第一章・15
15.
イオンとコリンは巫女を連れて小屋の外の洞窟の中にあるという第二の聖地へと向かった。
小屋の主から預かった鍵で重い鉄格子の扉を開け、中へと進む。
それなりの距離を歩き、太陽の光は届かないはずの位置まで入り込んだはずなのだが、洞窟内は不思議と明るい。ぼんやりと青白い光の粒子が漂っている。
「不思議な所……」
コリンがポツリと言う。
「ああ、見た目だけはな」
イオンがそれに小さく答える。
そして、イオンの背におぶられた巫女が、苦しそうに震え出した。
「やっぱりか……」
巫女には聖地は近寄りたくない場所らしい。最初の『儀式』以来、半ば昏睡状態になってしまった巫女だが、時々悪夢にうなされているように、声を上げずに身を震わせうめくようにすることがある。
目の前には聖地の最深部、儀式を執り行う場所である中心に水が溜まった石の円柱状のオブジェが建っている。
イオンはいったんそのオブジェの外に背中の巫女を下ろすと、コリンが引きずっていた鞄を受け取り、中を漁り始めた。
その中から、一冊の掌大の本と、何枚かの紙束のメモらしきものを取り出す。
「これに儀式の手順が書かれてる」
そう言って、イオンは手に持った本をひらひらと振る。そして今度は反対の手に持ったメモをちょっと上げて、
「こっちはあいつが自分用に書いたメモだ。手順の大まかな流れだけを抜き出した文章と、補足的なことが書いてある」
コリンが真剣な表情で黙って頷く。
「一応、前もって目は通してある。まあ、言ったかも知れないけど、細かい理屈とか書いてないし、俺も完全には理解してないんだけど……」
そう言うと、イオンが本のページをめくりながら続ける。
「ここには、どれくらいの長さかわからないけど、ある程度の時間をかけて溜まったマナが集中してるらしい。それを、古い言葉を呪文にして、巫女さんの体に移すのが儀式の大まかな内容だ」
コリンは顎に手を当て、ふむふむと聞いている。
「その魔法の知識がない人間でもマナを巫女さんに移すための古代語の呪文の対訳が載ってるんだが……」
そう言って、イオンが本の一ページを開いてコリンに突き出す。コリンが顔を近付けてそれを覗き込む。
「移動、マナ、量、三十、座標、装置、保存、器……」
コリンがその現代語の方を読み上げる。単語で区切り区切りなのはコリンが文字が読めないのではなく、どうやら文法そのものが違うらしい古代語の呪文とやらの横に、活用されていない原形で書かれていたからである。
読み上げてはみたが、内容がいまいち理解できないのかすぐに顔を離すと、コリンは唸るようにして考え込む。
「文字通りの解釈だが……マナを何かの単位で三十、移動させるって意味だろう。多分この『装置』っていうのがこの石ころで……」
そう言って、イオンが円柱状の石のオブジェを指差す。
「移したマナを『器』……多分、気に入らない言い方だが、これは巫女さんのことだろう、そこに保存する、と……」
「なるほどねぇ……。で……、巫女ちゃんの代わりにマナをイオンに移す方法って、あるの?」
その問いに、本を持っていた手を片方離し、イオンがボリボリと頭を掻きながら答える。
「今の解釈が正しいなら、この『保存』の後の『器』って部分の呪文を別の言葉に置き換えればいいんだろうが……そもそも、この呪文が本来いつどこで使われてた何ていう言葉なのかわからない」
ほとんど斜めに首を傾げて、コリンが言う。
「何だかすごく惜しいところまで来てる感じだね……。でも、それじゃあどうすればいいんだろう?」
今度はイオンは頬を掻いて、少し恥ずかしそうに言った。
「その……すごく安直で、全く確証も何にもない方法なら考えたんだが……」
その言葉に、コリンがじっとりとした目で訊く。
「どんな方法?」
「俺が巫女さんと手を繋いで、一緒にこの石ころの中に入る」
コリンは半眼にしていた目を見開いて、口を縦に開いた。
「おお、何かそれっぽくない?」
その反応に、今度はイオンが怪訝な顔になる。
「……おまえ、どんな方法を想像してたんだよ……」
「べぇーつにぃー」
そう言って、コリンが明後日の方向を向く。呆れつつも、イオンが持っていた本を手渡す。
「そういうわけだから、儀式を代わりにやってもらいたいんだ」
「って言われても、あたしにできるの?」
