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第5話 フィンチの安全地帯

前回までのあらすじ

 国境を守る部隊、その部隊を率いるのはオルニト国が誇る5人の戦姫である。

 戦姫のリーダーはオルニト王国の王女カナリア、その付き人クロウは異世界に飛ばされてきた日本人だ。

 クロウは転移の際に特殊な能力を身につけた。

 異世界の壁の向こうに日本の部屋を作り出す能力である。

 銭湯、理容室、書店、コンビニ、電器店。

 様々な部屋から手に入れ、そして身につけた技術で、クロウは戦姫をもてなす。

 料理、理美容、マッサージ、戦姫のリクエストに次々と応えるクロウ。

 今回、秘密の部屋を訪れるのは、5人の戦姫最後の1人。

 詳細不明の隠密、フィンチだ。

1 朝の風景


 ある日の朝、砦内のカナリアの私室をスワロウが訪れていた。

 カナリアはデスクに向かって手紙を読み、スワロウは横で立っている。


「遅い! そして文は長いが何も決まってない!」


 王都からの手紙を読んだカナリアが声を荒げた。

 スワロウは、伝聞であることを前置きして、情報を伝える。


「国王陛下はヘルペトとの講和をお考えなのですが、宰相パロットが戦争継続、ヘルペトを支配下に置くことを強く主張しています」


 スワロウの独自ルートによる情報を聞き、カナリアが疑問を口にする。


「パロットが? なぜそんな無駄なことを……」


 パロットは先代の王からの宰相。

 カナリアも幼い頃から世話になった、信頼できる忠臣だ。


「これは想像なのですが……」


 言いかけて口ごもるスワロウ。


「なんだ? 言ってみろ」


「国王陛下の体調が思わしくありません」


「ああ……」


 父親の大病。嫌な話題にカナリアは表情を曇らせる。


「……予定より相当早く、王位をヘロン王子に継承される可能性があります」


「……確かにな。だがヘロンはまだ幼い」


 カナリアが17歳、ヘロンは間が開いて11歳である。


「その通りです。戦争に出られた経験もありません」


「……ヘロンに戦功を積ませようというのか?」


「おそらく。ヘロン新王の権威を高め、体制を強固にしたいとの考えかと」


「……パロットは弟を溺愛しているからな……」


 パロットは妻帯者だが、子供が得られなかった。

 側室も養子もとらなかったため、跡継ぎがいない。

 そのパロットにとって、現王は息子、カナリアやヘロンは孫のような存在。

 特に男子であるヘロンの可愛がり様は大変なものであった。


カリッ


 そのとき、砦の廊下と繋がる扉から、ひっかくような小さな音が聞こえた


「入れ」


 カナリアがそう言うと、扉が細く開き、人が音もなく滑り込むように入ってきた。

 短い黒髪、小さな体に密着した灰色の服を着ている。


「フィンチ、良いところに来た。ヘルペトの様子はどうだった?」


 入ってきたのはフィンチだ。

 カナリア、ロビン、スワン、スワロウにつづく、5人の戦姫最後の1人。

 表舞台には出ず、カナリアの警護や諜報工作を担当している。


「はい。ヘルペト王ゲッコー以下、戦意を喪失。反撃の動きはありません」


 フィンチは簡潔に答える。


「それは良い情報だな」


「ですが、積極的に降伏する動きもありません」


 フィンチは淡々と報告を続けた。

 クロウは固まった笑顔だが、フィンチは完全な無表情。

 顔から感情は読み取れない。


「そうか……体制の維持が最優先という感じか……」


 自国も停滞、敵国も停滞。

 良い方向に動く気配が見えず、天を仰ぐカナリア。


「地方の有力者も自分たちの食糧確保を最優先で動いています」


「そうか。それで、食糧は足りそうなのか?」


「いいえ。ヘルペト国内だけでは持ちません」


「やはりな……何らかの支援をしないと……」


「小規模で散発的な略奪行為、難民の流入……我が国への害が大きくなりますね」


 悪い情報に、カナリアとスワロウの表情がさらに暗くなる。


「ともあれ時間がない。パロットの考えにも一理あるが、いずれにしても結論を早く出して貰わないと困る」


 これ以上思い悩んでもしかたがないと、カナリアが話を切り上げる。


「スワロウ、王都からの使いに催促の手紙を持たせる。待たせておいてくれ」


「わかりました。隊長」


 スワロウが一礼して部屋から出て行った。


「さて、フィンチ、ヘルペトでの情報収集ご苦労だった」


「はい」


 カナリアのねぎらいにも、フィンチは無表情で答える。


「他に予定がなければ、このまま休暇、クロウの部屋に入ってくれて良いぞ」


