33.新たな発見
鹿子木が帰った後も洋介は受付にいたが、会員が来ても対応していたのは早めに大学から駆け付けてくれた愛や源さんであった。痺れを切らした愛が皮肉った。
「洋介さん、随分とお忙しそうですね。ただし、頭の中だけのお話ですけれど」
「ええっ、ああ、愛ちゃんか」
「愛ちゃんか、ではありませんよ。受付にいらっしゃるのであればきちんとお仕事をしてください。事件のことを考えるのなら、いつものお部屋に籠られたらいかがですか。そんな顔で受付にいられても会員さんたちに怪訝に思われるだけですわ」
「そう厳しいことを言わないでくださいよ。これでも一所懸命考えてはいるのですから。でも……、良い考えは浮かんで来ないのですよ」
「そうでしょうね。そんな時は一度頭を解放させてあげた方が良いのではありませんか?」
「どんなふうに?」
「やれやれ、世話の焼ける洋介さんですこと。筑波山に関連したことを考えておられるのでしょう? それでしたら、例えば筑波山が見えるような鉄道でプチ旅行でも楽しまれて、筑波山に関する情報をリセットされてはいかがですか?」
「うーん、それは良さそうだな。だけど、私がそんなことをしても愛ちゃんは良いのですか?」
「はっきり言って、今の状態の洋介さんは邪魔にこそなりますけれど、何の役にも立ちませもの。プチ旅行にでも行っていただいた方が、いろいろな意味で良いと思いますわ」
「なるほどね。TXや常磐線からの筑波山はもう見飽きるほど見ているからな……。どこか良い鉄道を知りませんか?」
「そうですね、私の友達で水海道に住んでいる人がいるのですけれど、常総線から見る筑波山もなかなか良いと言っていたことがありますわ。いかがでしょうか?」
「なるほど。私は常総線にはほとんど乗ったことがありませんから、ちょうど良いかもしれません」
「本当に常総線に乗られるのであれば、土曜日曜と祝日なら『一日フリー切符』があるそうですわ。きっと洋介さんは適当な駅で降りて風景を眺めたりされるのでしょうから、その方が都合良いのではないのですか。それに相当お得だってその友達が言っていましたわ」
「有難う。安い方が良いにきまっていますよね。でも、本当に土日に行っても良いのでしょうか?」
「どうぞ行って来てください。受付のことなら、私と源三郎小父様とで何とかなりますから。いつものことですわ」
「うわー、厳しくて優しいお言葉、感謝します」
数日間じっと我慢して迎えた土曜日、洋介にしては珍しく早起きした。幸い、天気は悪くはなく、かなり離れた場所からも山の形はしっかりと見えそうであった。慌ただしくパンを野菜ジュースで胃に流し込むと、薄めに淹れたコーヒーを先ほどよりは静かに飲んだ。自分の焦りに似た感情を抑えようとする意図もあった。小走りで駐車場に向かい、エクストレイルに乗り込むと万博記念公園駅を目指した。まだ一日三百円の料金であった駐車場に車を入れ、つくばエクスプレスの秋葉原行に乗り込んだ。
守谷で降り、常総線まで急ぎ足で歩き、駅員のいる改札口に行って、『一日フリー切符』を購入した。
関東鉄道常総線は茨城県取手市の取手駅から筑西市の下館駅までを結び、利根川水系の鬼怒川に沿って南北に走る非電化の路線である。南側部分の取手駅から水海道駅までの間は複線化されており、いくつかの大規模開発されたベッドタウンに住む人たちの通勤路線となっているのに対し、北側の単線区間はローカルな雰囲気を醸し出している。
下館行の車両は既にホームに入っていた。つくばエクスプレスの最新式の車両を降りて直ぐに常総線の車両に乗ると、いろいろなことが相当異なっているので洋介は少なからず驚いた。車両は一両だけのワンマンカーで、連結している車両はなかった。車内に入ると、運転席の右側の天井から行き先と料金とが分かるようになっている電光表示板が吊り下げられていた。運転席は客室と壁で仕切られているようなことはなく、運転手が直ぐに外に出て乗降客に対応できるようになっていて、とても開放的な造りになっていた。
「丸でバスみたいだな」
洋介は思わず口に出してしまった。普段、筑波山麓の狭い範囲でしか生活していない洋介にとっては旅情が大いに盛り上がってきた。車両が動き出すと、運転席のすぐ右側の一本の鉄パイプだけで乗務員室と仕切られている所にぴったりと張り付くように立ち、一番前の窓から見える風景を楽しそうに眺めた。新守谷、小絹くらいまでは沿線に住宅がかなり多くあり、それほど旅をしているような気分ではなかったが、水海道から石下を通り越す頃はレールも二本だけになり、沿線は田んぼや畑や雑木林が多くなって、洋介はワクワクした気持ちになった。
車両は下妻を過ぎた。次の大宝駅あたりから筑波山を眺めてみると、左側に三角石峰がよく見え、それから右側にだらだらとした稜線が続き、男体山が高く聳えて見えた。その右側に女体山の頂上が男体山よりやや低く現れていた。バッグからカメラを取り出すと、何枚か写した。
「本当は女体山の方が六メートル高いんだけど、ここからだと、男体山の方が高く見えるな」
洋介はいつも見慣れている神郡からの筑波山の形とは全く異なった姿を見て、感慨深げであった。
