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第9話 オウルの襲来

これまでのあらすじ


オルニト国とヘルペト国との終戦、その調印式まで数日。

準備をととのえたオルニト王女カナリアと戦姫たちも一息つけるようになった。

夜警を終え、クロウが作る秘密の部屋で十分に休んだ戦姫、スワンとフィンチ。

その二人が部屋から出ると、それと同時に部屋の外から大声が響いてきた。

1.オウルの襲来


『ひぃぃぃぃぃめぇぇぇぇぇぇぇさぁぁぁぁぁぁまぁぁぁぁぁぁああああ!』


 扉の向こう側から声が近づいてくる。


じい……」


 カナリアが嬉しそうに目を細めた。

 カナリアには声の主が誰かが分かっている。

 どんな顔で近づいてきているのかが想像できる。


 王女カナリアにとって、親のような存在が5人いる。

 まずは両親、つまり王と王妃だ。

 王妃はカナリアが成人する前に若くして亡くなっている。


 次が宰相パロットとその妻。

 仲睦まじい夫婦であるが、子どもはできず、幼かった頃のカナリアと弟ヘロンは大変にに可愛がられた。


 そして最後の5人目が接近しつつある声の主、オウルだ。


 オウルはオルニト国の元将軍。

 20年前にあったヘルペトとの領地争いに決着をつけた英雄である。

 今は一線こそ退しりぞいたものの、政治的な影響力はもちろん、戦闘能力でも国内屈指の存在であり続けている。


 そして、カナリアにとっては、おり役、教育係、上官、相談役と、生まれてから今までずっと世話になってきた大恩人でもある。


「オウル爺さん、あい変わらずだなあ」


 心から微笑むカナリアと違って、スワンは苦笑いだ。

 スワンにとって、オウルとの付き合いは軍に属して以降のもので、カナリアやロビンと一緒にしごかれた記憶が多い。


 そして、先ほどまで側にいたフィンチはいつの間にか姿を消していた。

 クロウはいつもの笑顔でその人物の登場を待っている。


『オウル様! お待ちを! 待ってくだ……』


ダアァンン!!!


