7 誰、何事
振り返ると──否、振り返らされると、一人、背の高い人がいた。
だから見上げた。
おそらくガルよりちょっと低めで、同じくらいの位置に顔があった。
全体の顔立ちより何より、視線を縫い止められる特徴を目にした。合った目が、左右で色が違ったのだ。
片方は義眼なのだろうか。自然なものなのだろうか。
黒と青。右が黒、左が青だ。
それから、その人が端正な顔立ちをしていることに気がつけた。
初対面で視界に映ったなら、振り返ってしまうレベルなのに、気がつくのが二の次になった。
男の顔の作りの中で、瞳の色が、唯一ある種の違和感を感じる部分だったからだろうか。
そのとき、両目で全く異なる色合いをした不可思議なオッドアイが、不可解そうに歪んだ。
目が離せなくなっていたセナはびくりとした。
エレノアもそうだが、美形の表情の変化は一々気になりすぎる。
笑顔はまだいい。だけれど、一体自分は、この見知らぬ人にこんな目付きをされることをしただろうか。
会ったことがないのにあるはずがない。この人誰だ。
それとも、今何かした?
「君は──何を連れている」
「……え?」
「それは、何だ」
男の指が、セナの肩を示す。
同時に、石のように光が入っていないように見えた黒目が捉えたのは。
『──にゃあ?』
声はそのままに、全く猫っぽくない棒読みの鳴き声を披露してくださった、聖獣だった。
確かに、ギンジを示されている。
「何って……聖獣、ですけど……」
驚き冷めず、戸惑いながらも答えると、見知らぬ男はセナの戸惑いように気がついたような表情をした。
肩を掴む手を離し、ギンジをまじまじと見る。
「聖獣だな」
「はい」
「……何だ、この奇妙な感覚は……?」
怪訝そうに何だと言われても、何が何だか分からないのはこちらだ。
「まあ、いい。……急にすまなかった」
「いえ……」
見知らぬ男性は、セナを、そして肩にいるギンジを一瞥し、去っていった。
後ろ姿は、セナと同じ制服姿だ。
そして、やっぱり背丈はぱっと見たところ養父と同じくらいの印象……。ただし髪色や後ろ姿の雰囲気まで異なるので、姿が重なることはない。
セナはその後ろ姿が消えるまで動けず、ようやくぽつりと「何だったの……?」と呟いた。
本当に、何だったのだ。と言うか、誰?
「……ギンジ、何だったんだろう……」
『……』
「ギンジ?」
返事がなくて、ぼんやりと前方に向けていた目を肩に向ける。
猫の姿をした聖獣は、セナが見ていた方をじっと見ていた。同じく教会に属するとしか判明しなかった男性が去っていった方だ。
『何だったのだろうな』
結局返ってきたのがこれで、猫も首を傾げていた。
あの人、誰だったの? と思っても、ギンジは知らないだろうし、肝心の人は去ってしまった。
「ギンジ、どうしてただの猫の鳴き真似したの?」
『ああ、さっきの人間に対してか。お前以外の人間と話す理由もないからな。わざわざ鳴いたのは、話す言葉など持ち合わせていないと示しただけだ』
意外と辛辣な理由だった。
内面の愛想ゼロ。
しかし元々、召喚獣とは契約している人間以外には基本的にあまり話しかけないものらしい。ベアドは性格的な例外だったのだろうと思われる。
……ベアドは元気だろうか。毎日のように声をかけられていたから、ちょっと、懐かしくなった。
ホームシックの一種? あそこで生まれたわけではないにしろ、四年は過ごした。
ベアドと言うなら、ガルもで……。
「……鳴き真似なら、声が低すぎると思うから、大分高くした方がいいと思う。外見からして」
『別に私は猫の鳴き真似に拘りはない』
「そっか」
起きたことが全く分からないままでも、尋ねられる人もおらず、とりあえず歩みを再開させることにした。
まあいいや。お腹が減った。目下の問題はやはりそれ、と。
分からないことは分からない。
食堂は暖かかった。暖炉で火が燃え上がり、部屋全体を温めていた。これでは上着がなくても過ごせそうだ。
