ポーンたちがざわめきだす
第三手【ポーンたちがざわめきだす】
翌日の放課後、僕は彩原と廊下で落ち合いそのまま春川先輩が容疑者三人を連れてくると言っていた図書準備室に向かっていた。早速昨日仕入れた剣道部から竹刀が一本盗まれたという情報を彼女に教えると、彼女は仕事が速いなと珍しく褒めてくれた。同級生に褒められて喜ぶのもどうかと思うが彼女の場合本当に稀なことなので素直に喜んでおこう。
「実は私も昨日家で調べられることは調べてみた。分かったことなど限られているが、一応収穫はあった」
彩原はそういうとポケットから四つに折られた紙を渡してきた。受け取って開いてみると、そこには昨日先輩に見せられたウルトラマンの顔写真が大きくプリントされていて、その下に何か細かく書かれている。
「あれは初代ウルトラマンだそうだ。特徴といえるものは、シンプルな顔で頭のてっぺんに角があるくらいだ。けどそんなのは他にもいくらでもいる。ちなみに必殺技はスペシウム光線だ。手を十字にさせて放つ技で、なんでも右腕にマイナスのエネルギー、左腕にプラスエネルギーを蓄えて、それをスパークさせるらしい。連射も可能らしいぞ」
「……それって事件に関係あるのか」
僕が恐る恐る尋ねると彼女はすました顔で首を横に振った。
「無いだろう。多分、いや絶対。情報量が少なかったから適当に調べただけだ。何の意味もないさ」
情報といえば一応、昨日の晩に春川先輩からメールをもらった。容疑者三人の名前と性別などを。正直、あまり関わりたくない方々ばっかりだったのでメールを読んでからしばらくは依頼を引き受けたことを後悔した。
容疑者の一人は菅原雅人という男の先輩だ。幾度か見かけたことがあるし、悪い噂も聞いたことがある。関わって得をする可能性は限りなくゼロに近く、どちらかという関わらないほうが損をしないという大きな利点がある。この人が春川先輩のクラスメイトだったとは知らなかったが、先輩もきっと苦労してるんだろうな。人一倍責任感があるから、任された仕事は絶対にやる。きっとクラスをまとめるのも仕事だと思ってるだろうから、色々と世話を焼いているはずだ。心底同情してしまう。
「菅原先輩とはあんまり関わりたくないんだよな」
「仕事を請けたのだから仕方ない。それに向こうも手荒な真似はしないだろう。暴力を振るうってことは、今現在の彼の立場を考えると自首してるに等しいからな」
そういう考え方もできることはできるのだが、それは向こうに常識があったらの場合だ。大抵、問題児と噂される人には常識などというものは無い。常識を無視しているのか、それとも最初からそんなの知らないのか。事実、僕の隣の問題児は常識はあるようでない。
「それに菅原先輩だけじゃないようだ。藤巻先輩も容疑者リストにいた」
「それなんだけど、藤巻先輩って女だろ。あんまり知らないんだよな」
「なら早い話が悪女と認識すればいい。女子の間では有名な人だ。手にかけた男の数は星ほどいて、中には教師までいるとか。私は娼婦と呼んでいるが、友人たちがはしたないと言って呼ばせてくれない」
なるほどな、こちらはこちらで問題児なわけだ。全く、ろくでもない人ばかり容疑者なんだな。ついてない。いや、憑いてるのもかもしれない。
「厄介なことになりそうだね」
容疑者の三人のうち二人がこれじゃ、正直三人目もろくでもない奴だろう。春川先輩のメールでは三人目のことは正直よく分からなかったが期待はできない。
「まあ、楽をできるとは思ってない。それに……本当に厄介なのはまだだろう」
彩原が段々と声を落としていったせいで、それにという言葉の後からは聞き取れなかった。非常に気になるので、なんだってと訊いて見ても、なんでもないと返されてしまった。こうなってしまうと彼女は教えてくれない。諦めよう。
そんな会話をしてるうちに図書準備室の扉の前にいた。
「さて、覚悟は決まったかい?」
すでに覚悟を決めている彩原が余裕の笑みを浮かべる。
「覚悟は決まってるさ。君と依頼を請けたときからね」