 壊れんばかりの勢いで扉が開かれ、衛兵の声がかき消された。


「姫様! 使節団の警護団団長、オウルが参りましたぞ!」


 飛び込んできたのは背の低い痩躯の老人。

 白髪、白い口ひげとあごひげをたくわえている。


 オウルが部屋を見渡してカナリアを見つける。

 目がいったん大きく見開かれ、その後ゆっくりと細められた。

 顔が喜びにゆがみ、しわの寄った目尻に涙が浮かび始める。


「遠路はるばる大儀であった…………じい……創建だったか?」


 カナリアは型式ばった挨拶のあと、微笑みながら尋ねた。


「姫様…………」


 感極まるオウル。

 両腕を前に伸ばしてカナリアに近づいていく。


「おお……」


 目尻の涙がしわに沿って広がっていく。

 そして、皺で吸収しきれない分がポロポロとこぼれ始める。


「おおおおお……」


 うめき声を上げながらカナリアの前に到達すると、そのカナリアの右手を両手で持ち、片膝をついておしいただいた。


「姫様、よく、よくご無事で……」


「爺、それはいささか大げさではないか?」


 オウルはカナリアの顔をよく見ようと立ち上がり、両方の腕をカナリアの手にかける。

 オウルの背はカナリアより低く、見上げる形になっている。


「ヘルペトのような蛮族が住む土地で苦労なされたでしょう……」


 オウルが続ける。


「腐った水、塩の風、舞う土埃、国一番の美貌を誇られた姫様、珠のような、花のような姫様、その姫様が見違えるほどおやつれになられ……」


 と、そこでオウルの言葉が途切れた。

 カナリアの顔をまじまじと見つめるオウル


「おやつれになられて……おやつれに……おやつれ?」


 オウルの言いたいことが理解できたカナリアが笑った。


「はははは。オウル、心配はありがたいが、私はこのとおりだ。元気に過ごしてるよ」


「健やか……というか、随分と……その……お美しくなられて……」


「ありがとう、爺」


「見違えるほどに……むしろ王都の頃よりも……もしかしてい人でも?」


「ば、ばかを言うな。ここは戦場だぞ?」


「……さようでございましたな……それにいたしましても……」


 顔を赤らめ、少しうろたえるカナリアと、腑に落ちない様子のオウル。


「隊長! 衛兵が騒いでおりましたが!」


 そんなところにロビンが飛び込んできた。


「不審な者でも……と、オウル殿ではないですか」


「おお、ロビンか……お主は相変わらずの髪の毛お化けじゃな」


「オウル殿!」


 部下であれば張り倒す暴言だが、ロビンも元将軍には強く出られない。


「人なのか髪の毛なのかわからん、いいかげんその暑苦しいボサボサの……ボサボサ……ボサボサ?」


「オウル殿といえど随分なお言葉!」


「ロビン」


 語気を荒げたロビンをカナリアが止める。


「は! ……隊長?」


「ロビン、オウルはお前の髪の美しさに驚いているんだよ」


「隊長? そんな、美しいだなんて……」


 結わえた髪を体の前で抱きしめ、恥じらうロビン。


 ロビンを頭のてっぺんから全身へと見回すオウル。


「いや、姫様に負けず劣らず……髪だけで言えば……」


 オウルが腕を組み、首をかしげながら続けた。


「ここは戦地、最前線のはずだが……姫様にしろロビンにしろ、一体全体、何がどうなっているんじゃ?」


「爺さん、女というのは見ていないと変わるものだぞ」


 これが答えだとばかりにスワンが口を出した。


「おお、スワン、お主もおったか」


 例によってオウルがスワンの全身を眺める。


「お主は相変わらず図体がでかいだけで、がさつな……がさつ……がさつじゃのう」


「なんだとこのクソジジイ!?」


「スワン、外まで聞こえてるわよ」


「おうおう、今度はスワロウか。まあ次から次へと戦姫が勢揃い……そういえばっこいのがおらんのう?」


 戦姫の最後の一人がいないことに気がつき、見回すオウル。


「フィンチなら爺さんと入れ替わりで出て行ったぞ」


 オウルの疑問にスワンが答えた。


「あいつは爺さんが苦手だからな」


「なんじゃ? なぜじゃ? いつも全力で可愛がってやっておるのに」


 『それが苦手なんだよ』

 オウル以外の全員がそう思ったが、誰も口には出さなかった。


「そうだ、爺、使節団と一緒に来たのか?」


 カナリアが肝心なことを思い出した。


「おお、そうじゃ、その通りですぞ姫様。警護隊として参りました!」


