6 北の砦
砦には夕方に着いた。
魔獣にはあれから一度遭遇したが、砦に常駐している部隊が助けてくれた。
ともあれ、今日中につけて良かった。
「いたたたた……」
『自分で転ぶから悪いのだろう』
「ギンジ、わたしが転ぶ前に逃げたでしょ」
『間抜けな道連れは嫌だからな』
砦に入る前に転んだ。
さすが北の砦。冬並みの気温だと示すがごとく、氷が張っていた。本当に冬だ。
小さな聖獣は、セナが転ぶ前にポケットから脱出した。叩きつけられたくなかったのだろうが、散々な言いようである。
「今日はギンジを枕にしてやる。道中ずっとポケットの中でぬくぬくして……」
『もう枕にしているくせによく言う』
「抱き枕じゃなくて、頭に敷いてやるんだから」
『別に、私は気にしない』
気にしないのか。
「セナ」
呼ばれ、反応すると、一人の少女がいた。
髪は艶やかな赤銅色で、一つに結われ、彼女が歩く度に優雅に揺れる。目も同じく赤みがかかった色で、強気そうな目付きだと思う。
一言で容姿を賛美すると、美少女だ。
「エレノア、なに?」
単に問いかけただけなのに、美少女は麗しい眉を潜めた。
……この美少女の笑顔を見たことがない。
セナの前では、いつでも彼女は厳しい顔をしている。特に嫌われることをした覚えがないのだけど、やっぱり嫌われているのだろうか。まだ認めたくないものである。
彼女の名を、エレノア・マクベス。
マクベス家は、『エベアータと同格の家柄』であるらしく、つまりエリートの家の生まれの、生粋のお嬢様だ。
エレノアは、セントリア学園を卒業したばかりで、セナと同じく今年の新人だった。一ヶ月前に初めて会って、隊の中で近くの配置となっている。
彼女の側には、主人と同じように優雅に尻尾を揺らす、狼の姿の聖獣がいる。
「なに、ではありませんわ。……本日の魔獣の遭遇時、見事でした」
「あ、ありがとう」
厳しい表情で褒め言葉を言われると、褒められているのかどうか判断に困る。褒められているのか自信もなくなる。やっぱり表情って大事だ。
ガルのときは、彼は大抵微笑んでいたから、厳しい稽古のときとか稀に怒っているらしきとき、異様な迫力が出ていたけれど。
まだまだ半年も経っていないのに、懐かしいと思い出す。
「しかし」
逆接の言葉が耳に入り、思考から意識が戻った。
エレノアだ。
「あのように召喚士だけの隊であると、聖獣同士の連携が大切だと言いますのに……あなたは時折聖獣を満足に命令に従わせることすら出来なくなるのはどういうことなのです」
「あー……そういえば、研修中もあったね」
ギンジがスマートに出られないときが。
そろそろポケットに入るの、止めた方がいいのではなかろうか。
「ほとんど討伐してもらったときもあったし」
「あなたがぐずぐずしていたから当然ですわ。本当なら、わたくし一人でも良いくらいなのです」
つん、と、エレノアが顔を背ける。
「あのときは本当にごめんなさい。どうにかあの手この手でギンジを引っ張り出せないかって試行錯誤してたんだけど……」
「それが、おかしいのですわ!」
エレノアの顔が正面に戻ってきた。
そればかりか、ずい、とセナに迫る。
「召喚に応じ、契約を交わした聖獣を、従わせられないなんていうことが、おかしいのです!」
一言一言区切るたび、エレノアの顔が近づいてきた。美少女近い。そして興奮気味?