一応は男らしく返答してみたが、彩原は似合ってないなと容赦のない感想を言って、若干ながら傷ついた俺を無視して重たい扉を開けた。
昨日俺たちが腰掛けていたテーブルには、今は見慣れない来客が三人肩を並べている。そして彼らと向き合うようにたっているのが、いつもの見慣れたお方。四人は僕らが入ってきたことに気がつくと、それぞれ別の反応を示した。春川先輩はにっこりと微笑えんできたし、茶色の髪の毛をワックスで固めて逆立ててる菅原先輩はとても強く睨んできたし、容疑者の中で唯一女性の藤巻先輩はくるくると渦を巻いたツインテールをいじっていてこちらを見ようとはしないし、三人目の容疑者の最後の一人である川平先輩はメガネの分厚いレンズ越しに僕らを一瞥するやいなや即効で目をそらした。
「すいません、待たせましたか」
「大丈夫よ。少なくとも、私はね」
僕の質問にそう答えると春川先輩はテーブルの三人に眼をやった。まず口火をきったのは予想通り、菅原先輩である。
「おい、後輩が先輩待たせてすいませんですむと思ってんのかよっ」
早速言いがかりときたか。しかも妙に説得力がある言いがかりだ。対処しづらいことこの上ない。さてどう処理してやろうかと思いあぐねいていると、意外にも口を挟んだのは藤巻先輩だった。
「遅れたと思ってるんなら、早く始めてくんないかしら。こっちだって暇じゃないの。さっさと始めて、さっさと終わらしてよね。あんたも、言いがかりなんてつけないでくれるかしら、時間の無駄だから」
言い終わると自分のカバンから化粧道具を取り出して、それを机上に広げる。なんということか、どうやらここでお色直しをするらしい。
「なんだと。厚化粧女は引っ込んでな」
噛み付かれた菅原先輩が藤巻先輩に噛み付き返した。そしてお互いに睨みあうのだが、二人の間に座っていた川平先輩がとても二人を抑えきれないだろうと思うような細々とした声で、落ちついてと二人を宥めている。
そんな三人の状況にも目をくれず、彩原は僕の耳元で誰にも聞かれないように指示を出した。
「事情聴取は君がやってくれ。事件の前後に何をしてたか。絶対にして欲しい質問はこれだけだ。あとは適当にしてくれ」
まあ、こんな危険人物たちと彩原を接近させるのは反対なので事情聴取自体はやるのだが……。
「質問はそれだけでいいのか」
「ひとまず、それだけでいい。恐らくだが、それで十分になる」
どうせ頭を使うのは彩原の仕事だ。彼女が欲しい情報がそれだけなら、べつにそれでいい。サポーターの俺にできることはとりあえずこの三人から彼女が欲しい情報を引き出すことだ。あまり気乗りはしないが、やるしかない。
僕がテーブルに三人と向き合うように座ると、彩原と先輩は僕の後方に向かった。どうやら後ろ側から睨みを利かしてくれるらしい。
「じゃあ、少しお話を聞かせてもらいます」
改めて三人を見る。睨んでくる菅原先輩、化粧をしてこっちをみない藤巻先輩、俯いている川平先輩。ここまで見事に別々に対応をされてしまうと、一体僕は誰に合わせたらいいのだろうか。とりあえず、色んな文句が飛んできそうなものの、一番質問に答えてくれそうなのは菅原先輩だろう。
「じゃあ、菅原先輩からで。単刀直入にお伺いします。事件当日、どこでなにをしていましたか。特にテストが終わってから、事件が起こった午後三時まで」
話は聞くが僕もできるだけ早く終えたい。理由は藤巻先輩と違うけど。
「クラスの連中からは疑いのまなざしを向けられるし、副委員長殿からは急に指図を受けるし、生意気な後輩からは質問されるし、ついてないなぁ俺」
ついてないのは僕もなんですよという返答ができないのがまことに残念だ。
「まあ、どっかのババアが言うとおり俺も早く話しするけどよ、先に言っとくけど、俺はやってねぇよ」
「は、はぁ」
それは今から話を聞いて彩原が判断、というか証明してくれると思う。だから僕に言われても仕方が無いのだけれど。
「わかりました」
とりあえず相手が納得して話してくれそうな返事をした。それに満足したようで菅原先輩は意外にもスラスラと話をしてくれた。
