11 これから
天使、エド・メリアーズ、──ライナス。
関連事項が頭を駆け巡った。
「ヴィンセント」
振り返ると、そこには服装を変え、早くも出かける準備を整えた母が立っていた。
「また今度、母に付き合いなさい」
母にもちょうど聞こえていたのだ。
家族は姉のみならず、ヴィンセントとライナスに交流があることを知っている。
だから父は聞きたいのではと言い、母も街への外出をまた今度と言った。
もちろんとヴィンセントは母に言い、父に向き直る。
「父さん、今から聞きたい」
「分かった」
座って話をするべく、父の書斎へ行った。
父が上着を脱ぎ、互いに椅子に座ったところで早速父が本題に入る。
「エドはメリアーズ家当主の座と元帥の位を剥奪及び召喚獣との契約を破棄。監視つきで生活してもらうことになった。正確な数は分かっていないが、殺人容疑もかかっているからな」
予想はしていたが、最大の処分だ。
普通家の当主の座など、外部から手出しする権利は基本的にない。こちらは教会ではなく『政府』としての処分だろう。
そして召喚獣との強制的な契約破棄は、教会として一番重い処分だ。
「メリアーズ家は存続、ライナスが当主となる」
そうなったか。
驚きはなかった。メリアーズ家の取り潰しまではいかないだろうと予想していた。であれば、ライナスが自らの身の潔白を証明できたなら彼が当主となると想像できた。
「結局実力主義のパラディンの顔ぶれを見ていても分かる通り、血筋は大事だからなぁ」
そういうことでもある。
家の全ての血筋が罪を犯していたなら別だが、そうでなければ家を存続させる。これまであった前例が語っている。
「ライナスには会えるのか」
「普通に会える。ここまでは立ち会いやら聴取やらで時間を拘束することになっていたが、別に閉じ込めていたわけでもない。一時的に勤務停止が決定されていたから、他の時間は家で大人しくしてくれていたようだが」
それなら、十分に回復する時間にもなっただろう。聴取で神経がすり減る性格でもないはずだ。
その内執務室を訪ねてみよう。
「それから、その内正式に通達があるとは思うが、メリアーズ家が行っていたことについては口外無用だ」
人間の手で、無理矢理天使を復活させる。人の身に天使の魂を下ろす。
メリアーズ家に行き、そしてその前にライナスからエド・メリアーズが何を行っているか聞いていた。
ヴィンセントは黙って頷いた。
言うつもりはない。そして、父にも言わないだろう。セナが、メリアーズ家とどういう関係があるのか、彼女が天使の剣を使える存在であることを。
「……父さんは、天使の剣の話が出たときどう判断したんだ」
「白魔討伐の際か」
ヴィンセントは首肯する。
白魔が出現したとされたとき、厳しい状況だった。人間は白魔には敵わない。白魔に対等であれるのは天使のみ。聖獣さえも敵わない。
そんなとき、エド・メリアーズが天使の剣とそれを扱える存在を伴ってきた。
その前に教会で使用の是非が問われたと聞いており、元帥である父もその場にいたはずだ。
「どちらとも言えなかった。落胆するか?」
それで後に姉に一喝されたそうだ。
「あの状況では使用の許可が勝利の光となっただろう、そして事に当たる息子の生存確率を上げただろう。だが、そんなに簡単に都合の良いことがあるはずがない。これまで使える者がなぜ現れなかったのか。どうやって見つけたのか。そんなことを話している場合かと笑うエドで良くない方法であるのはお察しだ」
結果、どちらも言えなかったなら黙認したも同然だ。それでグレースに怒られたのだと父は言った。
「あの状況下では許可が出た理由は分かっている。俺もどうこう言う言葉は持たない」
悪意を持って許可が出されたわけではないだろう。判断が急かされた状況での決断だったろう。
父は「そうか」と呟くように言った。
「今回、エドの処分の際にも再度問われたわけだ。天使の剣を使えるようになって、その過程を許し、そして天使の帰還を犠牲にするか。人道を取り、または天使の復活を待つことを選び、いつ来るかも分からない遥か未来の楽園への道を取るか」
脅威が去り、時間ができ、全てが明らかになり改めて判断することになったのだ。
白魔の出現を受け、いつまた最悪の脅威に襲われるか分からない今を守るために『その方法』を許すか。
伝説と化しそうな地上の楽園の復活の未来のため、天使の復活を阻害しないことを選ぶか。
そして、一部の人間に対し天使の器として実験紛いのことを行うことを許すか、許さないか。
「人道を公に無視した先に待つのは醜い世界だろう。負のものは落ちるところまで落ちていく。これには目を瞑ると例外を設けてしまったなら、どんどんその範囲が大きくなっていく。教会は人間を守るためにある。ならば、一部の人間に目を瞑ってはならない」
教会は、人間に天使の魂を下ろすことで得られる天使の力を放棄することを選んだ。
だからエド・メリアーズは処分されることに決まったのだ。
「精霊の言葉も結果的にそれを抑止してくれた」
「だが、この世界は厳しいなぁ」父は息をつくように呟く。
