1 異常事態
パラディン、ライナス・メリアーズは帰還した。
ただし、本人含め誰もの予想からかけ離れた状態の帰還となった。
重傷も重傷。酷い火傷、骨折、何より酷かったのは、片腕が失われていたことだ。
セナも当然、ライナスのそんな帰還は予想していなかった。
彼なら、多少怪我をしてぼろぼろになっても笑っていそうな気がしていた。戦闘時にも笑っていられるほどだと聞いていたし、軽く出ていったから。
格好だけは戦闘の名残が見えても、顔はあの弾ける笑い方をしているのが想像できた。
だけれど、出発時とライナスの状態が異なり過ぎて、セナは呆然とした。訪れた現実はかけ離れすぎていた。
「悪魔が現れました」
その声にセナははっとした。
場所は会議室だ。
定時の報告の中に割り込んだ報告に、机を囲み、地図を見ていた面々は顔を上げた。
「またか」
誰かが言った。
まただ。セナが初めて悪魔に遭遇した日を受けてのまたか、ではない。
「これはもう異常現象だな」
ヴィンセントも言い、最近は常に腰に帯びている剣を確かめるように触れ、セナに視線を向けた。
悪魔狩りが向かうだろうが、念のためヴィンセントも向かう。ライナスの件があり、万が一、ということがある。
ゆえに、従者であるセナも出るため、ポケットの中の猫を確認した。
ライナスが北の砦に戻ってきて、七日が経っていた。
それ以降で、すでに悪魔の出現が二度確認されている。
魔獣、魔物ではない。悪魔が、だ。
悪魔が出てもおかしくはない土地でありながら、下位とはいえこんなにも短い期間に現れるのは、ヴィンセントの言う通りもはや『異常現象』だった。
悪魔が出ると、少なくとも一人の死者が出る。悪魔は、必ずしも悪魔狩りが巡回している地点に出てはくれないからだ。
悪魔の対処は終え、セナはヴィンセントについて、地下にきていた。
地下には遺体が横たわっている。彼らはこれから、家族がいれば家族の元に返される。
ヴィンセントは並べられた遺体に一礼し、踵を返した。セナも、同じようにして地下を後にした。
死者が出る。そういう場所に自分はいる。
もう痛みもなくなったはずの腕が痛む錯覚を覚えた。
「大丈夫か」
声をかけられて、物思いに耽るような感覚から意識が浮上した。そして、痛みのないはずの腕を、錯覚のままに擦っていると気がついた。
顔を上げると、ヴィンセントが斜め後ろのセナを見ていた。その目が気がかりそうに見えるのは気のせいか。
大丈夫か、と聞かれたので気のせいではないのかもしれない。
「大丈夫です。ちょっと忙しすぎて元気が吸いとられてるだけなので」
大丈夫かと言われた正確な理由は分からなかったけれど、疲れでも出してしまっていたのかもしれない。
実際、疲労を感じていた。肉体的にも、精神的にも少し。
緊張状態が続いているからだ。
魔獣、魔物の退治にも度々出ている。
「肉体改造するまでもない運動量の気がします」
結局早朝素振り計画は実行されていない。そのことを引き出して忙しいの中身に当てると、ヴィンセントは「そうだな」と言った。
左右色違いの目が前を向き、上手く「大丈夫か」への答えを返せたかと思ったら。
ぽん、と肩を軽く叩かれた。
「セナ、君はよくやっている」
「ありがとうございます……」
それ以上は言わず、前を向いて歩いていくヴィンセントに返した声は尻すぼみだった。
見通されている気がした。
短時間に吹雪だった日、「魔獣は怖い。魔物も怖い。悪魔を見て怖いと思った。死にたくない」ことを正直に言った。
死んだ人も初めて見たことも見透かされているようで、その死人が魔獣たちによって出され、よくない状況の中だ。
参ったなぁ、と思う。
気にしてくれることはありがたいけれど、周りの人が疲労を見せていないときには出来れば表さないようにしたいものなのだ。
砦中が緊張に満ちている理由は、いくつかある。
先日の魔獣大量発生と共に悪魔の出現、そして短期間に悪魔が現れる事態、何よりパラディンが大怪我をして戻ってきたという噂が流れてしまっていた。
