第一章・10
10.
やがて日が傾いてきた。
あの後、ハーヴェイは何処へともなく小屋の外へ消えていった。小屋の番人の老人は、相変わらず奥の別部屋に引っ込んだまま出てこないので、小屋の中にはベッドに寝かされた巫女と、それを見守るイオンとコリンだけも同然だった。
二人とも、沈んだ様子である。イオンは椅子に座り、コリンは巫女の寝かされているベッドに腰掛け、それぞれうな垂れている。
「落ち着いた……のかな」
コリンの一言が沈黙を破る。
「さぁな……」
イオンは顔を上げずに答える。
落ち着いた、と言えば落ち着いたのだろう。少なくとも今は、あの『儀式』とやらを執り行った直後の、取り乱した様子はない。
ただし、ベッドに横にされ、毛布を掛けられた巫女は、まるで人形のように生気なく眠っている。落ち着いたというよりは、まるで事切れてしまったかのうようだった。
「……これから、どうするの……?」
コリンが沈痛な声でイオンに問いかける。
「…………」
イオンは答えない。
脇腹が痛む。先ほどハーヴェイに喰らった膝蹴りが、まだ肋骨に鈍い痛みを残している。痛みと同時に、ハーヴェイに対する不信感までが残る。
楽しい旅。そう思っていた。珍妙な取り合わせの四人。しかもまだ村を発ってからそれほど日は過ぎていない。けれども、長い時間を共にした仲間のように思っていた。
ハーヴェイは無口だが、その頼もしい空気が、初めての旅の不安を感じさせなかった。
寡黙なハーヴェイに対し、コリンは常に何か喋っていた。何かを見つける度にはしゃぎ、あれは何かと訊いては一人で納得したり喜んだりしていた。何もなかったらなかったで、退屈だの腹が減っただのとぶつぶつ言っては、繋いだ巫女の手を振り回して遊んだりしていた。
そんな風にコリンが場を盛り上げると、巫女は目が見えず、耳も聞こえないにも関わらず、一行の楽しそうな雰囲気を察すると、にこにこと無邪気に笑っていた。
それを見て、イオンが呆れていた。ただし、心の底から本気で呆れていたわけではない。溜息をつきつつも、微笑ましい光景に言いようのない幸せを感じていた。
「こんな酷いことをするなんて……」
コリンが巫女の額を撫でながら言う。
そんな幸せな旅だったから、本来の目的である『聖地巡礼』が、具体的にどんなことをするのか訊きもしなかった。そう思うと、イオンは浮かれていた自分が憎くてたまらなくなる。同時に、ハーヴェイに裏切られたような気がして仕方ない。
「コリン、俺は……旅を続けるよ」
椅子から立ち上がり、ベッドに近寄るとイオンが言う。
「……そう」
「今旅を辞めたら、この娘がもっと酷い目に遭う時に、それを止められない。せめて、傍で見守っててやりたい」
そう言ってから、イオンが小屋の壁に拳を打ちつけた。木造の小屋に一瞬、鈍い音が響く。音が聞こえないからだろう、巫女は相変わらず死んだように眠っている。
「けど……けど、今の俺じゃ、あいつには敵わない。……くそったれなことに、俺はあいつに剣を教わってるんだからな……。俺が着いて行ったって……俺はこの娘に何にもしてやれねぇ……ちくしょう……。何が『護衛』だ!」
「イオン……」
コリンは突然のイオンの行動にも驚いた様子はない。
「イオンが旅を続けるなら、あたしも着いてくよ。あたしも……何にもできないけど……」
そう言って、イオンと巫女から視線を背けて、顔を地面に向けた。
完全に日が落ちた頃。
小屋の奥からいい香りが漂ってきた。小屋の番人の老人が夕食の支度を始めたのだ。
普段なら、コリン辺りが真っ先に反応するのだが、今も二人は、まだ目覚めない巫女の傍で相変わらず床板の継ぎ目を見ている。
ややして、皿を持った老人がイオン達のいる部屋に入ってくる。
「やあやあ、遅くなってすみませんね。普段は年寄りの一人暮らしなもんで、お客さんをもてなすのは滅多にないことでして。大したもんはありませんが、お夕飯を用意させて頂きましたんで、どうぞ召し上がり下さいな」
老人は巫女のことを知ってか知らずか、あくまで自然に一行をもてなそうとしている。
正直、イオンもコリンも、そんな好意は今は嬉しくもないし、ともすれば怒りさえ覚えるところだが、例え村の陰謀めいた旅のことをこの老人が知っていたとしても、敵意をぶつけても何の解決にもならないと二人は思っていた。
「いただきます」
落ち込んでいても腹は減るのだろう。コリンが皿を受け取ると、テーブルに置いた。老人は他の皿を取りに再び奥の部屋に戻る。と、ドアの前で振り向くと、どちらにともなく言った。
「ああ、すみませんがどちらさんか、あの大きな旦那を呼んできて頂けませんかい? 多分、外の湖の辺りにいると思うんでさぁ」
二人の顔が、一瞬固まる。老人が言ってるのは、ハーヴェイのことだ。気まずい空気が訪れる前に、イオンが言った。
「皿並べるの、頼むな。俺、あいつを呼んでくる」
そう簡素に告げると、イオンは小屋のドアを開けて出て行った。
その後姿を、心配そうにコリンは見送ることしかできなかった。
