25 帰還
あの日の魔獣の大量発生は収められた。
悪魔は結局あの一体のみだったようだ。
朝早く、セナは目を覚ました。
ベッドから起き上がって、外の薄暗さで起きられた時刻を推し量る。うまく起きられた。
相変わらず自分一人の部屋だけれど、何となく出来るだけ音を立てないように服を着替える。
『……セナ、どこに行く』
「ギンジ、起きたの?」
枕元に丸くなっていた猫が、頭を起こしていた。『どこに行く』と二度目聞かれる。
「ちょっと、素振りに」
『私も行く』
「眠いでしょ? いいよ」
『眠くない』
「ポケット入ってたら揺れるよ?」
『いつも揺れている』
確かに。
じゃあ一緒に行こう、と完全に身を起こした猫を掬い上げた。
「ちょっと寒いね。雪がまだ溶けてないからかな」
『寒いのは嫌いか』
「好きではないかな」
『……』
「でもちょうどいい気候って難しいよね。寒いのと暑いのどっちがいいかって言われたら、寒い方がいいなぁ」
『そうか』
廊下から見る窓の外は、先日降った雪が残る景色だ。
あれから再び晴れ模様が続いているのだが、中々溶けていない。
「……あれ?」
窓の外に知った姿を見つけた。
しっかりと閉じられている窓を手際悪く開け、もうどこかに行きかけている後ろ姿に声をかけた。
「ヴィンセントさんですか?」
暗めな中分かり辛い、紺色の頭が振り向いた。
「セナか」
「おはようございます」
やはりヴィンセントだった。
「こんな早い時間にいつも起きて──まさか、またろくに寝てないんですか」
「今日は目が覚めただけだ。雪が降って気温が逆戻りしたからか」
ヴィンセントは歩いてこちらに来つつ、周りを見ながら言った。
ああ、寒いのは得意ではないといつか聞いたような。
「君の方こそ、この時間にいつも起きているのか?」
「今日からそうしようかと」
「今日から? なぜ?」
「肉体改造の一環と忘れないようにと思いまして、訓練場の一角を借りて素振りをします」
「ああ、肉体改造だと言っていたな」
理由に納得した様子で頷いたヴィンセントが、「相手をしようか」と言い出した。
相手がいるならいる方が、習った剣術の感覚を忘れないで済むだろうけれど。
「いいんですか?」
「君の腕の調子がもういいのなら」
ヴィンセントはあっさり頷いた。
訓練用に自由に使用してもいい模造剣も真剣も、訓練場に併設されている倉庫にある。
セナもヴィンセントも倉庫から模造剣を持ち出した。
で、相手をしてもらうことを軽く受け取って、相手をしてもらったのだが。
強いな!!
当たり前だけど!!
別に忘れていたわけではない。ただ、自分が相手にしたときのことを考えたことがなかったからか、忘れていたような衝撃を受けただけで。
セナが息を切らす一方、ヴィンセントはいたって涼しい顔をしていた。
「誰に教わったんだ」
「父です」
「流石だな」
ガルの腕を知っているのかどうなのか、そんな感想を述べた。
「聖剣の試しは受けたのか?」
「いいえ。父がまずは聖獣を喚び出して、両方運用する余裕があるか様子を見ようと言ったので、召喚だけしました」
「なるほど。……ところで、腕は痛まないか」
「はい。もう大丈夫みたいです」
酷く腫れて、痛みも伴っていたけれど、大丈夫になったようだったので素振りに乗り出したのである。
一汗かいて、そろそろ戻ることになった。
ノアエデンにいた頃は、ガルに内緒でこっそり打撲などを治してくれようとした精霊がいた。
この土地にも、精霊は眠っているのだろうか。
何となく窓の外を見ていたら、ヴィンセントも見ていることに気がついた。
何を見ているのかなと思ったら、夜番をしていた隊らしき集団が見えた。
「魔獣の数、収まって良かったですね」
「そうだな」
元々魔獣が出現するときというのは、規則は見られず、まばらだ。
それが一気に増えるのは要因があり、大抵魔物や悪魔がいる証拠であると言う。
だから、先日はヒエラルキーで一番上に位置する悪魔を退治したから、異常現象とさえ言える魔獣が落ち着いたのだろう。
「だが先日の悪魔が、ライナスが出動に当たった問題の悪魔とは別の悪魔として、悪魔が同時期に出現したと考えるなら思わしくないな」
悪魔退治に向かったライナスと、それから日数は経ったが、悪魔が現れたこの砦。
「それも、ライナスが対処に向かった悪魔も相当上位だと考えられるが、こちらに現れたあれも下位ではなかった。中位か、もしかすると上位に足を突っ込んでいるくらいの悪魔だった」
