第3話 スワンの夢
前回までのあらすじ
ママル島はオルニト王国とヘルペト王国によって分割統治されていた。
ある年、食糧難におちいったヘルペト王国が国境を越え、オルニト王国から食糧と金品を強奪。
オルニト王国は直ちに反撃。国が誇る5人の戦姫を中心とした軍を派遣した。
オルニト軍は順調にヘルペト軍を撃破。ヘルペト王国の生命線である水源地帯を制圧。
これは、継戦か終戦かの決断を迫られるオルニト王国最前線の物語である。
1 ロビンの情報提供
ヘルペト王国に捕虜と遺品を返還した、その帰り道。
オルニト国代表として赴いた二人が並んで歩いていた。
一人は結わえた髪が脚まで届く細身の女。
もう一人は、隣の女より頭ひとつ高く、赤毛でがっちりした体格の女。
オルニト国の戦姫、美髪の剣士ロビン、そして鉄壁鉄槌のスワンである。
「鏡もそうなんだがな、風呂においてあった石鹸がまたすごかったんだ」
「ふうん」
興奮ぎみに話すロビンに対して、スワンは気のない返事を返していた。
「花の香りがしてな、洗ったあとがベトベトしない。サラサラなんだぞ」
「そうか」
「肉も軟らかかった。想像できるか? 歯でかみ切れるんだぞ。もっと味わって食べるんだったよ」
「なるほどね」
道中のロビンがずっとそんな調子で、うんざりしていたからだ。
部屋に入ってから出るまでの全部を聞かされた気がする。
「次にいつ行けるのか、今から楽しみだ」
「次は俺だしな。その次が多分スワロウで、フィンチとすると、ずいぶん先だな」
「そうなんだよ」
「まあ、指折り待つのも楽しい時間ってやつだ」
「そうかもしれない。待ち遠しいという感覚は久しぶりだよ」
ロビンいつか来る日を思って遠い目をして笑った。
「俺からすると、お前のそんな表情を見るのも久しぶりだ」
微笑むロビンを見て、感慨深げにスワンが言った。
「そうなのか?」
「ああ、士官学校のあの一件以来、お前の顔はずっと固まってたからな」
「ああ、その件か。私も完全に忘れていたんだ」
「そうみたいだな」
「起こったことは仕方ないとして、あの教官だけは許せない。今からでも礼をしにいこうかと思うよ」
「ロビン、お前、そのことも忘れたのか?」
「スワン? 何かあったのか?」
「本当に覚えていないんだな」
「だから何なんだ?」
気の短いロビンが重ねて聞いた。
「お前、士官学校の卒業試験で、その教官を再起不能にしたんだぞ」
「なに?」
「実技の試験でな、お前と教官が剣で戦うことになったんだ」
「再起不能ってもしかして……」
「いや、ケガはさせてない。試合開始と同時に、お前が教官の剣を叩き落した」
「それだけか?」
「いや、それでお前が言ったんだ『教官、手が滑ったみたいですね。仕切り直しましょう』って。にっこり笑ってな」
「……それから?」
「お前がまた教官の剣をたたき落とした」
「うむ」
「そしてまた仕切り直し、もう1回くり返したところで教官が降参した」
「それでおしまいか?」
「……いや、それからだ。ロビン。お前が急に取り乱してな。『拾え! 剣を拾え! ひーろーええええええええ!!!』って叫び始めたんだ」
「え……?」
「審判が止めてもだめで、俺たちがお前を回収しに行ったんだが、暴れるお前を抑えるのに苦労したよ」
「そんな……」
「ずーっと『拾え! 剣を拾え! 貴様はもっと強いはずだろ!? もっと!』ってのをくり返して、試験会場から離れて、やっと大人しく、っていうか気絶した」
それまで驚いた表情で話を聞いていたロビンが開いた口に手をあてた。
「……少し、少しだが、思い出してきた」
「言わない方が良かったかな?」
「いや、大丈夫だ。うん、思い出してきた」
「お前の対戦相手に教官が指名されてから様子がおかしかったんだよな」
「……ああ、思い出した。半殺しにするつもりだったんだ」
「マジかよ」
「それで一合斬り合わせたら、奴の剣が落ちてさ」
「わざとじゃなかったのか」
「ああ。1回目はな。2回目は確認。3回目は……3回目からは記憶があいまいだ」
「そうか」
「ただ、その時の感情は思い出した。信じられなかったんだ。『こんな弱い奴に髪を切られたのか?』って」
