21 好み
「ここだ」
ヴィンセントの案内でやって来たのは、便箋を扱っている店だ。
「わぁ」
中に入って、セナは感嘆する。中にはたくさんの便箋が並べられ、売られていた。
「たくさんありますね」
「便箋専門のようだからな」
紙のにおいと、心なしか花みたいないい香りがする。
各々見ることにして、セナは店内でヴィンセントと別れた。
並べられている便箋を一つ一つ見ながら、ゆっくりと横にずれて進んでいく。
便箋は、予想よりもずっとたくさんの種類があった。
色入り、模様入り、香りつきのものもある。模様入りは、模様自体の種類もだが、ワンポイントや周りを縁取るようなもの、全体に描かれているものといった種類の違いもある。
可愛らしい印象の便箋を見ていたセナは嬉々として一つの便箋を手にしたところで、考えた。
手紙とは、相手の手に渡るものだ。
相手に渡ることを考えた方が良いものなのだろうか。
でもこれ可愛い。
手にした便箋が、例えば父の元に渡ったときのことを考える。
……。うん。
違和感はないけど、似合いはしない。
観賞用として買う? いやいや、買うなら使いたい。
セナはちょっと悩み始めて、今いる女性向けのようなエリアから、シックなデザインの方を覗いてみることにした。
ガルに送るならこれかなぁ、というものを見つけたものの、それと、自分の好みの便箋を見比べる。
うーん、と内心唸りつつまた横に横にずれていく。
「好みのものはありそうか?」
声をかけられて、下ばかり見ていた目を上げた。
「ヴィンセントさん」
「こことは別に、便箋を取り扱う店がまだあるが」
楽しそうに見ていたはずなのに見かけると小難しい顔になっていたから、と発言の理由が明かされ、セナは首を横に振る。
「ちょっと迷っていて……」
自分が持つ便箋と、近くに飾られている便箋を見やる。
「こういうのって自分の好みか、相手の好みかどちらで選ぶべきなんでしょう。と言ってもわたしが送るのって父くらいで、父の趣味が分からないんですけど」
まったくもって致命的である。
自分に手紙を送るのなら、迷わず決められるのに。
「それで、そんなに違うのか」
セナの手の便箋と、すぐ近くにある便箋は趣が異なりすぎた。
「家同士の公務でのやり取りでは、相手の好みに合わせて便箋を変えるということもあるそうだが」
ヴィンセントの目が、飾られている便箋から、セナの手元に移る。
「家族間のやり取りなら君の好みでもいいのではないか? 誰から来たか一目で分かるものにもなる」
なるほど、そういう見方がある。
ヴィンセントのことばに目から鱗である。
「じゃあ、これにしようと思います」
もちろん、自分が一目で気に入っていた方に。
セナは即決して、ぱっと微笑んだ。
そこで、ヴィンセントが手にしている便箋が目に入った。
「それ、ヴィンセントさんっぽいですね」
「俺っぽい?」
自分が持つ便箋を示されたと理解したヴィンセントは「ああ……」と言ってから、微笑した。
「相手の趣味が分からないからな」
と。
家族に送る用ではないということだろうか。
ヴィンセントも買う便箋が決まっていたらしい。各々目的の便箋を買って、店の外に出た。
いい買い物をした。
「では本題だ」
ヴィンセントの本題は便箋だったろうに。
セナの用事の番となり、次はどこに向かうかというところで尋ねられる。
「君がものが決まっていないと言ったのは、目的もなく店を散策しに来たのではなく、目的はあるがものが決まっていない、で合っているか」
「はい」
道中、店の外観だけでも見て把握しようと思ったセナの様子で察したという。
「目的は聞いてもいいものか?」
「はい。……その、父と、精霊に贈るものを探したいんです。お世話になってきたのでこの機会にと思って」
「エベアータ元帥と、精霊」
「精霊には、形に残らないお菓子をって思ってるんですけど、父の方は……」
大変行き詰まっている状況を、ヴィンセントに白状する。
「こういうプレゼント初めてで、男性は何を送られたら嬉しいものとかありますか?」
あったら便利なものとか、と緊急アンケート実施である。
「父に、か」
ヴィンセントは考える仕草をする。
