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キングはその時を語りだす

第四手【キングはその時を語りだす】



「朝からテンションが低いな」

 ウォークマンで音楽を聴きながらとぼとぼと登校していると、後ろから急にそう声をかけられた。声の主は分かっていたので振り向きもせず余計なお世話だと返答する。

「つれないな。朝くらいもっと元気にしろよ、友達が声かけてんだからさ」

 小泉はそう言いながら小走りで俺の横に並んだ。

「低血圧なんだよ。それに昨日色々あったせいで精神的に疲れてんの」

「何が疲れてるだ。昨日だって俺の家でゲームしてたくせに」

 痛いところを突かれたので何も言い返せない。昨日も結局、小泉の部活が終わるまで待って彼と一緒に帰宅して、そのまま彼の家で二時間ほどゲームをしたのだ。それでも疲れているのは本当だった。あの事情聴取の後、春川先輩のチェスに二時間ほど付き合い、頭が破裂しそうだったのをゲームで癒しただけにすぎない。

 何度もやっても勝てはしなかった。負け続け、少しくらいは手加減してくださいとお願いしても先輩は聞いて切れなかったので、もういいやと投げやりになってやっていると、チェスとは何たるかを長々と説教を食らってしまったので、余計に精神力を消耗することとなった。

「それより俺を見てくれ。何か気がつかないか」

「何だよ、それ。男にそういうこと言われてもテンション上がらないし、気持ち悪い」

「テンションあげたいならサイレンにでも頭下げろよ」

 彼の言うサイレンとは彩原のことだ。彼女のフルネーム、彩原七色。七色と書いて「にじ」と呼ぶあの名前をはじめて聞いた小泉が、なら彩原レインボー、略してサイレンだなと名づけたのだ。意外にも彩原本人は気にいっている、ナナイロやナナと呼ばれるのはあまり好きじゃないと公言しているのに、このあだ名を気に入るのはどうかと思う。

「あいつに頭下げても何もおこらないよ。おきたところでテンション上がらない」

「だな。気味が悪いだけだ」

 素直に同意できる感想に声を上げて笑っていると、また後ろから声が聞こえた。

「朝から悪口のオンパレードで光栄だよ」

 いつも切れ味の声が耳を通り抜けていったので、僕も小泉も笑うのをやめて互いに目を合わせて両手を挙げて、ホールアップのポーズをする。

「朝から何馬鹿をやってるんだ、君たちは」

 大きなヘッドフォンを首にかけた彩原が小泉とは逆の隣に並ぶので、二人に挟まれる形となった。

「見ての通り、ごめんなさい許してくださいってことだよ」

「安心したまえ。思春期真っ盛りの男子高校生の冗談のネタになることくらい気にはしないさ」

 彼女が気にしないと言ってもこっちが気にするし、彼女はこう言いながら中々根に持つタイプなので油断ならない。

「それより楠野、友人なら小泉の分かりやすい変化くらい見て分かってやれ」

「流石はサイレン、すぐに分かってくれたな」

 変化に気づいてもらえた小泉は非常に嬉しそうな顔をして、そんな彼に彩原が親指をたててサインを送る。何故か知らないがこの二人は妙に息が合うときがある。こっちから言わせれば彩原の注意力を持ってすれば、そりゃあ変化なんてすぐに見つけれるだろうが、僕はごく普通の平々凡々の男子高校生なんだ。

「竹刀だよ、竹刀」

 彼女がそう繰り返しながら小泉の抱えていた細長い、一メートルほどの布袋を指差した。それの存在にさえ彩原に言われるまで気づいていなかったので、流石に少し恥ずかしくなる。

「おお、やっと買えたんだよ。こまめに貯金して、ようやくだ。これで家でも思う存分練習できる。親にはこの前のテストの結果のせいで勉強しろってしつこく言われてるんだけどな、お構いなしだ」

「随分と練習熱心だな。うちの剣道部ってそんなに厳しいいのか」

 うちの高校は特別にスポーツで強いということは聞かない。県大会の惜しいところまで行くところはあるが、全国大会などはめったに出ない。そういう活躍する部活なら厳しいことを知ってるし、分かるのだが、剣道部の活躍はあまり聞かない。なので小泉がここまで練習に打ち込むのが少し不思議に思えた。

