2 召喚の儀式
セントリア学園は首都にある。
対して、セナがいるのはノアエデン。首都外の領地だ。
今日召喚しに行ってこいと言われても、大きな鳥で行ってもどれくらいかかるのか知らなかったのだけれど。
行きは精霊の泉から、首都のエベアータ家に移動することになった。精霊が、移動時間で留守にするなどあり得ないと泉を差し出してくれたのだ。ありがとう。
ということで、朝食後にノアエデンを出て、一瞬で初見の家へ。そしてそこから学園へ。
「ついにファンタジーな力を手に入れてしまう」
「何か?」
「いや、あの、想像より見事な建物だと思いまして」
案内人は微笑み、「重要な役割を担う学園ですので」と言った。
それにしても、豪華すぎる。宮殿の類いでは?
政府の中にある組織、教会が運営するセントリア学園は、外観からして、城のそれだった。
そういえば、ノアエデンのエベアータ家の邸も個人の家にしては、大きすぎだし豪華すぎないか?というほぼ城の外観と内装をしている。
しかし学園という、つまり学校であるここは収用人数が異なることも働いてか、さらに規模が違った。
内装も、廊下は広く地面が大理石のよう。柱は太く、パルテノン神殿の形状だ。
城や宮殿ではなく、神殿か?
「本日は学園までご足労いただき恐縮です」
「いえ、とんでもないです」
「召喚は緊急時以外は、原則教会本部かもしくはここセントリア学園の卒業式時でしか認められていないもので。ああ、ご存知ですね」
「失礼致しました」と謝られ、セナは「いいえ」と返しておく。こういうやり取りは分からない。テキトーだ。
適切な会話についても本を読まされたりしたが、何せ今日まで発揮される機会には恵まれなかった。
人気のない廊下を進んで十分程度か。
二人分の足音以外に、複数の足音が混ざりはじめた。足音が近づく。
前から一人の男性が来た。その後ろに、高校生くらいの男女がちらちらと見え隠れする。
「ちょうどの頃合いでした」
案内人が言うと同時、左に曲がる道の前でこちらとあちらの列が鉢合わせた。
「エベアータ家の娘か」
セナに目を向け問うたのは、向こう側の先頭の男だった。
こちらの案内人の肯定を受け、男はセナをじろじろと見る。
「ここからは私が預かろう。──名は」
名を問う言葉は、こちらに向けられた。
「セナ・エベアータ、です」
舌に上手く馴染まぬ名乗りに、男は頷き、最後尾につくようにと自らの後方に視線を動かして促した。
ここから案内人チェンジらしい。
セナは黙って、歩きはじめた列の最後尾についた。
前を歩く青年少女たちは、同じデザインの服を身に付けていた。制服なのだろう。ここは学校だ。
自分だけ私服を身につけている状況に、何だか転校生になった気分だった。
まあ、前を行く彼らも今日限りでその制服を脱ぐようである。
今日は彼らの卒業式。しかし、悲しそうであったり、嬉しそうな顔ではなく、緊張して強張った顔をしているのには理由がある。
卒業式は、最後の試験の場でもあるらしく、セナがこの列に加えられたということは彼らは今からその試験の場に行くのだ。
卒業か、最後の最後で退学か。
そんな、厳しい試験の場に。
セナもセナで他人事ではない。同じ『試験』、『人生を決める儀式』に挑む。
六年通うらしい学園に通ってはおらず、六年が水の泡になることはないが、孤児院から引き取られた理由を考えると気楽ではいられない。第二の人生の将来がかかっている。
「さて、諸君」
丸く、開けた場所に着き、案内人が振り向いた。
「周りにある扉の向こうが、試験場だ」
周りには扉が複数あった。デザインは全部同じだ。色も。間隔も。
「諸君がするべきことを今さら細かく説明するつもりはない。中で儀式に及ぶのみだ。聖獣を召喚しなさい」
それがやるべき、たった一つのことだと述べる案内人の背後には、巨大な絵があった。
視線を巡らせれば分かる。彼の背後のみではなく、この空間の壁と天井一面に絵は広がっている。
壁は地上に、天井を空に見立てて繋がった巨大なこの絵を、見たことがある。この世界に来てからの本で見た。
天使の側と悪魔の側の絵だ。半分が明るく、半分が暗い。暗い方はよく見えない。黒の中に、魔獣の目のような目が光っている。
「召喚に成功した者のみが召喚士となり、教会の部隊に配属される資格と、今日この学園を卒業する資格を得る」
絵に吸い込まれていた視線を戻すと、案内人とまともに目が合った。
セナを引き取ったガルとは違う、ちらりとも笑っていない目だった。
「機会は一度のみ。やり直しは許されないことを心に刻みなさい」
はい、と学園の生徒たちが一斉に返事をした。
それから、順に名を呼ばれ、扉を宛がわれた。リアン、ダグ、ジェイク、マリオン……。
「セナ・エベアータ」
最後の一人がセナだった。
示された扉の中に入る。
床には、複雑な模様が描かれていた。召喚陣だ。
体内に循環する力を使い、聖なる獣を呼び出す儀式を行うためのものだと言うが……。正直未だに体内にある力というのが、いまいち分からない。