「今回は止まれたが、いつか同じ事態に見舞われたなら、今度は止まれなくなる日が来るのだろうな。滅んでしまえば後には何も残らない。滅ぶのなら犠牲を出して世界を守る選択をする日が来るのかもしれない。精霊と決別し、天使を待つことを止める日が。天使が戻ってくるまで、私達はその選択を秘めながら生きていかなくてはならない」
人間はいつでも厳しい立場にある。
きっと、いつか天使が帰り、魔界を制してくれない限り戦い続けなければならない。
ヴィンセントは手を握り締めた。その選択しなければならない方のいつかが来なければいい。せめて、その選択にセナが巻き込まれないように、今は来なければいい。
エド・メリアーズはセナが天使の剣を使ったところを見ていた。その辺りはガル・エベアータが手を回し、情報が漏れないようにしているのだろう。この父の様子では知っているようではない。
一度、聞いておかなければ。
「しかし、おそらくもう白魔が出る可能性はないのではないかと思う」
「なぜだ?」
「エド曰く『愚かな』人間である私はある仮説を立てた」
聞き取りの最中かでエド・メリアーズに言われたのだろうか。
「白魔は天使に反応して現れたのではないか」
二千年、白魔は人間世界に現れなかった。人間世界を滅ぼすなら、二千年の間にできたはずだ。
人間世界が楽園でなくなった今、人間世界に楽園を与えることに不満を持っていた白魔は人間世界の現状に満足しており、天使がいないことにも満足していると考えられる。
それが今回、突然現れた。
二千年の間と、今との違いはただ一つ。天使の剣を使える存在──二千年前殺され不在だった天使の魂の召喚の成功だ。
「メリアーズ家が生み出したのは天使を喚ぶ召喚陣だ。白魔と対等にある存在であり、二千年前白魔が殺し尽くすまでした。聖獣はそうではない。──今回、戦場で白魔は天使の剣を使える少女を狙っていたそうだな。白魔が殺すまでした天使の要素を感じ、また殺しに人間世界まで来た。二千年現れなかった存在が現れた理由にはしっくり来るだろう」
今回北の砦まで連れてこられた少女にいつ天使の魂が下ろされたかはヴィンセントは知らない。
メリアーズ家から、セナと同一人物だろうライナスの妹に儀式が施され、消えたのは五年ほど前だ。
この五年白魔は出てこなかった。
だから父の仮説が崩れるわけではない。
セナに施された儀式が不完全で、そこからまた改良された結果、あの少女とは異なる結果が生まれたのであれば確かに繋がりはする。
それまでにも召喚の試みはされていたはずで、白魔が出るほどの顕著な影響は出ていなかった。
今回、急激に魔獣が増え、白魔が出た。繋げるとするなら違いがあるのだろう。
可能性は十分にあるのだ。炎火の白魔討伐の場で、白魔は明らかに天使の力に反応していた事実が存在する。
「まあ仮説だ。確証はなし。これから人間なりに将来に向けてささやかながら対策を講じることになった」
「対策……もしかして、戦力強化か」
「そうだ。パラディンクラスの人員を増やすべく、パラディン育成計画が持ち上がっている。元々原案はあったが、とうとう本腰を入れることになる。お前の仕事も増えるぞ」
「やるべきことはやる」
これも予想はできていた。
次に備えるのは当たり前で、人間が出来ることには限りがある。
「仕事が増えそうな息子についでに聞くが、従者をまた解雇したそうだな」
「父さんこそ、言おうと思っていたのだがまだ諦めていなかったんだな。父さんが砦に要請したと聞いた」
「従者はいた方がいい」
「その理由は重々承知している。俺も合う従者が見つかるならいいとは思っているが、可能性が低すぎるから解雇を繰り返すなら止めた方がいいと思うだけだ。それより、今回俺についた従者が誰になったか知っているか?」
「知らない」
ヴィンセントはため息をつきそうになった。
「エベアータ元帥の娘だ」
「何だって? いやエベアータに子どもなんていないだろう」
「養子だそうだ」
「ほう」
何度このやり取りをしただろう。
セナの方は、これから倍の回数何度もこのやり取りをするのかもしれない。
「その子も、将来のパラディン候補としていずれ早い内に育成候補になるかな。エベアータが契約の移行申請を行っていたようだし。確か最上位の聖獣だっただろう。ああそれとマクベスも申請するみたいだったな。あそこは今回のことで心配になったようだ」
そういえば、氷雪の白魔はセナの側にいることになったが、召喚獣としては働き続けるつもりなのだろうか。
「私も心配だが、うちの子供は剣士として二人ともパラディンになっているしなぁ」
「心配される年齢でもない」
「年齢は関係ない」
確かに。心配なものは心配なのかもしれない。
親にとっては、立場的には永遠に子供であり続ける。
「白魔討伐、改めてご苦労だったな」
父の手が、肩に置かれる。
「怪我の具合も聞いた。無事の帰還が何より嬉しい」
改まっての言葉は、他の任務の際にはないもので、今回のことが未曾有の出来事であったことを今になってもまた知らせてくるようだった。
あの地で失ったものは多い。一方で得たものもあった。