「まあ、去年まで適当だったらしいぜ、うちも。ただ去年の大会でさえ近くの高校に惨敗して、そこの連中に無茶苦茶言われたらしいんだ。それが悔しくてばねになったのか、今年からは先輩たちがすごく力を入れだして、その高校を打倒することで部が一つになってんのさ」

 そういう事情があったわけか。しかし小泉を含む一年生部員はその現場にいたわけでないから、そのばねになる悔しさがない。それにも関わらず隣の友達は滅多に部を休んだりはせず、練習に打ち込み、今みたいに自腹で竹刀を買い家でまで練習する気だ。ばねのないこういう一年生までやる気を出させる悔しさというのは、よっぽどのものなんだろう。

「敵がいると集団というのは一つになるものだ。マスコミで有名人をバッシングしているときの日本人なんかが良い例じゃないか。私はあまりああいうのは好きになれないが、もしどうしても自分にとって害のある敵がいるなら、きっとどんな他人でもいいから手を組んでそれと戦うだろうな」

 彩原の感想を聞きながら、最近やったテレビゲームのRPGの展開を思い出していた。最初は一人だった主人公が旅先で出会った他人と共に行動をともにし、いつの間にか仲間になっている。そもそも何故行動を共にするかというと、自分ひとりじゃ倒せない敵がいっぱいいるからで、目的達成のためだ。敵がいたから彼らは共にいたのだ。

「まあ、楠野のように毎日のんびり生きてるより、小泉のように生きがいがあって、毎日汗を流してるほうが男子高校生らしいし、きっと女子にはもてるだろう」

 小泉を褒めてるのか、僕をけなしてるのか。それとも同時にしてるのか。一番最後の正解だろう。

「おっ、サイレン、俺に気があるのか」

 小泉が目を輝かせて彩原に詰め寄るが、彼女はそんな彼にカバンをぶつけるとため息をついた。

「こういうところがなければの話だ」

 こんな会話をしながら学校まで行き、全員クラスが違うので廊下で別れた。よく三人で行動を一緒にするので、できれば二年では一緒のクラスになりたい。

 たとえ敵なんかいなくても、行動は共にしたいと思える。そう思うと何となく嬉しかった。


 昼休みになり手っ取り早く弁当を食べて、彩原と合流してまた準備室へ向かう。三時間目の休み時間に春川先輩からメールが来て、今日は参加できなさそう、ごめんねと謝られた。昨日みたいに修羅場になることがなければ先輩がいなくても大丈夫だろう。

「この事件、解決してどうなるんだろうか」

 廊下をてくてくと歩いていると彩原が突然そう呟いた。

「犯人をあぶりだして、真実を白日の下に晒す。探偵小説ならそれでいい。それが物語の意味を成している。けどこの事件は解決してもなんともならない。あの三人の中の誰かが犯人だった。その誰かが分かっても、誰が何をどうする?」

「相変わらずよくわかんないね。どういうことだよ」

「これが公の事件だったら、犯人が見つかれば身柄を押さえて、警察にでも渡すさ。けどこれはあくまで先輩のクラスだけの事件だ。罰も何もありはしない。それなのに、犯人を見つけてどうするんだ」

 彩原の説明でようやく理解する。確かにそのとおりだ。この事件には言わば『罪』だけが存在する。それに値する『罰』が用意されていない。本来、事件を解決するにあたりなくてはならないものが無いということだ。

「考えれば少しおかしくはないか。先輩から調査しろと言われたり、容疑者と呼ばれる人たちを事情聴取したり、これから被害者と会ったり。そしてそれらは犯人を見つけるためという。楠野、私の個人的見解を述べていいかい」

 上目遣いで同意を求めてくる。反対する理由も無いのでいいよと許可すると彼女ははっきりと自分の意見を表明した。

「この事件は、大げさすぎる」

 彼女の言葉に確かにそうだと思えた。彼女のさっきの言葉に出てきた単語。調査、容疑者、事情聴取、被害者、犯人。まるで誰かが殺されたみたいだ。僕らはあくまで普通の高校生、学生生活の間、あまり身近に感じる単語ではないものばかりだ。それが今は当然のようになっている。