「普遍的な回答にはなるかもしれないが」と前置きをして、なんとヴィンセントは律儀にも答えてくれる。
「あれば便利なものなら、男に限ったことではないが日常的に使うものから辿っていくのはどうだろう。例えば、仕事でも教会の仕事なら衣服は教会の制服があるが、私的な服装含め衣服の小物の類いがある。日常的に身につけるものだ。私的な衣服であるなら、どういう服装をしているか個人の趣味が出る部分もある」
服装。
そういえば、ヴィンセントは仕事ではないので新鮮な服装だな、とじっと目の前のヴィンセントを見かけて、セナは慌ててやめる。
失礼であるし、父の服装を思い出すべきだ。
「ネクタイ……ネクタイピン……」
でもあれは、何というか主張が大きい気がするし、ネクタイをしていない日もある。
ベルト? ペン? 靴……は値段とリスクが高そうだ。そもそも靴のサイズを知らない。
もっと、主張はなく溶け込めそうだけど、使ってもらえそうなもの……。
何だか、もうちょっとで手が届きそうな気がする…………。
「ハンカチ」
ぽんっと思い付いたものを口に出した。
ハンカチだ。
公的なものと私的なときのものを使い分けているかは不明にしろ、ハンカチは必ず持っていると思う。
いいのでは。これなのでは。
どうして思い付かなかったのか。
「ハンカチを買えるお店を教えてください!」
ヴィンセントはやっぱりすんなり頷いて、セナを促し、歩き始めた。
「精霊には菓子だと言っていたな」
あれがこの街で最も老舗の菓子店であるとか、あっちが最近話題の店らしいとか教えてくれる。
流行とは、予想していたより詳しいなと思っていたら、何でも家にいると勝手に耳に入ってくるのだそうだ。
勝手に耳に入ってくる状態とは一体。お母さんだろうか、とか、さっきちょっとだけ会ったヴィンセントの母が頭に過った。
それにしても菓子店の前を通るたび、甘い、いい匂いがする。
「寄るか?」
いい匂いだなぁと頬を緩ませていたら、ヴィンセントに尋ねられて、慌てて首を横に振る。
若干心が揺らいだけれど。
「先に父の方を済ませます」
と言うのも、時間がかかるのが目に見えていた。
手紙と違って、本当に相手に使ってもらうものなので便箋以上に悩むのは当然と言えたのだ。
入った店は品揃えがよく、価格帯も手軽に手に入るものから高級なものまで揃っていた。
うんうん唸りながら、セナはようやくプレゼントするハンカチを決めた。
途中でベアドに『セナが似合うって思うもの贈ったらいいだろ。そういうの気遣いすぎるのって、ちょっと前までの関係性までだと思うんだよな』と言われた影響もある。
ガルの趣味は分からない。知らないものはいくら悩んでも分かるようにならない。
それなら、それなりに考えて選ぶ他ない。
「こちらですね。かしこまりました」
店員の女性がセナの選んだデザインを確認し、笑顔で続ける。
「お名前などつけることができますが、いかがされますか?」
刺繍で縫い付けるオプションがあるらしい。
「こちらのようにですね」
出されたサンプルのハンカチに、隅の方に見知らぬ誰かの名前が黒い糸で記してあった。
こういうのは手作業なのだろうか。すごい。
「紋章など、特注も可能です」
ただただ技術に感嘆していたセナは、紋章、という単語にぴくりとする。
「どうかしたか?」
はっとしたセナに、ヴィンセントが尋ねる。
「紋章が」
「紋章?」
セナは頷く。
「父が持っているハンカチ、エベアータ家の紋章が入ってるものばかりだったんです」
覚えている限りで。
しかしたぶん全てに。セナの今日の持ち物のハンカチにだってついている。
出してみると、やはりついている。
「入れるのか?」
「入れなくてもいいのかなと思っています」
「いいんじゃないか?」
むしろなぜ入れなくてもいいのか気にするのかと言うように、ヴィンセントは首を傾げる。
「君はエベアータ家にプレゼントするのではなく、エベアータ元帥──と言うとまたややこしいか。君は、君の父個人にプレゼントするんだろう?」
つまり、元帥でなければ、エベアータ家当主という立場の彼にでもなく、ガルという個人に。
確かに。
じゃあ、名前入れてもらおうかな。イニシャル、頭文字……。
