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4.元研究部門会事務局員

 間もなく安田順一が会議室に入ってきた。佐藤は簡単に両者を紹介した後、鹿子木に一礼してから会議室を後にした。

「初めまして、安田順一と申します。現在私は廃溶媒、つまり研究等で使用済みとなって廃棄する有機溶媒の処理に関する仕事を命じられておりまして、研究現場から離れております。刑事さんの要望にお応えできないかもしれないと思いますが、それでも良いのでしょうか?」

「大丈夫だと思います。私が今日安田さんにお訊きしたいのは、先日亡くなった岩宿明さんの研究部長時代のことなんです。先ずは、岩宿さんご本人のことについてお話を伺いたいのですが。あの人はどんな感じの人だったのですか?」

「警察の方にこんなことを言うのは若干憚(はばか)られますが、どうせそのうち他の人たちからも話が出るでしょうから、お話します」

「はい、是非お願いします」


「この会社の研究者は、一般的に言えば、皆さん理科系の知識技術に相当優れたものを持っています。こういう優秀な人材を確保するためには、いわゆる理科系で有名な大学の研究室から採用するのが安全なのです。つまり、そうすれば外れの人が少ないと会社が判断しているからだと私は思っていますが。それが何年も続くと、そういう有名ないくつかの大学の卒業生が多くなってきます。

 ところが、岩宿さんはかなり変わったキャリアの持ち主で、そのような有名な大学の卒業生ではなかったんです。そのためかどうかは知りませんが、常に有名大学出身者に対抗意識があったと思われます。とにかくどんな事に関しても彼らに勝てば、それで自己満足させることができたように見えました。研究に関することは勿論のこと、クイズや頓智、はたまたダジャレでさえ、岩宿さんにとっては彼らに対抗する勝負事になり得たのです。

 それから、岩宿さんは体も大きく体力自慢をよくしていました。腕相撲ではこの研究所では一、二を争っていたくらいですから」


「そうですか、そんなに強かったのですか。ところで、岩宿さんが転落した場所は筑波山の北側にある岩場だったのですが、何故そんな所に行ったのか、心当たりはありますか?」

「さあ、何故そんな所に行ったかは分かりませんが、それもクイズが好きだったことと関係あるかもしれませんね」

「どういう意味ですか?」

「テレビではクイズ番組が沢山放映されていますよね。岩宿さんはあの手の番組をよく見ていたようで、会社でクイズ番組の話をよくしていました。筑波山のことや近辺の地層などについても結構知っていたようです」

「そうですか、岩宿さんの知識は広かったのですね。さてと、今日は研究部門で重要な会議体での出来事を伺いたいのです。安田さんはその会議体の事務局を長い事されていたそうですね」

「昨年仕事が変わるまでの十数年間、ずっと事務局を担当しておりました」


「随分長い間担当されていたのですね。そうすると、会議の席で起こったいろいろな出来事を覚えているわけでしょう?」

「そうですね。変なもので、順調に進んでいたプロジェクトのことはあまりよく覚えておりませんが、終結させられたプロジェクトに関しては昨日のことのようにその光景が目に浮かんできますね」

「そんなものでしょうかね。それで、安田さんが一番印象に残っているのはどんなプロジェクトでしょうか?」

「それはやはり降圧剤Zというプロジェクトでしょうね」

「高血圧を治療するための薬を創るプロジェクトなのですね?」

「はい、その通りです」

「そのプロジェクトに一体どんなことが起こったのですか?」

 安田は目を瞑り、しばらくの間沈黙した。鹿子木は安田が口を開くまで待つことにした。こういう時の対応の仕方は、流石にそれなりに成果を上げてきた刑事らしさが表れていた。


 数分間当時の状況を思い出し、整理していたように見えた安田がようやく話し始めた。

「降圧剤Zが終結になったのは、二〇〇五年の一月中旬のことでした。いつものように木曜日の午後一時から『研究部門会』がここの大会議室で開催されました。あの日はステージの若いプロジェクトの進行状況報告がいくつかありましたが、簡単に継続することが決済されました。そして降圧剤Zの審議が始まったのでした」

 いよいよ本題に入ったように思えた鹿子木は集中した表情になって安田を見つめた。

「先ず、プロジェクトリーダーだった太田哲也さんという研究員が降圧剤Zのこれまでの経緯を説明しました。何でも、この薬が世の中に出せれば、まだどこの会社も持っていない、世界で初めての作用メカニズムを持つ降圧剤になる、というようなことを熱心にプレゼンしていたのを覚えています。何と言っていたっけな……、そうそう『ファースト・イン・クラス』の薬になり得るとか言っていました。

 降圧剤Zで選び抜かれた化合物に関して、あの時点までに得られていた合成、薬理、物性、代謝、安全性等のデータはどれもが素晴らしい結果であって、今後の展開が大いに期待できると説明していました。しかし、ただ一つ心配の種があったのでした。それは、発癌性予備試験のデータでグレーの結果が出たことでした。確か、チームとしては、降圧剤は長期間人間が服用することになることを考えて、開発へのコース転換後直ぐに発癌性本試験の並行的な実施を是非承認して欲しいと主張していたと思います」

「その発癌性本試験をやるのは大変なことなのですか?」

「はい、非常に大変です。もし、発癌性本試験を実施することになれば、約二年の期間と数億円の費用とが必要になると安全性の責任者が答えていたと思います」

「成る程、それは大変なことですね。それで、どのような結論が出たのですか?」

 安田はどう話を進めるべきか考え始めた様子で、再び長い沈黙に入ってしまった。


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