「……ああ」
「自分に腹が立っていたんだ。入学時にこの力があれば、むざむざ髪を切られることはなかったって」
ロビンの目がうるんでいる。
「そうか……」
「今にして思えば、入学の時、もっと抵抗しても良かった。勝てたかもしれない」
「それはそれで入学できなくて終わりじゃないかな。校則は校則だ」
「そう……かな」
「間違いない」
「そう……か」
「士官学校に入れなかったら、今のお前は傭兵か、誰かのお嫁さんってとこだな」
「……傭兵だろうな。家を勘当されたに違いない」
ロビンは、少し考えた後、言葉を続けた。
「ああ、あれもこれも『必要だった』ってことか」
「何のことだ?」
「クロウが言った『魔法の言葉』だ」
「またクロウか」
「そうだ。奴が言った言葉だ」
「髪を切られたことも、記憶が抜けていたことも、『必要だった』ってことか?」
「そうだ。起こってしまったことを受け入れるのに便利な言葉だ」
「そういえばな、試験でのお前の様子を見た男連中、全員が『ロビンは怒らせない方がいい』ってなってたぞ」
「それは良い結果だな」
ロビンに笑顔が戻った。
「お前との結婚を考える男もいなくなったけどな」
「まったく問題ない。良い事ばかりだ」
「あと、卒業を取り消すかどうかも議題になった」
「えっ!?」
「それはカナリア隊長のとりなしで何とか不問となった」
「カナリア様が……そうだったのか……」
「結果として、士官学校に入学、主席で卒業、今なお独身、誰に邪魔されることもなくカナリア隊長の側近、というわけだ」
「……結果をみると、たしかに『必要だった』な」
「そうかもな」
「そうだ、教官だ。教官はどうなったんだ?」
「それは思い出してないのか。数日後に辞表を出していなかに帰ったよ」
「……そうか……」
ロビンは考え事を始めたのか、おしゃべりを止めた。
スワンはやっと静かになったことを心の中で喜んだ。
2 クロウの悪ふざけ
「私は軽装で来いと言ったぞ。スワン」
非番なのにいつもと変わらない格好。
胸当て、籠手、すね当て。ウォーハンマーまで持参のスワンにカナリアが言った。
「あ、いや、隊長、俺はこれしかないんで」
「寝るときはどうしてるんだ?」
「防具を外します。隊長」
「……そうか、わかった」
言うだけ無駄だと、カナリアは引いた。
「それで、こっちがクロウだ」
「クロウです。スワン様。初めてお目にかかります」
「ああ、よろしくな。敬語はいらないよ」
「ちょりーっす」
「な? ちょり? 隊長?」
「ははは、クロウはこう見えても冗談好きだ。結構振り回されるぞ」
「え? ああ、わかった。あらためてよろしくな」
クロウは笑顔ではあるものの、固まった笑顔だ。何かたくらんでいるようにも見える。
「よろしくお願い申し上げます」
「なんだか調子くるう奴だな」
クロウはにっこりと微笑んだ。
「そうだスワン。非番のところ悪いが、ヘルペト国はどんな印象だ?」
秘密の部屋に向かおうとするスワンを、カナリアが呼び止めた。
「全体に元気がなかったな」
「食糧が足りんのだろう。今回の戦争も、こちらの食糧と農地を奪うことが目的だったようだしな」
「あと、国民の顔色が悪い」
「水が悪い。スワロウがそう言っていた。ヘルペト側は、川も井戸も火山の呪いがかかっているらしい」
「ここの川の水は流しているんだろ?」
「ああ、ここは奴らにとって唯一のまともな水源だからな。水を止めたら全力で奪いに来る。こちらは何もしていない。ただ、それでも国民全体には行き渡らないんだろうな」
「そうですか」
「支援するにも支配するにも、これ以上ヘルペトが衰えるのはまずい。早く戦争を終わらせないといかんのだが……」
「王都からの返事はまだ?」
「そうなんだ。私は将来的な賠償を条件とした支援で講和案を送ったのだが、音沙汰がない」
「城には主戦派が多かったからな」
「そうはいっても現実はスワンも見ての通りだ。支配するとなると戦争は続行。終戦後も支援以上の負担が我が国にかかる。それだけ苦労してもヘルペト国から得るものは少ないだろう」
「貧しい土地ですからね」
「そうなんだ。もう一度使いを出してみるとしよう。悪かったな。それじゃあクロウ、スワンのことを頼むぞ」
