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クイーンは宣戦布告を受け入れる

第五手【クイーンは宣戦布告を受け入れる】



 昼休み以降、彩原とは会っていなかった。彼女はきっと情報を頭の中でまとめ推理するのに集中しているだろうから、変に関わりに行っても迷惑になるだけだろう。僕としてもできれば彼女には聞かれたくない話を春川先輩にしたいので一人で本日二度目の準備室へ向かった。

 途中、小泉とすれ違い軽い会話をした。今日からは自分の竹刀で練習できるから、すこし張り切るのできっと部活のあとは疲れていて遊べないという旨を伝えられた。

「それは構わないが、気をつけろよ。仮にもこの間まで怪我をしてたんだから」

 そう釘を刺すと彼は大丈夫だと笑い、怪我をしていたという右の手首を勢いよく振ってみせた。テスト期間中はこれが原因でよく騒いでいたくせに、治ったらこれだ。喉元過ぎれば熱さ忘れるとは、まさに彼のための言葉だろう。

「俺の心配をしてくれるのはありがたいけど、お前も何か浮かない顔してるぜ。そういやサイレンもなんか暗い感じだったな。朝とのテンションの違いに驚いたぜ」

 昼休みの宮田先輩とのやりとりで、最後に先輩にかけられた言葉で彩原の表情が変わった。未だにあの会話が何を意味していたか分からないが、もしかして彼女がそんな状態になっているのはそのせいなのかもしれない。

「そうなのか。……そうだ小泉、また今度でいいから三人で飯でも喰いに行こうぜ」

 この事件が終わって気持ちが晴れたら、少し騒ぎたい。そんな気持ちで提案すると彼はいいねいいねとはしゃいでくれた。

「竹刀で小遣い使い切ってしばらく金ないけど、貯まったら行こうぜ。親はテスト以来、なんか頼める状況じゃないからさ」

「それは俺も同じだよ」

 二人で声をそろえて笑い、その後別れた。図書室に入り、しずかに準備室へ近づいた。先輩が今仕事中ならば邪魔をしてはいけないという感情ではなく、本当に仕事をしているのかという確認だった。

 音を立てないよう細心の注意を払いながら、準備室へ入る。するとそこに先輩の姿は見えなかったので、一瞬混乱した。いつもはここでチェスをしているのに。テスト期間中でさえここに籠もる人が、なぜ今日に限って……。

 そんなことを考えていたら、急にテーブルの下から先輩の顔だけが見えて、わあっと声を出して驚いてしまった。

 そんな僕を先輩はくすりと笑う。

「そこまで驚かなくてもいいじゃない。ああ、それと楠野君、ノックを忘れてるわよ」

「あっ、すいません、つい忘れちゃいました」

 咄嗟の嘘はばれなかったようで先輩は素直に謝ると、頷いてすぐ許してくれた。そしてまたすぐに顔をテーブルの下へとやる。

「先輩、何してるんですか」

 テーブルへと近づきながら率直な質問をするとまたすぐに先輩が顔を上げて、そして右の手のひらをさしだしてきた。そこにはビーズのようなもので作られたピアスが一つだけ乗っていた。

「片方ね、どこかで落としちゃったみたいなのよ。それで今探してるの。けどもういいわ。きっとここじゃないと思うし」

 そういえば先輩はピアスをしていた。ただ二週間前にお気に入りだったロングヘアーをばっさりと切って短髪になったせいでそれ以来はしていなかったんだ。先生にばれると怒られちゃうからと。

「友達が誕生日の日に手作りのをくれたのよ。大切にしてたのに……」

「そうなんですか。なんなら僕も手伝います」

 そう意気込んで床を探そうとしたら、先輩に止められた。

「いいって言ったでしょう。それに私はピアスより、あなたの方が気になるわ。そんな暗い顔して……」

 先輩がゆっくりと僕のほおを撫でた。あまりにも照れくさいので、そっと後ろへ下がりその手から逃れる。

「……そんな暗い顔して、ナナも連れてこないってことは、何かあの子には聞かれたくない話でもあるんでしょう?」

 お見通しというわけだ。騙すつもり隠すつもりもなかったが、表情と僕が一人で来たということだけでそこまで分かられると少し恐ろしい。

「相談にならのるわ。知ってるでしょう? 私は結構頼りがいのある先輩よ」

 そう言って自分の胸をとんと叩くと、優しくほほえんだが、すぐに真顔になって椅子に座るように薦めてきたので、言われたとおりにする。

「それで、どうしたのかしら?」

 先輩に何かを相談するのは別のこれが初めてという訳じゃないのに、とても緊張している。鼓動の音が大きくなって、心身を揺らす。口の中に渇きを感じ、ごくりとつばを飲んだ。

