19 若さの秘密
ライナスの前に「どうぞ」とお茶を置くと、彼は「ありがとうな」と言う。従者の姿はない。
「今日も見回りに行ってらっしゃったんですか?」
「ああ。俺はヴィンセントと違って、ここにいるのは本当に一時的だからやることがねえからな」
そのヴィンセントは定例会議だ。
中継地点としてヴィンセントよりも一時的な滞在になるライナスは、出ないらしい。
彼は、毎日魔獣の見回りの当番に加わり、外に繰り出していた。この人も、魔獣どころか魔物も、もしかすると悪魔も怖くないのだろう。
「セナ、お前も座れよ」
「え、いえ」
「ヴィンセントがいないんだ。俺の暇に付き合ってくれ」
そう言われては断りにくいし、切羽詰まるほど忙しくもないので、ライナスの向かいに腰を下ろすことにした。
ライナスが、予備のカップにお茶を注いでくれる。パラディンにお茶を注がれるのは二人目だ。
未だにパラディンが何人いるのかとか聞いていないけれど、コンプリートする勢いではないかと錯覚するほどである。
パラディンは、彼らのような人達ばかりなのだろうか。
「何だよその顔」
ライナスが笑う。
笑った顔は、驚くほど親しみやすくなる。
顔が整った人の無表情はこわい。笑顔はすごい。
特にライナスは、ヴィンセントより笑顔が大きいため、落差が激しい気がする。
「パラディンの方にお茶を淹れてもらうのは、恐れ多いと言うか、淹れさせていいのかなぁという気分が出た顔です」
「変なこと気にするな」
ライナスは「こっちが勝手にしてるんだからいいだろ」と、より笑う。
「しっかし、ラヴィアが消えねぇのは不思議だなぁ」
セナがお茶に口をつける傍ら、ゆったりと椅子に座るライナスが染々とした声音で言った。
ラヴィア、と言うのはライナスの召喚獣の名前だ。
獣は、ライナスの椅子の近くに寝そべっている。それだけの姿でも、優美だ。セナが見ると、閉じていた目が、ちらりとこちらを見る。美しい瞳だ。ベアドと似ているようで、色合いが異なる。
硝子細工が角度ごとに微妙に色を変えるように、聖獣ごとに微妙に異なる色合いだ。
「普段は姿を現していないんですか?」
「そうだ。用があるとき以外は、っていう状態だな。ラヴィアは人間嫌いなんだ」
「そんな聖獣がいるんですか?」
驚いた。
「おかしいことじゃない。聖獣は、人間のためにいる存在じゃないからな。聖獣は人間のために戦っているように見えて、天使が加護を与えたこの世界のために戦ってるんだ。人間の召喚に応じなければ地上世界には現れられないらしく、人間と契約する形になってる」
「そうだったんですか」
「それでも人間になつくなつかないは個体差があるだろうが、少なくともラヴィアは俺にもちょっとなついてるぐらいだ」
どうやら、その中でも彼らはドライな関係の方のようだ。
天使が関与していた地上世界を、悪魔側から守るため、ほぼ戦うときにだけ出てくる聖獣。ライナスも、召喚獣が仕事をすれば文句ないというような口ぶりだ。
「だが今ここにいるのはお前がなついていいって思う対象なのか、あるいは俺が……」
独り言のような言葉は、セナには聞き取れなかった。
「そんなことはいいか」
ライナスは微かに首を振り、ティーカップを持ち上げる。
口調がワイルドなのに、その所作は上品だ。育ちゆえなのだろう。
「ヴィンセントの従者は嫌にならねえか?」
静かにお茶を飲んだライナスが、突然の質問を投げ掛けてきた。
「? いいえ?」
「倉庫整理とか、関係ないだろって思う雑用中の雑用しただろ?」
「しました。……え、恒例なんですか」
「恒例って言うか、まあ、ヴィンセントがいつもしているという意味では恒例だな」
ライナスは、ちょっと考えるような表情をしたが、すぐに肯定した。
「恒例になることもおかしいが、そもそも従者がころころ変わるってのがおかしいことになるんだろうなぁ」
「ライナスさんは、」
「ん?」
「ヴィンセントさんとは仲がよろしいんですか?」
付き合いが長いのだろうか。
話している様子ではかなり親しげだ。仕事上の付き合いのみではなさそう。
「家族じゃなく、他人としては一番だとは思うぜ」
そう肯定したライナスは、何か思い出したように笑う。
「それにしても、ヴィンセントは年下なのに可愛げねえんだよなぁ」
「えっ、年上なんですか?」
ライナスの方が。
何となく、ヴィンセントの方が年上だと思っていた。