「承知しました。それではスワン様、こちらへ」
「おう、だから敬語いらないぞ」
「おっけてぃんぐー」
「おっけ? というか、中間はないのか? ちょうど良い感じの奴」
スワンが首をひねりながら扉に入って行った。
クロウの手で扉が閉められ、やがて扉自体が消えて見えなくなった。
「スワンの奴、武器を持っていったな。クロウの悪ふざけがすぎなければ良いが……」
見送ったカナリアが苦笑いして独り言をこぼした。
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「ようこそ、秘密の部屋へ」
クロウが格好をつけて言った。
「ああ、よろしく頼む」
「まず、武器防具をお預かりしましょう」
「ん? あ、そうか。いつもの格好だったな」
スワンが胸当て、籠手と防具を順に外していき、クロウがそれを次々と棚に収納していった。
「それにしても、ロビンの言ったとおりだな」
部屋を見渡してスワンはつぶやいた。
「ロビン様からここの話を?」
「ああ、嫌ってほど聞かされた」
ロビンの熱弁を思い出し、スワンが苦笑いした。
「そうなんですね」
「だから、ちょっとやそっとでは驚かないぞ。それで、ここでブーツを脱ぐんだったな」
スワンが木でできた椅子に座った。
「さようでございます」
クロウが木桶を持っている。桶からは湯気がたっている。
「それは?」
スワンの問いにはこたえず、クロウがスワンの足下にしゃがみ込む。
「失礼します」
クロウがスワンのブーツを手にとり、靴ひもをほどきはじめた。
「お、おう」
他人に足を触られる、という感触にスワンが戸惑う。
さらに、クロウは持って来た木桶のお湯で、スワンの足を洗い始めた。
「お、おい、そんなのロビンから聞いてないぞ」
「そうですね、ロビン様には行いませんでした」
「ロビンより俺の足が汚いってか?」
「これは仕事をされた足です。汚いなんてことはありません」
「お、おう」
「まずは足を休めていただこうと思いまして」
「そうか。言いがかりだったな。すまん」
「いえいえ」
笑顔のクロウがスワンの足を丁寧に洗う。
「くすぐったいな」
「あと少しです」
右足、左足と洗い終わり、両足を桶のお湯につける。
「しばらく、お待ちください」
クロウはブーツを棚に置き、次の部屋へと行ってしまう。
スワンはお湯に浸かった自分の足を見る。
「仕事をした足、ねえ」
指を動かしてみる。
「お前、そんなに仕事してたんだ。偉いな」
指にむかって話しかけてみる。
足をお湯につけているだけなのに、それだけで全身が温まる気がする。
血行が良くなったのか、顔がほてってきた。
「さて、そろそろまいりましょうか」
しばらくしてタオルを持って来たクロウがそう言った。
スワンの足をタオルでくるみ、水気をふきとる。
「すごいな! 足を洗っただけなのに、随分スッキリしたぞ」
「それは良かったです」
「裸足で歩くというのも、小恥ずかしいが気持ち良いものだ」
「そうでしょう?」
「ああ」
スワンは既にひと風呂浴びたような爽快感で次の部屋へと移った。
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「うん、この部屋も聞いたとおりだ。これがクロウの魔法か」
部屋を見渡して、スワンが言った。
「ガラスの窓、聞くと見るとでは違うな。思っていたよりも大きいし、透明だ。……それと……外の木が見慣れない木だな」
「お気づきになりましたか」
「ああ、オルニトではもちろん、こっちでも見たことが無い木だ」
「私がいた世界の木です」
「クロウのいた世界?」
「はい。私は、オルニトでもヘルペトでもない、海の向こうの大陸とも違う、全く違うところから飛ばされてきたのです」
「理解できないが、外の景色を見るとそうなんだろうな」
「なぜ飛ばされてきたのかはわかりません。もとの世界に戻ることもできません」
「んー、この窓から出られないのか?」
「開けることも、破ることもできないのです」
「んじゃ、ちょっと失礼して」
スワンが拳を窓ガラスにたたきつけた。
ガッ!
