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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

作者: らつもふ

■プロローグ

 少女は文字通り溺れていた。


 「ゴボゴボッ!」


 助けを呼びたくても声が出ず、叫ぼうとすればするほど、肺の中の空気を無駄に消費するだけであった。

 その凄惨な光景を目にすれば、大抵の人は、少女は助からないと思うだろう。

 事実、少女の死はあと数十秒で確定するだろう。


 ─何故!?どうして私だけがこんな目にあわなきゃならないの!?


 薄れていく意識の中で少女は問いかけた。

 しかし、その問いに答えてくれる者は、誰も居ない事も知っていた。

 だが、そのあまりにも理不尽な状況に、少女は問いかけずにはいられなかった。

 たしかにこの世は理不尽な事で溢れかえっている。


 内閣総理大臣という、国のトップを決める人事に、国民が関与出来ないという理不尽さ。

 病気自慢をする人に限って長生きし、常に健康に気を付けている人に限って短命という理不尽さ。

 青春を投げうって勉学に励み、やっと有名大学に合格したのに、就職出来ないという理不尽さ。


 世の中は理不尽で溢れ返っている。

 でも少女にとって、そんな事はどうでもよかった。


 とにかく──私を助けて!!


 少女は血の涙を流して懇願した。

 真っ赤な世界。

 今の少女の状況にはピッタリな言葉。

 しかし、真っ赤な世界は、徐々に暗黒の世界が支配を開始し、完全な闇となるのに、さほど時間はかからなかった。


 少女の手足はピクピクと痙攣していたが、やがて動かなくなった──



■予兆

 アヤは、どこにでも居る、ごく普通の女子高生だったが、性格はやや暗い方で、クラスの中でも影が薄い存在だった。

 でも友達がいない訳ではなかった。

 まぁ、同じ感じの人達が、自然とグループを形成する、って感じだ。


 ある日の早朝、アヤは軽い動悸と倦怠感につつまれ眠りから覚めた。

 アヤが目覚まし時計よりも早く起きるなんて珍しい事だ。

 メガネを掛け、肩まである黒髪ストレートをかきあげ、重い体を引きずって、朝食が出来ているであろうリビングへ急いだ。


 多少の体調不良なんて、気にしていられない。

 だって、今日は特別な日なんだから。

 そう、今日は楽しみにしていた修学旅行の日だ。

 そう思うとウキウキしてきて、さっきまで体がだるかった事もいつの間にか忘れていた。

 修学旅行は、いつもの登校時間よりも早く、しかも集合場所は学校ではなくJRの駅だったので、普段よりもかなり早起きした。


 自称低血圧のアヤにとって、早起きはすごく大変なことらしい。

 体がだるかったのは多分そのためだったんだろう。


 母親との会話もそこそこに、慌てて身支度を整えて家を飛び出した。


 そんなに急がなくても十分間に合う時間だが、生真面目なアヤは、余裕を持って集合場所へ行きたかった。

 外は快晴で太陽が眩しい。

 クラスでは影が薄い存在のアヤであったが、その影は長く伸びていた。


◆◆


 特別な事も無く旅館で修学旅行の一日目が終ろうとしていた。

 アヤは同じグループの一人である文香と枕を並べ、障子に向って地味に影絵なんかをしていた。

 主に文香が両手でいろいろな動物などの影絵を作り、アヤが何の動物かを当てる役であった。

 しかし、文香の影絵はなかなかなもので、いつの間にか他の人達も集まって文香の影絵を楽しんでいた。


 そこである女子が「アヤは何も出来ないの?」と聞いてきた。


 影絵なんて普段やるはずもないので出来るわけが無い。文香が特別なんだ。

 若干明るめの髪で、大きめのウェーブで腰までの長さがある文香は、一見するとギャルっぽくも見えなくもない。

 てゆーか、一人で影絵を練習していたなんて、実は文香も十分暗い性格なのだろうか?