「ヴィンセントさんの助言のお陰で決められました」
今日はヴィンセントの助言で成り立っていると言っても過言でない。
店員を待っている間、ヴィンセントにお礼を言う。
ガルへのプレゼントという一番の難題は越えた。
「俺は、俺が言えることしか言っていないから、お礼を言われることでもない。助言になったと言うなら何よりだが」
それにしても、と彼は意外そうに言う。
「君は、けっこう悩むんだな」
セナは首を傾げる。
「大きな決断も思いきりよくしていた印象があった。……あれは自分のことだから、状況が違うか」
「誰かの手に渡るものとなると、悩むのかもしれないです。プレゼントなら喜んでもらいたいですし。今回は情報不足が原因ですけど」
「情報不足、か」
散々時間をかけたセナに、全く呆れもせず、退屈な様子も見せないヴィンセントは何か思案するようにちょっと黙った。
それから、おもむろに口を開く。
「君が自分に買うならどれにする?」
「自分に買うならですか?」
問われたままに、セナは前の机に置かれたままの小さなハンカチのサンプルを眺めて、一つを指さす。
「これです」
やっぱり即答だな、とヴィンセントは言いつつ、「なるほど」と言う。
そんな彼に、セナは何気なく尋ね返してみる。
「ヴィンセントさんが自分に買うならどれにしますか?」
「俺か」
ヴィンセントはサンプルを視線でなぞり、少ししてから一つを示す。
「これかな」
セナは示されたハンカチのサンプルを見つめる。
これがヴィンセントの好みなのか。
そんな些細で、今日は散々ガルのものに思いを馳せていたそれに、セナは動きを止める。
好み。
ヴィンセントの好み。
ヴィンセントと、私生活で会ったのは始めてだ。
北の砦で出会い、砦でもいつ出動するかは分からない状態であれ休日はあったが、ずっと砦に居続けていた。
こんな風に遊びに行ける休日ではなかった。
制服に個性は表れない。仕事中に性格は出ても、私生活は出ない。仕事は仕事。やることは決められている。そこにいるのは教会所属の『誰か』だ。
雑談で多少私生活の欠片を見ようと、それまで。
だから今、急に、不思議な空間に迷い混んだ気分になる。
いつも、制服を着ていた。
仕事ではない話をしたこともあり、自分の身の上を話したこともあるけれど、何が好きだとかそんな話はしなかった。友達じゃない、上司だ。
今、セナが着ているのはワンピースで、ヴィンセントも制服ではない見慣れない服を着ている。
自分の好みの便箋を買って、自分で買うならこのハンカチだという話をして。
ヴィンセントは私生活ではこんな服を着て、こういうデザインの小物が好みなのだ。
「セナ?」
気がつくと、セナはヴィンセントを見上げていた。
どれくらいヴィンセントの顔を見ていたのか、様子を窺うように呼ばれるほどには見ていたらしい。
「ヴィンセントさん、もう、上司じゃないんだなぁって」
ぽろりと、染々とした言葉が口から勝手に出た。
「──いえ、直属じゃないだけなんですけど」
辿っていけば上司ではある。
「ヴィンセントさんと制服着ないで、ハンカチのお店に入っているのが何だか今さら不思議な感じがしました」
よく分からないタイミングで自覚して、いきなり何だか変なことを言ってしまった。
「俺も、君とこうしているのは不思議ではある」
「ですよね」
想像もしなかった。
今日ヴィンセントとこの街で会って、とても驚いたのだ。
「今日、ヴィンセントさんに会ったときびっくりしました」
「驚いていたな」
「ですけど、会えたの嬉しいです」
従者でなくなった帰り道、どこか寂しかった。
もう従者でなくなったんだと何度か思って、よく分からない心地で、でも休暇が明けて隊に戻ったときに本当に実感するのかもしれないと思っていた。
今、嬉しかった。
久しぶり、というほどの時間は経っていない。
だけれど、北の砦であの執務室で過ごした日々はどことなく落ち着いて、あの期間で身に馴染んだ空気があった。
それがもう戻ることがないと分かっていて、今その空気を思い出すかのような時間を過ごしていて、名残惜しいようなそんな心地がしたから。
もう少しこの時間が続けばいいのに、とセナの心のどこかが言った。