 ずっと感じていたことではあった。実際に他人から指摘もされた。それでも先輩や彩原が何も言ってこないので自分を許していたが、今日の昼休みに痛感した。

「先輩……僕はいりますか」

 やっとこの調査を始めてから思い続けていたことを吐露できた。先輩は僕の言葉に、よく分からないわと言うように、両手を肩くらいの高さまで上げて見せた。

「昨日の三人の事情聴取……いや、もっと言うなら先輩から事件の内容を聞かされたときから、僕はついていけていなかった。先輩の言う言葉や、彩原の質問の意図さえ理解できない場面がありました。思えばあのときからです」

 一度言葉にしてしまえば、それは止めどなく僕の口から流れ出た。それほど僕の中でこの感情あふれていて、のど元あたりまできていたんだろう。自重さえできそうにない。

「状況を理解できていたのはいつも彩原だけでした。そんなの考えてみれば当たり前です。僕があいつと並べるわけがない。こんな言い方したくないけど、あいつは特別です。そして、それは先輩もです。あなたち二人の会話に僕は時々追いついていなくて、いつもどちらかのアドバイスやヒントでなんとなっています。けどっ、それって必要ですか」

 自分で言っておきながら、情けなくなり、恥ずかしくなった。それでも言葉は止まらない。

「昨日の事情聴取はまだ役に立っていたかもしれません。けど実際、あそこから得た情報で推理するのは彩原です。そして僕が聞き出した情報なんて、先輩ならすぐにでも手に入れれた。事実、あの事情聴取で不透明だった部分は先輩が教えてくれましたっ……そしてそれを使って推理するのは、またあいつです」

 ところどころで感情的になって語尾が強まってしまう。先輩に怒っているわけでも、彩原に嫉妬しているわけでもない。役に立てない自分がどうしようもなく憎くく、それを認めている自分がまた嫌だ。

「今日の昼休みなんて、僕は話を聞いてるだけでした。そんな奴、必要ないでしょう……。先輩、どうして僕を彩原と組ませたんですか。僕はあいつの足手まといになるのなんて、ごめんです」

 ようやく、最後の最後に言いたかったことを言えた。言いたかったことは、これが全てで緊張から解き放たれたせいか僕は荒い呼吸をしていた。なんとかそれを整えようと、胸に手を当てて小さく深呼吸をする。

 先輩は僕の本音を目をつむりながら聞いていた。そのときには相づちもなにもしなかった。邪魔はせずに僕の気が済むまま言わせてくれたのだろう。少しすると、なぜか知らないが唇をほころばせた。

「なんだ、そんなことを気にしてたの」

 思いがけない発言に、思わず目を見開いてしまう。

「そ、そりゃあ先輩にしたらどうでもいいことかもしれませんけど――」

 たまらず反論しようとしゃべり始めたら、先輩は手のひらを僕の目の前に持ってきて、静かにしなさいと動作で表した。

「あなたが言いたいことくらい分かるわ。そうね……少し待ってて」

 椅子から立ち上がると先輩は準備室の奥へ行き、そこにある本棚の上に置いてあるものを背伸びをしながら取り出した。図書委員なら先輩がそこに何をおいてあるかは皆知っている。チェス盤だ。

 盤をその辺において、次は本棚の中央あたりにある二つの引き出しの一つから駒が入った箱を出し、そしてそれを手にしてまた椅子に座った。

 そして黙々と白と黒の盤の上に、黒白の駒たちを丁寧に並べていく。そしてできあがると、さあと語りかけてきた。

「さあ、楠野君、ここで質問です。ここから排除していい駒はどれでしょう?」 

「排除って、つまりいらない駒ってことですか」

 こくんと笑顔で頷く。そこまでチェスに詳しいわけでないので、そんなことを急に言われても分かるわけない。それでも答えないと会話が進みそうにもないので、なんとかして頭をひねってみる。