 そう思うと、いつも以上に文香に対して親近感が沸くアヤであったが、そんな事よりも今は何かやらないとマズイ状況のようだ。


 適当に犬かキツネでもやってお茶を濁す事にするか─。


 渋々、影絵を披露するアヤであったが、文香のようにはっきりした影を映すことが出来ない。

 光源と障子の距離を考えて適切な位置で形を作らないと、はっきりした影を作る事が出来ないので、意外にコツが必要であった。


 「不器用すぎない?」

 「マジないわぁ」


 クラスでは日が当たらない存在のアヤが、影絵によって不本意ながら日向へ連れ出される事になった。


 それにしても──。


 アヤも不思議だった。

 自分自身、これほど不器用だったとは思っていなかった。

 影絵で影を作れないなんて本末転倒だ。

 この夜、女子の部屋は笑いで包まれたが、初めて光が当たる存在となったアヤだけは泣きそうになっていた。


◆◆


 翌日も快晴。

 それはいいのだが、いまどきの高校が日本のお寺を巡ったり、体験学習をしたりするのかな?

 他校は飛行機で海外へ行くって聞いていたので、アヤはどうしてもうちの高校が、特別しょぼいような気がしてならなかった。


 そうは言ってもやはり修学旅行。

 写真をとりまくって、文香とワイワイやるのも、それはそれで楽しい。

 楽しいのだが──。


 アヤは異変を感じていた。

 自分自身の異変。

 昨日の朝に体験した倦怠感、さらに今回は頭痛まで伴っていた。

 すぐに病院へ行ったり、帰宅したりするほど大袈裟なものではない、その程度の症状だったので、頭痛薬を飲んで紛らわしていた。


 その日の夜。

 夕飯を済ませ、消灯時間までの自由時間に女子達は昼間撮った写真を見せ合っていた。

 あーでもない、こーでもないと、小さなグループ単位で盛り上がっており、それは消灯時間となり室内の電気が消されても続いていた。


 「全く女子のおしゃべり好きには感心しちゃうねぇ・・・」


 まるで自分は女子じゃないような言いっぷりでアヤが呟いた。

 実際、アヤは女子のグループというものを苦手としていた。

 女子は何かと言えばグループ化し、しかも他のグループの悪口や噂話に花を咲かせ、でも実際にあちらのグループの人と話す時はまた別のグループの噂話で盛り上がる・・・。

 ここだけの話・・・ってフレーズがどこのグループからも聞こえてくる。

 ニコニコしながら話しているのに、その仮面の下では何を考えているのかわからないのだ。


 ほんと、女子は怖い。

 アヤは一人、布団の中でそんなことを考えていた。


 その時──。


 「あれぇ?」


 突然の声にアヤはびくっと体を震わせた。

 それはアヤのすぐ隣から発せられた声だった。

 そう、声の主はアヤが唯一、普通に話が出来る文香だった。


 「ちょっとこれおかしくない?」


 文香は少し眉をひそめた顔で、こちらを見ながらスマホを指差していた。


 「もう。突然びっくりするじゃない」


 そう言いながら、アヤはネガネをかけ、文香のスマホを覗き込む。

 そこには文香とアヤを含めた、同じグループのメンバー5人が写っていた。

 キレイな夕日をバックに、5人が海岸にある公園で記念撮影したものだったが、逆光であるため、5人の姿は真っ黒となっていた。


 「これじゃ誰が誰だかわからないね」


 アヤは興味なさげに言ったが、実際は背丈や髪形のシルエットで判断は可能だった。


 「いやいや、そこじゃなくて──」


 文香は何故か声のトーンを抑えて液晶のある部分を指差した。

 

 「ここ見て」


 アヤは差された部分を見る。


 ──!!!!


 アヤは背筋が凍る思いがした。

 ゾッとするとはこの事だと実感したアヤ。


 文香が指差した箇所。

 そこは明らかに違和感があり、どうにも表現できない気持ち悪い感覚が全身を覆った。


 逆光で真っ黒な5人。


 しかし、その中で一人だけあまりにも違和感がある者が居た──。


 右から2番目。


 そう。


 それはたぶん私だ。



■影

 ─違和感。不安感。恐怖感。


 そのどれもが人間にとって招かざる感情である事は確かだった。

 しかし、今の二人いや──、特にアヤにとっては人一倍その感情が増大していた。

 アヤの瞳は大きく見開かれ、一点を凝視していた。

 肩は少し震えているようにも見える。

 顔を小さく何度も振り、現実を受け入れる事を、必死に拒否しようと抗う姿がそこにはあった。


 逆光で真っ黒のシルエットだけ写された画像。

 だが、アヤのシルエットにだけ決定的な違和感があった。

 文香が指差す箇所。

 それは多分アヤであろうシルエットの足元だった。


 美しい夕日をバックにした写真。

 逆光で真っ黒となった5人は、低くなった太陽の光に照らされ、一際黒く長い影が伸びていた。


 いや、たった一人を除いては──!!。


 そう。

 アヤを除いた4人は真っ黒で長い影がはっきりと伸びていた。

 しかし、アヤだけは真っ黒な影がなかった。

 正確には薄い影が伸びていた。

 一見すると影が無いようにも見えるが、何とか目視可能な影だった。


 どうして自分だけ影が薄いの!?