食堂内には、夕刻ということもあり、人が集まりはじめていた。室内が温かいため、全員制服は制服でも、上着を着ていたり着ていなかったりまちまちだ。
食事を取りに行き、テーブルの間を歩いていると、食事をしている人の足元に聖獣が侍っている光景を時折見かけた。
魔獣を撃退するための人員が集まる場所だ。
見かける聖獣の姿は、統率を取り、群れを成すように圧倒的に狼に似た姿が多かった。
絵にされている聖獣も、その他大勢の描き方をされている聖獣は狼みたいな姿だから、そういうものなのだろうか。
ベアドのように、豹の姿をしている聖獣はかなり珍しいようだ。当たり前に身近にいた存在が実はレアだった。レアと言えば、猫もレアか。やったね。
さっきの人、もしかして猫の聖獣を見たことがなかった可能性ありでは。勝手にそこらの猫を連れ込んだという誤解をされたとか。あり得ないとは言い切れない。
とは言え、真実は確かめようもない。
「スープが染みる、あったまるー。ギンジ食べる? あ、スープは駄目か。パンは……」
『食事は不要だ』
「食事は必要ないって、昨日わたしの携帯食の魚食べたでしょ?」
『それはお前がくれたからだ。しかし酸っぱいばかりで美味とは言い難い代物だったな』
「わたしの食料食べておいて何なのそれは」
言っていることには全面同意だけれど。
ここに到着するまでの旅路の食事は、携帯食のみだった。長持ちさせることが最優先され、美味しいとは言い難い代物。
食べ物が現地調達でないだけいいかなぁと考えられるのは、孤児院時代の経験の賜物だろう。ただし、その後豪邸で過ごした経験があることも忘れてはならない。
「あのまましばらく孤児院での生活を続けるか、途中に裕福な生活を挟んで今かって考えると、……現状だけを考えると本当どっちもどっちって感じ」
固めのパンをスープにひたひたしながら、少し遠い目になる。
予想以上の仕事場で、こんなはずではと何度も思った。自分で直接戦うのではないにしても、魔獣ってこわいから。
だけれど、いくら今の環境が孤児院時代とある意味どっちもどっちでも、孤児院にいたままの方が良かったとは決して言えないから大丈夫だ。
『お前は見た目以上に中身も弱々しいな』
「見た目以上にってなに」
見た目も弱々しく見えるということか。
せっかくの丈夫な体だ。筋トレをするべきか。今後を生き抜くために、ムキムキになるべきか。
『目に見えて魔獣を恐れている』
「見た目からして怖いから仕方ないでしょ。わたしが襲われたら、一撃で殺されるって思うし」
『召喚士とは、魔獣に対する職なのだろう? 怖いのなら、なろうとしなければ良かったのではないか?』
「それは正論だろうね。……だけど、これがわたしが手に入れた生きる術で、手に入れるためにした取引でもあるから」
ああ、ギンジには話していなかったか。
孤児院にいたこと、ガルに引き取られた経緯。
そう、ここにいるのはガルとした取引のためだ。
孤児院にいた頃の生活は、いつ死ぬか分からない生活だったが、ガルが与えてくれたのは飢えなどには怯えない生活だけではなかった。
たとえエベアータ家云々がなくなっても、こうして絶対的な仕事を得て、給料を得られる術を彼はくれたと言える。
「だから、ギンジ、よろしくね。魔獣を怖がらないようになれるようにもするから」
──こんなわたしだけれど、頑張るのでこれからどうぞ、末永くよろしく。
『言われるまでもない。私はお前を死なせない。守るために呼び掛けに反応し、お前の元に現れた』
頼もしい返事が聞けて、満足である。
小さな猫をした聖獣は、すっかりセナが最も信頼する存在になっていた。
やはり、今完璧な形で戦えていないとしても、セナにとってはこの聖獣が現れてくれたこと自体が奇跡だと思うのだ。
さあ、明日から頑張ろう。
それなりの環境で生きていける体を持っているのなら、生きるのだ。与えられた道であり、自分で決めた道を時に歩きながらも、自分のペースで全力で走っていくだけだ。