「っててて。こりゃだめだ。固さの質が違う」
スワンが手をピラピラ振りながら言った。
「魔法で割れないみたいです。部屋を燃やしたこともあるのですが、出られませんでした」
「それで? 飛ばされてきてからどうしたんだ?」
「飛ばされてきてすぐに森で迷って、死にそうになったのですが、そこでカナリア様に拾われ、今に至ります」
「大変な人生だな」
「そうですね。まだ『これが必要だった』とは思えませんね」
「そうか……それは、辛いな」
「すみません、湿った空気にしてまいました」
「いや、話をもっていったのは俺だ。すまん」
「いえいえ、これでも楽しませてもらっています。さて、お風呂にしますか? 食事がよければすぐに用意しますよ」
「ああ、風呂をたのむよ。なんでかロビンが自慢していたが、自分で確かめたい」
「それではどうぞ、どうぞこちらへ」
クロウはロビンと同じように風呂へと案内した。
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コーン
風呂場の椅子にスワンの足が当たり、音が響く。
「この湯の量は、すごいな」
目の前の湯船の広さに、スワンは驚いた。
「ん? あれは? ロビンの話になかったな……」
広い湯船とは別に、円筒型に立ち上がった湯船がある。
円筒の外側に階段、内側へは金属の手すりがある。
スワンが湯船に手をつける。
「お湯ってことは、入っていいんだよな」
階段を上り、手すりをつかんで、片足を下ろす。
「っと、結構深いな」
湯船の段差を使って下り、全身を湯船につける。
長身のスワンが立って、水面が胸の下まで来た。
「この段差は座るには狭いな。深いし。立って入る風呂か……」
ボコッ
その時、湯船の底から泡が一つでた。
「ん?」
ボコボコボコッ
ボボボボボボボボボッボボボボボボ
大量の泡が底から吹き出てきて、水が一面泡だらけになった。
「おおおおおおおおおおおおお!?」
ボボボボボボボボボッボボボボボボ
「おおおおおおおおおおおおお!?」
スワンは慌てて段差に上り、両手で手すりにしがみつく。
「クロウ! クロウ!」
「湯加減はいかがでしょう?」
スワンの呼びかけと同時に、クロウがついたての向こうに現れた。
「クロウ! なんだこれは! 流さ……飲み込まれる!」
ボボボボボボボボコッボコボコッボコッ…………
泡が収まり、もとの静かな湯船に戻った。
「えーと、泡が出るお風呂です。流されたり、底が抜けたりはしませんよ」
「こんなのロビンから聞いてないぞ」
「ロビン様の時はありませんでした。準備が間に合いませんで」
「なら、前もって説明くらいしてくれよ」
「スワン様が驚くかな~って思いまして」
クロウがしれっと答えた。
「……お前……風呂上がったら覚えとけよ」
「承知しました。それはそうとしまして、その泡風呂ですが、疲れを取るのにはバツグンの効果があります。カナリア様もお気に入りですよ」
「そうなのか?」
「本当です。もう少し入ってみませんか?」
「んー、底が抜けたりしないんだろうな」
「誓ってありません」
「……わかった。続けてくれ」
「はい。あと、流しにある白い石が石鹸です」
「それは聞いてる」
「そして、その隣の青いビンに入っているのが髪の毛専用の石鹸です」
「おお、ロビンの髪の毛が綺麗になったやつか?」
「ロビン様に使ったものとは別ですが、特別にスッキリする石鹸ですよ」
「わかった。後でつかう」
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
「ああ、ありがとう」
礼を言うスワン。
ついたての向こう側で、クロウの目が光ったことには気がつかなかった。
ジャグジーが再び動き出した。
ボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコ
「ん~~~~~~~~~~~~~~」
ボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコ
「確かに、全身を揉まれているような感じだな。悪くない」
ボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコ
「足の裏がくすぐったいな」
ボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコ
「仕事した足に良いのかな」
ボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコ
「んじゃあ、もうちょっと……」
ボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコ
ボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコ
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「うーい、暖まった暖まった」
ジャグジーと普通の風呂を存分に味わったあと、流しの前に座った。
「こっちが髪用の石鹸か。青く透き通ってきれいな入れ物だな」
「きれいな石鹸で洗えば、髪の毛もきれいになるってもんか」
スワンはたっぷりとトニックシャンプーを手にとり、髪に乗せ、泡立てる。
「花の香り、というよりは、草の香りかな」
目をつぶって髪を洗う。
「ん?」
スワンが感触に疑問を持った。
『痛い?』
「違う! 冷たい! 頭が冷たい!」
「なんだこれ? 冷たい! お湯!」
スワンがワタワタと振り回した手がレバーに当たった。
上から降り注ぐお湯。
「熱っ 冷たっ てか寒っ 目にっ 痛いっ 熱っ クロウ! クローーウ!」
風呂にスワンの叫び声が響いた。
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リビングにて。
部屋着で仁王立ちのスワン。
その前に平伏するクロウ。
仁王立ちのスワン。
平伏するクロウ。
「……ちょっとやそっとのことでは驚かない。俺はそう言ったよ、確かに」
「悪ふざけがすぎました」
「だからって、俺を驚かせる必要はないんじゃないのか?」
「調子にのってしまいました」
立つスワン。
伏すクロウ。
「……まあ、いい。結果すごくスッキリしたからな。」
「誠に申し訳も……」
「わかったわかった。この調子だと、飯でもビックリさせてくれるんだろうな?」
「ご期待に添えますよう力を尽くします」
「旨い方で驚かしてくれよ。やたら辛いのとか酸っぱいのはダメだぞ」
「…………はい」
「返事が遅くないか?」
「そのようなことはございません」
「量がむちゃくちゃ多いとかも無しだ」
「…………チッ」
「いまチッて言ったか!?」
「スワン様の空耳かと」
「お前、俺で遊んでない?」
「滅相もございません」
「……じゃあ、飯だ飯」
「かしこまりました」
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3 スワンの夢
「で、これは何だ?」
「本日の夕食です」
スワンの目の前には、ローストビーフの乗った温野菜サラダだけがあった。
「この後にまだ料理が出るってことだな?」
「いえ、お料理は以上でございます」
「クロウ、またふざけてるだろう」
「至ってマジメでございます」
「……わかった。頂こう」
スワンは肉にフォークを刺すと、一枚を一口でほおばった。
目を見開いて、しばらく口を動かす。
ためらった後に飲み込んで、感想を口に出した。
「これは……べらぼうに、美味いな」
「ありがとうございます」
「なんていうか、味が濃い。柔らかいのに歯ごたえも良い。普段食べてる肉はもっと堅い、モサモサしてる。いったい全体なにが違う?」
「そうですね。まず、これは食べるためだけに育てた家畜の肉です」
「そんな贅沢な話があるのか?」
「はい。私の世界では。それと秘訣は火の通し方でして……」
「いや、それ以上はいい。聞いてもわからん。スワロウに教えてやってくれ」
「さようですか。たっぷり語ろうと思ったのですが」
クロウが残念そうに言う。
「クロウ、お前、カナリア隊長やロビンのと俺とで態度違うだろ」
「さようなことはございませんよ」
クロウは視線をそらした。
「…………」
「…………」
「ま、いいか。俺も堅苦しいのは苦手だからな」
スワンは気をとりなおして、サラダを食べ進めた。
「……クロウ」
「はい」
「食べ終わったんだが」
「はい」
「全然足らん」
「はい」
「これで料理は終わりか?」
「はい」
「…………」
「…………」
「おい」
「ただいまお持ちします」
クロウが別の部屋に行った。
「あいつ、絶対、俺をからかってるよな」
スワンが腕を組んで、目をつぶる。
「お待たせしました。食後のデザートです」
スワンが目を開き、そのまま全開に見開かれた。
「なんだこれ…………」
