三話9 暴走
目の前の人間から放たれた殺意に染まる言葉、それだけでホロウの精神は追い込まれた。
逃げる、逃げる、逃げる、逃げる、逃げる。ホロウは頭の中で逃げるとひたすら連呼するが体は一向に動かない。逃げなければ殺されるとわかっていても体は自身から切り離させたように動かなくなっていた。
どうにか状況を打開する策を考え周りを見渡せばそこにはどこから飛んできたのか人型の魔物が一匹だけ隅に転がっていた。それを見てホロウ自身は諦めていなかったが、体はすでに生き残る事を諦めていた。
否、本来は自我を保つことの出来ないはずの本体は、ホロウに向けられたあまりにも冷たく純粋な殺意に恐怖した隙を突き宿主から身体の支配を取り戻したのだ。しかし、その反抗は、目の前で対峙する化け物を見て生きる事を諦めているのか動こうとしなかった。
その様子を見て目の前に立つ男が一歩、こちらに踏み出した。その時だった、今の今まで動かなかった足に感覚が戻るとホロウは反射的に動き、自身は隅の魔物に向かって跳躍する。
が、到着する頃には右腕、右足が斬り落とされていた。魔物が動き始めると同時に軽く斬り落とした人間は重なり合ったような声で呟く。
「動けんだな・・・」
溜息混じりに呟いた全身を紫の鎧を身に着けた人間は魔物のいる方を向くと、魔物は隅に転がる魔物の死体を貪り食らっていた。
「共食いか」
「僕を食べたので分かったんだね」
今度は互いに別々に言葉を発していた。
一見、狂気に満ちた同族食いだが、あくまで人間は人食を好まないだけで、魔物などは稀に同族食いを行うことがある。しかしそれは決して空腹を満たすためではなく、食われる側の保有する魔力を自身に取り込むことで自身の肉体を狂化するためだ。だが、肉体の強化は自身より弱い物では身に付かない。
狂化をするには自身と同等、またはそれ以上の相手を食らう必要がある為か基本そのような行為は行わないが、様々な経緯で共食いを果たし同族を食らう事で自身を強化できることに気がついた魔物は頻繁に同族食いを始める。
そして今回、すでに共食いで強くなれる事を理解しているホロウが自身が命の危機を感じ、尚且つ、死んでから時間の立っていない同等レベルの魔力を保有する死体があれば生存するために食らうのは知恵を得たホロウからすれば当然の理だった。
ちなみに、同等レベルの魔物を食らった際の肉体は約1.5倍とされて。さらにそこからホロウの食らう個体は魔力数だけで言えば恐らく牛頭、ホロウの三倍は保有しているじゃろ。
そう考えた結果、目の前のホロウの戦闘力は軽く見積もっても3倍の戦闘力を持っていることになるの・・・と、わては推測する。
いつの間にか解説を始めるルアスは時の停止する中で紫の鎧に身を包むネロに近づきそっと兜を脱がす。脱がすと兜は黒い霧となり消え、兜の下にあったネロの顔が露わになった。
そこにはついさっきまでのシャドが見せた無表情や、鎧を纏った言動や立ち振る舞いからは想像できない程に顔を苦悩に歪まし、片眼からは黒い滴が一本の線を引く、必死なネロの姿があった。
「そこまでしてそなたはロロを護りたいんじゃな・・・」
どこか悲しげな口調でルアスはネロの髪を触れる。と、ネロの髪が凍った草のようにボロッと折れる。その光景を見てルアスは悲哀な表情を見せる。
「・・・・・せめて私は貴方が何者になろうとも、死ぬまで愛しき貴方の傍にいます。」
そう言い残すとルアスは広間の切れ目から暗闇に消えていく。ルアスの姿が完全に消えた直後、止まっていた世界は再び動き始めると。共食いを終えたホロウは今までの倍以上の速度でネロに近づくと共食いで急速に再生した腕を振り下ろす。
振り下ろした腕は激しい衝撃音と共にネロの左右に浮遊する一つに遮られ、一瞬だけネロの姿が消える。
『死ん・・・?』
「それはこっちも同じだ。」