「そ、そうだったんですか」
「ああ。……今は収まっているが、魔界で何か起こっているのか……」
どうやら、ヴィンセントが見ていたのはここから見える隊ではなかったらしい。
魔界の出入口があるのは、砦の向こう。
人は誰も寄り付かない。
ライナスが向かったのは、砦の見回りの管轄ではない区域にある、辺境の地だ。
「じゃあ、また後で」
「はい」
仕事のときに。
思案している様子のヴィンセントは、私室に当たる方の部屋に戻るのだろうか。執務室にでも行きそうな顔だった……。
「──いいから離せ!」
いきなり聞こえた声の大きさと、その声の雰囲気に驚き、体が派手に跳ねた。
何事だと思うと同時に、この声──と、声が聞こえたと思う方を見た。
「さっきまで気を失っていた人がよく言いますよ!」
「お前が薬打ったんだろ!」
「打たれるくらい弱っていた人が悪いんでしょうが! あんた、自分がどれだけ重傷でまだ戦おうとしていたか分かっていますか!?」
「まだ戦えるなら重傷じゃねえ!」
「骨がどれだけヒビだか折れているだか分からなくて、普通ではない火傷をしまくって、──腕一本取られているのは重傷じゃないんですか!!」
会話の内容は勢いがすごすぎて、ろくに頭に入ってきていなかった。
しかしながら、物騒な雰囲気をひしひしと感じて、セナは恐る恐る廊下の角の先を覗くように曲がったところだった。
「ライナスさん……?」
二つの姿が見えて、そのうちの一つに呼びかけた。
その瞬間、言い合いが止み、彼が振り向いた。
「……よお、セナ」
やはりライナスだった。
セナはまた少し驚いた。ライナスの髪は乱れ、顔に汚れが見え、服にも破損が見られて、出発時からの想像からはかけ離れた姿だったからだろう。
「ライナスさん、大丈夫ですか?」
思わず心配になり近づいたのだが、ライナスが「ああ大丈夫だ」と下がるように、体の向きを変えたので違和感を覚える。
「ライナスさん……?」
「何でもねぇよ」
避けようとしている。
その様子がライナスには似つかわしくなく、違和感は確固たるものになり、違和感という感覚だけでなく証が表れた。
ぽたりと、何かが落ちる音に気がついて、ライナスの服が何かに染められているとも気がついた。
「何か」が何か、まさかという予想が頭を駆け巡った。
「それ、血……?」
予想をまさかという気持ちで口にした。
当たって欲しくなかったまさかは当たった。ライナスの表情が変わったからだ。
「そんな怪我」
「セナ、近づくな──」
ライナスの顔が歪んだ。
体勢が崩れて、ライナスの従者が主人を支えるのに、セナも手を伸ばした。
そして、ライナスが隠そうとしたものが何か分かった。
「ライナス、さん……その、怪我」
セナの言葉に、ライナスは「ああ」と言った。ばれてしまったかという声音だった。そして、同じ表情をして、言った。
「腕、一本取られちまってな」
セナは、手のひらで口を覆った。
彼の片腕がなかった。
「まあ、治る。だからそんな衝撃受けんな」
そんな無茶な。
大体、どうしてそんなに冷静でいられる。
「セナか? ライナスを見なかったか。声が聞こえたような気がして──」
「ヴィンセントさん!」
最初、セナも捉えたライナスの大きな声はヴィンセントにも聞こえていたのだろう。
聞こえたヴィンセントの声に、セナはすがるように振り向いた。
ヴィンセントは初めに一番近いセナを見つけて、それからライナスに目を留めた。
「おう、ヴィンセント」
「ライナス──君」
肝心の怪我の部分は見えていないだろうに、ヴィンセントは一目でライナスの不調に勘づいた。
すぐに近づいてきて、彼もまた片腕がない様を目の当たりにし、青と黒の目を見開く。
「ライナス、一体どうした」
あり得ないものを目にした様子は、セナにもよく分かった。
だって、あんな風に出ていった。あの発ち方は、ライナスの自信過剰ではなく、パラディンという地位に裏打ちされた実力ゆえだ。
「いや、参ったぜ」
「何があった」
「ああ。ヴィンセント、ありゃあ、普通の悪魔じゃあなかった。普通の悪魔が起こせる現象を越えてる」
最高戦力。彼らが敵わない悪魔などいない──はずなのだ。
「白魔っていうのは、ああいう悪魔を言うんじゃねえかな。……ああ、ちょっと悪い。すぐ……起きる」
「ライナスさん!」
──白魔
明日から二章に入ります。
懐かしい人(?)が出てきます。