「事件の前の日にさ、下駄箱に妙な手紙が入ってた。それには明日の午後三時にB棟の三階に来るように書かれてたんだよ。面倒だったけど行くしかないなと思って、とりあえず行くことにした。テストが終わったのが十一時半過ぎ。その後食堂で昼飯食って、二時半ぐらいまではグローバルコミュニケーションルームにいたよ。知り合いがいて、そいつとずっと喋ってた。アリバイっていうのか、こういうの。とにかく、おれがそこにいったっていうのは、そのダチから聞いてくれれば分かるはずだぜ」
そう言うと彼はもう話すことなどないと言わんばかりに話を終えた。まあ、一応、彩原から聞けと指示されていたことには答えてくれたのでこれ以上何かをする必要も無いのだが、どうも納得がいかない。ここは一応問い詰めておくべきだろうか。けどそんなことをして殴られてもいやだし……。
僕がうだうだと悩んでいたら、急に後方から声がした。
「二時半以降、どこにいらしたんですか」
彩原の声だ。早速何か疑問に感じることを見つけてくれたようだ。やっぱりこういうのは得意分野なんだな。というか、ここまで遠慮も無くずばっと質問できるのならいっそ彩原がこの役目もやってくれないだろうか……いやいや、ここは男の役目だろう。
「なんだよ、急に」
どうやら後輩の、しかも女子のいきなりの参戦を先輩は気に入らないようだ。
「私も春川先輩に調査を任されてるものです。それで、質問の回答は」
菅原先輩は春川先輩に一瞥する。彼女が頷くと、舌打ちをしながらも答えてくれた。
「だから、呼び出された場所でそいつを待ってたんだよ。名乗りもせず呼び出すなんて、ふざけてやがる。一発ぶん殴っておこうと思ってな」
「三十分もの間、ずっと暑い廊下で待ち続けていたんですか。特に何もせずに」
言われてみれば確かにおかしい。五分だけまってろと言われてもかんべんしてもらいたいものだ。
「ああ、そうだよ。なんか文句あるのか」
「文句はありません。ただ、先輩がちゃんとそこで三十分間待っていたという、第三者の確たる証言が欲しいです。言ってる意味、分かりますよね」
なるほど、つまりここでもアリバイを求められているわけだ。確かにおかしな行動だ。アリバイがないと、今現在、灰色の疑いが更に黒ずむ。
「……ねぇよ。コミュニケーションルームで話してたダチとは一緒にそこ出て、すぐに別れたからな」
アリバイは無し。これはもう決まりでいいんじゃないかな。あまりにも怪しすぎる。決め付けは良くないとは思うが、事件前の三十分が空白ともなると疑われても仕方あるまい。後ろを向いて彩原を見ると、何故だが知らないがもうそれでいいらしく、次にいけと口パクで指示してきた。彼女がそれで言いというのなら、僕にできることは無い。
「分かりました、じゃあ菅原先輩は終わりです。次はぁ、川平先輩、お願いします」
指名を受けた川平先輩は僕が後輩にも関わらず、はいと敬語だった。
「僕も菅原君と同じで……えぇと」
見るからに陰気そうな身なりだ。分厚いレンズのメガネ、前髪くらいまで伸ばされた髪の毛に細身の体、それに俯き加減の姿勢。それに聞き取りにくい小声。申し訳ないが聞こえない。
声を大きくしてくれますかとお願いしようかと思っていたのに、そうはできなかった。
「もうっ、ちょっと横で気持ち悪いんだけどっ」
先ほどまで誰も相手にせずひたすら化粧をしていた藤巻先輩が急に声を荒げて、隣の川平先輩の椅子を蹴った。
「小声だし、はっきり言わないし、あんた何しに来たのよ。ちゃんと喋ることも出来ないの。もう、死んだほうがいいんじゃない? そんなんだからいじめられるんだって」
別に僕に対して言われた言葉でもないのに、僕まで傷ついてしまいそうなほどの言葉の刃を放った藤巻先輩に川平先輩はまた蚊の泣くような声で、ごめんと謝っていたがその声も気に入らなかったのか、彼女はまた椅子を蹴る。
流石にとめないといけないと思いながらも、先輩で口出ししにくいうえ、向こうには向こうの事情があるので止めづらい。
「おいアマ、大概にしろよ」