「おかしい……」
「おかしいのです! とんだ力量不足! 聖獣は戦えば素晴らしい働きをしますのに、本当に惜しい点ですわよ! マクベス家と並ぶエベアータ家の者なのですから、隅々までしっかりなさい! あなたはわたくしの好敵手となるべき家柄なのですから!」
強烈な、不思議な心地に襲われた。
エレノアは続けてなにかを言っているようだが、セナの耳は右から左へ流してしまう。
エベアータ家、名家、というものへの不思議さ。
今まで、それらがどれほどすごいものなのか、この世界の人々にとってどういう風に感じるものなのか、実感が湧く機会が少なすぎた。
しかし、とんだものだということが分かった。マクベス家のエレノアという少女により、強烈に。
優れた才を持って当たり前。
優れた召喚士であり、戦場で目を見張る活躍するのが当たり前。新人であっても。
エレノアの聖獣は、研修最中、とても鮮やかに魔獣を葬った。先輩のフォローもなく、むしろセナのフォローをしてくれていた。
エレノア・マクベスの目は、セナを強い意思をもって見据えてくる。
他の同期、エレノアと同じ学園から卒業し、つまりエレノアのことを学園から知っている人に聞くところによると、エレノア・マクベスは学園に通っていた年数を通しずっとぶっちぎりの成績を収めていたのだとか。
まさに、敵無し。
そんなエレノアが、他の誰でもなく、セナを見る。
セナが、エベアータ家の名を持つから。好敵手になり得るべきだ、と見てくる。
その視線がしっくりこなくて、戸惑いさえ覚えた。
これまでの人生、前の世界も含め、好敵手という存在ができることはなく、張り合うことも経験してこなかった。
期待もかけられたことがないから、次期当主の権利とか、エレノアの視線とか、何というかぞわっとする。
武者震い的なものだろうか。いやそんな性格ではない。
大体、張り合うべきは魔獣や魔物や悪魔とやらで味方ではないのではないのだろうか。そんなにロックオンされても困る。
こちらには味方を睨むつもりはない。
怪我をしたくない。死にたくない。とにかくそのために頑張る。
そう思うと、喚び出した聖獣が強い聖獣で良かった。先輩やエレノアの反応を見ている限り、強い部類のようだ。
これで召喚士であるセナ自身の安全も高まるというものだ。
ベアドがそれなりの聖獣だと思うとか言っていたのは、感覚だとか思っていたけれど当たっていたのだ。
ギンジの自評も間違っていなかった。
問題は、エレノアの言う通り、時折出撃が遅くなることか。
「ちょっと、聞いていますの?」
「うん。エレノア、これから──当たり前のことだけど頑張っていくから」
どうあれ頑張るしかない。どんな状況になっても、頑張る。
たとえばガルの跡継ぎ云々がなくなったとしても、この道を頑張っていく。
「……そんなこと、当たり前ですわ」
「うん」
「わたくしも、負けませんから!」
「う、うん」
真剣な顔つきで力強く宣言して、エレノアはさっさと先に歩きはじめていった。
「……何だろう、この気持ち……」
気持ちはありがたいのだけれど、こちらのことまで気にしてくれなくていいような。
しかし言われることには、耳を傾けなければならないこともある。
エレノア曰く、セナは聖獣との主従関係とやらに問題があるらしい。
普通は指示すれば、すぐに出撃する。そうさせられないのは、召喚士としての欠点。優れた召喚士とは言えない。
エレノア曰く、エベアータ家という名家としては相応しくない。
「って言ってもね……」
彼らが当たり前にする『主従関係』もやっぱり馴染みがなくて、セナにはしっくりこない。
猫が飼い猫に似すぎていて、可愛いから毅然と接することが出来ないから、その辺りも関係しているのだろうか。
エレノアはびしっとしている。
主従と聞いて思い浮かぶのは、当たり前に命令するとかいうイメージだ。
……いいや、毅然と出来ないのは、性格と言うか素質の問題では? 猫の姿をした聖獣が可愛い以前に、自分は元々毅然とはしていなかったのである。
それなら治りようはないのでは……。
「……ギンジ、服に穴空けないで」
聖獣がよじよじと服を登ってきはじめたから足を止めると、肩に乗ってくる。
滑らかな毛並みが肌を撫でて、首元がひんやりする。
『やはりこうすると移動が楽でいいな』
「落とすよ?」
『落としてみろ』
「よし」
『止めろ。引き剥がそうとするのは卑怯だ』
冗談だ。この聖獣にそんな無体な真似はしない。
聖獣との関係の在り方については、今後ゆっくり考えていこう。
今日のところは、解散だということになった。もう夕方だし、着いたばかりだ。明日からこの場所での仕事が始まる。
部屋の鍵を受け取りながら、明日の集合時刻を聞いた。
「あー、久しぶりのベッド……」
夜営は慣れないし、出来ればやりたくない。屋根のある生活は大事だ。
部屋は相部屋だが、エレノアは先にお風呂に行くと簡易の荷物をそのまま持って、お風呂に向かっていった。
旅路では、『お嬢様』といえば思い浮かべられそうな嫌そうな素振りを見せなかった彼女と言えど、真っ先にさっぱりしたかったのだろう。
エレノアはすごい。
生まれたときから、名家という環境で育てられると、ああいう風になれるのだろうか。
歩き方、姿勢、雰囲気から滲み出ているものがある。ザ・お嬢様の空気感か?