砦中に噂が流れずとも、セナがいることになる会議室は緊張感で満ちることに変わりなかっただろう。事実を知る者しかいないからだ。
まだ多くには知られていない事実──白魔が現れたかもしれないという非常事態だ。教会本部からは、早急に戦力が投入されることに決まっていた。
すでに異常な現象と言える悪魔の頻出が起こっている。魔物と魔獣の数も馬鹿にならない。魔獣などは、まるで地面から涌き出ているのかと思うほど出てきている。
警戒の人員はこの状況ではいすぎでは困らないが、現状悪魔警戒の人員が明らかに足りていない。
パラディンがあのような状態で戻ってきた敵だ。パラディン以下の者に太刀打ちできるはずがない。
その当のライナスはと言えば──
「セナ」
一人用件を済ませ、会議室に戻ろうとしていたら、声をかけられた。
その声に、セナはすぐに振り向いた。なぜならその声は、
「ライナスさん」
ライナスの声だったからだ。
ライナスの姿を認めたセナは、どうしてここに、医務室にいなければならない絶対安静では、とか言おうとしたが、声は喉の辺りで止まった。
あることに気がついた。
「……腕、ある……」
ライナスは制服の上着を着ておらず、上は白いシャツだったのだが、袖が捲られていて腕が剥き出しだった。
腕は、二本揃っていた。決して、片方の袖が空っぽで揺れているだけだとかそんなことはなく、失われていたはずの右腕がある。
「なんで」
あるのだからそれでいいのに、言わずにはいられなくて、腕を見て、ライナスを見上げて答えを求めた。
ライナスは笑った。声を上げず、火傷の跡が残る顔で唇で弧を描いて笑った。
「幻でも見てるみたいな顔しやがって」
確かに幻でも見ているようだ。
だって、確かに見てしまったのだから。彼の右腕はなかった。
「さわ……触っても大丈夫なやつですか」
「おお、触れ触れ」
ライナスは右腕を差し出す。
言ったものの躊躇しているともう一度促すように腕を揺らしたので、セナはそーっと差し出された腕に触れる。
こちらも火傷だろうと思われる跡が残る腕の肌の感触、温かさ。セナが感じ取れるレベルでは本物だ。
「生えたんですか……?」
「生えてきたわけじゃねえよ」
読んでいたのか、ほぼ同時に否定された。けらけらと笑い声が響く。
笑われたことは気にならなかった。ただ、セナが今知りたかったのは、生えたのでなければこの本物の腕はどうしたのかということだ。
「俺の従者が優秀だったからな。腕拾って持って戻っててな、それをラヴィアがくっつけた」
「聖獣すごい……」
「まあこれは一時…………いや、位の高い聖獣召喚して特異体質になったおまけの特異体質みたいなもんだよな」
聖獣すごい。そんなことも出来るのか。個体差によるのか。
いや、今はそんな細かなことも良かった。
「良かったぁ……」
安堵が胸に広がった。
あの日、ライナスを見たときは死んでしまうのではないかと瞬間的に思った。そして腕の欠損はどうやっても治らないと思っていた。
「あのときはいらねぇもん見せたな」
腕を示された。
そんな言い方しないでほしいと思って、首を横に振った。
「火傷の跡は」
別のことを尋ねた。
腕が治った。他の傷が治っているかどうかは分からない。今見えているのは火傷の跡だ。
「これは消えない。──まあ悪魔に傷つけられたってのは、パラディンとしては癪に障るどころじゃねえが、男の顔と体だ。傷があっても勲章くらいだろ」
「そんな──」
「ライナス様何勝手に出歩いてんですか!!」
前方からとても大きな声が飛んできた。声は怒っていた。
セナはビクッとしたが、ライナスは笑ったまま振り向いた。
「いつ、俺がお前の許可を取らなきゃいけなくなったんだよ」
「あんたのその腕が、一回体と離れてからですよ!!」
ライナスを見つけて、第一印象からは想像がつかないほど叫んだのは、ライナスの従者だった。
ライナスは従者の勢いに仕方なく付き合うように、部屋に戻っていった。