困惑していた僕が何とか口を挟もうかとしていたとき、鋭い声がした。
「弱いもんいじめなんて目障りなこと、俺の前ですんな。胸糞悪りぃ」
菅原先輩が藤巻先輩に鋭い眼光を向けていた。その視線に藤巻先輩は一瞬たじろいだものの、すぐにふんと鼻を鳴らす。
「へぇ、正義の見方気取りなわけ? 何年生なのよあんた」
「残念だけどお前と同い年だ。いいから、黙れ。そんで川平、さっさと答えろよ」
菅原先輩が川平先輩を急かすことで強制的に藤巻先輩とのやり取りを終えたので、ほっとする。藤巻先輩は菅原先輩にも、川平先輩にもまだ言いたいことがあったようだが、菅原先輩のおかげでうっとうしいという小言だけで済んだ。一触即発になりかねない雰囲気だ。必要以上に神経を使ってしまう。
ようやく落ち着いた空気になったところで、川平先輩がさっきよりもはっきりした声で語り始めた。
「僕も、呼び出されたんです。時間は菅原君と同じだったけど、場所は一階だった。テスト終わってすぐに自習室に行って、お弁当もそこで食べた。三時になる直前までそこにいたかな。約束の時間だと思って、すぐに一階に行って……」
「先輩、じゃあアリバイはどうですか。先輩が自習室にいたって証言できる人が欲しいんですけど」
一応、筋の通った言い分だし疑うのもどうかと思うが、やはり承認というのは必要だ。
「自習室に何人か生徒がいたけど……名前とかは分かんないや」
確かに、それは当たり前だ。僕も何度か自習室には行ったけど、元々そこまで人数はいない。テスト期間中で少しは多かったかもしれないけど、それでもそこまでの大差は生まれないだろう。そんな少数の中に顔見知りがいる可能性は少なく、いたとしても気まずくなるのでどちらかが出て行ってしまうのがオチだ。
しかもこういっては何だが、川平先輩の場合は、顔見知りというか、友達というものがあまり多くいそうには見えない。状況が不利だ。可愛そうだけど先輩もアリバイは無しだ。まあ、よく調べてみたらこの疑いは晴れそうだけど。
後ろを向き彩原に、次に行くよと合図を送ると頷きで返された。
「じゃあ最後、藤巻先輩、お願いします」
予感的にこの人が一番厄介そうな気がするのだけれど……。
「めんどくさいなぁ。まあいいわ。アリバイなら、私はこのお二人と違ってちゃんとあるしね。私はテストが終わって一旦家に帰ったの。友達と一緒に帰ったから、アリバイはあるわよ。家までそこまで遠くないのよ、自転車で十分くらい。二時四十分ごろに家を出て、五十分頃に着いたわ。私も呼び出しの方法は二人と同じ。ただ場所は四階だった。言っとくけど、アリバイはあるわよ。家に帰ったのは友達が見てるし、家の電話で別の友達と一時間くらい喋ってもの。少なくとも、二時半ぐらいまで」
これは意外な結果だな。この方もアリバイというアリバイはないんじゃないかと思っていたのだが、結構しっかりとしたアリバイがちゃんとある。もちろん後で確認はするが、ここでそんなすぐばれる嘘をつくとも思えない。信じて支障はないだろう。
「二時半に会話が終わって、直後に自転車で来れば十分ほどでここに着ける。ということは、あなたの場合、約二十分ほど空白の時間ができますね」
彩原の声で一気に冷静になる。ああ、そういう可能性もあるか。少しこじつけてるようにも思えるが、可能性としてないことはない。いやどちらかというともし彩原の言うとおりなら、彼女はアリバイ工作をしていたということになる。世の中、何か工作をしなければならない人間なんて一種類。何か知られたくないことを持った人間だ。
「…・…いけすかない後輩ね。教育がなってないんじゃないの、女王陛下」
彩原の言い分に腹が立ったのだろう、その後輩の指導者である春川先輩を睨みつけた。しかしながら女王陛下こと春川先輩はそんな安い挑発に乗るような人ではない。
「私はこの子たちに教育なんかしてないわよ。教育なんて必要ないほど、優秀だから」
そう言うと隣にいた彩原の頭をなでようとする。もちろん彩原はそれを払いのけた。嫌がったのではなく、照れくさかったと推測したほうがよさそうだ。