 影が・・・薄い?

 

 ──そういえば!!


 それは昨晩のこと。

 影絵をうまく出来なかったあの時・・・。

 あの時は[不器用]という事で何事も無かったが・・・あの時も確か、影が薄くてクラスのみんなに笑われた。

 

 ──影が・・・薄くなっている!?

 

 アヤは得体の知れない恐怖につつまれた。

 その時。

 突然、アヤは頭痛が酷くなり、耳鳴りや吐き気に襲われ布団を頭からすっぽりとかぶってしまった。

 その様子を見ていた文香は、


 「きっとスマホのカメラの問題だよ」


 と、アヤをフォローした。

 でもそれはアヤを励ますための嘘だと言うことは二人とも十分承知していた。

 しかし、今の文香にはこれ以上の言葉は見つからなかった。


 一言アヤは「うん・・・」とだけ呟くのが精一杯だった。


 クラスで影が薄いアヤは、本当に影が薄い存在となった。


◆◆


 翌日。

 昨日まではあんなに晴れていたのに今日は雨。

 普通であればせっかくの修学旅行なのに雨だと、ちょっと残念な気持ちになるだろう。

 しかし、今のアヤにとっては大歓迎だった。

 むしろ太陽には憎しみさえ抱いていた。


 「ふう・・・」


 目を伏せ、ため息を一つつくと、アヤは一人布団を頭からかぶった。


 アヤは朝になっても頭痛や吐き気が治まらず、現地の病院へ行き、緊張やストレスによる軽い胃炎と診断され、一足先に次の宿泊先であるホテルで休養していた。


 「私何やってるんだろう。」


 誰よりも楽しみにしていた修学旅行だというのに、ほんと、最悪。


 その時、ふいにメール着信音が室内に響く。

 たぶん、文香からだろう。

 文香はアヤを気遣って定期的にメールしていた。

 受信メールには画像が添付されていた。

 今のアヤにとっては、人が楽しんでいる写真なんて、全く興味はなかったが、一応見てみる。

 

 どこかの大きな神社で、アヤを除くグループの4人で撮った写真だ。

 無意識に4人の足元を見ると、天気が悪いにもかかわらず、ちゃんと影が映っていた。

 いや、実際にはうっすらと見える程度だったのだが、今のアヤにとっては、それがはっきり見えるのだった。

 アヤは軽く舌打ちをすると、素早くメールを削除し、スマホを布団の上に放り出した。

 メガネもかけず布団から出ると、フラフラと窓際に立つ。

 外は黒く重そうな雲が広がり、日中だというのに当たりは薄暗かった。

 しかしアヤは照明をつけようとしなかった。

 多分、照明をつけても普段はそれほど影を気にする人はいないだろう。

 そう、今のアヤ以外は・・・。

 窓際で自分の影を探してみる・・・が、やはり影は見えない。

 こんな天気では、見えないのが普通だ。

 でも、文香から送られた写真の4人は、しっかり影が見えた。

 

 「どうして自分だけ影が見えないの!?」


 アヤは叫びながら布団の上に倒れ込んだ。

 こんなに影が気になるのは、生まれて初めてだ。

 今日の朝だって、文香は私の体調を気遣いながら、必死に私の影を見ない素振りをしていた。

 でも、こちらからすると、その見ないようにする素振りが逆に腹立たしかった。

 何度も楽しそうな写真を送ってくる文香。

 きっと今頃は、楽しくいろいろな所を見学しているはずだ。

 もしかすると、私の影が薄いという話で、みんなで盛り上がっているかもしれない。

 だって、これ見よがしに影が映った写真を定期的に送ってくるんだから。

 

 ─そう、みんなで笑っているだ──気味悪がってるんだ──。本当は私が一番気味が悪いのに!怖いのに!どうして!どうして・・・なの?

