第一章・11
11・
夕食はそれなりに豪華だった。先に泊まった町の宿に多少劣る、という程度だ。こんな寂しい森の中で、一人で暮らしている老人が用意してくれたものとしては、充分に立派なものだろう。
「うっわ! すごーい! オジイサン、これ、猪の肉でしょ? 結構上物だね」
コリンが自分の目の前の皿に盛られた大きな肉の塊を一つ、フォークで串刺しにして感嘆の声を上げる。
「ほほう……。そうだよ。昨日仕留めた大物さ。お譲ちゃん、肉にうるさい方かい?」
「へっへーん、あたし、こう見えても狩人やってるんだ」
そう言って、肉に噛り付く。老人は驚きと感心のこもった声で、
「へぇ! そりゃ大したもんだ」
と言った。
食事を食べるからには、暗く沈んでいても仕方ないとコリンは判断したのか、専らこの番人の老人と会話しながら遠慮もせず料理を頬張っていた。或いは、ここまで豪勢な料理を用意してくれた老人に申し訳ないと思ったのか。
「そっちの兄さんは、何をしているのかい?」
老人が笑顔でイオンに問う。
コリンと違って、イオンの表情は冴えず、言葉も少ない。先ほどから黙ったままだった。何も問題が解決していない上に、これからハーヴェイと話をしなければならない。それに、この老人も表向きは気さくな人物の印象を受けるが、番人と言うからにはこの残酷な儀式の関係者と思うと、不信感を拭えなかったからだ。
「親の手伝いで、畑を耕してます。大体は、芋を作ってます」
だが、一応は返事をする。
「そうかそうか。俺もよ、ここからちょっと行った所に畑持ってんだよ。自分で食うもんはなーんでも自分で作ってんだ」
老人は自慢そうに語る。それに対して「オジイサンすごーい」とコリンが相槌を打っている。
イオンは老人が再びコリンと話し始めたのを見て、そっと視線をハーヴェイに移す。
「体が大きいから」という理由で、殊更大量に盛られた料理を、黙々と食べている。そのほとんど無表情に近い顔は、普段のハーヴェイらしい。しかし、一つだけ、欠けているものを感じた。
目に、鋭さがない。
初めて会った時に感じた、目に宿る相手を射抜くような鋭さ。それが今のハーヴェイにはない。テーブルの蝋燭の灯りが瞳に映り込んでいるが、ハーヴェイの目は輝きを失ったように暗さを感じさせる。
そんな目が、先ほどのらしくない奇行を思い出させる。常に頼もしさを感じさせる落ち着きを持っていたハーヴェイが見せた、取り乱したような行動。
「イオン、ちょっとイオン!」
隣に座っているコリンが自分の肘を突付いてるのに気が付いた。
「ん?」
ハーヴェイを見ながら随分考え込んでいたらしい。コリンが顔で老人の方を示す。
「兄さんや、芋を作ってるって言ってたな? よかったら、俺の自慢の種芋を持っていかねぇかい? 北の方から来たっていう旅のお方からもらったもんでな、何ていう品種かは知らねぇんだが、こいつが美味いんだ。ほれ、これがそうだ」
どうやら、先ほどから老人が自分に話しかけていたらしい。熱心に語りながら、テーブルの真ん中の茹でた芋を薄く切った肉と一緒にスパイスで炒めた料理を指している。
「あ、ああ……。お気持ちは嬉しいんですが、まだ旅が続きますし、なるべく荷物は軽くしたいんで……すみません」
「そうかぁ。そいつぁ仕方ないな。また遊びに来た時に持ってってくれや」
老人はさして気にした様子はない。単純に、恐らく久しぶりなのだろう来客が嬉しくて、半ば一人で喋っているのだろう。かといって、返事をしないのも申し訳ない。
イオンは今は考えるよりも、食事に集中しよう、と老人の話に適当に相槌を打ちながら、料理を平らげた。
*
夕食後。
コリンが皿洗いを買って出た。ハーヴェイの方は「先に行っている」と小屋から出て行った。ならば、とイオンも皿洗いを手伝うことにした。雰囲気から察して、ここで厄介になった分を代金として請求されることもなさそうなので、せめてもの恩返しと考えたからだ。