*
老人は外の湖の辺りにいるはずだと言った。しかし、この小屋の辺りはよく散策していないので、そんなものがあったかどうかさえ覚えていない。少なくとも、巫女を儀式を行った場所に連れて行くときにそれらしきものは見ていないので、小屋の裏手にあると判断したイオンは、ぐるりと外周を回る。
そこには――。
ハーヴェイの姿があった。
ただし、いつものように、遠くを見詰めて何を考えてるとも知れぬ顔で立ち呆けていると想像していたイオンは、少し面食らった。
ハーヴェイは、腰に携えている斧を鞘から取り出し、振り回していた。同じ軌道ではなく、四方八方の空を薙ぎ払う。それは素振りというよりは型の稽古だった。
物音はしない。あくまで斬っているのは空中。踏み込む足は静かで、掛け声もなく、斬撃とともに吐き出される呼吸は蝋燭の炎を吹き消すように小さい。
それは鮮やかな演舞のようですらあった。しかし、ハーヴェイの放つ雰囲気は、酷く惨めなものを感じさせる。
ここにはいない何かを、自分を縛る見えない何かを断ち切ろうとするかのように、あくまで流麗に、けれどもがむしゃらに、ひたすらに斧を振り回している。
それがイオンにもわかった。
「……何か用か?」
ハーヴェイがそう言いながら、左から右に、大きく横に薙ぎ払ったまま、その勢いを殺さず上段に振り上げ、地面に斧を叩きつける。そこで初めて、どすん、と斧が地面に突き刺さる音がした。
どれくらいの間か、イオンはその姿に見入っていた。だから、つい声をかけるのを忘れていたのだった。しばらく躊躇った後、言う。
「……晩飯。じいさんが呼んでる」
「そうか」
ハーヴェイの大きな肩が上下している。かなり息が上がっているようだ。恐らく、かなり長い時間続けていたのだろう。斧を腰の鞘に戻す。
湖の傍にかがみ込むと、ハーヴェイは両手で水をすくって顔にかけ、布切れでそれを拭いた。
悩んだ挙句、イオンが言う。
「あんたは……儀式ってのをやれば、巫女さんがどうなるのか、知ってたんだよな?」
「話には聞いていた」
あくまで淡々と、ハーヴェイは答える。
「あんたは、何とも思わないのか? 巫女さんは……あの娘はマナを通じてしかものが見えないんだよな? それが、今じゃ自分の中のマナでいっぱいで、周りのマナが感じ取れない……つまり、今のあの娘は、完全に何もわからないんだよな?」
「そうなる」
ハーヴェイは中々湖の傍から立ち上がろうとしない。
「あの娘が実際にどういう風にものが見えてるか、俺にはわからない。けど、言ってみれば今のあの娘は真っ暗闇の中で一人ぼっちなんだろ? 俺達がいくら手を握り締めてもわからない。それだけでも許せないのに……」
イオンがギリギリと拳を握り締める。
「これが村のためだって言うのかよ! 村のためなら、女の子一人どうなってもいいっていうのかよ! そんなに村が大事かよ! あんたは何も思わないのかよ!」
イオンがまくし立てる。
ハーヴェイは、先ほど布切れで顔を拭ったばかりだというのに、再び湖に手を差し入れると、両手で水をすくった。そして、それを顔に浴びせる。一度ではない、二度、三度、狂ったように水を顔にかける。水が跳ねて、髪の毛から首元までを濡らす。そして、おもむろに立ち上がると、イオンの方へつかつかと歩み寄る。
ただでさえ体格のいいハーヴェイが、顔を、頭をぐっしょりと濡らして近寄ってくる様は、異常な迫力に満ちている。そして、イオンの胸倉を掴んだ。
「村の……村のためだっ! 巫女様の命は、お生まれになった時から村のためにある! ついでに俺の命もな! いいか……勘違いするな。巫女様には……俺には……生まれた時から自由に生きることなんて許されてないんだ……。おまえらの下らない『お情け』は、旅の……任務の邪魔だ」
そう言い捨てて、すぐにイオンの胸倉から手を離し、背を向ける。
今度は、ハーヴェイの大きな肩が震えている。短く、連続で吐き出される息遣いが聞こえる。
わからないはずがない。ハーヴェイは、泣くのを堪えているのだ。
「あんた、ハーヴェイ……」
儀式の後から、言いようのない憎しみからその名を呼ぶのを避けていたイオンが、ハーヴェイの名を呼び直す。
頭を濡らしたハーヴェイの鬼気迫る様相に気圧されていたのはイオンの方だし、力強くまくし立てられて何も反論できなかった。しかし、今のハーヴェイはまるで、こちらが何か傷付けでもしたかのように、酷く弱々しかった。旅の最中に感じていた頼もしさは、まるでない。
意を決して、イオンが言った。
「飯、食おうぜ。……その後、またここに来てくれ。ハーヴェイとちゃんと話がしたい。俺は、旅を辞めないぜ。けど、あんたとこのままじゃ旅を続けられない。いいな?」
言うべきことは言った。この後どうなるかは、ハーヴェイを信じるしかない。
イオンは先に小屋へと向かった。
イオンの姿が小屋の中へ消えてしばらくしてから、湖の傍から、小さく、しわがれた男のすすり泣く声が月が照らす闇の中に小さく響いた。




