12 特別な子
強いの一言に尽きた。
ガルは、魔獣をほぼ一瞬で片付け、魔物と呼んだものも容易に片付けてしまった。
魔獣といった、悪魔側の類いは普通の刃物では傷一つつけられない強靭な毛皮を持っている。そういう事情もあって、専用の職があると聞いた。
聖剣は、魔獣の体をあっさり切り裂き、魔物の体を貫いた。
後ろの魔獣はベアドが担当したことで、その場はすぐに収束した。
「まだ森の中にはいるかもしれませんが、近くにいるものはこれで全てでしょう」
怪我一つせず、魔獣の血も浴びなかったガルは、辺りを見てから剣を鞘に収める。
「それで、どうしてここに来たのか教えてもらいましょうか」
セナは、ノアエデンの森の泉のことを話した。
ルースのことを考えていたらルースが映って、魔獣もいたから、身を乗り出してしまっていて、泉に落ちた。
「なるほど。彼は、孤児院での知り合いだったのですね。──ルース」
ガルの呼び掛けに、ルースの肩がぴくりと震えた。
「怒ろうとは思っていません。ただ、聞かせてください。セナも疑問に思っているでしょう。君は、なぜこの森にいたのですか」
誰にでも丁寧な言葉遣いをするガルの、柔らかな問いに、ルースはセナの方を見てから、口を開く。
「セナに、会いたくて」
孤児院から引き取られたはずのルースが、この危ない森にいた理由としては全く思い付かなかったから、余計に驚いた。
ルースは、セナに会いに家を一人で抜け出してきたらしい。
「だけど、孤児院に行ったら、ゲイルが…………セナは森に行ったっきり帰って来てないって。魔獣に食べられちゃったんだって……っ」
頭を抱えたくなった。
ゲイルというのは、孤児院でルースにちょっかいをかけ続けていた少年だ。
何ということを言うのだ。言っていいことと悪いことがある。冗談では済まない事態になっていたかもしれない。知らない間に、ルースは死んでしまっていたかもしれない。
「でもルース、魔獣がいるって聞いたのによく来たね」
「セナが、いると思ったから。セナが食べられちゃってたら、嫌、だったから」
もっと、驚いた。
言えば、一年一緒にいただけの関係だ。けれど、セナがルースがどうしているかと気にかけていたように、ルースもそんな風に思ってくれるようになっていた。
「……セナに会えないの、やっぱり、寂しい」
でも運よく引き取られる先があり、互いに孤児院よりはずっといい環境だろう。……とは率直に言えず。
ここで会えたことのお礼、生きていたら会える可能性はゼロじゃないし、大人になったら自力で会いに行ける力も手に入るかもしれないことを言って、ルースを家に送り届けた。
「セナ」
家に入る前に振り返る彼に、手を振った。
「またね、ルース」
きっと会おう。
ルースが見えなくなると、振っていた手を止め、握りしめた。
何も出来なかった。手を引き、逃げ、けれどあのままガルが来てくれなければ魔獣の餌食になっていただろう。
「怖かったですか」
「……」
「それとも、何も出来なかったことを実感していますか」
「……」
「セナ、君は抗う術さえ知らなかった。そして今、まだ学び始めたばかりの子どもです。何も出来なくて当然です。……ああいうことを言いましたが」
現れたガルは背中越しに、「君はまだ戦い方も知らず、戦う術も持たないと自覚していますか」と言った。
「まだ戦えないのに危ない場所に飛び込むのは止めるべきだと、私は確かに思っています。しかし、今回君がそのとき飛び込まずにはいられなかったことも分かるには分かります」
何も言えない内に、「寒いでしょう」と、ガルはマントをセナにかけ、ついでにセナを抱き上げた。
「!」
「失礼、君には少々長すぎるのでこうした方が効率が良いのです」
こんな子どもに対する抱き上げ方は前世含めて記憶にないので、一瞬うろたえた。
ガルは気にした様子なく、そのまま歩きはじめる。
そして、さっきまで喋っていたのに、 もう話したいことは話したと言うように黙っていた。
セナは、親子を思わせる状況に違和感めいたものを感じながらも、わずかに口を開いた。
「……正直、わたしが、養子になることを受けたのは、わたしだけのためです」
「私がセナを養子にしたのも私のためですよ」
迷いながら言ったことに、迷いなく同じ言葉が返ってきた。
そうだ。自分とガルは、利点が一致しただけの親子関係にすぎない。
それなら、構わないだろう。
「わたしが、生きるのに困らないため。……食べ物に困らなくて、住む場所に困らなくて、魔獣に襲われる恐怖に怯えないため。……そのまま死ぬのが、嫌だったから」
「ええ、当たり前です」
「だけど、さっき、わたしが、わたし自身の身を守れないだけじゃなくて、ルースの手を引っ張ることしか出来なかったのが、嫌だったんです」
決して、誰も彼もを助けたいと思うわけではない。見知らぬ人のことを、身を呈して守りたいとは思わないだろう。
だけれど、今日、あのとき。