「隊長、オウル殿は途中から走ってこられたらしく、本隊はもうすぐ到着します」


 スワロウがオウルの後を継いで答える。


「姫様に会えると思うと、もう矢も楯もたまらんでのう」


「はは。では、使節団を出迎えないとな。爺とスワロウは一緒に来てくれ」


「うむ」


「わかったわあ」


「ロビンとスワンは団員の受け入れ、宿舎の割り当てと食事の準備を頼む」


「承知しました」


「はいよ」


 ロビンとスワンが部屋を去り、続いてカナリアとスワロウ、そしてオウルが動き出した。


 ドアのところでカナリアが足を止め、部屋を振り返る。


「クロウ、クロウもロビンたちを手伝ってくれ。使節団が不便をしないよう頼む」


「かしこまりました」


 全員に指示を出したカナリアが歩いていく。


 クロウも部屋を出ようとすると、出てすぐのところにオウルが立っていた。

 オウルは腕を組み、クロウの全身をゆっくり見回したあと、その顔をにらみつける。


「クロウ……か。そういえば、そんなヒョロい男もおったの」


「はい。相変わらずヒョロヒョロしております」


 オウルの嫌みを軽く流すクロウ。


「貴様のせいか? 姫様が美しくなったのは?」


「さて、どうなんでしょう」


 とぼけるクロウ。

 オウルの右手が剣のつかに伸びる。


「よもや……姫様に不埒ふらちなことはしておらんだろうな?」


 殺気のこもった問いに対して、心当たりがあったり無かったりで、細い目を泳がせるクロウ。


「ふ、不埒かどうかの基準について議論の必要性が……」


「貴様!?」


じい?」


 オウルの手が剣にかかったその瞬間、カナリアが戻ってきた。


「なかなか来ないが、どうかしたか?」


 オウルがクロウを指さして叫ぶ。


「姫! このような軟弱な男に惑わされてはいけませんぞ!」


「なっ……なにを……オウル! 馬鹿なことを言うな! さあ、行くぞ!」


「そ、そうですな。参りましょう。クロウ、貴様もとっとと行け!」


「はい。承知しております」


 カナリアの部屋から人がいなくなり、そこにあるのは静けさだけとなった。。



------------------------------------------------------------



2.調印準備


 講和の調印会場となる高台の前で、カナリアとスワロウ、そして使節団の文官たちが打合せを行っている。


「……えー、調印台に上がるのはカナリア様と、補助として私、同様にヘルペト側からゲッコー王ともう一人です」


「うむ」


 文官代表の説明にカナリアがうなずく。


「台への登り口がこちら側と向こう側にございますが、その登り口に2名づつ衛兵を置きます。あり得ない話ではありますが、他のものが台に上がらないようにします」


「わかった」


「会場に入る際にも身体検査を行いますが、ヘルペト代表の2名は台に上る前にも武器を持っていないか確認します」


「私のこの剣もか?」


「その剣は軍の指揮官である証ですので、この調印台に持ち込んでいただけます。ただ、調印の座席につく際には、私がお預かりいたします」


「承知した」


 カナリアと文官たちが調印台へと上る。


「台の周囲は調印が完了するまで幕で囲っています。調印が終わりましたらカナリア様とゲッコー王が立ち上がって握手……と、その時に幕を落として、会場にいる皆に握手しているお二人が目に入る、そんな段取りです」


 文官が署名する振りをしたり、立ち上がって握手する振りをしたりと、身振りを交えて説明する。


 スワロウは、文官とカナリアの会話をメモにとりつつ、会場の全体を見渡したり、垂れ幕を引っ張ったりと、色々と確認していた。


「その後、カナリア様には中央にお立ちいただきます。私がお預かりした剣をお返しいたします。目の前には両国の者が並んでおりますので、その前で終戦の宣言をしていただく、そのような流れになっております」


「わかった。宣言の文案はスワロウから渡すので、細部を詰めてくれ」


「承知いたしました」


「以上で調印式は終了です。その後は宿舎の一部をお借りして、文官どうしでの会議を行います。その会議の冒頭でカナリア様から一言頂ければと」


「うむ。内容は……そうだな、和平が成立した時点で戦争の話は終わり。この場からは、両国の繁栄のために全力を尽くしてほしい。隣国であるヘルペトに対して、オルニトは支援を惜しまない。といった内容で良いか?」