「ふぅん、優秀ねぇ。じゃあ先輩に対する態度くらいちゃんとできるでしょう?」
「分かってるでしょうね。そんなことをいうなら藤巻、あなたこそでしょう。人が話している最中に化粧をするなんて、常識が欠けている証拠よ。違うかしら」
春川先輩の異の唱えようの無い反論に藤巻先輩は下唇を噛み、何故だか知らないが今度は僕を睨みつける。
「この頼りなさそうな男の子は何なのよ。さっきから同じ質問ばっかりして、あんまり役立ってるようには見えないわ」
思わず俯いてしまうほどの的確な指摘だった。それはさっきから僕自身がずっと思っていた事で、他人から言われるとなおのこと傷ついてしまう。しかし反論の仕様もないのでまた情けないなと思っていたら、何かがぶつかる大きな音が机上で鳴ったので、思わず顔を上げた。
藤巻先輩の前にはゆっくりと回転しているチェスの駒、白いポーンがあった。彼女はそれを信じられないという目で見ている。
「あんまり私の後輩の悪口を言うもんじゃないわよ。今はずしたのはわざとよ。今度は、当てるわ」
投げたのは言うまでもなく先輩で、誰もがそれを信じられないでいる。全員がまるで時が止まったかのように静止していたが、藤巻先輩の机を力いっぱい叩く音で我に帰った。彼女はそのまま悪態を着きながら席から立ち上がり、図書準備室から出て行った。
そんな彼女の行動を黙って見ていた川平先輩と菅原先輩も挨拶もしないで準備室を出た。僕と彩原と先輩だけになった準備室には今まで感じたことの無い静寂が横たわっていて、誰も口を開こうとはしなかったのだが、しばらくして彩原が拍手をしだした。
「見事ですね、あの切り替えし。見惚れましたよ」
彩原の褒め言葉に先輩は唇をほころばせた。
「あなたたちの悪口は聞いていて気持ちいいもんじゃない。咄嗟にポケットに入ってた駒を投げちゃってたわ。褒められて嬉しいけど、あれは失敗ね。今後の捜査の邪魔になると思うわ」
先輩の懸念を彩原の首を横に振ることで切り裂く。
「いいんですよ。あの人たちからはあれだけ聞ければ十分です」
「そのことなんだけどさ、本当にあれだけでいいの? もっと深く調べた方がいいじゃないかな」
「あれ以上質問したって無意味だよ。どうせ嘘をつかれたり、はぐらかされたりするだけだ。余計な情報で混乱するより、最低限必要な情報を整理するほうが効率いい」
基本的に頭を働かせるのは彩原の仕事なので彼女がそれでかまわないというのなら、僕がこれ以上言うことはないのだが、やはり不安が残る。余計であれ何であれ、情報は少しでも多いほうがいいのではないか。その情報が必要最低限なのか否かは、それこそ事件が解決しないことには分からない。
このくらいのこと、彩原なら心得ているはずなんだけど……。どうも今回は様子がおかしい。
「にしても先輩、こういっちゃあ何ですけど、あの三人はクラスじゃういてるでしょう?」
質問をしながらずっと思っていたことを口に出すと、先輩は複雑そうな表情を浮かべながら頷いた。
「問題クラスの中の、問題児。異端の中の異端ってところね」
「先輩のクラスって、何か問題なんですか」
「外見は何ともないわ。どこにでもある普通のクラス。ううん、中身もそんな特別じゃない。明るい子もいるし、暗い子もいる。頭がいい子もいれば悪い子もいる。人気がある子がいれば、無い子もいる。確かに特別じゃない。けど、私からすればあんなクラスは初めて。今までずっと、もう小学生との時からクラスの代表っていうのにはなってきてるから会長とかは慣れっこなの。けど適当に仕事をするのはいやだから、それなりにいいクラスにしようとしてきたわ。イジメをなくしたり、教室で一人の子に友達を作ってあげたり、クラスをまとめたり、ずっとそうしてきた。そうできてた。けど、高校三年、最後の最後で何故かどうもうまくまとまらないクラスに出会った。イジメもあるし、問題児もいる。そして中々まとまらない。私としては初めてのことばっかりで、問題なのよ」
