23 初遭遇
魔獣が同時に複数の地点に現れたばかりか、大量発生した。
明らかな異常事態で、砦からは、本来は非番であった人手もこの事態の早急な収束のために駆り出された。
「報告です!」
会議室は、報告と、それによる現状把握と最も収束の早い対処を講じることに忙しない。
報告が来る度、砦周辺の地図には魔獣の群れを示す駒と、魔物を示す駒が増えていく。
移動したり、減りもする。緊急事態ではあるが、深刻な空気ではなかった。むしろ一番早い対処を考える思考の余裕はあり、このままいけば事態は収束するのだろうと思えた。
こういうことは、初めてではなく、似たような事態は起こったことがあるのかもしれない。迅速な指示の早さゆえに、そう思えるのか。
元よりこの砦は、魔界と繋がる出入口があることから他の要所より戦力が集まっている方だと聞いている。
しかし、気になるところが一つ。
「……一地点から報告が来てませんね」
報告を聞いていたセナは、地図のある一点を見つめていた。
ある地点のみ、報告がなく、地図上で空白で浮いていた。砦付近なら未だしも、周辺に魔獣の駒があるところだ。
「この状況ではそこだけが無問題とは考え難いな。むしろ一番問題がある場所だと考えられる」
ヴィンセントは、地図と飛ぶ指示を端から静観している。
砦の指揮は、砦の責任者が行う。これは、パラディンであるヴィンセントが来ても変わらない。
ヴィンセントはこの砦に赴任し砦の責任者となるわけではなく、一時的な警戒要員だからだ。
問題があると感じれば口を出すところには出すが、今は流れをじっと見ていた。今のところ人員派遣の指示に異論はないということなのだろう。
そしてまさに、地図上での空白地帯への指示がされたとき、
「俺も行こう」
初めてヴィンセントが口を挟んだ。
部屋中の視線がヴィンセントに集まる中、彼は指揮官に視線を向ける。
「この砦の『悪魔狩り』はまだ待機中だな」
「え、ええ」
悪魔狩りとは、召喚士や聖剣士の中でも悪魔を倒せる実力のある者のことを示す。
「俺が出て様子を見て来る間に他の地点で悪魔が出たとなれば、『悪魔狩り』に対応させてくれ」
「それならばこの砦の『悪魔狩り』を先に行かせます」
「いや、今明らかにまずい地点だ。俺の予感が正しければ悪魔がいそうだ。今から新たな報告を待って呼ばれる可能性の高さを考えれば、俺が共に行った方が手間も時間も最低限で済む」
そうして、ヴィンセントとセナは応援の人手と共に未だ報告のない地点に向かうことになった。
空は晴れている。雪はもうない。
剥き出しになっている茶色の地面を全力で馬を駆けさせる。
途中、二手に別れて、本来この地点の見回りを行っているはずの班を探す。
唯一報告がないということは、ヴィンセントの予想の方向でいけば、最悪の事態に見舞われていることが想像に難くない。その最悪の事態が示す、班の結末は──
「ヴィンセントさん」
「ああ。やっと魔獣と遭遇だな」
「ギンジ行かせます」
右斜め前方に魔獣を発見。
まだ遠く、進行方向が異なるがいずれこちらに来る。
「ギンジ、あれ」
『了解した』
「終わったら、戻って来られる?」
『跡を辿れば容易い』
いつものごとくポケットに入っていたギンジがぽんっと出て、馬より格段に速く走っていく。
そっちはギンジに任せ、走り続ける。
「──セナ、止まれ!」
前を行っていたヴィンセントが急に手綱を引き止まり、セナに鋭い視線と共に、注意を促した。
セナはとっさに手綱を引き、馬を止める。急な動きに馬が鳴き、振り落とされそうになった。
視界と感覚が目まぐるしく揺さぶられ、セナの馬が四肢をしっかりと地面につけたと同時だっただろう。
ギィンッ、と不可思議な音がした。
前方からだ。ヴィンセントの方。
はっと、顔を上げると、ヴィンセントがいつの間にか剣を抜いていた。
「やはりここが一番まずかったようだな。報告を出さずとも良かったのではなく、出せなかったが正解だろう。──悪魔だ」
いつ、現れたのか。
ヴィンセントの前に浮いているものは、人間と見紛う異形の者だった。
衣服を身につける体は、魔獣のようでも、魔物のようにごつくもない。すらりとした『人の体』。
背にある大きな黒い翼が存在感を放つ。コウモリのような羽ではなく、一枚一枚の羽毛から出来ている黒い翼だ。
頭には角がある。耳は長く尖り、目は白目の部分が黒く、瞳は赤く、歯が全て鋭い。
精霊が一見人の姿をしているように。魔性を纏い、確かに『同類』ではないと精霊以上に部分的な見た目と感覚が訴えてくるが、外見は概ね人だった。
あれが、悪魔。
魔獣などと比べ物にならない。魔物とも比べ物にならない。想像を裏切る形と、感じたことのない雰囲気の異様さがある。
魔物と、こんなに違うものなのか。
見た目の禍々しさから言えば魔物の方が上で、『らしい』見た目をしていると言えるのに。
「また出てきたか。よくもまあ次から次へと湧いてくるなあ」
唇が動き、言葉が発された。
悪魔はとても滑らかに喋った。誰か、『人間』が喋ったのかと思った。
「簡単に潰れることからして、まさか土塊で出来ているんだろうか」
悪魔が、手にするものをくるくる回す。
黒い刃を持つ長い剣だった。黒い靄をまとう剣は、まるで死神の鎌のような不気味さを醸し出している。
聖剣に感じるような、目に見えない力を感じる。だけれど、こちらは不快だ。良くないものを剣に感じる。
「まあ、いい。エレドデア様のために、土塊であれ壊せばいい」
「セナ。──セナ!」
強く呼ばれた名前が、耳に入ってきた。
「──はい」
見ると、ヴィンセントがこちらを見ていた目と、目が合う。
「動けるか」
「動、きます」
正直、今の今まで手は手綱を強く握りしめたまま止まっていて、体も硬直していたけれど、そう答えた。
動かなければならないに決まっている。
ヴィンセントがわずかに眉を寄せたが、セナは今はそんな細かいところに気がつかなかった。
「それなら君は下がっているんだ。聖獣を呼び戻して、身を隠していろ。ここからは俺一人の仕事だ」
「分かり、ました」
返事をすると馬が下がった。
セナが、初めて見る悪魔に圧倒されていたからかもしれない。その一歩をきっかけに、馬の頭を巡らせ進行方向を後ろに変える。
そして、聖獣の名前を呼ぶ。
「ギ──」
「逃げるのなら、そっちから土塊は土塊に返してやろう」
何かが壊れる音がして、最初に小さな浮遊感に襲われた。地面が崩れ、馬が踏みしめていた足場がなくなった。
ギンジ、と、召喚獣を呼び戻す声は途切れ、
「──」
浮遊感に襲われ落下が始まり、代わりに声にならない悲鳴が出た。
「セナ!」
遠い空が、もっと遠ざかる。
離れたところにいる小さな猫が、何かを感じ取り振り返った。
姿が、小さな猫の姿から、徐々に大きな獣に。遠くを見るためのように体を大きくしていき、そして──。
その目は、大地の先に向けられたが、セナの姿を捉えることができなかった。
「──セナ?」
もちろん返事はなかった。