「はい。そうします」


「だ、そうだ。クロウ」


 カナリアの呼びかけに応じて、私室の壁にドアが現れた。


「おはようございます。カナリア様、フィンチ様」


「ああ、おはよう」


「おはよう」


「何度か顔は合わせているから話が早いな。クロウ、よろしく頼むぞ」


「かしこまりました。それではフィンチ様」


「わかった」


 クロウが開けた扉に入って行くフィンチ。後に続くクロウ。


 扉がしまり、まもなく扉自体も消えて見えなくなった。


------------------------------------------------------------


2 フィンチの安全地帯


 フィンチにとって、クロウは顔見知りだが、部屋に入るのは初めてである。


 初めての場所で最初から緊張していたフィンチだが、クロウが外界と繋がる扉を閉じた瞬間、驚きで小さく飛び上がった。


「フィンチ様?」


 フィンチは驚きを表情には出さないものの、体が硬直している。


『出口がない』

『脱出経路がない』

『完全に閉じ込められた』


 フィンチは仕事がら、自分の中に地図を持って行動している。

 自分の現在位置、ここまで移動経路、ここからの脱出経路は常に把握している。

 しかし、クロウの部屋の扉が閉められた瞬間、その地図が脳内から消えた。

 自分がどこにいるのか、まったく分からなくなった。


 空気の流れと音の響きからも、外界との接続が無いことがわかる。

 生き物の気配が無いのも異常。自分と、目の前のクロウの分しかない。


 このような事態、このような経験が全くの初めてのフィンチ。

 フィンチの再起動には、一瞬とはいえ、場面によっては致命的な時間がかかった。


「……ここは、安全?」


「ここより安全な場所はありません。フィンチ様」


 フィンチのおそるおそるの質問に対してクロウが断言した。


「ここには、私とクロウ、だけ?」


「はい。フィンチ様と、わたくしクロウだけです」


「そう……」


 靴を脱ぎ、居間へと移動しても、フィンチの緊張は解けなかった。


「フィンチ様? 何かお飲み物でも?」


「いらない。それより、案内して。全部の部屋を見せて」


「はい? ……では、どうぞ、ご一緒に」


 クロウは部屋を最初から案内していった。


 まずは、カナリアの私室から入って最初にある玄関部屋。

 広さは4畳半くらい。

 木でできたベンチに靴箱、武器防具置きがある。

 部屋の反対側にはドアがあり、居間・リビングへとつながっている。


 リビングは8畳ほどの大きさ。

 右手には4人が座れるダイニングテーブルが1つ。

 左手は大きなガラス窓だ。


 この居間には扉が5つある。

 一つは今入ってきた玄関部屋への扉。

 残りの扉は、右の奥に一つ、正面に二つ、左の奥に一つ。


 クロウはまず右側の奥の扉を開けた。


「どうぞ」


 扉の先は廊下。

 廊下の右手には扉が四つ並び、突き当たりにもう一つの扉。


「こちらは戦姫の皆様のお部屋です」


 一番手前の扉を開けると理容用の椅子と流し台、大きな鏡があった。


「ここはロビン様の髪を手入れする部屋で、奥にはロビン様の寝室があります」


 フィンチは部屋に入ると、椅子やベッドの下、家具の裏など、くまなく覗いて回った。


 廊下の扉、二つ目を開けると、色とりどりの服が吊られたウォークスルークローゼットだった。

 さらにその奥は、巨大なクマのぬいぐるみが鎮座するベッドルーム。


「スワン」


「……はい」


 お互いが知る事実の確認がシンプルに行われた。


 三つめの扉を開けると、本棚と勉強机があった。


「ここはスワロウ?」


「その予定でしたが、今は甥のレン君が使ってます」


「そう」


 押しかけ弟子というか、押しつけられ弟子のレン。

 時おりクロウの部屋にやってくる。

 クロウは自分の生活を見せたり、科学の絵本や、文房具店で売っているような化学実験セットなどを与えたりしている。

 当然レンは日本語を読めないので、つきっきりの説明が必要だが、レンの向学心はすばらしく高く、レンの質問にクロウが答えられないことも多い。

 レンの勉強部屋の奥は、スワロウとレンの寝室。全自動マッサージチェアとセミダブルベッドが置いてある。


「つぎ」


 次の扉の先には何もない部屋があった。

 部屋の奥にもシンプルなベッドが一つ置いてあるだけだ。


「私?」


「そうです。申し訳ありません。フィンチ様のお好みが全くわかりませんでしたので、何のご用意もできていないのです」


