13 異端のパラディン
魔物の力を寄せ付けず、一分後には、ヴィンセントは魔物の体を貫いていた。
あの、聖剣とは思えない剣で。
──「君がパラディンが何たるかを知るだけなら、その内機会はやって来るかもしれない」
言い方は気になったし、相手は悪魔ではなく魔物だけれど、執務室での彼の言葉は充分に実感していた。
魔獣と魔物をたった一人で、この短時間で制圧できる圧倒的な戦い方は、まさに単体戦力たるパラディンだろう。
……と、途中からはセナもすっかり召喚獣を促すことを止め、戦いを見ていたので。
「従者の仕事は補佐だ。時に何もせずに後ろに下がっておいてもらった方がいいこともあるが、今回は違う。そもそも、召喚士としての仕事が魔獣の類いを退治することだ」
剣を収め、馬で戻ってきたヴィンセントは、セナに問う。
「君は、何をしていた?」
と。
当然の問いである。
セナは結局何もしなかったのだから。
ぼんやりと一部始終を見ていたセナは、はっと我に返った。即座にすみません、が口から出る。
「あの、なぜか、ギンジ──聖獣の調子がいつにも増して悪くて」
「聖獣の調子が悪いもあるか──あるのか?」
「いえ……」
自分で言っておいて、言い方が悪かった気がする。体調でも悪いみたいな言い方だった。
調子が悪いというのは語弊を生む言い方で、単にギンジが自分で止まっていただけ。
いつにもまして調子が悪かったとするなら、自分と聖獣との関係である。
撤回して、理由の言い方を訂正して謝罪しなければ、全聖獣に迷惑がかかるのでは。
「……俺の影響である可能性もある、か」
「影響?」
しかし、ヴィンセントがそんなことを言い出した。
彼の言葉を拾い上げたセナが口に出して反芻すると、ヴィンセントが訝しげな目をした。なぜにそんな目をするのか。
「もしやと思うが、君は知らないのか」
「何を、ですか」
「俺は『破魔』だ」
同じ語句を、さっき聞いた。
しかし、セナには分からない。
『人間は、普通天使の加護を受けている。このような世になろうとも、そういう仕組みだからだ。それは祝福とも言える』
セナも、それからヴィンセントも声の方を見た。
セナのポケットの中の猫を。
『だが、破魔は違う。魔を破るという名の通り先程のようなことを起こすが、天使の祝福がない人間だ。そもそも人間は多すぎるからな、天使が取り零した出来損ないの人間とも言える。それがゆえ天使に認識され難いという性質も同時に持つことになり、一生天使の恩恵も精霊の恩恵も受けられないという悪循環が生じる』
今はなおさらだな、と猫は淡々と言い続ける。
『天使の祝福もないが、悪魔の側の害を受けにくい。人間の中では異端者だ。──ああ、そうか、証がその目だな。歪なバランスの目だ』
示されたのは、左右で色の異なるオッドアイ。色が異なるだけとは思えないほど、存在感を放つ目だ。
『世が世ならば迫害されていただろうに。運がいいようだ』
猫の言い方は、皮肉げだった。
セナが聞いていた、悪魔側に対抗する職は二つ。天使の力の名残である聖剣で戦う聖剣士と、天使の眷族である聖なる獣を地上に喚び出し戦う召喚士だ。
これが世の常識で、『通常』なのだ。
だが、ヴィンセントは違う。
破魔という極めて珍しい存在だと言う。
天使がいないという今、加護を奇跡的に受けることも一生出来ない存在。
そして、天使の加護を受けていない存在であるがゆえに、不幸中の幸いか悪魔側の悪い影響も受けにくくなっている、人間としては異端の存在。
──異端のパラディン
破魔という意味と共に、セナはその言葉の意味も知った。
戦い方が聖剣や聖獣との契約ではないということもだろうが、そもそもの根本、人間の中での『異端』を表しているのだ。
「説明の手間が省けた」
ギンジの説明に対し、ヴィンセントが全てが事実だと暗に肯定した。
「俺は天使の加護を受けない。召喚獣を呼び出せない、聖剣にも選ばれる可能性はない。これは普通の剣だ」
腰の剣が示された。
「どこにでも代えはある剣だ。だが、俺の特質で俺が振るえば魔獣も魔物も悪魔も貫ける」
道理で。
聖剣にも思えないのに、なぜ魔獣が切れ、魔物を貫けるのか混乱するはめになっていた。
「だから、君の勉強にはならないと言ったんだ。召喚士と聖剣士以上に、戦い方が異なりすぎるからな」
ヴィンセントはふっと、わずかに息を吐いた。
「この機会だ。君が従者から外れたいなら、早めに外しておこう」
「え」
「色々細かなことを片付ける人間がいてくれるのは俺としては助かるが、それは召喚士でなくともいいだろう。元々、適当な期間で従者から外そうとは思っていた」
「どうしてですか」
自分は何かしでかしたか。
セナは短期間での行いを記憶から呼び起こしながら焦るが、ヴィンセントはその考えが分かったように「君が何かしでかしたわけではない」と言った。
「俺の破魔によって、もしかすると召喚士としての何かが損なわれるかもしれないと思うと、側は避けたいものになる。俺だってどういう影響も与えないとは言い切れない」
彼が持つ破魔という性質によって。