スワンが絶句した。
白い皿の上に、四角いパンが大きな塊のまま置いてある。
そのパンの周りは白いクリームが波打っていて、ところどころ花を形づくっている。
クリームには様々な色の粒が散らされ、花の真ん中には銀色の粒が光っている。
パンの上には3つの山。それぞれ色は白、緑、赤紫。
空いた場所には色々な果実がちりばめられている。
茶色いソースが格子状にかけられていて、さらに茶色い網がドーム状に覆っている。
カラフルで華やかで可愛い。
「うわぁ……」
語尾にハートマークが付きそうな勢いだ。
「本日のデザート、ハニートーストといいます」
「これ、食べていいのか? 俺が全部食べていいのか?」
「もちろんでございます」
「食べていいんだ。どう食べよう? どこから食べるんだ?」
「参考まで申し上げます。一番上が飴でできた網です。これをフォークで割ります」
スワンは言われるまま、タン、タンと飴のドームを割った。
「次に、中央の白い山、アイスクリームといいます。これを少しすくって、パンの端、切れ目が見えると思いますが、そこに乗せます。果物も乗せてください」
「そして、フォークをパンに刺して、大きな口で、一口でお召し上がりください」
スワンは言われるがままにトッピングし、パンのブロックをおそるおそる持ち上げ、口に入れる。
スワンは目をつぶった。
「ん~~~~~~~~~~~!!!」
スワンは目を開いた。
「冷たい、暖かい、パリパリ、フワフワ、そして甘ぁ~~~~~~~い!」
クロウを振り返る。
ずっと同じ顔だがわかってきた。狙い通り!って顔している。
『もういい。人の目など気にしていられるか』
その後は目の前の山との戦いであった。
パンには蜜がしみ込んでいて甘い。
パンの周りの白いクリームも甘い。
パンの上の白いアイスクリームは冷たくて甘い。緑も赤紫もちょっと違うが甘い。
果物は酸っぱくて甘い。
飴はほろ苦くて甘い。
茶色いソースはひたすら甘い。
キラキラした粒やピンクや黄色の粒はかわいい。
たまに冷たいお茶で口をリフレッシュしながら、ひたすら甘いお菓子を味わった。
全部食べ終わった時、スワンの全身をつつんだのは幸福感、満足感、倦怠感、そして、そこはかとない罪悪感であった。
「…………ふぅ……」
「ご満足いただけたようで、何よりです」
「ああ……満足した。食事でこんなに興奮して、幸せな気分になったのは初めてだ」
「それは良かったです」
クロウが微笑んだ。
「夢のような、夢であってほしいような、そんな気分だ。……自分ばかりこんな幸せなのは、悪いことをしている気がする」
スワンが急に真面目な顔に戻った。
「いや、実際悪いな。ヘルペトの貧しさはどうだ」
クロウの顔が曇った。それがスワンにはわかった。
「すまん! クロウは私を幸せにしようとしたんだ。全力を尽くしたんだ。それを否定するのはおかしい。俺が悪かった!」
「そんなことは……」
「俺の考え違いだ。今の俺が幸せなように、俺も誰かを幸せにすればいいんだな。全力で。みんなが風呂に入って、旨いものを食べて、笑えるように」
「スワン様……」
「おーっし、力が湧いてきた。すごいなクロウ。今の俺は何でもできそうだ」
「ありがとうございます」
スワンの褒め言葉に、クロウは深く頭を下げた。
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スワンは、コップに残っていたお茶を飲み干して立ち上がった。
「それじゃあ、寝るかな」
「スワン様?」
「いや、カナリア隊長みたいなのはいらない。特に凝っても張ってもいないからな」
「さようでございますか」
「それで、俺の寝る部屋はどこだ?」
「こちらのドアの向こうに寝間着がありますので、お好きなものをお召しください。さらにその奥が寝室です」
「わかった」
そういって隣の部屋に入るスワン。見送るクロウ。
そして、そのクロウの顔は、スワンが見ればわかる、いたずらな笑顔であった。
扉をくぐったスワン。
「うわぁ……」
ハートマーク付き。本日2回目である。
部屋の中には様々なルームウェア・ナイトウェアが並んでいた。
スウェット、パジャマ、ワンピース
ふわふわ、モコモコ、さらさら、シャリシャリ
ピンク、ブルー、ホワイト、ベージュ、半透明
無地、星、水玉、ハート、ストライプ
花、フリル、リボン、ポンポン
ありとあらゆるスワンサイズの服がずらっと並んでいた。
「ステキ……かわいい……」