 フィンチに関して、クロウは何の前情報も得られなかった。

 他の戦姫に聞いてもフィンチは謎につつまれており、好きなことも嫌いなことも不明。


「私もフィンチのことは良くしらないのだ。すまない」

「黙ってフィンチの後ろに立たない方がいいぞ。酷い目にあう」

「そうそう、手足も触っちゃダメよ。腕、折られちゃうから」

「そうだクロウ、服を洗うなら匂いがしない石けんを使ってやってくれ」


このような、最低限、絶対守るべきルールに関する情報しか得られなかったのだ。


「うん、これで十分」


 これ以下は無いという部屋に対して、フィンチはそう評価した。


「いえ、フィンチ様、ご希望をおっしゃって下さい。なんなりと」


 リクエストに応えることを喜びとしている人間にとって、何も求められないことは存在の否定に近い。

 クロウは先ほどから無力感を味わっていた。


「大丈夫」


「フィンチ様……」


「奥の部屋を見せて」


「は、はあ」


 廊下の突き当たりは隊長カナリアの部屋。

 手前の部屋はソファーとテーブル、グラスが収まったキャビネット。

 奥の部屋にはベッドが二つ、マッサージ用と就寝用があった。


 廊下からリビングに戻った。

 戻って右手に二つ並ぶ扉の一つ目を開けると、そこには何もない20畳ほどの空間が広がっていた。


「この部屋は、何に使うかまだ決めていません。場所を用意しただけです」


「わかった」


 そして隣の部屋は風呂場。脱衣所、化粧室、浴室。


「お風呂はいかかなs「いらない」


 クロウの提案は即座に拒否された。


 リビングに戻り、最後の部屋へと移動する。


 最後はクロウの部屋。

 クロウの生活部屋・作業部屋である。

 冷蔵庫、システムキッチン、食器棚、洗面台、洗濯機など、フィンチには理解できないものが並んでいる。

 部屋の奥は曇りガラスの窓。外が明るく、朝日が完全に上ったことがわかる。


 この部屋に入って、フィンチの顔が少しだけ緩んだ。


 この部屋だけは情報が多い。

 人が生活している音があった。匂いがあった。


 冷蔵庫や電磁調理機からブーンという音が。

 鍋からはプクプク、電気ポットからはシューという小さな音が出ていた。


 食べ物の匂い。

 洗濯物の匂い。

 男の匂い。

 湿気のある空気といっしょに、さまざまな匂いが漂っていた。

 人がいること、人が生活していることを証明する温度と湿度がそこにはあった。


 目に入る道具機械は理解できないが、ここでクロウが生活していることは理解できた。


 ひととおり部屋を見渡したフィンチ。視線は次に天井に移った。


「あれは?」


 視線の先にはロフトがあった。


「あれは私の寝室、寝床です」


「ふうん」


 次の瞬間、フィンチはテーブルや家具を足場に、一気にロフトに駆け上がった。


「えっ?」


 クロウが驚く。


「フィンチ様、ですからそこは私の……」


 ここに人が来ることは想定していなかったのであろう。

 ロフトにはグダっと丸められた布団、枕元には様々な本がちらばっていた。


「ここにする」


「ええっ?」


 フィンチの突然の宣言に、クロウがうろたえた。

 顔には冷や汗が浮かんでいる。

 このようなクロウはめずらしい。

 ロビンやスワンが見ていたら声を上げて笑ったであろう。


「フィンチ様?」


「ここがいい」


 クロウの裏返った声を無視して、フィンチは布団をグダグダのまま軽く広げ、その上に丸まった。


「お食事は「夕方でいい」


 やはり提案は拒まれた。


「……って」


 ロフトに向かってあげていた手を下ろし、クロウは現状を、フィンチの要望を受け入れた。


「日記と……雑誌がいくつか……」


 ベッド周りの物を思い出して、見られて困るものが無いことも確認した。


 気を取り直して、次に何をすべきか考える。


 収納ボックスからタオルを数枚取り出し、水を吸わせて電子レンジにかける。


ブーーーーーーーーーーーーン


 かける時間は短い。

 クロウは腰に手をあて、電子レンジの扉を眺めて待った。


ブーーーーーーーーーーーーン


「何それ」


「うわっ」


 フィンチがクロウの後ろに立っていた。いつの間にか。音もたてず。


「何それ」


「え、あー、蒸しタオルを作ってます。これは中のものを暖める箱です」


チーン


 電子レンジが止まった。


 クロウは注意深くタオルを取り出し、広げて、数回振った。

 水蒸気が広がる。


「フィンチ様にお体を拭いていただこうかと」


「ふーん」


 蒸したタオルを巻いて籠に詰め、別に用意した室内着といっしょにフィンチに渡す。