 思えばけが人しか出てない。それは幸運なことだが、同時に彼女の言うとおりこの事件を大げさと表現するのに十分な要素になっている。

「問題は何で大げさになっているかだ」

「ああ、彩原、待ってよ。確かに君の言うとおりだけどさ、僕らが今すべきことは、解決した後のことじゃないんじゃないかな。僕らの今の問題は、解決することだろう」

 この言葉にどれほどの説得力があったのかは分からないが、彼女はしばらく足を止めて何か考えた後、また僕と目を合わせてきた。

「らしもくなく、もっともなことを言うな。君の言うとおりだ。まずは先輩の頼みを聞こう」

 ひどい言われようだが彼女の思考が別のところにとばなくて助かった。彼女が事件を解決することに頭をまわさなければ、この事件は終わらない。彼女が言う解決しても意味が無い事件でも、解決させないといけない。それは使命感でも正義感でもなく、単純にそれが先輩の願いだからだ。

 図書準備室に入ると、いつものテーブルに見覚えのある男子生徒が座っていて、ノートに何か書き込んでいた。僕らが入ってきたのに気がつくと、立ち上がって、こんにちはと清清しい挨拶をしてくる。

「君たちが彩原さんに楠野君か。知ってるかもしれないけど、僕が宮田壮一だ。以後、よろしく」

 さわやかな笑顔でそう挨拶をしてくる宮田先輩の頭には包帯が巻かれている。軽傷というわけではないようだ。先輩は僕と彩原に握手を求めてきたので、まずは僕がしておいた。その後に彩原と握手をすると彼女に向かってやさしく微笑む。

「君の話は春川からよく聞いてるよ。なんでも彼女と刺し違えたそうじゃないか」

 彩原が明らかにいやそうな顔をする。きっと宮田先輩は彩原と春川先輩のチェス対決のことを言っているのだろう。

「すごいじゃないか。僕もあいつとは何度か勝負したけど、全敗だよ。しかも惨敗」

「……すごくありません。ステイルメイトなんて、負けと同じです」

 ステイルメイト。僕もあの試合のあと、先輩から教えて貰った単語だ。一度は彩原にどういうものなのかと聞いたが、その時、彼女は不機嫌の最高潮だったのでうるさいとしか答えてくれなかった。ステイルメイト、これはつまり引き分けだ。ただ、普通の引き分けというわけではない。比喩するならば、最後の抵抗なのだ。

 はっきり言うと彩原は春川先輩に負けていた。先輩が言うにはいい勝負はしていたみたいだが、それでも先輩のほうが圧倒していたそうだ。先輩としてはもう少しでとどめ、チェックメイトをさせると思ってある一手をうたそうだ。その一手で彩原の動きを完全に止めるつもりで。

 しかしその一手のあと、彩原が先輩をにらみ付けた。とても悔しそうな目で、下唇かみ締めて。そして、彼女もまたある一手をうった。

 それがその勝負を終わらせた。先輩も全く予期していなかった一手。けどその一手のせいで先輩はチェックメイトがうてない状況に置かれた。チェスの百戦錬磨の先輩ですら、その一手のせいで彩原にとどめがさせない状況。なんとかできるかもしれないと今までに経験したことを全て思い出し、何か打開しようとしたが無理だった。

 けれど先輩が勝てない状況でも、彩原が勝てるわけではない。彩原が窮地だったのには変化は無く、彼女はのど元に突きつけられていたナイフを自分の手が傷つくのを覚悟で払いのけただけだ。そのナイフを奪い返し、先輩に逆襲するほどの力は残ってなかった。ゆえに勝負はこれで終わり。

 ステイルメイトとは、圧倒的に不利な状況を無理やり引き分けに持ち込むことだそうだ。

 以後先輩は彩原を唯一勝てなかった相手として彼女を認めているが、彩原は彼女自身がさっき言ったようにステイルメイトなど負けと同じと思っている。ただ敗北を形に残さなかっただけだと。

「僕はすごいと思うけどな。まあ、君がそう思うなら別に構わない。じゃあ話を始めようか。ああ、ジュースを買っておいたんだ。良かったら遠慮せず飲んでくれ」

 先輩が席に着く。たしかに先輩の前には缶ジュースが二本置かれていて、それを僕らに差し出してきた。どうしようかと一瞬迷ったが彩原がすぐに礼を言いながら受け取ったので、僕も後につづき、席に着いた。

