11 問い
「倉庫巡り全部終わったね、ギンジ」
猫がいるので、しっかり話しかけておく。
倉庫初日から数日。倉庫となっているもっと大きな部屋と、外の倉庫を巡り終えた。
合間にヴィンセント関係の雑務を挟みながらだ。
『そうなのか』
「そうなんだよ」
ということで、ヴィンセントの執務室に向かう途中。
ヴィンセントの執務室は、彼の立場上便利がいいような場所にあるべきはずなのだけれど、他の上官の執務室がある区域とは外れている。
聞くところによると、ヴィンセントの希望なのだという。この「聞くところによると」は、ヴィンセントの本人ではなく他の人々に聞いたことによる。
ならば本当の真偽は定かではないとも言えるが、セナ的には、こればかりは事実のような感覚がした。
ヴィンセントは、どことなく人を寄せ付けない雰囲気を持っている。話しかけられなければ、話しかけ難いような雰囲気だ。
なので、セナは相変わらずヴィンセントとは事務的なやり取りしかしたことがない。
そもそも、同じ部屋にいる時間がろくにないことがある。
「『パラディンの従者』って感じはしないなぁ」
経験がなくとも、そういう感覚がしないのは、ここ数日の時間を最も占めていたのが例の倉庫巡りだからだろう。
いやでも、ヴィンセントの執務関連のあれこれを整理したり、連絡に行ったりしているからパラディンの従者の仕事はしているのだ。
ただ、やはりあまり本人とのやり取りがないのが、実感しにくくさせているのか……。
「……でも、上司なんだから他愛もない会話がなくても全然おかしくないんだろうね」
『あの男と他愛もない会話がしたいか?』
「したいかしたくないか、だったら、したいかな」
『なぜ』
「義務的な会話だけだと、永遠にやり易くはならないだろうなって思う」
個人的すぎる理由だろうが、すんなり言葉に表せたのはそれだけだった。
今、特別やりにくいという感覚を抱いてはいないが、やり易いとも思わない。部下がやり易さを望むなと言われれば終わりだが、勝手にこっそり思うのは自由だろう。
「さてと、それより部屋にいらっしゃるかどうか」
会議で部屋を出ていたら、これは一人で消費するか。猫にコーヒー的飲料って駄目だろうし。
お目当ての部屋がある廊下に来ると、ちょうど部屋から誰か出てきた。セナと同じデザインの制服を着ているので、召喚士か聖剣士だろう。
と、思っていたら、男性の傍らに聖獣が現れた。
召喚士だった。
「この部屋って聖獣立ち入り禁止なのかな」
『どういう理由で』
確かに。禁止にする理由が見当たらない。
だけれど、来る人来る人、召喚士もいるだろうに。この部屋の中で聖獣の姿は見ないのに、こうして部屋から出た途端聖獣が出てきたり、同じ人を他の場所で見かけると聖獣を連れていたりするのだ。
暗黙のマナーがあるのだろうか。
ギンジは姿は消さない代わりに、いつもポケットの中だからか、何か言われたことはない。
出ていった人と入れ違いに部屋に入ると、中にはヴィンセント一人がいた。
彼は、ちらりと入ってきたセナを確認し、手元の書類に視線を落とす。
セナは、とりあえずヴィンセントがいたことで良かった良かったと思いつつ、静かに歩いていって、机の上にそっとカップを置いた。
「……ありがとう」
事務的なやり取りだけと言えど、他の上官への伝達など一日何度あるか分からない典型的な「仕事」以外のことでは、ヴィンセントはお礼を言ってくれる。
飲み物を持ってくるのは、いつもセナがしているのではないし、命令されたことではないからかもしれない。
「倉庫の備品の確認は」
「終わりました」
「全部か」
「はい」
ヴィンセントは「……早いな」と呟いて、置かれたカップを持ち上げた。
カップが静かに机から浮き、静かに液体がヴィンセントの口内に消えていく。
他に誰もおらず、ヴィンセントが喋らず、セナも喋らなければ室内は静寂に包まれる。