 

 布団の上でぎゅっと目を閉じ、耳をふさぎながらアヤは考えた。

 頭痛と吐き気に耐えながらも、どうしても考える事を止める事が出来なかった。

 

 ─影がない・・・つまり光が透過しているってこと?


 震えながらアヤの妄想は加速して行く。

 

 「光を遮るものが存在しない・・・だから影ができない・・・?」


 いつの間にか、心の声が口から出ていたが、アヤは全く気にせず続けた。


 「光が透過する・・・だから影がない・・・私は存在しない・・・でも私は存在する・・・どうして・・・どうして私が・・・私だけ・・・」


 アヤは肉体的にも、精神的にも、どんどん不安定な状態となって行った。


◆◆


 文香は困惑していた。

 自分のスマホを握りしめ、修学旅行ご一行様を乗せたバスの中で小さくため息をつく。

 原因は、”あの”写真だ。

 夕日をバックに5人で撮った写真。

 アヤ以外の人には見せておらず、誰にも話していない二人だけの秘密。

 改めてスマホに保存された写真を見てみると、やはりアヤだけ影が薄い・・・ん!?・・・影が・・・消えている!?

 昨日までは確かにうっすらと影があったはずだ。

 それなのに、今は完全に消えていた。

 他の4人ははっきりと濃い影が長く伸びているのに!!

 文香は、自分のスマホに、こんな気味が悪い写真を残しておきたくはなかった。

 だが、本当に消去してしまっても良いのだろうか?

 心霊的なものであれば、除霊とか必要なのかもしれないし、アヤに無断で消すと、何かを勘ぐられる可能性もある。


 そこで、自分一人では判断できなかった文香は、同じグループのメンバーに相談した。

 でも、それが悪かった。

 リアル心霊写真とかで、たちまちクラス中に広まってしまった。

 写真が欲しいと言い出す者まで現れたが、さすがにそれは拒否した。

 インスタグラムとかにアップされたらたまったもんじゃない。

 文香はため息をつくと、ふと、朝のアヤの顔を思い浮かべた。

 目の下のクマがひどく、目も充血していた。


 ─多分、一睡もできなかったんだ。


 これがもし自分だったら・・・文香は得も知れない恐怖を覚える。


 ─たった写真一枚で、こんなにも人生に影響を与えるものなの?


 ほんの十数年しか生きていない文香であったが、そんな中でも間違いなく一番の事件だった。

 そして、これからのことを考えると、不安であり、恐怖であり、面倒であった。


 「結局、気にしないようにする・・・それしかない・・・か。」


◆◆


 生徒達はホテルで楽しく夕食を食べていた。

 もちろんその場にアヤはいない。

 胃炎と診断されたからという事もあったが、明るい場所へ行きたくないのが最大の理由だ。


 アヤは怯えていた。

 光に─そして、影に──。


 廊下をワイワイと沢山の話し声と足音が聞こえてきた。

 夕食を終えた生徒達がドアの前を通り過ぎていく。

 具合が悪いアヤのために、学校側は付き添いの保健の先生と同室にしてくれていた。

 従って、生徒達が泊まる大部屋とは違い、ツインベッドの一つに横になることが出来た。

 保健の先生の高待遇に驚いたアヤだったが、今となってはそれが有難かった。

 だが、保健の先生も自分の仕事があるのか今は部屋にはいない。

 アヤは照明もつけずに暗闇でじっとしていた。


 コンコン。


 控えめにドアをノックする音。


 コンコン。

 

 先ほどよりも強めのノック。


 ガチャ。


 ドアを開ける音。


 修学旅行では生徒に何かあってはいけないという理由で、部屋の鍵は掛けない事になっていた。

 しかし、まさか先生の部屋まで鍵がかかっていなかったとは。


 アヤは軽く舌打ちをしつつ玄関の方を見つめた。

 廊下の光の中から声をかけてくる一つの影。


 「具合はどお?」

 

 思った通り文香だった。


 「まぁそこそこかな」


 アヤは適当に返答しながらメガネをかける。


 「ちょっと~、暗くて何も見えないよ」


 目がまだ暗闇に慣れていない事もあり、文香はバタバタと手を振りながら歩いてくる。


 「アヤぁ、薄暗い部屋にいると気分まで暗くなっちゃうよ?」


 そう言いつつ文香は頼みもしないのに部屋の照明を付けた。

 初めて入る部屋のはずだが、照明スイッチの場所は、だいたい見当はつくってことか。


 「や め て !!電 気 を 消 し て !!」


 アヤは無意識にベッドからを飛び出すと、文香を睨みつけた。

 鬼のようなアヤの形相に、文香は恐怖のあまり動く事が出来なかった。


 ─ドアを開けて勝手に部屋に入ってくるだけでも無礼な行動だというのに、よりによって一番されたくない照明をつけるとは!