「春川からは君らの質問に答えてくれと言われてる。ああ、君らに謝っといてくれと言われてたんだ。あいつは今、クラスのごだごだで忙しいんだ。勘弁してやってくれ」

「クラスのごだごだ?」

 彩原が聞き返すと先輩は神妙な顔で頷いた。

「君らも昨日会ったろう、菅原と藤巻。あの二人が突然きれちゃってさ、クラスの連中と揉めだしたんだよ。あの二人は容疑者になってから、クラスではかなり冷遇をされていたからね、我慢の限界ってやつだったんだろう。それで春川は今、それを治めてる。あいつも苦労性だね」

 あの二人が同時に怒り出したら、それはかなり厄介だろう。先輩も本当に大変だな。

「副委員長がそんな大仕事をしてるのに、どうして委員長がここにいるんですか」

 隣で爆弾発言がして、思わず耳を疑ってしまう。彼女はなんてことを言い出すんだ。先輩が怒り出すじゃないかと身構えていると、意外にも聞こえてきたのは豪快な笑い声だった。

「はは、物怖じもしないでそんなことが言えるなんて、流石は春川の切り札。君の言うとおりだ、僕は委員長としての仕事を果たしきれていない。そもそも僕が襲われたりしなければ、こんなことにはならなかった。クラスで揉めることも、君らが忙しくなることも」

「けど先輩、先輩は被害者なんだから仕方ないんじゃ……」

「どうして隠さなかったんですか。学校内で誰かに襲われたなんていったら、どうなるかくらい想像つくでしょう。そもそも先生たちと口裏を合わせるくらいならたとえ、クラスメイトであっても黙っとくべきです。ちがいますか」

 僕が何とか慰めようとしたのに、何故か横で先輩を攻撃しまくる。ああ、もうっ。

「彩原、いくらなんでも言いすぎだっ」

「……うるさいぞ、楠野。私はつまり、どうして問題が露見したかと聞いてるんです」

 言葉からとげが無くなり、彩原は黙った。受け取った缶ジュースを開けて、それを一口にする。

「僕も最初は隠すつもりだった。先生ともそう約束してたしね。けど、この頭の怪我を見るなりクラス中が大騒ぎになってさ」

 昨日の春川先輩の言葉を思い出す。人望と人気だけで生徒会長になるような人。きっとクラスでも非常に高い人気度を誇っているだろう。もしそんな人が大怪我をしていたら、そりゃあ騒ぎになってしまう。

「クラスメイトたちが次々に質問してくるのをなんとかかわしていたらさ、春川が言ったんだよ。君は昨日の三時まで会議をしていた、けど会議中になにかあったなんて聞いていない。ということは、会議後に何か言いにくいことがあったんだ。しかもいつも親しいクラスメイトに隠すほどの。学校の外で起きたことなら、とりたてて隠すこともないだろうが、隠すということは学校に関係するんじゃないかって」

 ここでも先輩の名前が出てくるか。クラスメイトの怪我を見て、友人たちからの質問に答えない先輩を見ただけでそこまで的確な推理が瞬時にできるなんて、やっぱり只者じゃないな。ふつうはそんなこと、想像も出来ない。何か言いづらいことなんだろうって解釈して終わりだ。

「そこまで指摘されたら、もういいかなって思ってしまった。けどそれだけじゃない。春川やクラスメイトが、何か力になるって言ってくれてね。それでつい口が滑った。まさか、こんなことになるとは思わなかったんだ……」

 クラスメイトの優しさに触れ、心を許しありのままを話した。そしたらクラスで犯人探しが始まって、至った結論がクラスの中に犯人がいるということ。それは先輩にとっても、クラスにとっても大きなダメージだろう。特に先輩みたいに人気の高い人が傷つけられると、その反動が恐ろしいことになる。