いつものことなので、セナは今はやることもなく、ヴィンセントがこちらを見ていないのをいいことに彼を眺める。
容貌を鑑賞するように見るのではなく。
珍しいオッドアイを見るのでもなく。
この人絶対寝不足だよなぁ、と目の下にあるくまを見る。
仕事をそんなに遅くまでしているのだろうか。セナは適当な時間に勤務時間を終わっていいとされるので、それ以降の時間はさっぱりなのである。
食事はとっているのだろうなとは思う。食事なしに、その体格は維持できないだろう。
「君は」
ヴィンセントがカップを置いた。
「従者になることを志願したそうだな」
次はこの仕事をしてくれ、ではなく、言われたのがこれで、セナは瞬いた。
そして、若干遅れてから言葉を理解し、「はい」と返した。
すると、
「なぜだ」
と、間違いなく質問が飛ばされてきた。
ヴィンセントの従者となって一週間と少し。初めての質問だった。
初日でさえ、確認のみだった。
「勉強になるかと、思いました」
「俺では参考にならないと思うが」
ヴィンセントが参考ならない云々の返答は、セナの頭を流れていく。
ヴィンセントとはろくに話したことがない。他愛もない話はゼロだ。
何しろ彼があれこれと隙間なく用事を言いつける。
休憩時間はあっても、ヴィンセントが仕事をしている間だったりと、一緒に休憩するなんていうこともなかった。
ヴィンセントが休憩しているかも謎だ。
「変わっているな」
とうとう雑談をするときがきたかと、ようやく事態を理解していたら、言われた。
変わっているとは、初めて言われた。
ヴィンセントの方は、「俺が言うのも何だが」と、書類を見続けている。
「パラディンの方と会える機会はそうないと思うんです」
自分の養父が元パラディンだとかいうのは置いておき、現役のパラディンと会うことは。
変わっているなと言われるのは、何だか誤解されている気がして、自分の理由を何とか正当化しようと言った。エレノアにも、エベアータ家の人間が従者になるとは、という類いのことを言われたのだ。
「パラディンの方はよほどのことがない限り、普通は支部に駐屯はされないと聞きました」
同時に、遠回しにそんなにこの砦、この土地はまずいのかとずっと気にかかっていたことを聞いてしまった気もする。
「確かに、パラディンは普通は支部の類いに滞在するとしても、目的地への中継地点としてであり、一日二日だ。今回のように駐屯する例は稀だ」
稀だという言い方は、これまでに例があったと示す。
ヴィンセントは、おもむろに自然な手つきで一緒に置いておいた小さな砂糖壺から、砂糖がひとつ、ふたつ、みっつ……とコーヒーに落とす。
どぼどぼ砂糖が投入されたコーヒーをかき混ぜながら、彼はまた口を開いた。
「君は悪魔を見たことがあるか」
「悪魔……いいえ」
天使を殺した悪魔は、まだ存在しているはずなのだ。
だが悪魔が存在するとは聞けど、幸運にもまだ見たことはない。
一度だけ見たことのある魔物が最も悪魔らしい姿をしていると感じたのに、悪魔とはどんな姿をしているのか。
「見たことがあるんですか」
ヴィンセントは。
しかし、彼にその質問はあまりに愚問だっただろう。
案の定、
「俺は何度か見たことがある。程度の知れた悪魔だが。……まあ、俺が悪魔を前にしたことがあるのは俺がそういう立場にあるからだ」
ヴィンセントは以上のように、大したことではないように答えた。
彼はパラディンだ。
最高戦力。単体で行動が許されるほど、戦闘能力を有するという証拠でもある地位にある。
「俺がここに駐屯することになったのは、当然意図をもってのことだ。最近、各地で発生する魔獣が増えた。何倍にも増えたわけではないが、確実に増えた。魔物も増え、悪魔の目撃例もある」
「原因とか、あるんですか?」
「あるかもしれないが、今のところ明確な理由は不明だ。魔界への入り口が広がったのではないのかとは言われている。ここは魔界の入り口が近くにあるからな」