 チェス盤には六種類の駒がある。一番有名なのが、十字架のついた王冠の形をしたキング。そして王冠だけをしているクイーン。ハートマークをひっくり返したような形のビショップに、塔や城のような形をしているルーク。馬の頭の形をしたナイトと、球体のポーン。

 キングは絶対に排除していいはずがない。チェスはキングを殺すか、守るかというゲームなのだ。そして他にクイーンも駄目だろう。一つしかない貴重な駒だ。そしてナイト、ビショップ、ルークも二つしかないもの。

 そうなるとやはり残るは、ポーンだ。八つもあるし、動きが限られている駒だ。

「……ポーンですかね」

 そう答えると先輩は、さらに微笑みを増した。

「なるほどね。けどポーンと言っても色々あるわよ。どのポーンかしら?」

「どのって……どれも同じじゃないですか。どれでもいいですよ」

 ポーンに違いなどなく、ポーンはポーンでしかない。しかし先輩はこの回答に首を横に振った。

「やっぱりそう答えたわね。じゃあ、正解を教えてあげましょう。正解は、ありませんっ」

 急に語尾を強めるものだから驚いてしまって、肩を揺らした。

「ありませんって、存在しないってことですか」

「ええ、その通り。ここにある駒は全部欠けてはいけないわ。ポーンでもなんでもそう。」 先輩はポーンを二つ手に取ると、それを僕の目の前に突き出した。なんの変哲もない駒。二つの駒に違いなどはない。

「見た目に違いはない。けどゲームの進め方によって、今は同じ駒が、全く違う動きを見せるの。全く同じでも同じじゃない。何の変哲もないようで、実は摩訶不思議。ポーンっていうのはそういう駒なのよ。だからこれを理解してないとチェスはうまくできない」

 僕は将棋の歩でもあまり慎重には扱わない。王手を打つために何とか道を開こうと適当に駒を進めるだけだ。駒を無駄にしてもいいとさえ思っている。代わりなどいくらでもあるのだからと。

 しかし先輩はそうではないと言っている。

「私がチェスを好きな理由は、それぞれの駒の役割がちゃんとあって、それを明確にしてるから。だって現実はそうじゃない。自分の役割は自分で見つけなきゃいけない、生み出さないといけない。なんか格好良く言ってるけど、これって超がつくほど面倒よね」

 先輩はそう言うとポーンを盤に戻した。

「私がこの調査をお願いしたのは、楠野君しかできない役割があるって思ったから。けどそれを全うするのも、それを見いだすのもあなたよ」

 駒に比喩されるというのはあまり気持ちのいいものじゃないが、先輩の言葉で僕は妙な空想に浸れていた。僕の足下には白と黒のチェス盤の地面が広がっていて、僕の隣には他の人たちが立っている。

 それぞれが勝手に動くとただの混雑となるが、規律を正し、順序などを決めると驚くほど順良に物事というのは進んでいく、何事もだ。

「僕にしかできない役回りがあるってことですか」

「断言はできないわ、私は神様じゃないもの。けどあるかもしれない。ない可能性だってある。もしかしたらない方がいいのかもしれない」

 ない方がいいっていうのは、やっぱり邪魔と言うことではないのか。内心そう思っていると、それを見透かしたように先輩は首を横に振る。

「可能性よ、可能性。ある方がいいって可能性だってあるの。どうなるかは私だって本当に分からない。ただね楠野君、これだけは断言できるかも。私はナナの頭脳をかってこの依頼をしたわ。けどきっとナナは自分に依頼されたんじゃなく、自分たちに依頼されたんだと思ってる。だからこそ、あなたが側にいることを何とも言わない。あの子の性格なら邪魔なら邪魔っていうわ。ただ、必要なら必要と言わないの」

 あいつは確かにはっきりと物を言う。先輩たちに事情聴取をしている時でさえ、何の物怖じもせず、ずばずばと先輩たちに斬りかかった。遠慮がないのでなく、度胸がありすぎる。そして必要ならば、何事も厭わない。

「ふふ、じゃあ結論を出しましょう。楠野君、あなたはいる。以上よ」

 まだ心の中に曖昧模糊な何かが残っていたのだが、先輩の励ましの言葉というか論理のような物と、外連のない笑顔でだいぶ心が晴れていた。少なくとも僕が一番気にしていた彩原の件だけは心の整理がついたので、それがなによりよかった。

