣は落ちてきただけで、人間に与えられたものではない。
「『天使の剣』ってあんな剣なんですね。聖剣と同じで、使う人が使えば変化するんでしょうか」
「その可能性が高いだろうな。俺も初めて見たが、少し意外だった」
ヴィンセントでも、天使の剣と言うのなら多少はもっと特別な見た目を想像していたらしい。
「でも、人間に扱えないはずの剣を、どうしてあの人は扱えるんでしょう……?」
会議室には、あの少女の姿はもうなく、エド・メリアーズの姿もない。ガルはエド・メリアーズと出ていったことから、三十分前の光景に逆戻りしていた。
「それは全員の疑問でもある。だが、まずは扱えることが真に分かってからだ」
信じてはいない。信じ難い。ヴィンセントも例外ではない様子だ。
『俺も本当だとしたら知りたいな』
「ベアド」
にゅっと、床から生えてきたがごとく、ベアドが現れた。
『よ』
「お父さんのところにいたんじゃないの?」
今回は。
するとベアドは、『それがなぁ』とため息でもつきそうな口調で明かす。
『ガルが話してる間、相手の人間と契約してる聖獣に話聞こうと思ったんだけどな、出てきもしなかった。いけすかない奴だ』
腹いせに出てきたのかもしれない。
聖獣にも仲悪いとかあるんだなぁ、とセナには新たな発見である。
「ベアドもあの剣使えるって信じられないの?」
『それはそうだ。人間よりも信じられないと思うぞ』
「そっか」
天使の側にいた獣だからこそ、か。
『扱えるとは思えないんだけどなぁ』
呟く聖獣は、完全にここにいるつもりのようだ。流れるような動作で横たわった。
セナはそんな足元のもふもふを見て、ポケットの中で微動だにしない聖獣を感じて、辺りを見渡してにわかにしゃがみこむ。
「ねぇ、ベアド」
『ん?』
「全然違うこと聞くんだけど」
『うん』
「聖獣を通して、ここじゃない場所を見るってどういうことなの」
こそこそと、セナはベアドに尋ねた。
さっきの会議中、さらっとヴィンセントが言ったことが気になっていた。
聖獣を通して砦の周辺を見ている、とは。
ヴィンセントにそれはどういうことかと聞くのは、無知を晒すようで気が引けた。
『そのままの意味だ。例えば今、俺はセナを見てる。その光景を、ガルと共有することが出来る』
「ベアドが見てる光景を、お父さんが見られる」
『そうだ』
何だその機能は。
『ほら、そこの人間だって今たぶんそうしてるぞ』
視線で示されて、見上げた先は、椅子に座るライナスだ。
彼は、会議が終わってから一言も発さず、前方を見つめている。
けれど、セナの視線に気がついたように、その目が動き、自らに視線を注いでいる者を見つけてみせた。
「どうかしたか、セナ」
「い、いえ、何でもないです」
こっそり見るつもりはなかったけど、結果的にこっそり見ていたセナは、ばれた気分になって慌てて首を振った。
「何でもないってことはないだろ」
ライナスはと言えば、唇の端を吊り上げ、笑う。
それならばと、セナは無難な聞き方を探してみる。
「ライナスさん、もしかして今、外を見ているんですか?」
「ああ。──セナもしたいのか」
おっと。そういうわけではなかったけれど、その技能がないとは見抜かれた。
「まあパラディンになるってなら、召喚士なら出来ておくといいよな。って言っても、出来るか出来ないかは召喚したときにほぼ決まってるようなもんだけどな」
「え、そうなんですか」
「そう不安がるな。ある程度聖獣との関係が良いもので、聖獣が相応の力を持っていれば出来る。俺はセナの聖獣の戦ってるところは見たことねえけど……ヴィンセントは知ってるだろ」
ライナスが、ヴィンセントに話を振った。
「強い部類だとは思うが。それに、関係と言うなら十分ではないか? セナの聖獣は彼女の身の安全に注意しているような言を聞いたことがある」
「へえ。そりゃあ上々じゃねえか。良かったな、セナ」
わーいやったー。
「一回やってみろよ」
「えぇ今ですか」
ほらほらとライナスが促すので、セナはとりあえずポケットの中の様子を窺ってみる。
「……寝てます」
「聖獣、そんなところに入ってんのかよ」
ライナスが見たのは意外と初めてだったようだ。
椅子の背に腕をかけ、セナのポケットの中を覗き込んで、小っさ、と言っている。
「その内試してみます」
緊急事態ではないのに起こすのは申し訳ない。
「それよりライナス」
呼びかけに、ライナスが斜め後ろを向いていた顔を真横に向ける。声をかけたヴィンセントの方だ。
「何だ」
と問いながらも、ライナスはこれから言われることが分かっているような雰囲気だとセナは思った。
未だにしゃがみこんだまま二人を見上げ続ける先で、ヴィンセントが、会議が終わってから一言も発することはなかったライナスに問いかける。
「君はあの少女が天使の剣を使えると信じているか?」
普通にしか見えなかった少女を連れてきたエド・メリアーズの息子に。
メリアーズ家の者たるライナスは、一呼吸分の間が挟まったあと、
「さあな」
と、彼には珍しく、全てをはぐらかす言葉で答えた。
これまた彼には珍しく、顔を逸らして。