 そして今その反動は、クラスの中でバウンドし続けている。それは犯人が見つかるまで終わらない。

「……すいません、言い過ぎました」

 話し終えた先輩に彩原が小さく頭を下げると、先輩は首を横に振ってきにしなくていいというメッセージを送ってくれた。

「じゃあ、簡単な質問を始めます。時間は取らせません。まず聞きたいことは、犯人の顔です」

 彼女が何にかは分からないが、とにかく腹をたてていたのをようやく自重して質問に入ってくれたのはいいのだが、最初の質問から理解できない。

 犯人の顔って確か、ウルトラマンのお面で隠されていたんじゃなかったのか。それはもう会得済みの情報だろう。

「聞いてるかもしれないけど、情けないことに顔は覚えていない。ウルトラマンのお面をしててね、それは覚えてるんだけど、それしか覚えてない」

「ええ、それは伺っているんですが、お面だけですか。本当にお面しか覚えていないんですか」

 彩原がいやにしつこく質問するので、先輩も何とか思い出そうとしたみたいがだが、しばらく考え込んだ後、すまないと謝りながら首を横に振った。やっぱりお面のことしか覚えていないようだ。まあ、襲われているなんて非常識な状況の中で、そんなふざけたものが出てきたらそればかり記憶してしまうのも無理は無い。

 いや、犯人はもしかしたらそれを狙っていたのかもしれない。

「そうですか。では次です。犯人は着替えていたそうですね。それについて何かありませんか」

 犯人は犯行時、この学校の制服ではなくジャージを着ていたと春川先輩から説明されたことを思い出す。しかもそのジャージが先輩のクラスの教室から出てきたことで、容疑者が大幅に絞られたんだった。

「あのジャージは発見されてからよく見てるけど、特に何か思い当たる節はないんだ。クラスメイトが調べてくれたんだけど、どこにでも売っているものらしいしね」

「なるほど。では次に。あの容疑者の三人に恨まれていますか」

 ずいぶんとストレートに次々と質問をしていく。そこには遠慮のかけらもなく、逆に清清しい。

「恨みか。どうなんだろう。あの三人がクラスでういてるのは知ってるね。何度か風紀を乱すなって注意したことがある。ああ、これは菅原と藤巻だけだよ。川平はいじめられていてね、ぼくはクラスの責任者でありながらそれを止めれていない。それでうらまれているのも知れないが、いじめの仲裁に入ったことだってちゃんとある」

 つまり、恨まれるとしても逆恨みだ。そして逆恨みでこんな事件なんて起こすとは考えられない。川平先輩も守ってくれなかったと恨む可能性はあるけれど、あの人の性格上、とてもこんな荒っぽい行動に移すとは思えない。全くありえないってわけじゃないが、可能性としては低い。

 じゃあ、先輩は本人でも気づかないうちに恨みを買い、そして襲われた。けどこんなことまでされるってことはよっぽどのことだし、それを無意識でやったというのは少し考えづらい。

「……質問は以上です」

 どうやら彩原は得たい情報は全て聞き終えたらしい。彼女が立ち上がろうとしたその時、先輩が口を開いた。

「君なら可能性には気づいてるんじゃないか」

 立ち上がろうとした彩腹が動きを止め、目の前にいる先輩に目をやる。しばらくそのまま黙って見つめあったあと、今度は彩原が喋った。

「しょせんは可能性でしょう」

「けど、それこそが調査という以上、今の君たちに必要なものじゃないのかい」

 何か、先輩の雰囲気がさっきまでと違う。急に真剣になった。いやさっきまで子供っぽかったわけじゃない。普通だった。けれどどういうわけか彼の彩原を見るまなざしが変わっている。とても真剣に、だけどどこか哀れそうな視線を注いでいた。

「……失礼します」

 彩原は特に反論もせずそのまま準備室を少し暗い感じを帯びて出て行った。最後に先輩と交わした少ない言葉が何を意味しているのか僕には全く分からないが、いいことではないのは確かだろう。昨日春川先輩が宮田先輩のことを、切れ者の素質もあると評していたことを思い出し、もしかしていまがその状態なのだろうかと考えていた。

 宮田先輩は彩原の出て行く姿を見届けたあと、僕に目を向ける。

「君も何か僕に訊きたいことはないか」」

「一つだけ、失礼な質問になるかもしれませんがいいですか?」

 怒られるのを覚悟で訊いてみたい質問があった。

「苦労をかけさせてるんだ。別になんだって構わない」

 許可はでたもののやはり言いにくいのでしばらく黙ってしまったが、思い切って口を開いた。

「クラスのことに口出しするのはどうかとも思うんですけど、やはり言っておきたいです。春川先輩は委員長になるべきだったでしょう。あの人の指導力は誰だって知っている。もちろん先輩が無能ってことじゃないです。ただ先輩は先輩で生徒会長という重役をすでに背負っている。負荷が大きすぎます」