「ありがとうございます、先輩。お礼になるかどうか分かりませんけど、一局付き合いますよ」

 僕のお礼の誘いに先輩は目を輝かせた。どうせ相手にはならないだろうが、先輩はチェスができること自体がうれしいと感じる人なので、こんな雑魚でよければ相手になろう。 今から対局を始めようかと思っていたときになって、急に準備室の扉がノックされた。先輩ががっくりと肩を下げて、どうぞと扉の外側へと声をかける。するとすぐに見覚えのある顔が入ってきた。

 彼女は部屋に入るなり僕の姿を確認すると、わざとらしいくらいに深いため息を吐く。

「楠野、ここに来るなら言ってくれ。無駄に探したぞ」

 彩原は少し怒りながら扉を閉めた。どうやら僕の姿が見えないので探していたらしい。

「ああ、ごめんごめん」

「心のこもっていない謝罪なだな。まあいい」

 彩原とのやりとりをみていた先輩が、ほら見なさいと口パクで言っているのが分かった。嬉しくてうなずきで返すと、そんな僕たちを彩原が怪訝そうに見てきたので、二人でなんでもないという様に誤魔化しておいた。

「それでナナ、あなたは一体何の用かしら」

「……調査の報告です。容疑者が絞り込めました」

 彩原がいきなりそんなことを言い出すから、持っていた駒を盤の上に落としてしまう。ただ驚いたのは僕だけのようで、先輩は非常に落ち着いていて返答も、そうという一言だけだった。まるで最初から分かっていたかのように。

「流石はナナ。じゃあ聞かせてくれるかしら、あなたの推理を」

 当然のようだがチェスの試合は本日中止。これからは彩原の推理を聞かないといけない。

 彩原は椅子には座らず、そのまま立って話し始めた。

「まず容疑者から外れるのは、藤巻先輩です」

 彼女の言葉で昼間すれ違ったロングヘアーの藤巻先輩の姿を思い出す。確か犯行時間の少し前まで自宅にいて、そこまではアリバイがある人だ。容疑者の中で一番信頼できるアリバイを持っていた。

「発見されたジャージ。犯人はジャージを着て犯行に及んだ。けどどうしてジャージに着替えてるんでしょうか。顔を隠したのと同様、見られてまずいからでしょうか。納得できないという訳じゃありませんけど、ここは高校で生徒は皆同じ制服を着ているんです。たとえを服を見られても、犯人特定には至りません。じゃあ、なぜ犯人はジャージを着たのか。ようは制服でも犯人が分かってしまうから、と私は考えました。制服で分かるものなんて数が限られています。しかも制服を着替えなくてはいけないほどの大きな物。……それは性別です」

 彩原の推理ではっとする。ジャージに着替えているところなんて特に注目していなかったが、確かにその通りだ。制服じゃ特定はできないが、男女かどうかならはっきりと区別できる、しかも一目で。

「写真付きの脅迫状を送りつけた人間と、この事件の犯人が同一人物であるならば、脅迫状の主もあの三人の中にいる。つまり犯人の狙いは容疑者を絞れても、一人に特定させないこと。しかし、あの中で唯一藤巻先輩は女性です。もし彼女が犯人なら、制服を隠さなければいけなかった人間として特定されてしまう。犯人がそんな分かりきったミスをするはずがない。もし私が犯人なら自分と同性の人間を容疑者の中に必ず入れます」

 容疑者の三人のうち女性は一人。制服の推理だけで彼女は黒色へ限りなく近づくことになる。彩原の言うとおり、犯人がそんなミスをするとは思えない。 

「そして次に菅原先輩も白です。今日の宮田先輩の話では、顔はウルトラマンのお面しか覚えていないと言うことでした。ただ、菅原先輩と藤巻先輩は、とげとげ頭にロングヘアーです。ウルトラマンでは隠しきれず、髪の毛がはみ出す可能性があります」

 今日の取り調べの時宮田先輩は何かを必死に思い出そうとしていたが、それでもウルトラマンしか覚えていないと言った。彩原の言うとおり、あの二人の髪の毛ならお面には収まらないだろう。

