3 おめでとう
召喚を終え、学園を後にした。
実を言うと、この世界の学校というものに多少興味があったのだけれど、用が終われば部外者である。
学園からの帰り、街を歩くのにも物珍しい。
学園があるのは国の首都で、同時に大陸の中央だ。この世界、この大陸は一つの国を柱として、複数の国がまとめられている。想像していた国とは異なり、一つの大きな国とでも考えた方がいいのかもしれないという印象だ。
国間の大きな争いは稀で、あるのはもっぱら悪魔とその賢族の魔物や魔獣との争いだけだとか。
大陸一番に気候が恵まれている国で、その国の中でこれまた一番過ごしやすい地──首都は早くも暖かくなっていて、散歩にはちょうど良かった。
散歩日和としては、ノアエデンには負けるか。
「……あれ?」
首都のエベアータ家に向かえば、大きな鳥が用意されていて、帰りはそれで帰る予定だった。
のだが。
「ノエル?」
家に、少年の姿の精霊がいた。
背丈も変わらず、容貌も変わらない精霊が軽く手を挙げる。
「お帰り、セナ。召喚は成功した?」
「うん」
ほら、と腕に抱いた猫を見せると、猫は『精霊か』と呟いた。
「本当だ。僕たちとしてはちょっと残念だけど、良かったね」
残念?
「それより、早いところ帰ろうか」
「それより、はわたしも言いたいんだけど。ノエル、どうしてここに? 外に出て大丈夫なの?」
セナの疑問に、ノエルが一度首を傾げた。
「僕は精霊の中では力があるほうだから、外に出ようと思えば出られるし、短時間なら何の影響も受けない。セナを迎えに来た」
「わたしを?」
「エデが迎えに行くって言って聞かなかったから。エデに行かせると、人間が大勢いる場所にも行って騒ぎを起こしかねない。だから、僕が代わりに来ることで収めた」
エデが待ってる、とノエルが地面を示すと、地面にぽっかり穴が空いた。底は、見えない。
入るように示されるからには、泉のような出入口らしい。
帰りの旅路が省けるとは、予想外のラッキーだ。
「ありがとう、ノエル」
「どういたしまして」
セナは猫を抱いて、穴に飛び込んだ。
精霊の森は相変わらず心地の良い気候だ。
森の外は、今は少しだけ肌寒さが残っていた。
心地良い気候だけであると、今後困るということで、ガルの方針で適宜ノアエデンを出ることになりそうになったとき、それならと精霊が季節と気候を外に合わせ始めたのだ。
それまでが本当に一年を通して不変な気候だったかはセナは知らず終いで、雨の日、ちょっと風の強い日、雪が降って寒い日が訪れていた。
雪が解け、春よりの気候となったノアエデンの草原を歩いているとガルがいた。
花が乱れ咲く中、一本、存在感のある大木にも花が満開に咲いている。
桜ではない。冬並の気候であれ、季節ごとに異なる花を咲かせる、摩訶不思議な木なのだ。
今は春のごとき気候を表し、桜のような色の花を咲かせているが、花の形は薔薇に酷似している。豪華絢爛な木だ。
その木の元に、ガルはいた。
「お父さん」
彼が振り向く。背後の花が、背景として似合いすぎる。
「セナ、お帰りなさい」
「ただいま帰りました」
報告するより先に、ガルの目が、腕の中の猫に気がつく。
「随分、可愛らしい聖獣ですね」
ですよね。
ガルは予想外だったように瞬いた。
「契約印は」
ここに、と手首の裏を見せると、ガルは頷いて、
「おめでとうございます、セナ。これで同時にエベアータ家次期当主、私の後継者としての権利も正式に発生します」
重みのある言葉をくれた。
──今さらながら、セナが養子として入ったエベアータ家とは、このノアエデンの土地を代々任されている家であり、代々聖剣士や召喚士を輩出しているそこそこ高名な家でもあるらしい。
ガル・エベアータは、エベアータ家の現当主である。
歳は四十過ぎ。あの外見で、四十代なのだから未だに信じられない。目を疑う。
父親とは、中年太りの父親しか知らないセナにとって、ガルに対する「お父さん」はあだ名に成り果てた。
あだ名感覚でなければ、あの人に誰がお父さんなんて呼びかけられるだろう。
それはそうと、ガル・エベアータは名門家の当主として、いわゆる跡継ぎ問題に直面していたらしい。つまり、結婚だ。
しかし結婚はするつもりはなく、跡継ぎは確保しなければならない彼が森の中で出会ったのがセナだった。