しかし、それを後で酷く後悔することになる。
皿洗いを終えて、イオンが湖を訪れた。半ば木々に遮られた頼りない月明かりの下、ハーヴェイの姿を探すが、あの大きな影は見当たらない。
待ちくたびれてその辺りを散歩しているか、用でも足しに行っているのだろう――そう思った。が、待てども待てども、ハーヴェイは姿を現さない。湖はそれほど大きくはない。それに、先ほど自分達がやり取りした場所――少なくともイオンはそこを指して『夕食後にここで会おう』と言ったのだ。場所を間違えているはずがない。
そろそろ一刻になろうかという頃合になって、コリンが寝床の支度ができたと伝えに来た。
「なあ……ハーヴェイの姿が見えないんだが……」
イオンが尋ねる。
「え? こっちにはいないけど? ご飯の後、出て行ってそれっきりだよ?」
イオンはさーっと血の気が引くような思いがした。
慌てて小屋に戻る。テーブルが隅に移動されていて、筵の上に布団が三人分敷かれている。
その隣に一つだけ置かれたベッドの上に、巫女が寝かされていて、ベッドの下が一行の荷物置き場になっていた。
「ちょっ、ちょっと、イオン!?」
戸惑うコリンをよそに、イオンは乱暴に荷物を引きずり出すと、それぞれを確認する。金袋はある。簡易寝具などの道具もある。なくなっている物は――。
「……斧が、ない」
ハーヴェイの斧がない。
「ねぇ? どうしたの? 大丈夫?」
たまらなく嫌な予感が胸を騒がせる。
やがて、老人とコリンに促され、イオンも床の布団にもぐりこんだ。布団は巫女以外の三人のために用意されたものだったらしく、老人は相変わらず奥の部屋に引っ込んでいる。
三つの布団にはベッドに近い側からコリン、イオンと寝ている。その一番端は無人だ。その無人の布団の方、月明かりがかすかに差し込む闇をイオンは見詰めていた。
結局その晩、ハーヴェイはとうとう姿を現さなかった――。
翌朝。
コリンに揺さぶられて、イオンは目を覚ました。昨晩は結局遅くまでハーヴェイが現れるのを待っていたので、寝不足だ。
「ハーヴェイは?」
イオンは誰も使った形跡のない布団を見ながら言う。
「あれから、どこにもいないの……」
コリンが気落ちした様子で答える。
「…………」
やがて、老人が朝ご飯の支度ができたと告げた。
朝食の席には、三人分の食事しか用意されていなかった。イオンとコリンがテーブルに着くと、老人は遠慮なく食べろ、と促す。何も言わないが、ハーヴェイがいなくなったことは認識しているらしい。イオンもコリンも、形容し難い気まずさを感じて中々食事が進まない。
「ここでの儀式は終わったんだろう? もう発つのかい?」
二人は顔を見合わせる。やがて、イオンが意を決したように言う。
「あの、昨晩からハーヴェイの姿が……」
老人はばつが悪そうに、白くなった髭をさすった。
「うむ……。実は、今朝になったらあんたらに言うように言われてたんだが……あの旦那は旅を降りるらしい。後は兄さんに任せると言ってたよ。細かいことは鞄の」
「な!? 本当ですか!」
テーブルの上の食器を鳴らして、イオンが立ち上がる。
「悪いとは思ってたが……あの旦那も、そうとう思い詰めてたようだったしな。聞いた話だが、いろいろ大変な身の上らしいし……他人事だと思えなくてな」
イオンは黙って老人を睨み付ける。その様子に、コリンがどうしたものかとおろおろしていた。
この老人に怒りをぶつけても何も解決しない。怒りをぶつけるべきは、突然使命を放棄して無言で去ったハーヴェイだ。そして、大事なことは何も話してくれず、勝手に物事を進めようとする村の大人達だ。
だから、ただ黙って睨み付ける、それがイオンのできる精一杯の、大人への、不条理への抵抗だった。
しばし険悪な雰囲気が続いた後、イオンがぽつりと言った。
「食事を終えたら出発します。お世話になりました」
そう言うと、残りの朝食を飲み込むように口に放り込んだ。