「どうぞ、お使いください」


「ん」


 フィンチは籠と着替えを受け取ると、また音もたてずにロフトに戻った。


「ふう」


 クロウは小さくため息をついた。


 ロフトに上ったフィンチが、服を脱いで体を拭きはじめる。

 タオルは良い匂いも悪い匂いもしない。水蒸気の匂いだけ。

 それがフィンチの必要に応じたものであり、好みにも合った。

 フィンチは全身、髪の毛から足の指の間まできれいにした。


「クロウ」


 下に呼びかけて、タオルと脱いだ服を入れた籠を落とす。

 クロウは受け取ったものを洗濯機へ入れ、スイッチを押す。


ピロリロリン


 電子音が鳴った。


ピッ


「何それ」


「うわっ」


「何それ」


ゴーッ、ゴーッ、ゴーッ


 洗濯機が回転した。


「フィンチ様、申し訳ありませんがちょっと離れたところから声w「何それ」


 クロウは苦笑いしながら洗剤を投入。


ザーーーーーーーーーーーーーーー


 洗濯機の中に水が流れ込み始める。


「自動で洗濯してくれる機械です」


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


 洗濯機の中で回転がはじまった。


「ふうん」


 しばらく回転するのを眺めると、興味がなくなったのか、フィンチはまたロフトに戻った。


 クロウは洗濯機内の水量を確認し、一度部屋を出て、フィンチのサンダルを持って戻ってきた。


 洗濯機横の流しで靴の汚れを落とし、補修を始める。


 フィンチはその様子をロフトからのぞき見ていた。


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


 洗濯物が入った箱は回転音をたて続けている。


 鍋からはなにやら甘い脂の匂いが上ってくる。


 クロウはサンダルを抱え込んでいる。


 ここは部屋の全てを見渡すことができる。


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


 逃げ場が無いのは少し引っかかるが、そもそも人の気配はクロウの分しかない。


 そのクロウは目の届く範囲にいる。


 ここは高い。天井が低くて狭い。布団が柔らかく、温かい。


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


 ここは安全だ。


 ここは気持ち良く、安全だ。


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


 ここは、いいところだ。


 フィンチは目をつぶった。


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


ゴーーーーーーーーーーーーーーーッ


カチ


サーーーーーーーーーーーーーー


ムオオオオオオオオオオオオオオ


 洗濯機の音が変わってもフィンチは目を開けなかった。


 カナリアを裏から支える仕事に就いて以来、熟睡したことはなかった。


 そのフィンチが、久し振りに、本当に久し振りに、深い眠りに落ちた。


 洗濯機がすすぎと脱水をくり返しても、洗濯終了のメロディーが鳴っても、乾燥機が音をたてても、フィンチは眠ったままであった。


------------------------------------------------------------


3 昼食をいっしょに


 サンダルを補修し、洗濯物をたたみ終わったクロウ。

 次は自分の昼食を作ろうと、ツナ缶を開けた。


カシャ


「何それ」


 その瞬間、またクロウの背後から声がした。


「フィンチ様、お目覚めになr「何それ」


 突然背後から話しかけられるのには、まだ慣れない。


「缶詰……食べ物を特殊な方法で保存したものです」


「食べ物?」


「魚です」


「どうするの?」


「はい、私のお昼ご飯にしようかと」


「ふうん」


 聞くだけきいて、フィンチはまたロフトに戻った。


 クロウもフィンチの言動に慣れてきた。

 続けて冷凍庫から袋を取り出す。


ザララララ


「何それ」


 今回はさすがに予測できた。


「野菜を細かく切ったものです。冷たく凍らせて保存しています」


「どうするの?」


「先ほどの魚と一緒に、私のお昼ご飯につかいます」


「どんな?」


「えーっと、米という穀物があるのですが、それと一緒に煮ます。私の好物なんです」


「クロウの好物」


「はい」


「私も食べる」