「その内容でお願いいたします」


「わかった。会食などはあるのか?」


「はい。次の日の昼に、交流を兼ねた会食を設けたいと考えております」


「それはクロ……わかった。調理補助を何人か用意しよう。スワロウ、献立を施設団の調理担当と打ち合わせてくれ」


「承知しました」


 スワロウは、その何人の中にクロウが含まれていることを理解した上で返事した。


「そういえば……」


 カナリアが思い出した。


「私が調印するにあたっての国王の委任状はどうなっている?」


「は……」


「……どうした?」


 言いよどむ文官にカナリアが再度たずねる。


「それが……その委任状なのですが、オウル殿がパロット宰相から直接預かられたとのことで、我々は持っていないのです……」


「そうなのか? オウル……は警護隊といっしょか。わかった。後で確認しよう」


「申し訳ありません」


「いや、構わない。なにか理由があるのだろう。オウルに直接聞く」


「は……」


「では、次にヘルペトへの支援策について聞かせてくれないか? 執務室の方に行こう」


「かしこまりました」


 カナリアを先頭に歩いて行く文官たちを、スワロウは眉根を寄せてしばらく見つめ、そして後を追いかけていった。



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3.命のかけどころ


 夕暮れ時、クロウは国境の川のほとりに座っていた。


 ロビンたちの手伝いを終え、自分の部屋に戻ろうとしたところ砦の門番に止められた。

 カナリアがオウルと協議中なので、誰であろうとも入室は許可できないとのこと。


 クロウはカナリア直属の付き人であり、他の誰の指揮下にもないため、こうなると動きがとれない。

 仕方がないので、川辺で時間をつぶすことにしたのだ。


 大きな岩に腰掛ける。


所在しょざいない……っていうのはこのことだな」


 目の前、川の向こう岸には、まだ明るさの残る空と対照的に暗い森が広がっている。


「オルニトの森とは、また違う……」


 オルニトとは違う森。

 そして日本とは、まるで違う森だ。


 自分の作る部屋が現代日本基準であるため、ここが異世界であることの自覚が薄くなることがある。


「クロウ、ここにいたのね?」


 クロウが振り返ると、砦の方からスワロウが近づいてきた。

 立ち上がるクロウ。


「スワロウ様、どうかなさいましたか?」


「別に。ちょっと空いた時間ができただけ……そういえば、ヘルペトとの会食用に献立を考えるよう隊長に言われてたわね」


「そうなんですね。お手伝いしますよ」


「ええ、お願い」


「あまり突拍子もないものは避けたほうが良いでしょうね。ろくな食事ができていなかったでしょうから、消化が良く、体への負担が少なくて、馴染みがあるけど、ちょっと美味しい感じで」


「そうね……」


 スワロウは気のない様子で短く答えると、クロウが座っている岩の隣にある、少し小さめの岩に腰掛けた。


「スワロウ様?」


「え? うん。ちょっとね」


「はい?」


「嫌な感じ、なのよね」


「はい」


「ねえクロウ?」


「はい?」


「あなた、隊長のために、命を捨てることができる?」


「え? 突然、どうされました?」


「答えて」


「えー、あー、わ、わかりません」


「………………そう……」


 スワロウが遠くを見つめた。

 クロウの回答をどう思ったか、表情からは読み取れなかった。


「そこまで考えたことがありませんでした」


 スワロウが驚いた顔でクロウの方に向き直った。


「私からすると、考えたことがないっていう方が信じられないんだけど」


「言い訳になるのですが、私のいた世界……私のいた国では、寿命で死ぬことが普通で、病気や事故で若くして死ぬのが不運、戦で死ぬことはあり得ないことだったんです」


「そうなの?」


「ですので、命の使いどころというものを考えることがありませんでした」


「想像がつかないけど、それは少しうらやましい気がするわね」


「カナリア様は、私の命を救ってくださった方です。恩がありますし、とても大切な方です」


「それで?」


 クロウは眉を寄せて、状況を想像した上で、言葉を紡ぎ出す。


「出来ることは何でもしたいと思っていますが、カナリア様のために命を投げ出せるかどうか……その時、その場所で決断できるかどうか……」


「うん。まあ、私もそこまで偉そうなことは言えないわね。例えば、隊長の前に100人の敵兵が迫ってきたとして……」


 スワロウは片手をあごにあて、考えながら続けた。


「ロビンなら即座に隊長の前に立つでしょうね。命をかけて隊長が逃げる時間稼ぎをするわ。迷うことなんかなくね。きっと」


「そうですね」


 スワロウの想像に、クロウもきっとそうなるだろうと同意する。


「スワンも前に立つわ。でも、100人相手に勝つつもりでしょうね。実際は負けちゃうかもしれないけど、隊長が逃げたのならスワンは笑顔で死んでいくでしょうね」


「確かに、そうかもしれません」


「フィンチや私は肉弾戦では無力だわ。そういった場面にならないように努力したり、そういった場面でも対処できるよう下準備に全力を出す方よ。私の命のかけどころは、戦場そのものじゃないって感じ」


