6.ストレス発散法
別の世界に逃げ出したとは言っても、哲也の帰るところは同じつくば市内の独身者用マンションの一室であり、本当のことを言えば、置かれている環境に大した違いはないのであった。それでも、以前住んでいた会社の独身寮からは、退寮期限の三十三歳まで若干の余裕を残して、とにかく脱出できた。寮にいた頃は、ようやく業務を終えても会社の寮に帰るので別世界に入ることにはならなかった。寮に戻っても精神的な安らぎを味わえないことが続いた結果、夜遅くまで仕事をした後、寮には直接帰らず、いきつけの何軒かのスナックに寄る頻度が次第に高くなっていった。
当時のつくば市は車社会であって、どこへ行くのにも車がなければ用が足せなかった。つくばエクスプレス、通称TXが二〇〇五年八月に開通してから少しは状況が変わったものの、まだTXが工事中であったこの頃は、車一辺倒の世界であった。従って哲也が飲みに行く場合も例外ではなく、自分の車でスナックまで行き、そこの駐車場に止めて深夜まで飲み歌い、帰りは大概代行運転業者を店に頼んでもらって二台で連なって会社の寮まで戻った。
飲みに行くとほとんどが午前様のご帰還となるわけで、朝の目覚めは良いはずがなかった。当時は朝九時の始業であったが、朝食も摂らずに慌てて出社してようやく間に合うような有様であり、これでは仕事をクリーンスタートできるはずがなかった。朝はいつもいやいや仕事に取り掛かり、研究に没頭し始めるのは昼食直後の眠気が去ってからであった。
哲也は就職試験を受ける時、社会のためになるような仕事に就かなければ生まれてきた意味がない、と信じていた。幸い、製薬産業はきちんと薬が創れれば世のため人のためになる仕事ではある。哲也も入社当時は自分の仕事を心の底から誇りに思っていたのであった。ところが、飲み歩きの生活が始まり、それを何年か続けているうちに自己嫌悪に近い感情を持つことが増えてきた。何とかこの泥沼状況から脱出しよう、との決意で退寮を決めたのであった。
つくば市に新たにできた住宅街としては歴史があるというか、この街が研究学園都市となって間もない頃から人が住んでいた数少ない地域である並木地区に会社の寮はあった。哲也は新たな住居を定めるにあたって、これまでの環境を大きく変えたいという気持ちを具現化するために、寮とは会社を挟んでほぼ反対側に位置し、つくば市では北側にあたる大穂地区にした。
つくば研究学園都市の誕生後、かなり長い期間に渡って新たにこの地区の住民となった人たちが居住してきた地区は、竹園地区、松代地区、並木地区であって、町村合併によって相当広くなった現在のつくば市でもごく限られた中心部に近い地域である。この三地区にはそれぞれショッピングセンターなるものが設けられていた。今もその機能を果たしてはいるが、開設当時はこれらの店しか近場で買い物ができるところがなかったと言っても過言ではないような状況だったのである。現在ではいろいろな地区に種々の店が沢山でき、昔と比べれば随分と便利になったのである。
このような新興地区の中では大穂地区はまだまだ開発の余地を残した地区であった。と言っても、この観点は新たにつくばに転入してきた人たちの立場での物言いである。由緒ある筑波山が最も美しく見える、と自負する地元では、長い歴史を刻んできているこの地を新興地区とは呼ばれたくないという気持ちがあり、このような言い方に対して苦々しく思っている人もいるであろう。とにかく、この地区は種々の店が充実してきた他地区に比べればまだ不便であって、休日には必要品を買いだめしておく必要があった。
もっとも独り者の身であり、昼と夜の食事は通常は会社の食堂で済ませている哲也にとって、朝食用のパン、野菜、ジュース、卵、ハム、ソーセージ、簡単に食べられる果物と週に一度まとめて洗濯するためなどの日用品が買えれば十分であったので、夫婦で子供がいる家庭と比べればそれ程差し迫った問題ではなかった。
不便である、ということはそれだけ雑音が入らない、ということでもあった。休日につくば市の中心街にあるデパートに行かなければ会社の人間と出くわすことはほとんどなかった。哲也はそれだけ別世界に住むことができたのであった。寮にいた時とは、この点が大きく異なっていた。寮ではドアの外に出るだけでも会社の人間に出会ってしまうことがあった。同じ世代がほとんどなので、それほど威圧感を感じるような人と出くわすことはないが、それでも会社の臭いのする人とは休みの日ぐらい会いたくなかった。
夜中なので道路は空いていた。朝は会社の駐車場まで二十分くらいかかるが、この時間になってからの帰りは十五分もかからなかった。欲を言えば、会社での精神状態から自分自身の本来の状態に戻すにはもう少し時間が掛かっても良かったが、深夜だし、この程度の時間であっても貴重な気分転換の機会を与えてくれていた。マンションの駐車場の自分のスペースに車を止めると、入り口に設置されているナンバー入力装置に自分の番号を打ち込んで玄関のドアを開け、足音をあまり立てないように注意しながら廊下を歩き、エレベーターで四階まで昇って自分の部屋を開けた。カチャッという音が静まり返ったマンション内に響いた。哲也は心の中で『ごめんなさい』と周囲の住人たちに謝った。
畳半畳程しかない玄関の壁に設置されたスイッチを押して室内灯を点け、ショルダーバッグを机の脇に立てかけると、冷蔵庫から五百ミリリットル入りの缶ビールを取り出して栓を開けた。シュパッという炭酸ガスが缶から抜け出す音を楽しんだ後、ガラス製の器にビールを注ぎ、一気に飲み干した。この一連の動作が哲也はとても好きであった。缶の栓を開ける時の音は、缶に閉じ込められていた炭酸ガスが急に外気圧に戻され、喜んで缶の外に出てきているように感じられた。それは自分自身もが開放されたような気持ちになる、とても心地よい音に思われた。
梅雨が間近なこの時期に限らず、夏は勿論のこと冬でも帰宅後の一杯は格別であった。この一杯で、これまで張り詰めていた気持ちがじわりじわりと緩んでいくのが自分でもよく感じ取れた。逆円錐形の無色で透明なガラス製の器もお気に入りで、『缶のまま飲む人の気が知れない』と人前で思わず発言してしまうほどガラスの口触りが好ましかった。
二杯目も直ぐに飲み干すとテレビのリモコンのスイッチを入れた。いつものように深夜番組は映画かかなりお宅向けの番組が多く、哲也の興味を引かなかった。せめてニュースでもやっていてくれれば良いのだが、と思いつつも一種のバックグラウンドミュージック代わりにいつもテレビは付けっ放しにしていた。
ジャガイモでできたスナック菓子をつまみにしてあっと言う間に一本目のビール缶は空になった。二本目の缶に手を伸ばすこともあるが、この日は赤ワインにした。赤ワインはポリフェノールを含んでいて体に良いということになっているので、哲也も白より赤の方を好んで飲んでいた。夜中の十二時過ぎまで仕事をしてから帰宅すると、若いとは言ってもやはりかなり疲れは感じられた。飲み始めて直ぐはアルコールが肩くらいまで届いた感じがし、だんだんと腕の先の方まで到達していくのがはっきりと感じ取れる日があった。仲間にこのことを言うと、
「そんな嘘臭い話、よくできるなー」
と馬鹿にされることもあるが、哲也は本当にそう感じられる時があった。この夜はそんな日であった。裏返せば、それだけ緊張感と疲れとが哲也を追い込んでいたということになる。二杯目のワインを飲み終わる前に、テレビもつけっ放し、部屋の電灯も明るくしたままで哲也は浅くて不十分な眠りに落ちた。