初めは助けた以上でも以下でもなかったようなのだが、セナが孤児で、召喚士としての才能があると知って引き取ることにした。
あ、ちょうどいい拾い物。そんな感じだったのではないかと思う。
引き取られた側としては、孤児院にいるより良いと思ったし、実際良かった。
召喚士とやらの資質はよく分からなくて、大丈夫かと思ったときもあったが、本日めでたく資質は確かだったと証明され召喚士となったのである。
「これで私も一安心。心が軽いですよ」
いつもより何割増しか饒舌なガルが、珍しく酒を飲む。
天使を崇める職にあり、雰囲気からして聖職者的なので、飲酒とか駄目だと思っていたら別にそんなことはないのだ。
酒が入って酔っているのか。ほんのり赤みが差した顔が、いつもより緩く笑っている。
『何だセナ、嬉しくなさそうな顔だな』
食卓で、向かい側を眺めながら食事しているセナは、横を見る。
ベアドがいた。
『ガルがあれだけ褒めているんだから、喜んでおけよ』
「いや、褒めてはないでしょ」
『自分のことのように喜んではいるぞ』
「それは本当に自分のことで喜んでると思う。わたしが召喚士になったことを喜んでるというより、わたしが召喚士になって跡継ぎ問題に区切りがついたことに喜んでる」
『セナは正確に読めすぎる子だなぁ』
ベアドは笑い、ガルの元へは行かず、そのままセナの元に腰を下ろした。お座り状態だ。
『しかしまあ、小さいのを召喚したな』
セナの聖獣を見ての感想だろう。その聖獣自体は、セナの部屋にいる。部屋に戻りたい。撫で撫でしたい。
今日から猫と一緒の生活が戻ってくる。
「小さいのは珍しい?」
『いると言えばいるが、魔獣に対応するために召喚に応じるのにあれだけ小さいのは見たことがないなぁ』
「大きい方がいい?」
『一概にそうだとは言えない。何事にも例外ってものがあるから、小さいからと言って力量までそうだとは言えないからな』
「ギンジの力量わかる?」
好きなように呼べばいいと言われた結果、ギンジと呼んでいる聖獣は、可愛らしい。
魔獣と比べると、食べられてしまいそうだ。
『さぁ?』
「さぁって」
『これから分かる。どのみちセナが喚び出した聖獣はあれだ』
「言い方にとげを感じるんだけど」
『ええ? でも、セナが喚び出したならそれなりの聖獣だと思うぞ』
「なんで?」
『何となく』
まさかの感覚百パーセント。
「ベアドって強いよね」
『当たり前だろ』
「お父さんってそれなりに高い位持ってるって聞いたけど、位が高い人ほどやっぱり強い聖獣と一緒?」
『そうだな』
それを聞いて、ガルを見る。
あの人、問題が片付いという感じで祝ってるけれど。
「わたしの聖獣が強くなかったら、どうするんだろう」
ギンジは強いと言っていたから、万が一の話。
そもそも、そこら辺で出会った子どもを跡継ぎにしようと思って、ぽんと教育を与え、召喚士になった時点で問題解決としているのって大丈夫なの?
『そのときは最終手段があるから、大丈夫だぞ』
「……最終手段?」
『セナは安心して、どんと構えていればいいんだ』
いや、そもそもかなりいい環境にほいほいされちゃったけど、当主ってすごい肩書きに思えてきた。跡継ぎって。
大丈夫だろうか。
スタート地点に立って、今さら思った。そういう責任とは無縁の人生だったから、ちょっと怖いなあ。……面倒そうなんて、思っているわけではない。
「セナ」
「はい」
向こう側からの呼びかけに、背筋が伸びた。
「これからのことですが、半月後に本部で正式に召喚士として任命されます。そのまま召喚士としての生活が始まることになります」
「半月後?」
「はい。今日学園を卒業した子達と同じ動きになります」
同じ予定の人がいるからって、当然のように言われても、たぶん彼らは元から知っていただろうけどセナは今知らされた。
「まずは本部で任命式典があり、その後仮の隊に配属です。とりあえず新人からしばらくは宿舎で過ごすことになるので、荷物をまとめておいて下さい」
おっと、これも初耳である。
どうも家から出ることになる模様。
「例外なく一番下、銅階級からの出発です。セナ、頑張って下さい」
「……頑張ります」
まだ半月前に言われただけましと思うことにした。