はっと気がついて、クロウがいる居間へと戻る。
「スワン様、どうかされましたか」
例によって笑顔だ。『してやったり系』だ。
「クロウ、一つ尋ねるが、私が可愛いものが好きというのは……」
「はい。カナリア様から伺っておりました」
「そうか」
「士官学校の寮にもぬいぐるみをこっそりと……」
「わかった! わかったから! それ以上はいい!」
スワンは目頭を押さえた。
「戦姫以外に漏らしたら殺すぞ」
「心得ております」
「ならいい。おやすみ」
「お休みなさいませ、あ、スワン様」
「なんだ」
「そちらはスワン様専用の寝室です。いつでもそのままにしておきますので」
「そうか。ありがとう」
「はい」
スワンはふたたび扉を閉めた。
「さて、と」
そこからはスワンの一人ファッションショーであった。
次から次へと着替え、ポーズを取って、鏡で確認した。
鏡に近づいて顔の写りを確認し、後ろに下がって全身を見た。
後ろを向いて背中のリボンをフリフリさせたりした。
その間はずっと無言。聞こえるのはスワンの鼻息だけであった。
最後に一着。
ふわふわ、ピンク、水玉、リボンのパジャマを選ぶと、それ以外の服を抱きしめた。
「次はお前達の番だから、待ってて」
選にもれたパジャマをていねいに戻してから、寝室への扉を開けた。
そして膝からくずれ落ちた。
ベッドの上には巨大な、スワンよりもさらに大きいぬいぐるみが座っていた。
ぬいぐるみががにっこりと笑っていた。
「もう、参った。クロウ、参ったよ」
なんとか立ち上がり、ベッドに近づき、ぬいぐるみを持ち上げる。
「俺よりでかいな。お前、なにものだ?」
両腕で抱きかかえると、ぬいぐるみの胸に顔をうずめる。
「ん~~~~~~~~~」
顔を左右に振った。
「んふぅううう」
息を大きく吐き出した。
ぬいぐるみを抱きかかえたまま、クロウの部屋へと戻る。
クロウは片付けをしていたが、少し開いた扉から覗くスワンに気づいてにっこり笑った。
「どうされましたか?
「こいつ、名前とか……あるのか?」
「いえ、まだありません。スワン様がおつけください」
「え? 俺が? いいのか?」
「どうぞどうぞ」
「わかった」
扉がしまった。
「良い夢を」
クロウが扉に向かって言った。
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スワンはベッドの上でぬいぐるみと向かい合わせに座った。
「今日はさんざんな日だったよ」
ぬいぐるみに向かって語りかけた。
当然だが、ぬいぐるみからの返事はない。
「お前、どんな名前がいい?」
「パンテラ? リーノ? ウーサ? ポンゴ? ウーサ?」
「ウーサ! よし、お前はウーサだ」
抱きしめて、そのままベッドに倒れ込んだ。
「ウーサ、お前、大っきいな」
「今日はひどい目にあった。さんざんな日だったよ」
「クロウにいじめられたよ。なぐさめてくれよ」
「んんんんんんん」
「さんざんだけど、全部まとめると良い日だったかな」
「お前に出会えたし」
「これからよろしくな、ウーサ」
「お腹、なでてもいいか?」
スワンは目をつむり、ウーサという名前のクマのぬいぐるみの腕枕で、夢の国へと旅だった。
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4 夢のかけらとともに
朝が来た。
寝室が徐々に明るくなり、その明るさでスワンが目を覚ました。
目の前に、ウーサの顔があった。
「おはよう。ウーサ」
巨大なぬいぐるみを抱きしめる。
ベッドから体を起こし、大きく伸びをして、パジャマのまま寝室から外へ。
「おはようございます。スワン様」
外の明るい日差しを受けながら、クロウが挨拶した。
「ああ、おはよう」
朝食に、冷たい水、温かい紅茶、フルーツとクリームのサンドイッチが用意された。
「昨晩の続きみたいだな」
「材料が同じだったりします」
「ははっそうか。そうだな。変わらず旨いぞ」
「ありがとうございます」
「…………」
昨晩、興奮しすぎたスワンは、一晩明けて、祭りの後のような脱力感を味わっていた。
朝食をゆっくり食べ、寝室のウーサに別れの挨拶をした。
最初にブーツを脱いだ部屋までやってきた。
「なあ、クロウ」
「はい。何でしょうか」
「俺、何すればいいかな」
「難しい質問ですね」
クロウからブーツを受け取り、スワンは履きながら話した。
「昨日は凄く良いことを思いついたと思ったんだ」
「はい」
「みんなが幸せになるように頑張るって」