ホロウの言葉にネロが答える頃にはホロウの両腕は斬り落とされ、ホロウの背後に移動したネロの手が背後からホロウの身体を抉り牛頭の三つある背骨の一つを掴む。
「お返しだ。」
ネロは突如、顔を隠していた兜が無くなった事に気が付き、苦悩に歪ます顔をポカ―フェイスで誤魔化す。そして、両腕を無くし、抵抗の出来ないホロウを力の限り振り抜いた。
振り抜かれたホロウは、掴まれた背骨がちぎれると勢いよく入り口付近の壁に衝突し、潰れたトマトのように血を撒き散らす。
突如、異様な殺気を感じたと思えば巨人のような黒い魔物が壁に衝突、血を撒き散らす様子を見てロロは絶句するが、それは紫の鎧に身を包んだ身覚えのある顔が魔物に近づくのを見て戸惑う。
「ネロ・・・なの?」
ロロの目には、もはや別人と信じたいほどの殺気と凶悪な鎧に身に纏うネロを見て一瞬だけ言葉を詰まらせるがどうにか声を掛ける。が、ネロは横目でロロを見ただけですぐさまホロウの胸元まで移動し手を掲げる。すると左右に漂う大剣は粘土のように姿を変形させ巨大な槌に姿を変える。
『たす・・・け・・・。』
グシャ。ホロウの言葉を聞き切る前にネロは手を下ろす。その光景はロロは止めどない吐き気に襲われる。
「まだだ・・・。」
「まだだ・・・。」
重なり合う声に合わせる様に槌は再度、顔を無くした魔物目掛けて振り下ろされる。
「まだだ・・・。」
「まだだ・・・。」
グチャ・・・。
「まだだ・・・。」
「まだだ・・・。」
「まだだ・・・。」
「まだだ・・・。」
「まだだ・・・。」
「まだだ・・・。」
『まだだ・・・。』
『まだだ・・・。』
『まだだ・・・。』
『まだだ・・・。』
『まだだ・・・。』
『まだだ・・・。』
『まだだ・・・。』
『まだだ・・・。』
『まだだ・・・。』
『まだだ・・・。』
『まだだ・・・。』
『まだだ・・・。』
『まだだ・・・。』
『まだだ・・・まだだ・・・まだだ・・・まだだ・・・まだだ・・・まだだ・・・まだだ・・・まだだ・・・まだだ・・・まだだ・・・まだだ・・・まだだ・・・まだだ・・・まだだ・・・まだだ・・・まだだ・・・。』
何度も、何度も何度も振り下ろされる槌で次第に魔物は原型を無くしていく。終いには肉を叩く音は消え、壁を叩く音が広間に反響する。
「ネ、ネロ・・・?もううやめ・・・。」
『まだだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
広間全体を震わせるほどの声量で叫ぶネロに槌は声に似合う力で血の海を叩く。あまりにも重い殺意はホロウの舌でしか破壊できなかった床を割り、衝撃で幾つもの巨大な破片がロロに襲い掛かる。
「きゃっぁぁ!!」
刹那、叫び声を上げるロロだが迫りくる巨大な破片は当たらず、そのほとんどの破片は全て目の前に現れた紫の鎧に阻まれる。しかし、数個の鋭利な破片は紫の鎧を貫き、鎧からは血が滴り落ちる。
「ネロ・・・?」
ロロの声にネロは反応すると、目の前で俯いていたネロはゆっくりと顔を上げる。
『ロロ・・・・?』
目の前で、ゆらゆらとその場でふらつきながらもどうにか顔を上げロロを見たネロははにかむように笑うと。
「ごめんな・・・。俺、ダメかもしんねぇ・・・。」
「それってどういう・・こ・・と・・・?」
はにかむように笑うネロを見て声を荒げるが、ネロの目を見て言葉が途切れる。
「ね・・・・ろ・・・・?」
ロロは苦笑しながらも恐る恐るネロの頬に手をかざす。すると、ネロは返すようにロロの手に自身の手を重ねたが、ネロはロロを見つめ口を開く。その時、ロロはまだ言葉を発していない筈なのに真紅に染まるネロの目を見て大粒の涙を零す。
『誰だ・・・?』
首を傾げて聞くネロは、魔物に向けた殺意をロロに向け放ちながらロロの首に向かって自身の持つ剣を走らせていた。