ガルもああだしなぁ、と、養父のことを思い出した。
「……お父さん、思っていた以上にキツい仕事だね」
召喚士。魔獣を退治する仕事。
どういう仕事をするかは聞いていたし、魔獣はガルと出会ったときに見たことがあったから覚悟はしていた。
でも、いざその仕事に飛び込むと、魔獣はこわいと思い出したし、他の問題も見つかってくる。
移動とか、野営とか。
体は頑丈でも、楽しいものではないからキツい。楽しいキャンプではない。
……待てよ。キャンプはやったことがないから楽しい楽しいかは知らなかった。
しかし、孤児院の時点で分かっていたが、この世界はファンタジーが存在していても、甘ったるい優しい世界ではなくて、都合の良いことが起こる世界でもない。
何だこの第二の人生は。ご褒美部分が一つもない。前世だってご褒美部分はあまりなかったと言えるのに。
麗しい養父に拾われたことがご褒美部分だとでも? それで全部チャラになるとでも?
「……お腹減った……」
お腹が減った。意識は、目下の問題となる空腹に移る。お風呂も入りたい。
「ギンジ、食堂行くよ」
部屋を出て、食堂に行くことにした。
歩くと、当然ながら知らない人たちばかりだ。
「知ってたか、ここ、パラディンが来る予定らしいぞ。しばらく常駐するとか」
「パラディンが? そんなに深刻な状況ということなんですかね」
「先を見越して、万が一を考えてだろうと思いたいな」
深刻そうな顔をした人たちの横を通りすぎるところで、そんな会話が聞こえてきた。
「パラディン……」
一瞬立ち止まりそうになりながら、呟いた。
最高戦力。
教会の最高戦力の人たちのことを示す。
最高階級だが、『最高位』とはまた異なる地位にいる人たちの総称だ。
通常、魔獣討伐には複数人でチームを組んでいるが、彼らは固定の部下を持ったりせず、単独行動が許される。単独行動が出来る力を持っている。
最高位が年寄りの集まりだとすれば、パラディンは前線に出るため比較的若い者たちの集まり。これはセナの言ではない。
パラディンは、通常は本部にいて、現場に向かうとしても基本的に現地に駐在する形は取らない。
その最高戦力が、この砦に留まるようにされる。
人手が集められているようでもあるから、不穏な空気を感じて、少し、気が重くなる。
やめてほしい。
戦いなんて、この世界に来るまで、セナには遠いことだった。実感のない、知識だけで知っている出来事だった。
ここでは、人同士ではないけれど、当たり前に戦いに身を投じている人たちがいる。
ああ、安全なところに勤めたい。
そのために頑張るしかない。
「パラディンか……」
ガルにしろ、それなりに高い地位にある彼らは優れた能力を持つのだろう。
そういえば、天使の絵はいくつもあるが、代表的なものが一つある。
ノアエデンの屋敷に飾られている絵だ。
天使と聖獣の絵。
その中に、一番見事に描かれた聖獣がいる。その聖獣は、一番大きな力を持つ聖獣なのだという。
「……一番大きな力を持つっていう聖獣は、どんな姿してるのかな」
『ん?』
「ギンジみたいな猫だっていう可能性もあるのかな」
『どうだかな。それよりセナ、私を運べ』
興味なさそうな言い方をする猫が立ち止まった。
『この姿は、歩幅が小さくて厄介だ』
「ちょっと分かる」
歩幅が小さいのは不便だ。
今はそうじゃないけれど、小さな子どもに戻った気分だった五年前、同じことを思った気がする。
こんな小さな猫なら、普通に歩く人間に着いてくるのも大変だ。
抱き上げてやると、ギンジは肩に落ち着いた。
「でも、ギンジ、戦うときは他の聖獣みたいに体大きくできてるんだし、そっちを維持したらいいんじゃないの? ポケットに入れないから出られないなんていうことも起きないし」
『他の召喚獣がどうかは知らないが、私はお前がこの姿を好むかと思ってそうしているだけだ』
「え? そうなの?」
『お前は猫が好きだろう』
「うん。……でもギンジみたいにすごく大儀そうな猫はちょっと予想外というか……」
『それは性格だ。改善しようがない』
「いや、好きだよ」
飼っていた猫、名前の元になったギンジとは違うけれど、好きだ。
相棒とは、こんな感じなのだろう。
動物と喋るのは、慣れると、人間と喋るのよりも気楽な面がある気がする。
「待て」
セナは食堂への道を行き続ける。
「君に言っている」
それが自分にかけられた言葉だとは思わなかったから、肩に手をかけられ、強制的に制止を要求され、初めて止まった。