「心配ない、あいつがやってたのを見てただろ? メモにも書いてあるが、基本的に石ころの中に巫女さんを置いた後、この道具を持って、呪文を読み上げるだけだ。こっちのページに、発音が現代語の文字で書いてある」
そう言ってイオンが指し示したページには、さっきコリンが読み上げた文字が再びコリンの目に飛び込む。しかしその隣に書かれていたのは現代語の訳ではなく、現代語の文字で書かれた知らない単語だった。恐らく、これは発音を示しているだけで現代語としての意味はないので知らない単語に見えるのだろう。
「これ、読むだけ?」
イオンから道具と本を受け取ったコリンが、不安そうに言う。
「ああ。その変な道具が何なのかは書いてなかったが、持ってないといけないらしい。成功すればそれでよし、もし失敗したら……まあ、何も起こらないだけだろう」
「ん、まあ嫌とは言えないし、何とかできそうだから、やってみる」
そう言って、コリンが頷く。
「それじゃあ、始めるか」
イオンが巫女を抱え上げると、その手を握り締め、水の張ったオブジェの中に座り込んだ。
少々抵抗があったが、確かハーヴェイはこの石のオブジェの窪んだところに溜まっている不思議と清んだ水に巫女の尻を浸けていたので、イオンも自分と巫女の尻が水に浸かるようにした。
「始めてくれ」
目の前に立つコリンに告げる。
やがて、おずおずとコリンの少女らしい高く澄んだ声が響き出す。始めこそたどたどしく、自信がないせいだろう、わざとカタコトに聞こえるように発音していたコリンだったが、次第にその声が一定の声量とリズムを保ち始める。
現代の言葉と異なるその音は、異国情緒溢れる歌のようだ。
イオンはオブジェの真ん中で巫女の手を握り、目を瞑って座っている。
始めイオンが『呪文の意味』として示したのは、読み上げれば数秒にも満たない短い文章だ。だがそれはどういう意味かはわからないが、『宣言』という前置きのようなもので、それを唱えた後に、本に書かれたそれなりに長い呪文を意味を考えずに読み上げればいい、と手順には示されていた。
なので、今コリンが必死に、けれども歌うように流麗に紡いでいる言葉の意味を二人は知らない。
やがて、周囲の不思議な光の粒子が、輝きを強め始める。
オブジェの中心にいるイオンは、心なしか体が熱いような感覚に襲われた。周囲の空気が熱されているのではない。酷い風邪を引いた時のように、自分自身の内側から熱が溢れてくる感覚だ。
そしてさっきから、耳鳴りのような、まるで何か頭をつんざく音を聞いているような気がする。だがそれが音ではないのは、コリンの唱える呪文がはっきり聞き取れることからわかる。
そして――。
周囲の光が炸裂した。同時に、イオンは限界まで、いやそれ以上に肺に空気を吸い込んだような感覚に襲われた。体が破裂する――そう思った直後、全てが静寂へと戻った。
「イオン!」
道具と本を投げ捨てるように床に置いて、コリンが駆け寄る。
イオンは抱えた巫女を取り落としそうになりながら、ふるふると痙攣し、何かを吐き出そうと苦しんでいるようにしていた。
「イオン! イオン!」
コリンがしゃがんで二人を支えるようにし、イオンの背中をさする。
しばらくして、イオンは大きく肩で息をしてはいるが、多少落ち着いたようだった。
「大丈夫? 平気? 何ともない?」
「正直……しんどいかな。けど、多分死にはしない」
『死にはしない』。それはコリンがイオンの口から聞きたくない言葉だった。
巫女を護衛する使命を持った者として、イオンに与えられた力。『死ぬことができない』不死の能力。
それに気付いてか否か、イオンが付け足す。
「体が重たい。すごく疲れた時みたいだ……。そのくせ、何だか今ならどんな距離でも走れるような気がするくらい、力が有り余ってる……。多分、これが大量のマナを体に溜め込んだ感覚なんだろうな。儀式は成功だ、ありがとな」
そう言って、額に汗を浮かべて口元だけでコリンに笑いかける。
「イオン……バカ、無茶して……」
コリンは歯噛みして、目元に雫を溜めている。
「巫女さんは……何ともないみたいだな。ならいい、ここはもう用済みだ。さっさと出て……ちょっと寝たい。眠れそうな気がしないけどな」
イオンが立ち上がると、巫女をおぶって出口に向かって歩き出す。足取りがおぼつかない。無理をしてイオンの分の鞄も片手で全て持つと、反対の手でイオンの背中を支えるようにして、コリンも後に続いた。