この先輩が手におえないとは、かなり厄介なクラスだな。先輩の指導力は図書委員なら誰だって知ってる。自分でできることは全て自分でして、助けがいるときは無理やり手伝わせるんじゃなく、委員会で召集を呼びかけて手伝いたいという意思のある人たちだけあつめる。もちろん他の委員にもちゃんと仕事を与える。
後輩たちには優しく厳しく。仕事については少し口うるさいが的確なアドバイスをさりげなくしてくれるし、仕事に関係のないプライベートなでも困った後輩がいたら助けている。先輩にテスト勉強を付き合ってもらったおかげで留年を免れたという二年の先輩もいる。
こういう性格や行動力から多くの人から慕われていて大人気。そのカリスマ性や統率力は素晴らしく彼女のファンも少なくは無い。彩原だって彼女のファンの一人だ。しかもかなり根強い。
尊敬さえしている。この頑固者を取り入れてしまうのだからすごい。
そんな彼女の力を持ってもまとめられないとは……。
「それで先輩、なぜあの三人は容疑者なんですか」
彩原がまるでさも当然のようによく分からない質問を先輩に浴びせたので、僕は耳を疑った。質問の意味が良く分からない。なぜあの三人は容疑者なのか。一体、どういうことなんだろうか。
僕が質問に理解できずに混乱しているにも関わらず先輩は顔色一つ変えなかった。
「流石ね、ナナ。私の期待以上の頭の回転だわ。あなたが言いたいのはつまり、どうしてあの三人が自らあの時間帯に学校に呼び出されたと告白しているのかってことよね。そして、どうして彼らは手紙の指示通りに動いたのか。違うかしら」
先輩の解説でようやく彩原の意図が分かった。あの容疑者の三人は手紙で呼び出されたと証言して、その手紙に言われたとおり行動したらしい。けど差出人も書かれていない手紙に何故彼らは従った? 川平先輩はともかく、菅原先輩と藤巻先輩はそう簡単に人の命令を聞くような人ではないだろう。
そして従ったとしてどうしてそれを公言しているんだ。黙っていれば隠し通せるかもしれない。そうすれば容疑者になることも無かったじゃないか。
「違いません」
「ふふ、簡単なことよ。彼らは手紙で呼び出されたわ。けどそれはただの手紙じゃなかったのよ。菅原君の手紙には彼がタバコを吸っている写真が、藤巻さんのには彼女が援助交際をしているときの写真、そして川平君には彼が万引きしているところの写真。手紙の最後には、指示に従わなければこれをばら撒くって書かれていたらしいわ」
「脅迫ですか」
「そう。川平君以外の二人は今度問題を起こしたら退学にするって言われてる。だから写真を表に出すわけにはいかない。川平君は今、推薦入試で大切な時期。こんなときにそんな写真が出回るのは避けたい」
なるほど、そういう裏事情があったわけだ。ここまでいわれると名乗り出た理由も分かる。もし手紙の主が彼らを呼び出したことを何らかの形で公言したなら、彼らは事件のあった時間に学校にいたことが知られる。もし隠していたなら逆に疑われるので、素直に白状した。そんなところだろう。
先輩がこの事実を知ってるってことは、きっと先輩も彩原と同じ疑問を抱き、そして彼ら三人に確認をしたんだろう。先輩ならきっと最悪の場合を想定できるだろうから、きっとこっそり確認したに違いない。ということはこれは秘密事項。あまり口には出してはいけない。
「…・…やっぱりこの事件は私がするより、あなたがしたほうがいい。適材適所とあなたはよく言っている。なら、この事件を解決するのは私じゃない」
「だから言ったでしょ、私はクラスメイトを疑うのは嫌なのよ。本調子じゃないのに調べても、本当のことを掴める自信はないの。そんなんじゃ役に立たないわ。けど、あなたならいける。適材適所、これはわたしのモットー。この役回りはあなたにぴったしよ。いいや、違うわね、あなたにしか出来ない。私はそう思ってる、だからこそあなたたちにお願いしたのよ」