「え?」


「作って」


「え? あ、それでしたら、もうしばらくお待ち下さい。用意できましたらお声がけしますので」


 フィンチの明確なリクエストだ。クロウは嬉しくなった。


「わかった」


 フィンチはまたロフトに上った。


 クロウは米をとぎ、ツナ缶とミックスベジタブル、砕いたコンソメキューブといっしょに炊飯器にかけた。


「これで40分。冷ます時間入れて50分。汁ものはどうしよう」


 クロウはずっと火にかけていた鳥ガラスープに向かう。

 ザルでガラと野菜くずを除き、レードルで大きな脂を取り除く。

 最後にキッチンペーパーで濾して澄んだスープを作った。


 レードルにスープを取り、塩を少し溶かして味見する。


「うん、上出来」


 煮干し出汁と合わせてラーメンにしたくなるがそこは我慢する。


「トマトトマト……」


 別の鍋で湯を沸かして、トマトの皮をむく。

 玉子をボウルで溶く。


「準備オッケー」


 仕上げの準備が整ったので、使った寸胴や小鍋を洗い始めた。


 いっぽうフィンチは、その一部始終をロフトから眺めていた。


------------------------------------------------------------


 リビングは嫌。クロウの部屋で食べる。

 フィンチがそう主張したため、小さいダイニングテーブルで昼食となった。


「クロウも一緒」


「え?」


 フィンチひとり分のサーブを始めたところ、そのフィンチ本人から声が上がった。


「一緒に食べる」


「ですがテーブルがせm「いっしょに」


 押し切られたクロウが自分の分もよそって席につく。


 フィンチはクロウをずっと見ている。


「あの……」


「食べて」


「いただきます」


 クロウは手を合わせ、茶碗を手に持って、ツナとミックスベジタブルの炊き込みご飯を食べる。


 懐かしい、子供の頃からの好物だ。

 一瞬、思いが日本に、家族に飛ぶ。


「うん、おいしい」


 フィンチの声で我に返った。


 フィンチは炊き込みご飯を数口食べたあと、またクロウを見つめだした。


「スープですね?」


 フィンチが無言でうなずいた。


 トマトと玉子の中華スープだ。


 口をつけて飲み込む。


汁椀を口につけたままテーブルの向こうを見ると、フィンチもスープを口にした。


「味はいかがですか?」


「おいしい」


「それは良かったです」


「好き」


「何よりです」


「もっと食べる」


 ご飯茶碗を出してきた。


「もうお食べになったんですか」


「まだ食べる」


「はい。お待ちください」


 作った料理をいっぱい食べて貰えるのは嬉しい。

 クロウはニコニコとご飯のおかわりをよそって、フィンチに差し出す。


 フィンチはその後2回、おかわりをした。


「夕ご飯もこれがいい」


「そこまで」


「これ」


「スープはいかg「同じで」


「ほかのお「いらない」


「わかりました」


「少し冷まして」


「承知しました。確かに少し冷めた方が美味しいんですよね、これ」


「美味しい」


「ありがとうございます」


 クロウは頭を下げ、フィンチはまたロフトに上った。


------------------------------------------------------------


 夕方近く。クロウが読書をしているとロフトから声が降ってきた。


「クロウ」


「はい?」


 見上げると、フィンチの片手に、何か銀色のものが握られている。

 Y字型で、銀色だ。


「何これ?」


 膨らんだグリップの先は二股にわかれ、それぞれの先には金属の球が付いている。


 美顔ローラーだ。

 化粧とヘアケアの勉強用に用意した女性雑誌の付録だ。

 布団まわりに転がっているのを見つけたらしい。


「フィンチ様、それは顔のお手入れに使うものです」


「顔?」


「こんな感じで」


 顔の前で手を上下し、ジェスチャーで使い方を伝えようとする。


 フィンチが真似をするが、ローラーが顔から離れている。


「フィンチ様、顔の上で転がすのです」


 フィンチは縦横に転がそうとするが、なにがなんだか分からなくなって、最終的に下りてきた。


「はい」


 美顔ローラーをクロウに渡す。


「ん」


 そして目をつぶって顔を差し出してきた。


 クロウはローラーをフィンチの顔に近づけ、一瞬ためらった後、転がした。


 最初は顔をこわばらせていたフィンチだが、力はすぐに抜けた。


 あごから左頬の方に転がすと、フィンチの方が顔を動かして額の方までローラーに当ててきた。