「はい」
「でも、改めて考えると、何すればいいか、わからないんだ」
「難しいですね」
「クロウ、お前は?」
「そうですね……むかし、父親に言われたことがあるんです」
「ん?」
スワンはすね当てを結ぶ手を止めて、クロウの方を見る。
「やりたいこと、できること、求められること、この3つが全部あてはまることをすれば、お前は幸せになれる、って」
「うん」
「これも難しいんですよね。やりたいことはともかく、出来ているのか、求められているのか、なんてはっきりとは分かりませんから」
「確かにな。後の二つは自分の話じゃないからな」
「ですから、私も試行錯誤中なんです」
「なるほど」
スワンが胸当てをクロウから受け取り、被ろうとした時に気づいた。
「肩の革紐が新しくなってる……」
「随分いたんでいましたので」
「金具が光って、油も新しく塗ってあって……裏布が新しい…………!!!」
スワンが何かに驚いた。
クロウが笑っている。スワンにもはっきりわかる。ここ一番の会心の笑みだ。
「なあ、クロウ」
「はい」
「お前、求められてるし、できてるぞ」
「ありがとうございます。今の気分が幸せって奴ですかね」
「それは羨ましいな」
「えっへん」
「ふん」
自慢げなクロウに、スワンは鼻で笑って返した。
「さて、行くか」
「はい」
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「おお、スワン、おはよう」
部屋に現れたスワンに、カナリアが声をかけた。
「隊長、おはようございます!」
「昨晩はどうだった?」
「隊長~、この男ひどいんですよ。ブクブクでおぼれそうになるわ、石鹸で痛い目にあうわ」
「ははははは、確かに、クロウはひどい奴だ」
クロウはニコニコ笑っている。
「それでもまあ、元気もらいました!」
「スワン、お前がこれまで以上に元気になるって、どんなだ?」
「それは見ててください! 隊長! がんばりますよ~! わはははは!」
スワンは笑って部屋を出て行った。
「カナリア様」
クロウが話しかけた。
「どうした? クロウ」
「えーっと、ありがとうございます」
「なんだいきなり」
「いえ、今、気分がとても良いもので、そのお礼です」
「よくわからんが、受け取っておこう」
「はい。おねがいします」
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肩で風を切って廊下を歩くスワン。
体が軽い。ウォーハンマーまで軽く感じる。
「スワン殿、おはようこざいます」
「おう! おはよう!」
そのまま飛ぶように出ていくスワン。
「みんなで美味しいもの食べて、風呂に入って、笑う」
自分のやりたいことを声に出す。
『そのためには?』
心で自問する。
「仲間に被害を出さない」
『そのためには?』
「守る! そして戦争を終わらせる!」
『そのためには?』
「そのためには……そのために俺が……できる……」
胸当てに手を当てた。
そして前に引っぱり、体との間にあいた隙間、胸当ての裏布を見る。
黒い目をしたクマと目が合う。クロウが手入れついでに縫い付けた自作のアップリケだ。
「そのためには…………」
自問自答しながら、兵士達の幕舎が集まる場所まで来た。
大きく息を吸うスワン。
「お前ら~! 朝の訓練だ~! やる気のある奴ぁかかってこい! 俺に勝ったら王都で死ぬほど酒飲ませてやる!」
『…………酒?』
『スワンに勝てってか?』
『無理に決まってるじゃん』
静かだった幕舎のあちこちから小声が上がってくる。
「何人がかりでもいいぞお!」
『おい!』
『いけるか?』
『このあいだの訓練で蹴られたんだよな』
『お前ら耳かせ、合わせるぞ』
周りの声が大きくなってきた。
だが、まだ誰も出てこない。
「お前らそれでもオルニトの兵士かぁ? 腰抜けどもぉ~!」
「なんだとコラぁ!」
「待ってろ! すぐ行ってやる!」
「ちょっと図体がでかいからって……」
「誰だ今の! お前だけはボコボコにするぞ!」
『いや、そのようなつもりでは……』
「四の五の言わずかかってこい! お前ら! 朝飯前の運動だ!」
「おおおおおおおおお!!!」
朝日に照らされる水源の陣地が賑やかになっていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回 「第4話 スワロウの魔法」 お楽しみに。
年内にあと2話くらいの予定。