彩原がまだ何か言いたげ再び口を開いたが、それを自ら閉じた。彼女としては何か納得できないことがあるんだろう。確かに先輩は優秀な人だ。事実、彩原と同じ疑問を抱きそれの答えをすでに持っていたりする。こんなんじゃ彩原が捜査するより先輩が動いたほうが早いと思うのは当然だ。そう思うからこそ彩原は先輩に捜査しろと言っている。けど先輩の言い分も理解できないことは無い。
彼女は良き指導者だ。それに疑いの余地は無い。けどそんな人だって、自分が仲間と思っている人たちを疑うのは気が重いのだろう。
机の上に転がっていた駒を手にとって、彩原がまじまじとそれを見つめる。
「まあ、いいです。引き受けたからにはちゃんとやります、ちゃんとね」
何故だか彩原がちゃんとの部分を強調する。
「じゃあ容疑者の次は被害者ですね。宮田先輩に会いたいんですけど……」
彩原が駒を先輩に投げて渡すと彼女はそれを見事にキャッチして、ポケットにしまった。
「抜かりは無いわ。もう約束はとってある。明日の昼休み、またここに来て頂戴。どうも放課後は忙しいみたいなの」
部活動でもしてない限りほとんどの時間が暇と化す放課後だけど、流石に生徒会長ともなると役員の仕事も大量にあるんだろう。事件の捜査とはいえそれに支障を出すことは避けないといけない。変に問題となると事件が外に漏洩する原因ともなりかねない。
不安が一つだけあり、僕はそれを思わず口からこぼしてしまった。
「今日の三人みたいな人じゃなかったらいいんだけどな」
それを聞いた先輩は小さく笑って大丈夫よと言ってくれた。
「安心して。人気と人望で生徒会長になった人なのよ。問題児じゃないわ。それにふざけてるかと思えば、思わぬところで真剣になる。そういう切れ者の素質もあるわ。人としてできてるし、今日みたいに困ることもないと思うわ」
先輩がそこまで言うのだから安心できる人なのだろう。どうせ対応はするのは彩原になるだろうから、僕はさほど関係ないのだが面倒な人だと彩原が僕に任せる可能性もあるのでこれだけ確認できれば安心は出来る。一応、宮田先輩の顔は知ってるのではっきりとはしないものの親近感はある。成り行きでどうなるか分からないが、今日みたいに緊張しながら会話を続けるようなまねはしなくてすむだろう。
「これで今日の仕事は終わりですね。それじゃあ私は帰らせてもらいますよ」
そう宣言すると彩原はすぐに自分のカバンを肩に提げて、準備室から出て行こうとした。彼女がドアノブを握ってまわそうとしたところで先輩が彼女に、ちょっと待ちなさいと声をかけたのでドアノブを放して先輩のほうを振り返った。
「今日の質問でどのくらい推理できそうかしら。というか、犯人の目星はついたの?」
例えるなら依頼人が探偵にする現状報告の催促だ。彩原はしばらく先輩を見つめ、小さく頷いた。
「大雑把ですが予想はついています。明日で犯人を絞り込めるかもしれません」
今日のあの簡潔な質疑応答だけでもう彼女の頭の中では論理が組みあがり、犯人が絞り込めるほど推理できてるというのか。あいかわらずの頭脳明晰さに呆気にとられてしまうものの、やはりすごいと尊敬しなおす。しかしながら犯人が絞り込めるかもしれないという報告に僕は喜んでいるものの、彩原自身はあまり嬉しそうには見えない。
「流石ね。期待して待ってるわ」
先輩が右手の親指を立ててそう褒めたものの、彩原はとくに表情を変えることなく小さく頭を下げて帰っていった。
「さあ楠野君、ナナにも振られたことだし、どうせこの後小泉君を待つので暇でしょう?」
振られたという言葉を否定したかったのだが先輩が何か嬉しそうな顔をしながら、チェスの駒をちらつかせるのがいやな予感をさせて、言葉にはならなかった。
「ちょっと先輩の道楽に付き合いなさい。言っとくけど、これは委員長命令だから」
先輩のチェスの腕は半端ではない。勝てないと分かってる勝負をするのは楽しいことではない。けど蛇に睨まれた蛙にできることは逃げ道を作ることでも、食べないでくださいと懇願することでもなく、そこに用意されたあるがままの定めに従うことだけなのだ。
「ほら、座りなさい。やるわよ」
蛇が牙をむき、蛙は腰が抜けたように用意された椅子に座る。
ようやく捜査を始めました。長い。