「ふぅん、なるほどね」

 ここでようやく春川先輩が沈黙を破った。

「けどナナ、二人には空白の時間があったわよね。菅原君には三十分の、藤巻には二十分の。その時間があれば髪型なんてなおせるんじゃなくて?」

「はい、その通りです。しかし否定できます。藤巻先輩は二時半まで家にいたと証言している。もし髪型をなおすなら、その時です。しかしもしその時やってしまったら、学校に戻ったときもその髪型です。彼女が犯人ならその時の学校にクラスの人間が三人いるのは知ってるはず。もし目撃されたら、それではあまりに目立ちます。かと言って学校でひっそりとやっても、おかしいです。そこまでしてお面にこだわる必要はない。もっと隠せる物を別に用意すればいい。菅原先輩もこれと同じ理屈で否定できます。彼は事件の三十分前まで友人といたと言ってます。じゃあ髪型もその時までは同じでしょう。三十分暇なら確かに髪型はなおせますが、そのために直前のアリバイをなくすのは本末転倒です」

 彩原の少し長めの推理を聞き逃さないように耳に神経を集中させている。先輩の指摘も、彼女の理屈で納得できた。

 彼女が一度深く深呼吸して、また話し始める。

「そもそも菅原先輩が犯人なら、彼の行動はおかしすぎる。犯人を特定させないために他の生徒に脅迫状まで出しておいて、明確なアリバイを用意しないとはどういうことですか。自分の疑いを少しでもそらすための行動をしてるくせに、アリバイがないっていうのは矛盾です。だから彼のアリバイがないというのは、彼がそれを必要としなかったから。正確に言うならば、そんなものが必要な状況下に置かれるとは思っていなかったから。当たり前です、アリバイが必要な状況下になるなんて誰も考えない、犯人でない限り」

 これでもまた納得してしまう。僕はずっと菅原先輩の空白の時間を怪しいと読んでいたのだが、それはそうでない。彼が犯人ならあとでアリバイが必要なのを知っているから、友人を引き留めででも犯行の直前まで一緒にいてアリバイを作る必要があると考えるし、それを実行できた。それをしていないどころか、おかしな三十分を作った。犯人なら逆にそんなことをすることはない。

 ようやく彩原が三人の事情聴取のときにアリバイを気にしていたのが理解できた。彼女は探していたのだろう、完璧なアリバイを持った人間を。その人物こそが計画的にアリバイを用意した可能性があるから。

 菅原先輩のアリバイが無いという一瞬不利に見える状況が、ここでは一種の『アリバイ』となるんだ。

「……藤巻の二十分はあなたがこじつけて空白にさせた二十分だから構わないけど、彼の三十分はどう説明するのかしら。あなたの推理は説得力はあるけれど、空白の説明にはなっていないわ」

 先輩がさらに負深く切り込むが、彩原はその質問を予想していたようで少しの間も開けず、すぐに答えた。

「そんなの簡単です。彼は友人と別れた。つまり友人に見られたくない何かがあった。けどそれは犯行ではない。そして彼の脅迫状には……」

「そうか、タバコかっ」

 彩原が全て言う前に分かってしまったため、つい大声を出してしまったが、彩原はそんな僕の情けない反応にうんと一度頷いた。

「そうだ。彼は次に見つかれば退学と宣言されていたタバコをどこかに吸いに行ったんでしょう。幸い、犯行当時はテスト期間。校内に人目につかないところはいくらでもあります。彼が少し遠くに吸いに行っていたら、吸う時間と往復で三十分くらいかかったのかもしれません」

 突然脅迫状を送られて無駄な時間をとらされていた菅原先輩。彼の短気な性格なら、すぐにその事実はとてつもなくイライラさせただろう。そして彼はそれを解消すべく、タバコを吸いにどこかへ行った。

「なるほどね。けど証拠はないわ」

「この推理を菅原先輩に話せば、案外簡単に認めるでしょう。ばれていないからこそ、隠す価値があります。もしばれたと彼が感じたなら、事件の疑いを晴らすため認めるでしょう。あとは吸ったという現場にでもいけば運がよければ吸い殻くらい見つかるかもしれません。認めなくても彼はさっきのお面の論理で犯人から外れていますし、それに彼の性格上、陰でこんな陰湿な事件を起こすより直接殴りかかるでしょう」