 アヤは怒りで体調が悪い事も忘れて叫んだ。


 「明るくすると影が出るじゃない!!」


 影が出ない事で悩んでいたはずだが、そんな些細な事はアヤにとっては、どうでもよかった。

 文香はアヤの変貌ぶりに身動きができなかったが、”影”と言われ、無意識にアヤの足元へ視線を移してしまった。

 そんな文香の視線を敏感にキャッチしたアヤも、恐る恐る自分の足元を見てみた。


 「な、ない・・・ないよ・・・」


 アヤはキョロキョロと床を見渡し、そこにあるはずのモノを夢中になって探していた。

 正確には、モノとしては存在しないが、存在しないといけないもの──。


 「私の・・・」


 アヤは取り乱していた。


 「私 の 影 が・・・な い っ!!!」


 何とか左手を壁につけて体を支えるアヤ。

 その瞳は大きく見開かれ、焦点が定まっていない。


 ──ただ影が無くなっただけ。

 

 しかし、その異常なまでの違和感は見るものを恐怖へとたたき落とす。

 この世に存在するものは全てに影がある──。


 今、クラスで影が薄い存在だったアヤは、影までも完全に消滅した。



■憎悪

 文香は恐怖のあまり硬直していた。

 本当にアヤの影が無いのだ。

 この現実を受け入れられないでいたが、ふと我に返り、思い出したように急いで自分の足元を見てみる。

 

 「あ・・・あった・・・」

 

 文香は小さくつぶやくと、安堵感から壁にもたれ、そのままゆっくりとその場に座り込んだ。

 ふーっと一息ついたところで、アヤを見上げる。


 キッ!


 大きく見開き、充血した目で、アヤは文香を睨んでいた。

 静まり返った部屋の中では、文香の小さなつぶやきも、アヤまで聞こえるには十分な大きさだった。


 「あった?何があったの?文香?」


 そう言うと、アヤは一歩踏み出した。

 文香は震えながら手で口を押えた。

 今、この状況で言ってはいけないことを言ってしまったと、文香は直感した。


 「あってよかったね?・・・文香・・・」


 よろよろと一歩ずつゆっくりと歩み寄るアヤ。


 「私はないの・・・見当たらないの・・・」


 文香は恐怖で声が出なかった。

 照明の下を、影が一切出来ない少女が、鬼の形相で一歩、また一歩とこちらへ近づいてくる。


 「影が無い。・・・ただそれだけじゃない・・・そうでしょう?文香?」


 文香は震える事しか出来なかった。


 「何が悪いと言うの?何が怖いと言うの?」


 「ご、ごめ・・なさい・・・」


 文香は震える声で、やっとそれだけを口にした。


 「なぜ謝るの?・・・文香、私に何か悪い事でもしたの?」

 「いや・・・あの、そ、そうじゃなくて・・・そう、しゃ、写真が・・・」

 「写真?」

 「そ、そう、”あの”写真をどうしようか、クラスのみんなに相談したの・・・」

 「ふ~ん。そう。みんなで”あの”写真を見て笑ってたんだ・・・」

 

 見開いていたアヤの目が、スーッと細くなる。

 

 「ち、違う!・・・そうじゃなくて!」

 

 文香はもう訳がわからなかった。

 自分には影があって、一瞬、喜んでしまったことを悟られないようにと、変な言い訳をしてしまった。

 今、それが完全に裏目に出ている。

 

 アヤは突然文香の元まで駆け寄ると、茶色の髪を鷲掴みにした。


 「影が無いとダメなの?影があると偉いの?」


 そう言いながら、アヤは文香を引きずりながらユニットバスの扉を開いた。


 「影が無いと怖いの?影は必要なの?」


 アヤはぶつぶつと言いながらバスタブを覗き込んだ。

 そこにはお湯が一杯にたまっていた。

 大浴場に行くのが嫌だったので、後で一人で入ろうとアヤがためたものだった。


 「私がこんなに悩んでいるのに!みんなはそれを笑っていた!全部あんたのせいよ!文香!」


 アヤは躊躇する事無く文香の頭をお湯の中に押し込んだ。


 ─殺される!!