 今度はあごから右の頬、右の額方向へ。


 顔全体をコロコロしたので手を止めると、間があいて、フィンチが目を開けた。


「もっと」


 半開きの目でおねだりされたクロウ、美顔ローラーを続ける。


 クロウが少し手を動かすと、フィンチが顔を動かし、美顔ローラーは顔から額、頭頂部までころがった。


 このまま続けて良いものか、クロウが考え始めたが、フィンチの方が顔を押しつけてくるので止めどころがない。


 フィンチの鼻息がフンカフンカと荒くなり、顔が赤くなってきている。


 これはもう覚悟を決めて徹底的に転がそうと思った瞬間。


「もういい」


 フィンチは突然終了を宣言し、またロフトに上っていった。


「なんだったんだ?」


 はしごを外されたクロウは、美顔ローラーを片手にしばらく固まっていた。


------------------------------------------------------------


4 夕の風景


 昼食と全く同じ内容の夕食が終わり、フィンチの休暇も終わる。

 窓の外の景色も赤くなり、やがて暗くなっていった。


 クロウが洗濯した服を渡すと、フィンチがにおいをかいだ。


「うん」


「香りが付かないように洗いましたが、それで良かったですか?」


「ありがとう」


 フィンチがその場で着替えだした。


 クロウは目をそらした。


「うん」


 フィンチは何かに納得したようだ。


「クロウ、ありがとう。もう行く」


「はい」


 クロウがカナリアの部屋へと続く扉を開けた。


 いっぽう、扉から出てきたフィンチにカナリアが声をかける。


「フィンチ、短い休みですまんな」


「いいえ」


「どうだった? クロウの部屋は」


「好き」


「えっ?」

「えっ?」


 カナリアとクロウの声が重なった。


 二人が顔を同時に見合わせ、そして同時にフィンチを見た。


「クロウ、大好き」


「え?」


「クロウ、お前、まさか」


「いえ! いえ! とんでもない!」


 クロウが両手を振って、あらぬ疑惑を否定する。


 そんな慌てぶりをよそに、フィンチが続けた。


「おいしい。よく眠れる。きもちいい。匂いも好き」


「おい、クロウ」


 カナリアがフィンチとクロウの顔を交互に見る。


「ふふ」


 一瞬、ニコッと笑ったフィンチがカナリアの部屋からすべり出ていった。


「クロウ、お前……」


「私はいつものように食事と寝る場所を用意しただけで……」


「ホントにそれだけか?」


「はい。本当です。誓って」


「フィンチが好きって、フィンチがニコって、相当だぞ」


「そ、そうなんですか?」


「お前はどう思ってるんだ?」


「思ってるもなにも、皆さんと同じ、いつもの通りですよ!」


「ホントか? 必死すぎではないか?」


「いや、こんな状況で冷静になんかなれませんよ」


 カナリアはしばらく腕を組んでクロウを見ていたが、改めてたずねた。


「というかクロウ、将来的にはどう考えているんだ?」


「どう、と言いますと?」


「いや、オルニトで誰かと家庭を築くというか家族を持つというか」


「え? ずっとカナリア様のお側でお仕えするものだと思っておりましたが」


「そうなのか?」


「違うのですか?」


「いや、違わない。違わないんだが、クロウの意向をだな」


「それでしたら、カナリア様の近くに置いてください。それが私の気持ちです」


 人を喜ばせるのが好きだが、一番喜んで欲しいのはカナリアだ。

 異世界に飛ばされてきた自分の命を救ってくれ、居場所を与えてくれたカナリアだ。

 カナリアから不要と思われるまではそばにいたい。

 それがクロウの思いであった。


「そ、そうか。わかった。わかったぞ」


 カナリアは手を上げて話を終わらせた。


「好きなだけいてくれ。助かる」


 カナリアは無表情を努めているが、なぜか顔が赤くなっていた。


「ありがとうございます。カナリア様」


 クロウが深く頭を下げた。

お読みいただき、ありがとうございました。

次回「カナリアとクロウの望郷」をお楽しみに。


次回更新は年明けになる予定です。

とりあえず5話、「起」ができました。

ブックマーク等いただけると飛び上がるほど嬉しいです。

今後ともよろしくおつきあいのほど、お願い申し上げます。


12月27日 ヘロンの年齢設定を変更。ストーリーに変更はありません。

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