大宝駅を後にすると、右側に見えていた女体山がだんだん男体山に近づいてきた。次の駅付近に来ると、男体山の陰に隠れて女体山の姿は全く見えなくなってしまった。この地点から見る筑波山は左側に三角石峰、つまり坊主山が見え、その右側に男体山と女体山とが全く重なって一つの峰のように見えた。
「あれ、もしかすると、この辺りが二つ目の問題で指定されている場所かもしれないぞ」
洋介は思わず大きな声を出してしまった。少し離れた場所に立っていた女子高生に変な目で見られたような気がした。次の駅で停車した際、駅名が書かれている表示板を見ると、『騰波ノ江』という漢字の上に平仮名で『とばのえ』と書かれていた。洋介はそれまでこの駅の読み方を知らなかった。
「えっ、この駅は『とばのえ』って読むんだ!」
驚いていた洋介とは対照的に車両は長閑に騰波ノ江駅を発車していった。しばらく走って黒子駅近くになると、今度は女体山が男体山の左側に頭を出してきた。坊主山はそのピークが確認し難くなって、二つのピークしかないように見えた。
そのまま下館駅まで乗った洋介は下館の街を少しぶらぶらと歩いてみた。筑波山の形は黒子駅辺りから見えたものと大差はなかった。駅周辺の雰囲気をほんの少し見ただけなのに、下館の街が分かったような気になった洋介は再び駅に戻り、ホームに停まっていた常総線の車両に乗り込んだ。
帰りは騰波ノ江駅で下車してみた。二つ目の問題に書かれていた場所がこの辺りにあると確信した洋介は、それを何が何でも確認したかった。
騰波ノ江駅の無人の改札口を出ると本当に小さな駅前広場から真っ直ぐの道が見えた。数十メートル歩くと県道三五七号線に出た。鄙びた駅の雰囲気からは想像できないくらい多くの車がこの道を走っていた。その県道を右に進み、家と木が視界から消えると、筑波山が見えてきた。
「ああ、ここから見る筑波山はあの問題に書かれていた通りに見える」
そう言って、何枚か鹿子木に見せるための写真を撮った。
誰かこの土地に長く住んでいる人に話を訊きたかったが、人影は全く認められなかった。仕方なく駅の方向に戻ってくると、駅前広場からの道と県道とが交わる三叉路の角に小さな店があり、中に老人らしき姿が認められた。
「済みません。ちょっとお話を訊かせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ、いいよ。で、何なんだい、訊きたいことって?」
「実は、筑波山の見え方についてちょっと調べているのです。この辺りから見える筑波山は、左側に三角石峰、つまり坊主山が見えて、その右側に男体山と女体山とが全く重なって一つの峰のように見えますよね」
「ああ、確かにそんな風にみえるけど、俺たちは昔からそんな形が筑波山だと思って育ったから特別なことではないように思っているけどな」
「そうですよね。私は筑波山の南側に住んでいるものですから、左側に男体山、右側にそれより少し高い女体山が見えるのが普通なのです。だから、この辺りから見える筑波山の姿はとても新鮮です」
「そんなもんかね」
「それで、『坊主を前にして男と女とが完全に重なり合って一つに見える鳥羽の湖を由来とする駅』というのを探しているのですけど、ご存じないですか?」
「喋っただけじゃよく分からん。書いたものがあったら見せてくれんかね?」
洋介は頷くとバッグの中から手帳を取り出し、問題が書いてあるページを開いてその老人に見せた。
「どれどれ……、うーん。男と女というのは何のことかな?」
「私は多分男が男体山で、女が女体山だと思っているのですが……」
「ああ、そうか。すると、坊主というのは坊主山のことだな……」
「はい、そうだと思います。私には『鳥羽の湖を由来とする駅』」というのが分からないのです」
「なんだ、簡単じゃないか。これは『騰波ノ江駅』のことだな、きっと」
「そうなんですか? 何故そう思われるのですか?」
「『鳥羽の湖』とは、『鳥羽の淡海』のことだよ」
そう言うと、老人は店の中にあったメモ用紙に文字を書いてくれた。
「そうなんですか。それで、その『鳥羽の淡海』という場所はこの近くにあるのですか?」
「二千年ほど前、鬼怒川は下妻市比毛付近で小貝川と合流していたのだそうだ。その辺りの土地の隆起によって小貝川がせき止められて、下妻市北東部から今の筑西市にかけて湖が誕生したんだよ。それが、『鳥羽の淡海』とか『騰波ノ江』と呼ばれていたのだそうだよ。平安時代には高橋虫麻呂の歌にも詠まれた場所なんだ。鬼怒川が石毛方面に流れを変えると、『騰波ノ江』は荒れ地となったんだが、江戸時代になって干拓されて、今のような水田地帯になったと言われているんだよ」
「なるほど、そんな長い歴史があったんですね、この『騰波ノ江』には。そうなると、直ぐそこにある『騰波ノ江駅』が『鳥羽の湖を由来とする駅』であるということですね」
「そうだな。そう考えて間違いはないと私は思うよ」
「有難うございました。本当に助かりました」
洋介は深々と頭を下げ、『騰波ノ江駅』に向かって歩き始めた。
帰りの車両に乗った洋介は、車窓から見える筑波山の形の変化を確認しながら旅気分を大いに楽しんだ。