 彩原が一通りはなし終えたあと、僕の頭には一人の人物の顔があった。その人物は事情聴取の時、陰気な性格のせいで藤巻先輩になじられて落ち込んでいた、クラスでいじめられていたという。そして宮田先輩も逆恨みの可能性があると言っていた人物。

 川平先輩。彼の顔が頭から離れない。

「残るは一人です。それより私はずっと不思議に思っていたんですが、容疑者たちに送られてきた脅迫状。あれは何の意味を持っていたんでしょうか。容疑者を特定させないためだと言っていますが、わざわざ写真を撮って、それを送りつける。そんな遠回りな方法じゃなくてもそれはできます。藤巻先輩と菅原先輩は確かに脅されでもしない限り要求には応じないでしょうが、それではなぜ犯人はそんな頑なな人たちに自分の生命線ともなる役割を与えたのか。もっと他に簡単に要求に応じる人たちを選べばよかった。そっちのほうがいいに決まっています。それなのに犯人がそうしなかったと言うことは、犯人にとってこの役回りが、彼らじゃなきゃ駄目だったと考えるのが自然です。じゃあどうして彼らじゃなくちゃ、駄目だったのか。私が思うに、犯人が痛い目にあわせてやりたいと思っていたのは、宮田先輩だけじゃなく、容疑者も何じゃないかと」

 彩原の言葉を聞きながら自分の頭を働かせる。容疑者にもダメージを与えたかったという彼女の推理。つまり、あの三人を容疑者としてクラスの中にさらけ出す。人気者の会長を傷つけた可能性のある人間として彼らはそれなりの迫害を受けると犯人は予想したんだ。

 実際に犯人の予想通りに今日、藤巻先輩と菅原先輩の二人とクラスメイトの間でトラブルが起きている。宮田先輩もトラブルの原因は二人に対する冷遇だと言っていた。彩原はこれこそが犯人の狙いだと言っている。

 容疑者たちにクラスで肩身の狭い思いをさせる。それこそが。

「ではこの論理を基にして推理を展開します。川平先輩が犯人の場合、日頃いじめられていた藤巻先輩と菅原先輩を容疑者にいれ、そして自分をかばわないクラスの責任者を攻撃したということになります」

「筋は通ってるじゃないか」

 僕が頷くと彼女は僕を一瞥すると、首をかしげて見せた。

「分かっていないな。いいか、犯人は脅迫状を二人に送りつけていたんだぞ。しかも二人を退学に追い込むほどの写真付きの。じゃあ、それでいいじゃないか。それを教師に見せれば復讐完了だ。こんな事件にする必要はない。宮田先輩にはまた別の機会に復讐すればいい。事件を起こし二人を追い詰めるより効果的なはずだ、人生に関わる。こんな事件を起こすメリットはない。それどころか自分も容疑者になるというデメリットが大きい」

 言われてみればその通りだ。さっきの彩原の推理を基にすれば、復讐というならば写真を手に入れた時点でもう好きなようにできる。こんな手の込んだ事件を起こし、騒ぐ必要もなければ、自分を窮地に追い込むこともない。

「それに事情聴取の時、菅原先輩は川平先輩をかばっていた。多分だが弱い物いじめとか、そういうものが嫌いなんだろう。もしそうなら川平先輩が復讐する動機はない」

 さっきから彩原の口から流れ出す推理は止まることを知らず、まるで蛇口を思いっきりひねった時にでる水のようだ。ただそれはどれも容疑者を犯人でないと証明する物ばかりで、ちっとも彼女が最初に言った、容疑者の特定には至っていない。

「ねぇ彩原」

 僕がそのことを指摘しようとしても、彩原は口を止めなかった。

「そもそも川平先輩は自習室にいたと言っています。他の二人が特定の人物とある時間まで一緒にいたのと反し、彼だけが不特定です。もし容疑者になると分かっていたら自習室なんかでアリバイはとりません。もっと信頼できる誰かを頼ります。そんな人の証言がとれるかとれないか曖昧なところに行く必要はない」