「何だ、ヴィンセントが年上だと……ああ、そうか」
思わず驚きを口に出したセナは、反射的に謝るべき案件かと思ったが、ライナスは悪い方に気にした様子はなく、なぜか納得の声を発した。
「まだそこまで外見年齢は離れてねぇとは思うんだが。そうか。これから慣れなきゃあいけねぇな。俺はたぶんこれ以上外見は老けねえから、そういうの増えていくだろうし」
「?」
不思議なことを聞いた気がする。
「……老けない……?」
とは。
セナも首を傾げるが、ライナスの方こそまた首を傾げた。
「ガル・エベアータもそうだろ」
「お父さん?」
「老けてないだろ?」
「はい」
なぜに急にガルの話を。
「知らねえのか」
セナが話が唐突だと思っている様子に、ライナスが眉を上げた。
「そ、その知識はもしかして常識ですか?」
「いや。全く。知る機会がなけりゃ、それまでだ。ただ、セナの場合は、養い親とはいえ父親であるガル・エベアータがそうだから意外だっただけだ」
ちょっと安心した。エレノアと会ってから、知っているべきと言われることが多かったのだ。
ライナスは、話運びが一体何だったのか、理由を教えてくれる。
「俺は、ヴィンセントより年上だ。それほど離れてはないから、セナがヴィンセントの方が年上に見えたっていうのが本来個人差だって言えたかもしれないが、それはもう一生分からねえ。これから俺はこれ以上外見が老けることがねえからだ。分かりやすいのは、セナにとってはガル・エベアータか。年齢知ってるか?」
「はい。四十は軽く越えてるって……」
「なのに二十いくらだって言われても、誰も疑わない容姿だろ。あれは聖獣の影響だ」
召喚したときから外見の時が止まっているのだと、ライナスは言った。
ただし、聖獣全てがそういう影響を及ぼすのではなく、位の高い聖獣が人をそうするのだという。
「そういうことだったんだ……」
ずっと、あれで四十越えなんて冗談だろうと思っていた。
体質などではなかったのだ。若作りの領域を越え、ガルはどこからどう見ても若者だった。
四年越しに若さの秘訣が分かって、納得しかなかった。
そもそも、ガルが若さを保つとか、美容に気を付ける性格には思えなかった。不思議な力が働いて勝手にそうなっていると言われてしっくりきた。
「聖剣士は普通どの聖剣でもそんな効果は一切なくて老けるが、俺みたいにそういう影響を及ぼす聖獣を召喚して、聖剣士でもあると将来を考えると生涯全盛期で現役も可能になる。ああ、それも、ガル・エベアータもそうだな」
ライナス・メリアーズと同じく、ガルも聖剣士であり召喚士だ。
「聖剣士でもあって、召喚士でもあることって、やっぱり珍しいんですか?」
「珍しいだろうな。二人しかいねえし」
さらっと言われたが、予想よりずっと珍しすぎた。そして、知らない間にコンプリートである。
あの人は、セナが思っていたよりずっとずっとすごくて、ベアドもそんなに珍しいレベルの聖獣だったのだ。
世間が狭いっておそろしい。
「珍しいって言うと、破魔なんて俺は一人しか知らねえから、ヴィンセントの方が珍しいだろうけどな」
破魔は知っているかと尋ねられたので、首肯した。
「さっき、ヴィンセントの従者は嫌にならねえか?って聞いたが、全くそういう雰囲気は感じてはなかった。今日まで見てて、初めて『普通だな』って思ったぜ」
初めて、とはこれまで含めヴィンセントと「従者」の組み合わせを見ていてだと言う。
「一度、従者から外すかという流れがあったんですけど……まあ、解決しました」
「解決したのか」
「はい」
やり取りは色々したが、最終的には落ち着いたという結果だ。
それよりも、これまでのヴィンセントの従者事情を知っていそうなライナスに少し尋ねてみたくなった。
……のだけれど。
「ライナス、いたのか」
ヴィンセントが戻ってきた。
セナは立ち上がって、ヴィンセントが持っている書類を引き取る。
「休憩中なら後でいいんだが」
これを保管庫に戻しておいてくれと、どこかの鍵を渡された。
「ライナス、執務室を用意されただろう。俺は君の話し相手ではないぞ」
「やることねえんだよ」
「見回りに行っているんだろう?」
「その他の時間がってことだ。さすがに一日見回りはやりたくない。ほぼ暇潰しだからな、今」
「それなら、俺の仕事を分けるか?」
「そこまではしたくない」
さじ加減が面倒なわがままだろうか。