「はい」


「その上で、目の前に、避けようがない敵がいて、自分の後ろにカナリア様がいて……って、あらあら、どうしましょう?」


 スワロウが冗談のような口ぶりで続けた。


「私、どうするんだろう」


「そのときの勢い、ですか?」


「そうかもしれないわね。それでクロウ、あなたにもその場の勢いってやつを期待していい? 隊長の味方として」


「それは……それは期待してくださって結構です。何があろうと、私はカナリア様の味方です」


 スワロウが微笑んだ。


「そう。ありがとう。今はそれで十分だわ」


「カナリア様がどうかされたのですか?」


「……どうかされる可能性、ってところかしら。また相談するわ」


 スワロウが立ち上がったところで、今度は男の声が飛んできた。


「おお、クロウ、そこにおったか」


「オウル様……」


「おう、スワロウまで。逢い引きか?…………すまん!」


 スワロウの氷のような視線を受けて、あわてて謝罪を付け足した。


「オウル様、どうされましたか?」


「いやな、貴様に姫様からの伝言でな。今日は一人で考えることがあるので宿舎で寝て欲しいとのことじゃ。わしと一緒に来い。お前には姫様のことでいろいろ聞かねばならん」


 オウルがクロウの腕をつかむ。

 どうあがいても逃げられない力の強さだ。

 クロウをにらむ目力も相当だ。


「スワロウさ……」


 クロウが助けを求めてスワロウの方に目をやると、そのスワロウはクロウに背を向けて立っていた。

 顔は見えないが、笑っていないことは後ろ姿でもわかる。


「クロウ」


 背を向けたまま、スワロウが静かに言った。


「……はい」


「また時間ちょうだい。いろいろお願いね」


「はい。承知しております」


 スワロウのお願いを理解したうえで、クロウが返事をした。

 スワロウは背中を向けたまま右手を挙げて、そのまま砦の方に去って行った。


「おお? 本当に邪魔してしまったか?」


 スワロウに無視されたオウルがクロウにたずねる。


「オウル様、それは勘ぐりすぎでございます」


「そうか?……そうじゃ、お前と姫様のことで話があるんじゃった……というか、貴様!姫様だけじゃなくスワロウとも……」


「ですから!スワロウはそんな間柄ではありません!」


「…………姫様とは?」


「え?」


「姫様とはどうなんじゃ?」


「え? えーと」


 語るに落ちた感があるクロウが口ごもる。


「四の五の言わず来い。優しく聞いているうちに吐いた方が身のためだぞ」


 クロウの腕を握る力が、痛いほどに強い。


「殺したりはせんから安心せい」


 さらにその腕をひねりながら引っ張っていく。


「ちょ、痛っ、ちょっ、優しく! 腕が、腕が取れああっ」


 クロウが体を半ひねりしながら引きずられていった。



------------------------------------------------------------


4.王の遺言


 場所はカナリアの私室。時間は少し遡る。