 これで川平先輩も彼女は完全否定した。じゃあ……。

「彩原、じゃあ容疑者は全員消えた。犯人の特定には――」

 言葉を続けようとしたが、ここで彩原がまるで怒鳴るようにして声を出した。

「しかしっ」

 あまりの勢いに言葉を止めてしまい、突然感情をむき出しにした彼女を凝視する。彼女は両方の拳を腰の横でぶるぶると震えさせていた。

「容疑者はまだいます」

 そこで突然、ばんっと大きな音をたててテーブルを叩き、左手を腰へ添えて、座っていた先輩を睨み付ける。

「この学校にはテスト期間中でもあいている教室が四つあります。一つは容疑者の菅原先輩のいたグローバルコミュニケーションルーム。次に川平先輩のいた自習室。そして生徒会室。最後に一つ……この図書室です」

 彩原の声が徐々に震え出す。何かに必死に耐えながら声を絞り出していた。

「そしてこの図書室には、テスト期間中でも関係なく、準備室に籠もっている人が一人いるんです」

 彼女の言葉がにわかには信じられなかった。彼女は一体何を言おうとしているんだ……。嫌な想像だけが頭を巡る。

「私の推測ではその人物は事件当日もここにいたんじゃないかと思います。つまり犯行時、犯行可能だったんです。もちろん、クラスの人間ですよ」

「さ、彩原っ、お前何を言い出すんだよっ! そんなことあるわけないだろっ」

 今まで彼女にこれほど大きな声を出したことはなかったが、その声は意識せずとも自然に出た。僕の怒鳴り声を聞くなり、彼女もまた同じように返してくる。

「可能性としては十分にありえるだろうがっ!」

 またテーブルを強く叩き音を立てる。僕もここばかりは譲れなかった。こんなふざけた推理、黙って聞いてられるか。

 そうか。昼休みに宮田先輩と彩原が最後に話していた『可能性』とは、このことだったんだ。

「ジャージを隠していた教室の話から犯人はクラスの人間だと限られる。そして犯行時、学校にいたのは容疑者三名と被害者。容疑者たちの無実が証明されたなら、残る答えは一つ。犯人はそれ以外の人間。そしてその時、学校にいた可能性があるクラスの人間は、ただ一人だ」

 長い沈黙が室内を包み、いまにも暴発しそうな感情を抱えた僕と彩原は互いににらみ合っていた。何とかして彼女の推理に反論したいが、頭に出てくる言葉は全てまるで子供の言い訳のような物ばかりだった。

 そんなもので目の前にいる彼女がなびくはずがない。それでも、何が何でも、僕は言葉を出す必要がある。

「……可能性可能性って、そんなもの他にいくらでもある。クラスの人間が他にいたかもしれないだろっ」

「君の意見はどの根拠に基づいて言っているんだ。いいか、容疑者が三人に絞られていたってことは、最低限の調査はすでにクラスでしていたってことだ。そして結果があの三人だ、他を疑うのはおかしい。けれどもし調査の指導権を握った人間だったら、自分だけをうまく隠すことができるかもしれない。私はその可能性も込めて、いつもここに籠もっている人がいるという根拠に基づいてるぞ」

 勢いよく彼女に攻めたものの、いとも簡単に玉砕されてしまう。もちろん今の言葉で彼女がひるむなんて考えてはいなかったが、こうもはっきりと否定されると次に出る言葉がつい詰まってしまう。

「言いたいことは終わったか」

 威嚇するかのような視線で彼女が僕に問いかける。言い終わりたくないが、これ以上の反論が僕にはできない。あまりの無力さに自己嫌悪に陥る。なんでこんな時に何も言えないのか。

 あまりの悔しさに顔を伏せて、彼女の視線から逃げる。彼女はそんな僕を見ると、なぜか知らないがどこか残念そうな表情をした。しかしすぐに元にもどして、先輩と向き合う。先輩は彼女の視線からは逃げず、まっすぐと向き合っている。

「容疑者は特定できました。あとはその人物に確たる証拠を突きつけるだけです。先輩」

 先輩と呼びかけてから一拍おいて、また彼女がしゃべり出す。

「今日はその件を報告しに来ましたが、次来るときは覚悟しておいてください」

 また間が開いて静かになる。一度深く息を吸い、彩原が宣言した。

「あなたが犯人だと証明してみせます」

 彼女がしゃべり終えるやいなや、先輩が席から立ち上がった。しかし立ち上がっただけ動きはしない。テーブルに片手をついた彩原を少し見下ろす形となっている。先輩は見上げる彩原に、不気味な笑みを見せ、こう言ってのけた。

「出来るものなら、やってみなさい」

地味ながら、ちょっとはミステリらしくなってきました。

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