悪魔がいる場所を示して、魔界と言う。
天使は普通に天上、天界だと言われているのに、魔界。
どうやら人間世界と、人間に関わりがあった天使とは異なり、悪魔は住む空間から違えているようなのだ。
魔界──本当にファンタジーだな、という感想を抱いている場合ではない。自分は、最も危機に近い場所にいるのだ。
「君がパラディンが何たるかを知るだけなら、その内機会はやって来るかもしれない」
そこで、ヴィンセントはとうにかき混ぜ終えられていたコーヒーに口をつけ、カップを受け皿に戻す。
「話が長引いた。倉庫の備品を確認した結果を元に、全ての記録帳を最新のものに更新し、記録帳をあるべき場所に」
「はい」
珍しく入った業務以外の話はそうして終えられ、再びいつもの空気に戻るかのように思われた。
しかし、セナが机の側から一歩離れようとしたそのとき。
扉がノックされた。
ヴィンセントが入室を許可する。
一人、男性が入ってきて、「報告です」と用件を述べはじめる。
「魔物が同時出現致しました。それに伴い、魔物も多く出現しています」
魔物が出た。
ここ、北の砦に来るまでにセナが遭遇してきたのは魔獣のみ。ここでの生活を始めてからも、魔物が出たとは聞いていない。
それも、同時とは、複数だ。
「それぞれ場所は」
場所を聞き、ヴィンセントは「報告が最も少なかったところがあるな」と、これまでの報告のまとめを頭の中で開いたらしい。
「このまま任せておいても魔物なら大丈夫だろうが……一度、出るか」
「は、馬の準備をして参ります」
「二頭だ」
出るか、と、二頭。
セナがやり取りを見ていると、ヴィンセントがこちらを見る。
「行くぞ」
「え」
「俺が出るなら、当然君も行くんだ。魔獣と魔物退治だ。いなくなっているならそれでいいが、急げ」
「は、はい」
知っていたことが、実際に起こって理解が遅れた。パラディンであるヴィンセントが出るなら、その従者となっているセナも出る。
セナが魔獣退治に出るかどうかは、パラディン次第。今回、ヴィンセントが出ることに決めた。
持っていたトレイをどこに置くかと、どうでもいいことに慌て、辺りを見渡す。
『なぜわざわざ出る?』
セナがトレイを置いて、お待たせしましたと詫びる前に、すぐ近くからの声が言った。
ギンジだ。
ポケットを見下ろすと、ポケットから猫が顔を出していた。見ている先は、真上のセナではない。
「聖獣か。姿を見ないから忘れていた」
ヴィンセントの方だ。
「俺に話しかける聖獣がいるとは珍しい」と、話しかけられたのが自分だと認識した彼は、小さな猫を見下ろし、問い返す。
「なぜわざわざ出る、とは?」
『任せておいても大丈夫だろうとお前は言った。ならば、なぜわざわざ出る、と聞いている。質問は一度で汲み取れ、人間。面倒だ』
「……ギンジ、言葉遣いちょっとだけ気をつけてくれると、わたしが嬉しい」
聞いたことのない刺々しい声音もどうしたのかと聞きたくなるけれど、今はそっちの方が気になって、思わず囁きを降らせた。
今の言葉遣いは、はらはらするので。
だが猫はセナを見上げて、『事実だ』と言うばかり。
律儀に見上げて答えたあとは、ヴィンセントの視線を戻す。
「……君の主のことだ、答えておこう。一度、セナの実力を知っておきたい」
突然始まったやり取りの中に、セナの名前が出てきた。
「わたしの、実力……?」
「そうだ。召喚士と言うからには、召喚獣の能力も含まれるが」
セナの呟きに、セナを見ていた黒と青の目が一瞬猫を見る。
猫は、子猫にちょっと似合わない目付きで視線を受け、『ほう』と言った。
ヴィンセントは猫の反応は待たず、セナに目を戻し、視線の動きで部屋の外を示し、
「研修での君の評価書をもらった。読んだ。だがただの書類だと言うことが出来る。実際に見てしか分からない部分もある」
行くぞ、ともう一度言った。