 僕が言いたいのは、それだけの責任をすでに持っている先輩に、春川先輩が何の気遣いもしなかったわけがないということだ。春川先輩ならきっと、大変だろうから私がやると言うに決まっている。それでも今現在、事実として春川先輩は副委員長だ。もし僕の予想が当たっていたなら、先輩が春川先輩の話を蹴ったということだ。

「……なるほどね。春川が送り込んだ切り札は、彼女だけじゃなかったわけだ」

 一人でそう納得するとゆっくり語り出した。

「君の言うことは惜しかったね。確かに今年の春、クラスでは僕か春川、どちらが委員長になるか問題になった。ただ君の予想と違うのは、僕は最初委員長になるつもりはなかったんだ。だから春川に任せようとした。彼女もそれを分かってくれていたんだけど……少し事情があってね。幸か不幸か、僕を委員長にという声が出た。それも相当数だ」

 やはり人気と人望はすごいんだな、この人。僕とはかなり遠い存在だ。

「けど同時に春川を推す声もあがった。この時からだね、クラスに完全なまとまりが消えたのは。結局、僕を推す声の方が多かったから委員長になってしまったんだ。けれど春川と裏方で話をした。クラス委員長の仕事は君は請け負えない分は私がやる。そして副委員長の仕事もすべて私がやる。そのとき春川がそう言ってくれたんだ。つまり今回の件でほとんどばれてしまってるだろうけど、事実上の委員長はあいつなんだよ」

 生徒会長ほどじゃないにせよ、図書委員長だって責任も仕事も他の生徒より圧倒的に多い。しかもそれに加えて先輩は自分のクラスの委員長兼副委員長もしてたというのか。それだけじゃない。あの人は困ってる後輩とかをほっとけない人だ。全然自分と関係ない人を助けたりもする。僕だってテストでお世話になったばかりだ。そしてこういうのは僕だけじゃない。

 先輩のそれら全てをあの一身で受け止めていたというのか。耐えきれない量じゃないかもしれないが、つらくないわけない。この準備室に毎日籠もっていて、姿を見るたびにチェスをしているかそればかりしていると思っていたがきっと違う。

 ノックやそれに近い音で準備室に誰かが入って来そうと分かったら、すぐに仕事を中断しているんだ。そしてチェスをやっていたかのように振る舞っている。僕たちに変な気を遣わせないために。

 あの人ならこれしきのこと、軽々とやって見せるだろう。

「言ってるだろう、あいつは苦労性さ。君がそんなに辛そうな顔をすることはない」

 先輩の言葉にはっとする。今自分がどんな表情でいるか想像する。きっと悔しがってるだけの無力な表情。

「すいません、変な話をさせてしまって」

 頭を下げて謝ると気にしなくていいからと気さくに言ってくれた。

 その後、少しだけたわいもない話をして僕は準備室を後にした。先輩は生徒会の仕事をここでやってしまうらしい。施錠だけは気をつけてくださいと注意を促しておいたが、全く心配はしていなかった。あって間もないが、あの人を十分に信用していた。

 教室までの帰り道の途中で、前方から見覚えのある顔が二つ並んで歩いてきた。ワックスでとげとげに固めた髪の毛が特徴の菅原先輩と、昨日は長いくるくる巻きのツインテールだったのを今日はただのロングヘアーにしている藤巻先輩だ。

 昨日はあれだけ仲が悪そうだったのに、今日はなにやら意気投合して話していた、話していると言っても二人とも表情で怒っていることが分かったので、きっとクラスメイトや春川先輩に対する愚痴だろう。

 二人がここにいるということは春川先輩が話をまとめたみたいだ。それは丁度いい。放課後、一人であって話したいことがあったので放課後まで話がもつれ込んでいたらどうしようかと心配していたのだ。

 二人は僕に気がつくと一緒に睨み付けてきた。四つの鋭い眼光の的となりながら、軽く会釈をして何事もなかったかのように通り過ぎる。すれ違う時にはっきりと舌打ちがきこえた。

 しばらく歩いたところでとまり、振り向いて離れていく先輩たちの背中を見つめる。あの人たちのせいで先輩は苦労を強いられているんだと思うと、その背中が憎くて憎くて仕方なかった。 

今更ですが、この作品のタイトルは 「女王の(つるぎ)」です。

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