「評価には響かないようにするから、その辺りは心配しなくともいい。俺が気に入らなかったから外した。それだけだ」
「──ちょっと待ってください」
話が、セナが追い付けないうちにどんどん進んでいって、待ったをかけた。
どうやら、破魔という性質には、多くの人がする反応があるらしい。
エレノアの反応を思い出した。
──「かのようなパラディンでは、風変わりなこともするのかもしれませんわね」
と、ヴィンセントが『異端のパラディン』と言われていると知っていて、言っていた。
そして、ヴィンセントの従者は可能ならば早めに切り上げた方が良いとも言った。
それは、もしや破魔によって、召喚士としての何かが損なわれるかもしれないという「もしも」によるものか。
「その、『召喚士としての何かが損なわれるかもしれない』というのは、過去に実際起こったのではないですよね……?」
起こっていないだろう、という推測があって聞いた。
「明確にあったとなれば、俺は教会にはいない」
「でしょうね」
「だが、人には『万が一』という言葉がある」
ここまでの流れで、自分が与える『かもしれない』影響を口にしたヴィンセントに、そのように卑屈な考え方をする人だったのかと感じたが、この言い方で違うと感じさせられた。
最初に、周りがそういう考え方をした。反応をした。
食堂のコックは、「あの左右色違いの目も、何だか蛇に睨まれているような気分だ」と言った。
ヴィンセントの他の人間は持たない性質と、それによる、これまた他の人は持たない外見の特徴に、人は「もしも」を考えた。もしもは自己防衛だったろう。
ヴィンセントはそれらを受け入れたのかもしれない。そういう考え方がある。当たり前だ、と。
「わたしも万が一はよく考えますけど、『その』万が一は、わたしは考え付きませんでした」
自分で考え付いた万が一は、自分の恐怖だ。
だが、他人から与えられた万が一は、他人の万が一でしかない。
「なので、その万が一がどういう感覚なのか正直分かりません」
加護を受けない人間を避ける感覚が。
運の悪い人といると、運気が下がるみたいな考え方で避けるのだろうか。
そんな風邪みたいに移るものなのだろうか。
単なる、その人個人の特別体質みたいなものだと、セナには思えて、そんなこと欠片も考え付かなかった。
この世界の常識が染み付ききっていないからという可能性もあるが、これが今の事実でもある。
「今日ギンジの──わたしの聖獣が出なかったのはギンジの勝手で、いつにも増してでしたけどいつもこんな感じなので。……その、ヴィンセントさんのせいではないかと思うんですが」
今日ギンジがすぐに出なかったのは、どうやらヴィンセントの破魔に気がついて見ようとしたからだ。困った聖獣だ。
ギンジの気分が、ヴィンセントの影響第一号と誤認されては申し訳なさすぎる。
そんな噂が広がって、パラディンを教会から失わせたとなれば、これから先セナは罪悪感いっぱいで生きていく未来しか見えない。
しっかり誤解を解くべく、正直に言うと、ヴィンセントは色違いの瞳を瞬き、わずかに首を傾げた。
想定とは異なる展開になったように、思案しているようで。
「……それはそれで問題だな」
しばらくして、一言。
言われて、ギンジが出なかったのはいつもこんな感じだと話してしまったと、セナは自分の口を押さえた。おっと。
しかし、ヴィンセントはその点にはそれほど気にした様子はなかった。
「俺がここまで丁寧に従者外しをすることは本来ない。いつもは、思い立ったときにでも勝手に黙ってする」
「……いつも……」
言い方に、また引っ掛かったような気がしたけれど。
「それで、君は俺の従者から外さなくてもいいと?」
「──はい」
つまりは、そういうことである。
なったきっかけは、実は自分の志願ではなく、ギンジの代理志願だった。
自分に非があったなら、外されても仕方ない。けれど、そういう理由で外されるのは収まりが悪い。
「よろしければ、わたしが役立たずだと思うときまで従者を続けさせてもらえませんか」
もちろん、ヴィンセントが砦にいる間だろうけれど。
「俺が得体の知れない破魔でもか」
卑下する響きのある声ではなかった。
ただ、世の声から作られた懸念点を問おうとする声音だった。
ヴィンセントの目は、陰を帯びず、セナを見ているから。
「はい」
もしもを考えると、きりがない。
影響がないと示すことは不可能に近い。その代わり、すでにある事実だけを見ればいい。
「……まったく、君はやはり変わっている」
「え」
「だが、俺はその変わり者をあと一人知っている」
何を持って、変わり者とされたのか分からなかったけれど、セナは聞き返せなかった。
ヴィンセントが微かに笑ったのだ。
唇が少しだけ上向き、笑みが滲むような笑い方だった。
初めて見た笑みで、いつも無表情だったりという顔しか見たことのない人の笑顔を見ると、こんなに驚くのかと思った。
「君がそう言うなら、俺は気にせずこき使っていくぞ」
雑用ならば、それはとうに受けて立つという気持ちだ。