プロローグ「死の宣告」
「終期型魂魄減衰病。私、死ぬみたい…」
それは蝉の鳴き声すら遠く感じる茹だるような暑さの夏のことだった。
いつものごとく、長く電車に揺らされ、気分も悪くなった頃に着く田舎で久しぶりの再会を果たしたあと。
知り合いに声をかけ、やっとこさ屋敷に着いたときだ。
彼女は、所謂死の宣告とやらを告げられたと、そう溢した。
よくわからなかった。わかりたくなかった。
「何かの冗談かなんか?」
わかってるさ、これが現実だ。あのときと何も変わらない。
「やめてよ、私もいまいち理解できないんだから。でも、死ぬの。魂が」
魂魄減衰病、それは命とか魂とか、よくわからない、とにかく、根源的なものまでを殺し尽くす、奇病だ。
この病気も、発見されて一年とたっていない、治療不可能な病だ。
「死ぬ、の?君が?」
「そうよ」
現実というのはいつも非情で、理想というのはいつも遠くて、なにより、
「嘘だ。その病は、神格が高い、君にはかかりようがない」
現実とかけ離れた君が、現実から逃げられずに、死ぬ。
「ごめんね、せっかく会えたのに、こんなこと言わなくちゃなんて…」
やめてくれ。
「でもね、私も会えて嬉しいのよ?久しぶりだし、ねえ、川にでも遊びにいかない?すぐに病状が悪化するとか、そういうんじゃ」
知りたくなかった。
「ねえ、きいてる?」
僕は逃げた。きっと、このときから逃げ始めてしまったのかもしれない。現実とか言うものから。
彼女と会ったのも、こんな暑さと寂しさの夏だった。
あのとき、両親を事故で亡くした僕は、親戚の知り合いの友達と言う、真っ赤っ赤の他人に引き取られ、この田舎に来たんだ。
「あーそーぼ!」
塞ぎこんでいた僕を、外に連れ出してくれたのは彼女で、現実から外へ連れ出してくれたのも彼女だった。
「すごい!」
彼女は、アラヒトガミとかいうものらしい。
「へへーん、すごいでしょ?こんなこともできるのよ?」
彼女は、不思議な力を持っていた。手から光を出したり、空を飛んだり、凄かった。
それから、現実が嫌いになった僕は、現実から最も遠い彼女に、恋をするようになった。
「ここにいた…」
僕は、川を下っていくとある、遊び場だった滝壺にいた。
彼女なら、ここにいると気づいてくれるから。
「ごめん…」
「あやまらないでよ、私も気持ち、分かるし、逃げ出したいし。ね?」
逃げる。何処へ?死ぬことから?何から?
「きっと、治す方法が見つかるって」
「不治の病と言われるほどのものなのに?僕は、現実を知ってる。そんなものは見つからない。」
やめろ。こんなこと言いたいんじゃない。
「君も、僕も、何処にも逃げられない」
僕は、現実主義者で、理想主義者なんだ。
「けど、もし、君が望むなら、この村から君を連れ出すよ」
それは、この村から出ることができない、彼女の夢だった。
いつか、世界を見てみたい。外から来た君なら、知ってる?その空の続く先には、大きな大きな池があるの。それを見に行きたいなー。
「それは駄目。私には、最後までやらなくてはいけないことがある。離れられない」
アラヒトガミは、村の守り神で、この山の神様の子孫なのだ。
アラヒトガミは一生をこの村の社で終える。
「そんなしきたりに縛られて、死ぬの?最後くらい、世界を見に行ってもいいじゃないか!」
昔から、世界を憧れる姫様は、ドラゴンにさらわれてしまうのだ。
そのドラゴンは……
「君と一緒なら、どこでもいい。それが私の世界。貴方の傍が、私の世界」
依存されることは、苦痛ではない。
依存することは、良いことではない。
「ねえ、私は死ぬの。ここで、貴方が、最後を、最期を看取って?」
きっと、逃げ出すことは、最後に向き合うからこそ、許されるのだろう。
向き合わぬ逃げなど、何処へも行けないし、何も出来ない。
「君は死ぬ。なら、僕は君と一緒にいるよ、ここで」
出来るなら、現実を見たくない。
でも僕が生きてるのは現実で、彼女の望みは現実にあって、そしてそれは、ひどく理想的な最後で。
「ねえ、私、死んじゃうのかな?」
それは、彼女の慟哭で、悲しくて、辛くて、
何より、何も出来ない自分が嫌で、見たくなくて、
これは、私と僕の物語。
何も変わらない。どこにでもある、とてもとても悲しい死のおはなし。
僕は、ドラゴンだ。