 カナリアが机に座り、組んだ両手で顔を隠すようにうつむいている。

 机には紙があり、オウルはその前で直立している。


「委任状が判だな」


「はっ」


「陛下……父上の筆ではない」


「……」


「オウル……頼む……覚悟はできている」


「陛下は……お亡くなりになった」


「…………そうか」


 カナリアは声を絞り出した。


「ヘルペトとの講和は陛下の遺言の一つじゃった」


「…………」


「随分前に陛下がお倒れになってから、終戦か継続かで宰相以下もめにもめましてな」


「…………」


「姫からの書状はもちろん届いておりました。それでもパロットは戦争の継続を最後まで主張しておった。ヘロン王子の治世を盤石なものにするというのが理由でな」


「…………」


「そこで陛下が亡くなり、すぐには公表できず、中枢の物であたふたしているうちに、今度はマンダリンが……」


「奥様もか!?」


「ですじゃ。急な熱病でしてな。パロットもえらく憔悴して、一度は倒れてしもうた」


「そうか……仲の良い、パロットとマンダリン……本当に仲の良い夫婦だったからな……ヘロンともども可愛がってもらったものだ……」


「パロットは復帰した後もしばらくふさぎ込んでおったんじゃが、ある日突然立ち直ったうえ、陛下の遺言を受けて終戦講和に方針を変えましてな。今回の運びとなった次第」


「それで、いつだ?」


「は?」


「いつ父上は?」


「ワシが王都を出る10日前ですので……30日前です」


「くっ」


 カナリアの体に力が入る。


「姫様……」


「大丈夫だ。それで、父上は、陛下は他になにか?」


「ヘロンぎみが次の王と」


「ああ」


「今回の調印が終わって、ヘルペト側に戦争の意思が残っていないのを確認できたら、王の崩御とヘロン新王の即位を公表する流れじゃ。それから、ヘロン新王が成人されるまではパロットが後見となります」


「なるほど」


「それから、王からは、姫様にも」


「……なんだ?」


 カナリアはしばらく逡巡したあと、たずねた。


「『好きに生きろ』と。


「ん?」


「王は、姫様にいろいろと背負わせてしまったことを悔いておられた」


「そんな……私は何も……皆のために出来ることを……」


「そう考えるように教育したのも、王や、私や、パロットです」


「……」


「姫様が、姫様の、本当の姫様のお考えで、自由に、思うがままに生きて欲しい、というのが、王の遺言です」


「…………わかった」


 カナリアが長い沈黙のあとに答えた。


「姫様……」


 本当はわかっていない、そのことはオウルの目には明らかだった。


「良い。覚悟する時間は十分にあった。それに、平和になれば考える時間も十分にあるだろう」


 目を細め口の端を少し上げ、うっすらと笑みを浮かべた。


「マンダリンのことも残念だった。実の娘のように可愛がってもらった。いつ孫を抱かせてもらえるのか、なんて聞かれていたな……そういえばオウル、オウルとパロットがマンダリンを巡る恋敵どうしだったと聞いたぞ」