 文香は必至に抵抗するが、アヤはその外現とは裏腹に、凄まじい力で湯船に頭を押し込んでくる。

 それは文香にとって、危機的状況だった。


 ─や、やめて!


 しかし、アヤはより一層文香をお湯の中へ押し込む。

 文香の肺は、空気に代わって、お湯が支配しようとしていた。

 意識が遠のく・・・


 その時、ふいにアヤの力が抜けた。

 文香はアヤの手を振りほどくと、間一髪、ユニットバスから転がり出た。


 「うげぇ」


 文香は四つん這いで水を吐きながらも、部屋から逃れようともがいていた。

 まだ意識がはっきりとしない。

 しかし、この場所にいては危険という事だけははっきりしていた。


 「げぇぇ」


 大量に飲み込んだ水を吐き、涙と鼻水で顔がグシャグシャになっていた文香だが、何とか部屋から脱出する事が出来た。

 アヤが追ってくる気配はない。


 ─何が・・どうなったの?


 文香は廊下に這い出ると、そこで気を失った。



◆◆



 アヤは文字通り溺れていた。


 苦しさからか、バスルームを飛び出し、部屋を横断し、窓を開け、バルコニーに出ていた。

 しかし、その場所でも苦しさは変わらなかった。


「ゴボゴボッ!」


 助けを呼びたくても声が出ず、叫ぼうとすればするほど肺の中の空気を無駄に消費するだけであった。

 その凄惨な光景を目にすれば、大抵の人はもう助からないと思うだろう。


 口、鼻、耳、目は勿論の事、毛穴からも血が噴き出ていた。

 少女は全身の穴という穴から大量に血を噴出していた。

 ・・・そう、アヤは自ら噴出す血で溺れていたのだ。


 どんどん体内から溢れ出る血液。

 アヤは意識が薄らいでくるのを自覚した。


 ─誰か、助けて・・・!


 アヤは血の涙を流しながら懇願した。

 あたり一面、血の海と化したバルコニーで、最後の力でのたうち回るアヤ。


 ─何故!?どうして私だけがこんな目にあわなきゃならないの!?


 世の中は理不尽だ。

 だが、それを受け入れようが、受け入れなかろうが、死は誰にでも等しく訪れる。


 アヤの赤い世界は、闇の世界と姿を変えた。


 手足はピクピクと痙攣していたが、やがて動かなくなるのにさほど時間はかからなかった。



■エピローグ

 事件から二ヶ月が過ぎたが、文香の心の傷跡はまだ癒えていなかった。

 しかし、精力的にある疑問に対して自分なりに調べていた。


 そう、アヤはどうして死んでしまったのか──。


 精神的に追い詰められ、あたしを殺そうとしたアヤ。

 そんなアヤの行動は、何となくだが文香にも理解できた。

 それほどまでに、影が無いということは、恐怖心を植え付けるのだ。

 

 失血死。

 それがアヤの死因であったが、問題はどうしてそうなったのかだ。

 文香に対する警察の取り調べは執拗に続き、二ヶ月が経った現在でも、たまに警察が訪ねてくる。

 それは当然だ。全てがあまりにも怪奇すぎる。

 そう、怪奇。

 警察が行う科学捜査とは対極にあると言って良い現象。

 文香はそういった観点、オカルトと呼ばれるジャンルから調べる事にした。

 それからは毎日、市立図書館へ足を運んだ。

 そこで、文香はある興味深い心霊現象をまとめた本を発見した。


 そこには─


 <幽霊には影がない>


 <死期が近づくと人間は影が薄くなる>


 という内容のことが書いてあった。

 確かに、幽霊に影が無いとは聞いたことがある。

 実体が無いのだから当然といえば当然か。


 しかし、死期が近づくと影が薄くなるとは初耳だ。

 影が死期を教えてくれる?

 突如、文香は不安にかられ、反射的に自分の足元を見た。

 そこにはくっきりと黒い影があった。


 「ふぅ・・・」


 文香は、図書館の照明を見つめ、ため息を一つ漏らした。


 「まさか・・・ね・・・。」

 

 読んでいた本を閉じると、文香はそっと元の棚に返却した。



<死期が近づくと人間は影が薄くなる>


 あ な た の 影 は 大 丈 夫 で す か ?



 END

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