ルースの手を引き、逃げることしか出来ないことが嫌だった。
何のために来たのかと思った。迫る魔獣を前に、死ぬ未来しか見えなかったとき、自分が来て何が変わったのかと。
こんなことを感じることは、今までなかった。
前世は言わずもがな。今世だって、ちょっかいをかけてきた少年たちは口で対抗できた。自分一人が魔獣に襲われたときも、恐怖くらいだった。
今回も確かに怖かった、死ぬかと思った。それは同じだ。
でも、ルースの手を引いて逃げただけで、ルースが転んでしまったときと状況は変わらなかったことが、心をかき回す。
「君が先に飛び込まなければ間に合わなかったでしょうし、君が見つけなければルースは知らない間に死んでいたかもしれません。これは事実です」
ガルは、慰めようとしたわけではないだろう。ただ、事実であると言っているだけ。
「……ガルさん、ありがとうございました」
君が無事で何よりです、とガルは淡々と歩き続けた。
「あの森の魔獣退治は一度させたので、今回のものは新たに出てきたと考える方が良さそうです。……それは一旦置いておいて、気になることが別にあります」
「気になること、ですか?」
「ええ。──ベアド」
地面に淡く光が走り、ベアドが姿を現した。
どこからともなく出てくる瞬間を見たのは初めてだったので、セナは目を見張る。
「精霊によるものですね」
『みたいだぞ。地に眠っている精霊が起きてたとしか考えようがないな』
ベアドに何やら確認し、ガルはなぜかセナを見た。
「君と出会ったとき、冬なのにも関わらず花が咲いていました」
唐突な、過去を遡る話だ。
「あのときはそこまで気にしませんでしたが、ノアエデンに来てからのセナに対する精霊の様子と、今日の現象に思い出しました。あのときあった力の名残も、精霊のものでしょう」
「精霊の……?」
ノアエデンでは元気にしている精霊だが、他の地には精霊はいても、眠っている。
「セナ、君は出会ったとききのこを採りに来たと言っていました」
「はい」
「それは絶対にあの場所に行けばあるから、ですか?」
「はい」
初めて見つけたときから、いつ行っても生えていたきのこ。森の中だから、木の位置には絶対的な自信は持てないけれど、とにかくあの辺りに行けばあった。
それが、何か?
「そうですか」
とガルは相づちを打ち、「なるほど」とセナに言うでもベアドに言うでもない、独り言の様子で呟いてから。
「セナ、君は、精霊にとって特別な存在である可能性が高いです。単に気に入られるのではなく、より特別に気に入られ、気にかけられる人間です」
「?」
話がますます読めなくなってきた。
「そういう人間を、精霊の愛し子と言います」
ガルがそのまま話を進めていくので、ベアドを見てみた。
『精霊っていうのは、聖獣が天で天使の側に侍っていたのと違って、地上に根差す存在だ。天使の眷族だが人間に根差す存在。その精霊が特別に愛する、この世に一人いるかどうか分からない稀少な人間が』
精霊の愛し子。
「精霊に聞いても彼らはそんなことを意識していないので聞くだけ無駄ですが、勘違いではないでしょう」
「どうして、ですか」
「全体的にです。まず彼らは君を好んでいます。小さな精霊のみならず、エデやノエルがです。そして、精霊にとって特別な領域である森にまで入ることが許され、精霊王が眠る木の元まで許しました」
そこで、泉の話が出た。
落ちた記憶があり、次の瞬間場所を移動していた泉。
エデが「地上全部と繋がっている」と言っていたのは、地上ならどこでも見られることが第一ではなく、きっと泉に映る場所に出られることが一番の特徴だった。
その泉も、万が一許されない者が飛び込んでもただの泉。水の中に飛び込むだけになるそうだ。
「極め付きが、地に眠っている精霊がわざわざ力を使っていたことです」
以上のことが、セナの身に起こっていたことから、特別精霊に愛される稀な存在なのだと、ガルは言った。
そんなことを急に言われても、セナはと言うと、また新たに現実感のないことが表れた心地で何とも言えない。
「忘れてしまっても構いません。当の精霊は意識していることではないので、知っているから何か変わることもありませんから」
「な、なるほど?」
「それでも一つ言うとするなら」
ガルの瞳が、セナを映す。
「君はノアエデンに来るべくして来たのでしょう」
さあ、帰りは一瞬では帰ることは出来ませんよと、大きな鳥を待つことになった。
ノアエデンに帰るには、ガルと初めて会ったときと同じような道を行かなければならないらしい。
帰ったら、心配しているそうなエデやノエルに謝って、ガルを呼んでくれたことにお礼を言おう。
そして、明日からまたあの土地で、時にのんびりしながら頑張ろう。
──ガル・エベアータに出会い、不思議に満ちた世界の全容を知った。最も精霊に愛される土地で、精霊に気に入られたセナの生活は、まだ始まったばかりだった。
明日から第一章に入ります。