「ひ、姫様、誰からそんなことを」


 うん十年前の、青かったころの話を持ち出されて慌てるオウル。


「マンダリン、当の本人だ。爺から情熱的な詩が送られて……」


「それは!」


「冗談だ」


「きつい冗談です」


「ははは……すまん、悪ふざけがすぎた」


「まったくです」


「……寂しいな、爺」


「……まったくです」


「爺、つらい役回りだったな。礼を言う」


「姫様……」


「大丈夫だ。さっきも言ったが、いつかは来るとわかっていたことだ」


「……」


「とはいえ、ちょっと一人で思いたいこともある」


「それでは……私めはこれで」


「ああ」


 オウルは軽く一礼した後、きびすを返す。

 そして、部屋から出ようとして扉の前で立ち止まる。


「姫様、姫様には、オウルと……それに戦姫の皆がおそばにおりますぞ」


 振り向かずそう語ったオウルに対して、うつむいたカナリアが片手を上げて応えた。



------------------------------------------------------------



5.オウルの頼み


 警護隊の宿舎に連行されたクロウはオウルからの質問攻めに遭った。

 食事前に問われ、食事しながら問われ、さらには酒を飲みながら問われた。


 付き人として何をしているのか。

 姫の体調や精神状態は大丈夫なのか。

 カナリア姫のことをどう思っているのか。

 姫に何を食べさせているのか。

 夜は姫の私室で何をしているのか。

 姫のことをどう思っているのか。

 他の戦姫との関係はどうなのか。

 姫のことをどう思っているのか。


 酒が随分と進んだところで、オウルの口調が変わり、昔話がはじまった。


幼かったころのカナリアがどれだけ愛くるしかったか。

育ったカナリアががどれだけ利発であったか。

学校ではどれだけ勤勉で、どれだけ実直で、軍ではどれだけ強く、どれだけ優しく。

どれだけ素晴らしい王女であったか……


「じゃがな!」


 今度は口調が強くなった。


「姫様は、姫様じゃ」


「はい?」


 意味がわからず問い直すクロウ。


「まあ聞け」


 オウルはクロウの疑問の声を無視して話を続けた。


「姫は、姫様であり、戦姫の長であり、軍の指揮官じゃ」


「はい」


「国民のことを考え、戦姫のことを考え、軍のことを考えておられる」


「はい」


 オウルが少し息をつき、酒を口に運んだ。


「姫様は、姫様であることを苦にしてはおられん。自分のさだめだと思ってらっしゃる。隊長にしろ、指揮官にしてもそうじゃ……そもそも王族とはそういうものじゃ。だからこそ皆が敬い、皆が支えるわけじゃな」


「じゃがな、戦が終われば、今の軍は解体される。姫は指揮官ではのうなる」


「はい」


「平和になれば、戦姫も不要になるじゃろう」


「ええ」


「姫は……まあ、姫は姫じゃな。どこかに輿入れされたときには、また別の名前が付いて、別の役割を果たそうとなさるじゃろう」


「じゃがな じゃがなぁ」


 酒を飲み干して、器を机に置く。


「カナリア様は、どこに居る?」


 オウルの口調が強くなった。


「姫でもない、隊長でも大将でもない姫、カナリアはどこに居る?」


 最後は叫び声に近くなった。


「オウル様……」


「お前の側には居るのか? 居られるのか!?」


 クロウは、オウルの問いにある夜のことを思い出した。

 カナリアの横で、カナリアが眠るまで手を握っていた夜のことを。

 あの夜、涙を流して自分をさらけ出したのはクロウの方だったが、カナリアの心にも少し触れることができたような気がした。


「どうやら、お前の側には、居られるのかもしれんな……」


「オウル様……」


「わしはお前を良くは知らん。別に信用も信頼もしておらん」


「……はい」


「だが、見ている限り、姫様……それと戦姫にとって必要な男らしい」


「そうありたい、と思っています」


「ふん」


 オウルは鼻で笑い飛ばしたあと、笑顔になった。


「まあ、良しとしよう」


「見込みが間違っていたら斬るまでだ」


「え?」


「ははははは。本気じゃからな」


「ええっ?」


「とは言ったものの、斬らせるような真似をするなよ?」


「は、はあ」


「わかった。もういい、話はここまで。ワシは寝る。貴様もそっちで寝ろ」


 オウルは勝手に話を切り上げると、部屋の隅にあるベッドに入り込んだ。


 クロウも、自分のベッドの位置を確認し、ランプの火を落としてから潜った。


 オウルとの会話や、夕方のスワロウとの会話を思い返し、今なにが起こっているのか、クロウが想像を巡らせようとしたとき、ベッドのオウルから声が上がった。


「姫様が笑っていられるようにしてくれ」


「はい?」


「老い先短い者の頼みじゃ。姫様が笑っていられる場所を作ってくれ、守ってくれ。頼む」


「……オウル様」


「返事はいらん。これでお話は本当に終わりじゃ」


「はい……」


 そのうちオウルが寝息を立て始めた。


 クロウも何かを考えようとしたが、心がまとまらず、結局何も考えられないまま眠りに落ちていった。


 調印指揮は三日後に迫っていた。


次回「調印前夜」、お楽しみに。

令和2年度内には完結させたいなあ。

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