「どうせなら、魔法とかの方が分かりやすくてファンタジーで夢があったのに……」
いや、動物が喋っている時点でファンタジーで、精霊がいて、天使側と悪魔側の戦いの歴史があって、魔界が存在する世界な部分もファンタジーだけど。
いまいち力というものが掴めないまま、一発勝負の召喚とやらに及ぶのはいかがなものだろうか。
「まあ、やってみるしかない」
手順は簡単だ。血を垂らし、文言を唱えるだけ。
覚悟を決め、ナイフで指先を刺し、血を召喚陣に落とした。分かってたけど痛い。
「『我が名はセナ・エベアータ。我は天使の加護を受ける者――』」
暗記してきた長い文言は、飛ぶことなく、存外すらすらと口から出てきた。文言全てを唱え終わり、
「強い聖獣来い!」
つい、心の声が思いっきり出た。
前のめりに、心の底から叫んだ途端だった。光を帯びてきていた召喚陣がカッ、と強烈な光を迸らせた。
「眩し──」
思わず目を閉じそうになったが、召喚陣の中に変化が起こる方が先だった。
光が膨れ上がったかと思うと、大きな白い光が弾け、大きな獣が現れた。気のせいか、ベアドよりも大きく、見上げるほどの獣は、例えるなら一番狼に近い外見を──。
不意に、白い風が取り囲むように獣の姿が揺らぎ、大きな姿が急激に小さくなる。
「……あ」
気がつくと、召喚陣のど真ん中に現れている姿があった。
まだ光を帯びた模様の上、真っ白な存在がいる。あまりの白さに目を細めたくなるくらい真っ白で。
ちょこんと、召喚陣に座る姿は間違いなく──猫だった。
小さな猫。ポケットに入りそうな子猫である。
セナは、猫の姿に目を限界まで見開いた。
猫は小さく、目は金色をして、首元には青色のリボンをしていた。きっと肉球は綺麗なピンクだ、だって、この子は。
「──ギンジ!!」
セナは、猫に駆け寄り、抱き上げた。
すくい上げた体は軽かった。
この質感。フォルム。リボン。この可愛さ。
かつての世界で飼っていた白猫の子猫の頃そのものだった。肉球もピンクだ!
「ギンジだ……」
だがしかし馴染みの存在に浮き上がった感情は、次の瞬間萎み、セナは青ざめた。
どうして、ギンジがここに。
我に返り、気がついたのだ。この猫が、ここにいていいはずない。
「ぎ、ギンジまでこっちに来ちゃったの? まさか、死んだ……ギンジ、まだ若かったでしょ……いや、猫だから五年経てばそれなりの年……?」
『ギンジ?』
白い猫が口を開き、声を出した。
かなり魅力的な低い声であった。大層愛らしい子猫と外見とのギャップがあったが、それよりも。
「ギンジ?」
セナは首を傾げる。
ギンジ、喋った?
『ギンジ? 名前か? ……ふむ、ならばちょうどいい』
喋っている。どんどん喋る。
ベアドみたいに。
『私のことはその名前で呼べばいい。それより「契約」を結ぶぞ』
契約と、聞いて、セナははっとし、自分が何をしていたか思い出した。
足元の召喚陣を見て、抱き上げた猫をまた見る。
──世に蔓延り、退治するべき魔獣は黒い。それに対して召喚獣として現れる聖獣は、清い白さを持つ。
まさか、このリボンといい飼い猫そのものの姿の猫だが、白猫だから白いのではなく、聖獣だから白い?
「聖獣……?」
『お前が召喚に及んだのだろう』
「いや、あまりにも」
飼い猫にそっくりだったので。
そして、ガルの聖獣であるベアドばかり見ていた身として、想像と違ったので。
とは言え、召喚獣の姿は一種ではないようなのでおかしくはないのかもしれない。
ああ、とりあえず、この猫は飼い猫ではないらしい。
そして、召喚に成功した。がっかりしたのか、安心したのか。安心するべきだろう。
「とにかく、来てくれて、ありがとう」
これで、引き取られたところの第一関門は突破できた。
お礼を言うと、飼い猫そっくりの聖獣は大きな瞳を瞬いた。可愛い。
『私が来たくて来ただけだ』
声は全く可愛くない。
「ところで、強い?」
重要な要素も思い出して、尋ねてみる。
出来れば強いに越したことはない。と言うより、これからの仕事を思えば強い聖獣がいいに決まっている。
猫は首を傾げた。猫って首をかしげるのか。可愛い。
『基準がいまいち分かりかねるが、強いとは思うが』
「おぉ……。自称出来るってかなりだね」
『お前が聞いたのだろう』
確かに。申し訳ない。
『それより契約だ』
「はい、契約を」
『お前の名前を私に寄越せ』
それよりってこっちも言いたい。
この猫、言葉遣いに難がある。
「わたしの名前はセナ・エベアータ」
『セナ。──私の名前は【 】』
「え?」
何て?
名前が聞こえなくて聞き返したけど、その前に手首に熱が生じた。見てみると、手のひら側の手首に、五百円玉くらいの大きさの模様があった。
これが、契約印。
『契約完了だ』
猫が、ゆらりとしっぽを動かした。
──外見が天使のように可愛くて、低めのいい声をお持ちの聖獣が、召喚獣となりました。